web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

山本幸司 日本人の「あの世」と平田篤胤の神学[『図書』2022年10月号より]

 日本人が死後の世界をどのように考えていたかを、遡って歴史的に追究するのは難題である。古代の早い段階から浸透していた仏教教説が、大きな影響を与えていただろうということは言えるし、それについてなら説話集などを中心に、文献的な材料もかなり豊富にある。しかし、それとても細部まで統一された教説が説かれたわけではなく、せいぜい地獄・極楽の観念に集約されるくらいである。その一般的な浸透度となれば、もちろん不明というしかない。

 仏教流入以前に、日本人がどのような死後の世界像を描いていたか、あるいは流入後も、仏説と異なった他界像がなかったのかという問題はさらに込み入ってくる。近著『死者を巡る「想い」の歴史』で古代から中世にかけての日本人が死者を巡ってどのような想いを抱いたかを書いた際に、この問題を何とか一部でも明らかにできないかと、文学分野の材料を使って検討してみたが、なかなか具体的なイメージを結ぶまでには到らない。

 死後の世界に関する日本人の観念の中で、記録による限りもっとも古いのはみのくにだろう。これは『古事記』国生み神話の伊邪那岐命・伊邪那美命のうち、伊邪那美命が火の神を生んだ際に焼かれて死んだ後、赴いた世界である。しかし黄泉国は、その所在・構造、支配者の居所・職能など、ほぼ不明確であり、わずかに汚穢の国としてのみ特徴付けられる。しかも記紀以後の史料では、一般的に死後の世界の代名詞として用いられるだけで、記紀を越えた細部は展開されていないし、その後の日本人の信仰生活にも登場しないから、それがすべての死者の行く先として意識されていたとは考えにくい。

 ではそれ以外というと、断片的な史料から、洞窟、山、海の沖合、天上などが挙げられるが、これらも具体的な内容ははっきりしないし、死者の行く世界なのかどうかも怪しい場合がある。民俗学では高い山、山の奥、菩提寺、墓その他、多様な場所が死者の赴く場所として挙げられるが、これも死者がそこでどのような形で存在するのか、あるいはどのような霊が行くのかなど、具体的な記述を伴っているわけではない。実際の日本人の死後の世界は歴史時代を通じて、黄泉国はもちろん仏教の浄土信仰によっても統一化されていない多様なものだったと、私は考えているのだが、他方、仏教以外の観念はどれも史料が少なく、具体的な姿もほとんど知られていない。結局のところ、仏教の教説と異なる日本人の他界像は、漠然として具体性を欠いている。その意味で極めて曖昧な「あの世」とでも言うほかないのが、日本人の最大公約数的な死後の世界だったのではないか、そしてそれは極楽浄土や天国のような理想化された世界でもなく、十万億土と言われる想像もつかないような遠方にあるわけでもない、いわばすぐ隣にでもあるような身近な世界だったのではないか、そう推測している。

 しかし死後の運命についての関心は、人生の安心につながる大きな問題であり、宗教的な救済説、つまりM・ウェーバーのいう「どこからどこへ」の問題の中心的命題でもある。そう考えると、仏教以外に日本人独自の他界像が存在しなかったということは、説得力のある救済説を持つ宗教が生まれなかったということでもある。神社神道は民族宗教という本質上、神話と儀礼はあるが、ドグマ的な教義や信仰箇条は持たず、中世になって仏教や儒教の影響を受けて一部に教義らしきものが作り出されただけだし、中世後期に渡来するキリスト教は仏教に代わる教義を持つが、こちらは政治的な弾圧を受けて、近世初頭にはほとんど日本から姿を消してしまう。

 その中で、江戸幕末に近い頃の平田あつたね(一七七六―一八四三)の国学は、神々の階梯・職掌、人類起源、宇宙・国土創成などの説明から、他界説、応報論や神義論など広範に及ぶ、日本人の思想的伝統の中では稀な神学体系だと言ってよいだろう。平田篤胤と言えば、その所説の国家主義的性格が原因で、第二次大戦の戦前・戦中と戦後とで、評価が毀誉両極に振れた国学者である。近年は吉田真樹・吉田麻子・小林威朗ら諸氏の研究に見られるように、そうしたイデオロギー的な角度での分析からは解き放たれているようであるが、私の見るところ、本居宣長の学問の本質が『古事記』などの文献解釈を目的とする文献学・古典学であるのに対して、平田篤胤の学問は、文献の解釈・理解を目的とするより、むしろ古文献を利用して自らの唱える神道の聖典を作るための神道教学であった。

 彼はこの立脚点から、死後の世界についても独自の説を主張する。篤胤に先行する本居宣長は「さて死すれば、妻子・眷属・朋友・家財・万事をもふりすて、なれたる此世を永く別れ去て、ふたたびかえりきたることあたはず、かならずかの穢き国にゆく(『玉くしげ』)と説いたが、篤胤はこれを否定する。篤胤は、まずやまごころが固められていなければ、真の道は知りがたいし、そのためには「霊の行方のしずまり(『たまはしら』)を知ることが先決であると説いているが、彼の考えでは、来世に関する教説の欠如が復古神道の大きな弱点であり、それ故に来世を説く仏教やいわゆる俗神道に対抗し得なかったのだとされる。

 例えば篤胤は、世間の古学(国学)を学ぶ人々は、うわべは仏教のことを非難するが、死後の行方については気になっているので、この国土を昔と比べるとこのようにうるわしくなっているのだから、それになぞらえて想像すれば、黄泉国もうるわしくなっているだろうとか、黄泉国が穢いと言ってそれほど忌むべきではない、どんなところでも住めば都という諺のように、それぞれの楽しみはあるものだとか、色々な事を言うが、それは黄泉国に行くというのを誰でも内心では憂えているからなのだ、と指摘している。つまり死後「どこへ」行くかという問題の神道にとっての重要性を、篤胤は十分認識していたが故に、死後は穢れた黄泉国に行くという説は説得力がなくて困るのである。

 その問題を解決するために篤胤が唱えたのが「人死ぬれば、其屍は、汚穢物のかぎりとなるを、すべて穢きものは、く理のあれば、死ては其からだを土に埋む」(『古史伝』)けれども「其たましいきゆること無れば幽冥におもむきて大国主ノ大神のおさめに従」(同前)う、すなわち死者の肉体は黄泉国に属するが、霊は冥府にある大国主神の主宰するかくりよに赴くという教えである。幽世というのは現世うつしくにの外に別に一処、そういう名のくにところがあるのではなく、現世のうちにどこであれ「神のみかどを設けて」大国主神が主宰するのであって、向こうからは現世の人々の行いがよく見えるが、現世からは「その幽冥を見ることあたはず……、幽冥も、各々それぞれに、衣食住の道もそなはりて、この顕し世の状ぞかし」(『霊能真柱』)とされていて、現世と二重写しになったほぼ現世と同様な世界だと見ることができる。

 さらに天孫がこの国土に降臨して以来、天孫に続く皇統が「顕明あらわごと」を、そして天孫降臨以前のこの国土の支配者たる大国主神が「幽冥かくりごと」を支配するようになったと説く。顕明事とは天皇の「天下所知看あめのしたしろしめす万ヅの御わざ(『霊能真柱』)を言い、幽冥事とはこれに対して「国の治乱吉凶。及び人の生死禍福など。凡てがなすわざとも知らず行はるるかみごと(『玉たすき』)を指している。

 しかも幽世においても現世のそれと同様にヒエラルヒッシュな体制が存在する。すなわち現世について「天皇命は、山城ノ国に御座まして顕事あらわにごとの本をしろしめし、将軍家は、そのおおに代りて、天の下の御政をとりもうしたまひ、八十諸々の大名がたをてそのさきとなりて、仕へ奉りたまふ」(『霊能真柱』)ように、幽冥においては「大国主神は、幽冥の事の本を、すべおさめ給ふにこそ有れ。末々の事は、一国に国魂ノ神、一ノ宮の神あり。一処にはうぶすなノ神氏神ありて其神たちのもちわけしりたま」(『玉たすき』)うのであって、天皇―将軍―大名という現世の序列さながらに、幽世では大国主神―国魂の神・一宮の神―氏神・産土神という序列が存在するのである。

 このような幽世は、当時の社会秩序や民衆の日常生活を、そのまま死後の世界に投影した、まさしくすぐ隣にでもあるような身近な世界で、私には漠然とした日本人の伝統的な他界観に沿ったものだったのではないかと思えるのである。またこの幽冥説が来世における賞罰という応報思想と結び付いている点も特徴的だが、それに触れる紙数はない。

 江戸幕末から明治にかけては、「おかげまいり」や「ええじゃないか」のような狂躁的な民衆エネルギーの爆発とならんで、黒住教・天理教・金光教などの新宗教がそうせいした時期であり、その背後には社会的激動と連動した救済欲求の高まりがあったと推察される。あるいは篤胤の神道もまたそうした欲求に対応するものだったかもしれない。しかし黒住宗忠・中山みき・川手文治郎ら教祖たちが唱えた教義とは違って、篤胤の神学は神による啓示のような決定的な要素がなく、古典を材料に思弁的に組み上げられたもので、説教を聞く人間にとっての衝撃力が弱かったのではないだろうか。

 篤胤は「極楽よりは此の世が楽みだ。夫はまづ。くらしの相応にゆく人は。美濃米を飯にたいて。うなぎ茶漬。初堅魚に。剣菱の酒を呑み。煉羊羹でもたべながら。山吹の茶を呑んで。国分の煙草をくゆらして居らるる」(『伊吹於呂志』)と語っているが、こうした生活理想を持った市井の常識人としての篤胤には、教祖的な資質自体がもともと欠けていたのではないかと疑われる。篤胤の流れを汲む国学者も多く参加した明治初期の大教宣布の官製運動は、結局さしたる成果なしに消えていくが、その要因の一つとして平田神学の内容も影響しているように考えられるのである。

(やまもとこうじ・日本思想史)

タグ

関連書籍

ランキング

  1. Event Calender(イベントカレンダー)

国民的な[国語+百科]辞典の最新版!

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

詳しくはこちら

キーワードから探す

記事一覧

閉じる