web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

金 範俊/Moment Joon 外人放浪記

第3回 Mr.ラップ先生、または私は如何にしてヒップホップにこだわるのを止めて君たちを愛するようになったか〈金 範俊/Moment Joon 外人放浪記〉

 大阪府茨木市の清水バス停。大型工場や町工場、物流センターが立ち並ぶボロい道路を通って小さい坂を5分ほど登ると、周りの風景とはあきらかに感じが違う建物が目立って見えてきます。学校法人コリア国際学園、通称「KIS」。私の職場です。

「ラップを教えてください」と言われても

 2021年3月、著名な日本のヒップホップのライター・ジャーナリストである渡辺志保さんから、一通のメールをもらいました。メールによれば、茨木市の韓国系のインターナショナル・スクールであるコリア国際学園に、2021年度からK-POPコースというプログラムができるそうでした。一般の教科科目に加えてダンスやボーカルなど、いわゆるK-POPに必要なトレーニングを行なうそうです。そしてヒップホップの歴史やラップの仕方についても授業に取り入れるべく、まず志保さんに相談が行き、歴史については志保さんが半年間の講義を行うことになったのですが、ラップの授業の担当者として私を学校側に推薦してくれたそうでした。志保さんには大変お世話になっていたので、メールをもらってとてもうれしかったのですが、依頼を読み終わったあとの感情は、正直複雑でした。

 「ラップを教えてくれ」という依頼を受けて複雑な気持ちになった理由。それを説明するためには「ラップを教える」行為自体について、私の考えを話さなければなりません。

 ラップは、そもそも教えられるものでしょうか。もちろんラップにも、学習し、技術を磨き上げられるという「芸」としてのプロセスは確かに存在します。統一した基準はないにせよ「うまいラップ」「下手なラップ」は概念としては存在していて、ラップバトルはその「スキル」の客観性を更に固く信じるジャンルですよね。しかし「ラップが上手くなるため」に取り組む学習と技術の向上は、あくまで自分一人で頑張って行うものだというイメージや、誰かから教わるものではないという認識が、少なくとも私がラップと恋に落ちた2000年代には、支配的だったのです。

 ラップを「教える・教わる」ことに対する抵抗感。それはラップが持っている、いいえ、ヒップホップが持っている「リアル信仰」に起因すると私は思います。ラップを一つの「歌い方・歌詞の書き方」だと定義するならば、ヒップホップとはそのラップを生み出したより広い「文化・考え方」だと分類できるでしょう。そしてヒップホップはその実践者が「リアル」であることを、誕生期から現在に至るまで常に要求してくる文化です。ヒップホップが求めるリアルとは、「素直」であることだけではなく、本当にオリジナルでありながらカッコいいこと、つまり「本物」であることです 1。いくらカッコよくても、いくら商業的に成功していても、そのカッコよさが誰かのカッコよさを真似しているものであれば「本物」にはなれません。50年に至る歴史の中で、そんな人を「本物」と認めない空間であるべきだと、ヒップホップは自己定義してきたのです。

 それゆえ「芸」としてのラップは、私にとっては徹底的に個人主義的なプロセスであり、「教える・教わる」からはどうしても遠くにあると感じられます。オリジナルさ、個性は、教えてもらって身につけられるものではないという認識。自分の中のラップの本質とは、自分が言いたいことを自分で見つけ、この世界に存在するさまざまなアーティストの影響を受けながらその技術を吸収しつつ、それを自分の遺伝子とくっ付けて進化させて歌詞にし、自分の声で歌って人に届けるという、「本物」になるための探求と実験です。私は単純にラップをするラッパーである以前に、「ヒップホップ」アーティストであるため、死ぬ日までこの「リアル信仰」からは自由になれないのでしょう。

 そんな私にとって「ラップを教えてください」という依頼は、考えれば考えるほどナンセンスに感じられました。「アーティストになる方法を教えてください」や、「自分が誰なのか教えてください」と言われているようなもので、ヒップホップとラップのエッセンスへの理解が根本的に欠如しているのではないかと、正直感じたのです。ですが固定収入やどこかへ所属しているという意識、また非常勤講師歴が欲しいことを考えると、これはありがたい依頼でした。当時はどうしても「コンシャス・ラップ」とレッテルを貼って私を隅っこに追い出すヒップホップへの失望があり、自暴自棄と自己嫌悪でどうにかなりそうでした。このような「ヒップホップではない」依頼に答えなければ、自分の居場所がなくなるかもしれないという自分の立ち位置に、恥ずかしくて悲しい気持ちもありましたが、私はその複雑な気持ちのまま、授業を引き受けることにしたのです。

「(K-POPがやりたいので)ラップを教えてください」と言われても

 しかし一番困ったのは、「K-POPコースの授業の一つとしてラップを教えてください」ということでした。コリア国際学園のラップの授業は、具体的なカリキュラムとそこから得られる知識をもとに、ある種の未来像を生徒たちに提示する「コース」の一部。アイドルとして、またはダンサーやトレーナーといった方向からK-POP業界に進出しようとする生徒たちを育てるK-POPコースで、「ラップを教える」ということは、何なのか。そもそもK-POPの中のラップとは、一体何なのか。

 「ポップとは何か」という議論は、それこそ音楽学すぎる話題で、正直自分にはその議論をここで紹介する能力も、そもそもちゃんと理解しているのかの自信もありません。話が「K-POPとは何か」になると、私の力不足と自信のなさは更にふくらんできます。しかし、ヒップホップファンでありラッパーとしての偏見にまみれていることを自認した上であえて言ってしまうと、K-POPはヒップホップとはもっとも遠い音楽であるように、私の目には映ります。

 徹底的な練習生システムの中で育って最高級のスキルを装着した「アイドル」というハードウェアに、事務所側が緻密に計画した「楽曲」と「コンセプト」というソフトウェアをインストールして起動させる。半導体の性能が年々向上していくように、ハードウェアとしてのアイドルたちの技量も年々上がっていき、音楽の内容は最大限の利益を生み出すために、流行を参照・改変して導入される。そしてその全ての実行ボタンを押す最終的な決定権は「事務所」のものであって、観客の前でもっとも可視的にK-POPを執行する「アイドル」は結局主体ではない。これが、韓国で育った19年間、また軍隊で過ごした21か月間、常に聞こえてくるものとしてK-POPと接しながらできあがった自分のK-POP観ですが、そんなK-POPを特に「嫌い」と思ったこともありませんでした。K-POPの楽曲から「ラップ」が聞こえる時を除けば。

 

 K-POPがラップを用いる態度、またはヒップホップを用いる態度を、私は昔も今もシニカルに見ています。K-POPがラップを使う主な理由は、ラップが持っているイメージ、より大きくはヒップホップが持っているイメージが欲しいからでしょう。タフで、自信満々で、攻撃的で、ストレート、つまりラップ/ヒップホップのイメージです。しかしそのイメージは、アメリカの黒人たちが置かれていた社会・経済的な状況と相互作用で生み出された芸術に起源があります。アメリカにかぎらず、または差別や貧困などの条件が同じではなくても、「良いヒップホップ」と呼ばれるものは、その創作者が自分が置かれた環境と向き合って、自ら創造したものです。ヒップホップに「タフで、自信満々で、攻撃的で、ストレート」なイメージができたのは、そんな人たちの努力の結果ですが、K-POPはそのイメージを使うために、ヒップホップのスタイルやラップを利用しています。しかし多くの場合、K-POPのラップはそれを歌うアイドルではなく専業の作詞家が書くものです。

 そのようなK-POPのラップは根本的にアーティスト・アイドルの主体性にもとづいていおらず、また私たちの日々の生活やそこで出くわす問題とは乖離した「K-POP業界」を主な現実としています。そんなK-POPが、自分が置かれた環境から主体的に表現や作品を生み出した人びとが築き上げたヒップホップのイメージを、誰かに書いてもらったラップをアイドルに歌わせることで借りる、または盗むのです。そういった私の認識が正しいのかは、この歳になってみると少し自信がないのですが、この根底にはきっとヒップホップに対する私の愛があるのでしょう。K-POP自体ではなく、K-POPの中のラップに対する私のアレルギー反応。それでも私はコリア国際学園のK-POPコースのラップ授業に向かいました。

ラップを教えてみると

 コーディネーターの先生には企画段階から、K-POP式のラップのやり方は分からないので、自分が知っているラップを教えると伝えていました。それでOKをもらっていたので、私は初回の授業で意気揚々と言いました。「この授業ではK-POP式のラップではなく、ラップを教えます」と。

 K-POP式にラップをするための条件は、とても低いです。いいえ、「ない」と言ってもよいでしょう。歌詞は誰かが書いてくれるし、どう歌うべきなのかのガイドも、録音が送られてきさえします。アイドルに必要な能力は、そのガイドの通りに歌うための基本的な発声とリズム感だけであって、そんな訓練はどうせボーカルの授業で受けるはず。それで「K-POPで求められるラップを目指す人には、正直この授業はいりませんし、必要ないと思う人は、出席はあげますので本当に来なくても大丈夫です」とカッコつけて言ったのですが、そのあと、私を見ている生徒たちの顔を眺めわたすと、K-POPに対する自分の思いの代わりに、違うものが心に浮かんできました。K-POP式ではない「ラップ」を教えるなら、この子たちにどう教えればいいのか、自分でもよく分かっていなかったということが。

 そうやって道も方向もわからないまま始めた2021年度のKISのラップ授業。最初は試行錯誤とも言えず、単純に事故に事故を重ねるだけでした。敗北感や自己嫌悪、K-POPへの拒否感から始まって、最初は迷走しまくるだけだったラップの授業が、後にその方向性を見つけ、今のように楽しくて意味のある時間に変わったのは、授業に来てくれる子たち、生徒たちに出会えたからです。

君たちに出会ってみると

 KISは、本当に不思議な空間です。実は働く前も、元カノが数年前に一度KISでボランティアをしたことがあり、阪大の卒業生の知り合いが教職員で働いてもいて、「韓国系の学校」だという認識ぐらいはなんとなく持っていました。「コリア」という名前からも分かるように韓国・朝鮮との縁が土台にある学校で、大阪の実業家や一般市民の支援で建てられた学校。総連(北朝鮮系)である朝鮮学校とは違って民団(韓国系)の学校であり、その歴史も2008年からと、とても短いです。「コリア語」の科目はありますが、民族教育よりも多文化・国際教育に力を入れ、日本政府からの学校認定だけではなくて国際バカロレア認定も取得してインターナショナル・スクールとなり、英語ネイティブの先生たちによる英語の授業も多いです。在校生は在日コリアン・日本人・韓国からの留学生・その他の国籍者まで様々です。

 既に多様であったKISは、2021年にK-POPコースが新設されてまた変わりました。制服はありますが基本私服で、髪形や色も完全に自由な開放的な雰囲気のKISですが、私が学校に行くたびにK-POPコースの子たちは、特に誰かに言われた訳でもないのに、いつも廊下や空き教室でダンスの練習をしていて、同年代の他の子供たちとは違う温度の情熱で学校に通っています。放課後もダンススクールに通い、ボーカルレッスンや作曲レッスンも受け、一般科目の勉強と授業の練習の上に、オーディション、ダンスコンペティション、SNSの発信や動画配信までやりこなすKISのK-POPコースの生徒たち。そんな子たちが、私のラップの授業に来るのです。

 

 K-POPという道を歩くために、限界まで自分たちを鍛えているK-POPコースの子たちに、最初はできるだけ距離を置きたかったのが正直な気持ちでした。生徒たちの雰囲気や考え方から、自分の10代を壊した主犯であり、そこから逃げて後ろに置いてきたはずの韓国の競争至上主義、そしてその頂点とも言えるK-POPの世界の気配が感じられて、どうしてもきつかったのです。

 私の少し敵対的な態度に加えて、普段触れているK-POPの世界とはあまりに異なる価値観の授業に興味を失った生徒もいて、最初の数回は本当に大変でした。でも最も大きな問題は、ラップがうますぎる生徒がいたことです。韓国の大手事務所で練習生の経験がある高校2年生の男の子がいて、彼のラップはその時も今も、今すぐラッパーとしてデビューしてもすぐ人気者になれると思うほど、うまかったのです。ライムやフロウのようなラップの基本的な概念を理解するどころか、リズムの数え方すら知らない生徒たちもクラスにいる中で、既に完成されているラップを、しかもK-POPスタイルで完璧にやりこなせるわけですから、他の生徒たちはもちろん自分も少しやる気を失い、「やっぱりK-POPにラップの授業なんていらなくないか」と更に疑いを強めてしまいました。

 しかし、週を重ねて何度も違うビートとテーマでラップを書いていくと、その鬼うまいラップをする生徒の歌詞から、何か「ひび」が見えてきました。人を圧倒する強烈なラップは誰よりうまいけど、ゆるくて優しい表現は苦手だとか、K-POP的な「態度」を自慢する歌詞は書けるけど「自分」の話はまだなかなか書けないとか、短いスパンで派手なパフォーマンスは見せられるけど、曲単位で歌詞を考えて構成する点では未熟だとか、です。

 「もしあの子と同じ年齢であんなラップスキルを持っていたら、自分の人生はどうなっただろう」と思うほど彼のラップはすごかったため、スキル至上主義者である私は、私の意見や指摘は彼に無視されてもおかしくないと思っていました。しかし「ラップがうまければ正義」みたいな私より、彼の視野と器ははるかに広かったのです。自分のうまさに酔わずに、すぐ一歩引いて自分を客観的に眺め、謙虚にフィードバックや指摘を取り入れる彼の姿勢から、私はそれまで見たことのない類のラッパーを見ました。「ヒップホップ・エゴ・美学・自分」を中心に置くのではなく、人に届く「表現」を最優先にするラッパーの可能性を。

 同時期に、クラスの他の生徒たちも少しずつ、私が予想できなかった角度から輝き始めました。どうしてもリズムがきちんと取れなかったある子は、逆にリズムを崩して関西弁の抑揚とパンチのある言葉を歌詞に入れて、毎回クラス全員を爆笑させました。背が高くてクールなイメージしかなかったある子は、いつの間にか落ち着いたトーンで石鹸の香りや好きなペットのワンちゃんについて明るくラップをしていました。普段求められる可愛さやキレイさを崩さないようにしていたある子は、ある瞬間からストレートでちょっと過激な言葉で自分を表現するようになりました。私から求めた訳でも、誘導した訳でもないのに、自ずと出てきた彼らの個性が、自分のラップスキルや表現力では真似できないものであると気づいた時に、私は勇気を出して彼らのそういうところが「羨ましい」と言ってみました。先生として、20年近くラップを聴き、またやっているものとしての権威や顔を脱ぎ捨て、少し生徒たちに素直になってみると、彼らは私が「羨ましい」と言ったことを、素直に喜んでくれ、またプライドを感じていることに気づきました。

 

 そこから、私は自分の「ラップの授業」の役割を、学校側と相談せず勝手に少しずつ変えていきました。この授業はK-POPとは無関係である。また授業やレッスンではなくて、ワークショップであると。正解を、カッコいいものを教える授業ではなくて、君たちが自分を見つけていく時間であって、私にできるのは素直に、優しく君たちを応援してあげることだけだと。

 それから3年半、私はラップの授業で生徒たちの心と創造力を、誰よりも近距離で見て、聴いてきました。課題が多くてしんどいとか、遊びに行きたいといった甘えから、ディズニーの童話のようなストーリーを語る歌詞、同性の子に惹かれることで悩む歌詞や「みんな死ねばいいのに」みたいな暗い気持ちの詩。誰より早口でカッコよくラップする子がいれば、キレイな裏声でクラスの誰も思いつかないようなメロディでサビを作る子。ハーフであることを悩む歌詞や、政治批判的な歌詞。つらいことについて歌詞を書いて、授業でそれを歌ってみるとそのつらさがしんどくて泣いてしまった子まで……。

 普段見せることの少ない、ひょっとしたら彼らが歩こうとするK-POPの世界に入っていけばいくほど求められなくなる彼らの「素顔」を、私はラップ授業で目撃しました。彼らが素直な歌詞を書くために出してくれた勇気は、どれほど美しくて大切なのものか。この子たちのこの瞬間の輝きをすぐ側で目撃できるのは、どれほど幸せで恵まれたことなのか、私はとても感謝しています。

K-POPでもなく、ヒップホップでもなく、君たちと一緒にラップをする

 そうやってK-POPとも無縁な空間として、私は「ラップの授業」を続けてきました。ラップの基本概念であるライム・フロウ・小節については初回の講義で一回説明するだけで、それ以降は毎週違うビートをネットで探してきては、歌詞のテーマなどの条件と一緒にGoogleクラスルームに課題としてアップします。生徒たちは家で歌詞を書き、自宅のスピーカーでそのビートを流しながらラップを録音して、クラスルームに提出。私は提出された生徒たちの課題を聴いて、生徒一人一人の個性と長所・短所に合わせてフィードバックのコメントを書きます。そしてクラスに集まったら、全員椅子を半円形に並べて座り、皆の課題を一人ずつ聴いていきます。スクリーンに生徒の歌詞を映してラップと一緒に聴き、歌詞に関する考えや感想などを生徒本人と話し合います。聴き終わった後はスピーカーでビートを流し、生徒はマイクを持って3~4回ほどその場でラップをして、また意見交換やフィードバックを行います。

 1回2時間の授業で、参加人数はだいたい10人から12人ぐらい。2時間でその人数では一人一人に細かいフィードバックしたり、歌ってもらうことがちょっと厳しいぐらいタイトな授業です。課題で出すビートはトラップ・ブーンバップ・ドリルといった従来のヒップホップのビートだけではなく、ドラムレスやK-POP的なビート、ボサノバやポップロックまで、できるだけ幅広い音楽を生徒たちが自分を探求できるように促しています。たまには特定の言葉やテーマを指定したり、歌詞の内容よりサビ作りや特定のリズム、メロディを使ってみることを勧めるなど、単純に「カッコいいラップ」を作ることを超えた、総合的な音楽づくりに繋がる授業にしようと頑張っています。課題を出す際には、生徒一人一人に合わせて「前回ここがよかったからもっと頑張ってみよう」、「今回の課題はこういうアプローチはどうかな」といったコメントを残しています。

 

 生徒たちに「ヒップホップ的なもの」は一切求めていません。元々ヒップホップとは無縁な子たちがほとんどですし、そんな彼らがいくら「ヒップホップ」を表現しようと頑張ったところで、「本物」は生まれないと思うからです。

 そもそもヒップホップで言う「本物」とは、K-POPの人工性とどこがそんなに違うのか、この授業をきっかけに私は思いをめぐらせるようになりました。K-POPのように、自分ではないものを身にまとって踊ることはしない、「本物」だけを歌うとヒップホップは叫びますし、それは大きな意味でその通りだと思います。しかし、誰かが嘘をつかずに自分のリアルを歌ったところで、それがヒップホップ的な「本物」のイメージに合致しなければ排除されるだけです。そうしてヒップホップの「リアル信仰」は再生産されるのですが、美学と真実、本人にとってリアルとヒップホップが言う「リアル」の複雑な方程式のなかに自分の生徒たちを閉じ込めるより、私は彼らが自分のペットや恋愛、ダンスのレッスンや友情について素直に歌うことが聴きたいです。

 あ、私も時々自分が出した課題に沿って歌詞を書いて授業にいくことがあります。生徒たちと同じ立場でラップをして、生徒たちからフィードバックを返してもらいます。そして生徒たちから受けた刺激と学びを、また自分のラップを通して返すのです。自分のラップのやり方を「正しいもの」や「見習うべきもの」と設定するのではなく、多くの可能性の一つとして生徒たちと一緒になって聴く時の喜びは、それこそ「ヒップホップの美学」を中心に動く他のラッパーたちとでは味わえない貴重な経験です。ヒップホップとは無縁な、またその美意識を共有しない子たちと一緒にラップを作って聴かせあうことで、自分のヒップホップへのこだわりが減ったとは少しも感じていません。自分が思う「カッコいいラップ」の定義も、そんなに変わっていません。ただしKISの皆のおかげで、「ヒップホップ」の美学自体が目的ではなく、それにこだわって最終的にたどりつくべき場所、つまり「表現」こそが目的地であることを、34歳のラッパーは学びました。

 

 去年、生徒たちにオリジナルの曲を作ってあげたくて、自腹で彼らをスタジオに連れて行きました。ビートの上で飛び跳ねている生徒たちのラップに、誇りを感じます。

 またKISの学園祭の時に、既にある曲を踊ったり歌ったりする他のクラスと違って、ラップの授業の受講者は必ずオリジナルのパフォーマンスを舞台に上げて、「一発食らわせよう」と2か月ほど皆とひたすら歌詞を書いて舞台を準備したこともありました。放課後に皆でご飯に行ったり、学校でピザパーティーをしたり、課題の代わりに授業の時間で一緒にラップのアルバムを聴いたり、好きな音楽を聴かせあったこともあります。作曲家になりたいという夢を持つ生徒の曲作りを応援するために、彼の自宅に行って一緒にセッションしたこともありました。すべてがKISの生徒たちのおかげでできた思い出です。自分の中で徐々に大きく育っているその思い出の時間が、たまに怖くも感じられます。

 

 2024年の後期、ラップの授業に来てくれたある女の子と、放課後にたまたま一緒に帰りのモノレールに乗ることがありました。これまで二人で話す機会がなかったため、少し気まずい感じもありましたけど、その子からクラスのある男の子が好きだったことを告白されて驚き、話は盛り上がりました。高3だったその男の子が卒業するとから、来年からは寂しくなるねと言ったら、彼女も実は、今学期を最後に他の学校に転校すると言いました。

 2年間、ラップの授業に来てくれたその子は、長い間ずっと、ラップをする時にどこか声が揺れるところがありました。最初はもっと大きな発声でその声の揺れを直す方向で助言をしていたのですが、あとになってその声の揺れこそが彼女の個性であることに気づき、大きな声でなくていいし、揺れてもいいから自信を持って歌いやすい声でラップをするように応援していたのです。2024年の後期になってやっと、その揺れる声で他の皆とは違う「自分だけ」のラップができるようになった彼女のことが本当に誇らしくて、好きでした。そんな彼女のラップが聞けるのが今学期で最後だということが、いきなりすぎて、悲しくて。「そっか、今年で最後なのか……」と言ったら、その子は頑張って笑顔を守りながらも少し泣いてしまったのです。先に降りたのがどっちだったかは覚えていませんが、私は列車から降りるまでに泣くのを我慢しようと、何とか頑張りました。

 

 自分の高校の時の思い出は、すべてが戦いの合間に見つけた奇跡みたいなものでした。なぜ大人たちは僕らをそんなにも厳しい世界に生きさせたのか。そして僕らは、なぜその大人たちとは違う道で生きられないのか。友達というより競争相手として周りを見るように強いられたのか。20年が経って、外国に移住までして今更聞いても仕方ないその空しい質問をする代わりに、私はKISの生徒たちのラップを聞いています。こんなに熱く競争しているのにもかかわらず、卒業式では卒業生たちのことを涙で見送る清い心の生徒たち。誰かに勝つというよりも、自分を鍛えて成長するために頑張るあの子たち。言い訳せず、嘘をつかずに頑張っていて、それでもたまには傷つき、なぐさめが必要な生徒たち。彼らの青春の一瞬を、その瞬きの隣で目撃するだけで、私は彼らを愛するようになりました。

 愛するようになった分、別れもつらくなります。2024年度の卒業式に出席した私は、途中から寂しい気持ちが重くなりすぎたあまり、隣に座っていた、KIS歴10年ぐらいのアメリカ人の先生に聞いたのです。3年半働いただけの私もこんなにつらくて寂しくなるのに、先生はもっと寂しいでしょうね、と。ずっと笑顔だったその先生が、その瞬間だけは苦い笑顔で淡々と答えました。

 

You have to let them go. They gotta go out live, like we do.
(行かせるべきですよ。あの子たちも、私たちのように世に出て、また生きていかねば)

いつでも、戻ってきていいから

 2022年4月5日、ある男性がコリア国際学園の広場に侵入して、火をつけた事件がありました。公判で容疑者はすべての容疑を認め、犯行の目的は、学校の名簿を盗んで、いやがらせをするためであったと供述しています 2

 昼休みになるとスピーカーで校舎にJ-POPとK-POPの最新曲が響いて、見た目もルーツも夢も多様な生徒たちが頑張って汗をかくKISのカラフルな日常。そしてそんな子たちを、嫌悪に駆られて「傷つけたい」と思う人たちの暗い欲望。毎週、犯人が火をつけたその広場の上を歩いて教室に向かうたびに、KISの鮮やかな色とヘイトの陰湿な灰色は、残念ながら決して遠く離れているものではなく、誰かが子供たちを守らなければならないことを思い出します。

 事件の時に学校にいて放火を止めた校長先生が、退職を迎える2024年度の卒業式の祝辞で「学校を、子供たちを守らねば」とその事件について触れると、教職員から、親御さんの中からもシクシクという泣き声が聞こえてきました。大人たちのその涙は、違うルーツの生徒たちが友達や先輩・後輩になってKISで作っていく当たり前の「日常」が、学校の外の世界に出るとどれほど壊れやすい「理想」に変わってしまうのかを、生徒たちに知ってほしくなくて流したものかもしれません。日本のどこでも見ることができない色の帆を上げて、生徒たちを乗せて前に進んでいく、大阪府茨木市にある小さな船。卒業式で先生たちと在校生は、卒業生に向けて「いつでも戻ってきてください」と言いました。彼らが戻ってこれるKISを守っていくことを約束しながら。

 

 K-POPコースでラップを教える私は、彼らに「また学校に戻ってきてね」とは言えない立場にいます。初回の授業からクラス全員に伝えている通り、K-POPのラップを目指す人には、私の授業は根本的に必要ありません。その優先順位や必要性から、正直いつ首になってもおかしくないのが私の立ち位置です。いつまで学校に勤務できるのかだけではなく、ビザのこととか、そもそも日本に居続けることでさえ私にとっては当然のことではないため、「いつでも戻ってきてね」とは言いにくいのです。

 K-POPコースの生徒が出ていく世界は、他のKISの卒業生が出ていく世界ともまた違います。自分とは違う人に対するヘイトが強まっているように見える昨今の日本社会と比べれば、K-POPの世界はさまざまな出自の人たちが集まって一緒に華やかな夢を見続けられる場所に見えます。しかし一方で、そこはルッキズム、パラソーシャル関係、搾取と自己搾取、虐待、主体性の放棄、そして叶わなかった夢から生まれた絶望の上に築かれた場所でもあるのです。K-POPコースの先生であるならば、そういう世界に進んでいく生徒たちが、少しでもそのゲームで勝ち抜ける確率を上げてやることが講師としての道理かもしれませんが、私は誰が見ても、それとは真逆のことを授業でやってしまっています。

 

 無責任だとか、「ラップなんかに使える時間があればダンスやボーカルの練習を」と言われればその通りですが、私は違う意味で自分の生徒たちに「戻れる場所」を作ってあげたくて、授業を続けています。「うまさ」「美しさ」などの決められた基準によってジャッジされ、見た目や内面まで変えることを強いられ、自分の言葉ではなく与えられたセリフを読まされる道を歩く君たちが、傷ついて、疲れて、一人だと思う時に戻れる場所。少しリズムが甘くても、たまにライムを合わせなくても、君たちが君たちのままで歌える場所。ラップ先生4年目となる私が、ヒップホップにこだわるのを止めてKISラップ授業の子たちを愛するようになった経緯は、以上でございます。

 

1. ヒップホップのこういったリアル信仰はパンクの精神とも共通する部分が多いと思いますが、洗練された芸より生々しさがより強調される傾向が強いパンクと比べて、ヒップホップは「スキルのうまさ」という、まるで客観的に存在するかのような尺度に沿って常に芸を磨くことが強調される所で大きく異なる気がします。

2. https://www.kinyobi.co.jp/kinyobinews/2022/10/25/antena-1145/

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. Moment Joon

    本名「金 範俊」。韓国ソウル出身、大阪在住の外国人・移民。2010年に大阪大学文学部に入学、渡日。「Moment Joon」名義で日本語でラップ音楽を作って2019年からEPやアルバムなどを発表、2021年に渋谷でワンマンライブを開催するなど。ヒップホップにおける差別用語の研究で大阪大学文学研究科の博士後期課程に在籍中。日本語で執筆活動も行い、2021年には岩波書店からエッセイ集『日本移民日記』を刊行。「移民」の目線で日本や自身の生き方を眺めた前作から一歩離れ、自身の真実を生きてみるために本名のままあえて「外人」という言葉を浴びて書いていく放浪記。

関連書籍

ランキング

  1. Event Calender(イベントカレンダー)

国民的な[国語+百科]辞典の最新版!

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

新村 出 編 新村 出 編 新村 出 編 新村 出 編

詳しくはこちら

キーワードから探す

記事一覧

閉じる