第2回 皇国住まいの共和主義者(上)〈金 範俊/Moment Joon 外人放浪記〉
2024年12月3日、戒厳令の夜
「韓国、戒厳令?っていうのが出されたらしいよ」
夜11時半、「寝る前に何の変な冗談いうの」と言う私に、彼女がテレグラム(メッセージアプリ)のチャンネルからロシア語の速報を見せてくれました。頭の中が、はてな、はてな、はてなだらけになり、絶対に北からの攻撃があったと思って、韓国の家族のことを思いながら、大統領の戒厳令宣布の動画をクリックすることで始まった、12月3日の狂気。
韓国大手メディアや独立系メディアが、YouTubeで緊急生中継で映すソウル市内と国会の様子を見ながら、「おかあさん、おかあさん」と焦って韓国の母に電話をしても、向こうは出ず。警察によって封鎖されている国会議事堂の正門と、その警官たちを囲んで抗議する市民たち、そして警察の目が届かない所で塀を越えて国会の中に入っていく国会議員たち。戒厳令を解除できる権限を持った国会を、その戒厳令を使って封鎖したという、韓国の戒厳法律違反はもちろん、三権分立による権力の相互監視とけん制といった憲法の理念にも反する、見事な違憲行為だったのです。戒厳軍の武力を手に持った大統領の権力だけが君臨する状態を作ろうとした、自主クーデターの夜。戒厳令を解除するために集まった国会議員たちと、「軍のヘリが着陸しました!」という議事堂内の誰かの叫び、椅子でバリケードを作る補佐官たちと、その補佐官たちやジャーナリスト、市民たちの前に立ちはだかる、黒い軍服とマスクをした韓国最精鋭の特殊部隊員たち。軍人たちに向けて「恥を知れ!」と叫ぶ人びとや、やがて窓のガラスを壊して議事堂内に進入する軍人たち。その全てを画面越しで見るしかなくて「急いで、急いで解除議決してくれ」と泣きながら待ち望んだ果てに、2024年12月4日の午前1時1分に、違憲的な戒厳令は国会の議決によって解除されました。民主共和国の大韓民国は、自らを自殺から救いました。
解除は議決されたけど、自主クーデターを起こした大統領が国会から軍を撤退させるのか、議会の議決を受け止めるのか、私は爪を嚙んで画面を眺めるしかありませんでした。大統領室から国会の解除決議を受け止めて戒厳令を解除すると発表が出た4時30分、私は倒れるように眠りにつき、午前11時半に起きて、自分が教えるラップ授業の準備をしました。
真っ赤な目で学校に出勤したら生徒たちから「先生、大丈夫ですか? 何かあったんですか?」と聞かれました。「知らないの、戒厳令があったでしょ」と一瞬答えようとしましたが、そこで気づきました。ここは日本で、彼らは日本の10代で、韓国の民主主義とは何の関係もない生活をしていることを。夜通し起きていて自分が感じた全て、戦争への不安、ファシズムへの恐怖、同胞愛、誇り、乖離、家族への心配、怒り……その全てが「変な国の変な出来事」の廃棄物みたいに理解されて笑われるかもしれないという感覚。ふっと、8年前のことを思い出しました。
2017年の弾劾の時に日本で言われたこと
戒厳令の夜から国会による大統領弾劾案の可決、憲法審査、憲法裁判所による大統領の罷免宣告まで、4か月に渡って韓国の民主主義は、憲法が定めた機関と手順を通して、自らの価値を証明しました。しかし、今回の混乱は、初めて見たものではありませんよね。2017年、韓国は大統領の弾劾を既に経験しています。国民によって選出されて権力を執行する行政の長である朴槿恵大統領に、裏で影響力を及ぼす黒幕の幼馴染が居て、政策や外交にまで関わっていたという、とんでもない憲法違反を、韓国民主主義はその時も憲法と民主主義的なシステムで「正し」ました。
国会による弾劾案が可決され、憲法裁判所による憲法審査が行われていた2017年の冬、私はある小学校にいくことがありました。大阪府国際交流財団(OFIX)のプログラムで、外国人ボランティアが府内の小中高を訪問し、自国の紹介や日本での生活について生徒たちと話し合う事業です。いつもみたいに生徒たちと楽しく授業を終えたあと、応接室で校長先生とボランティアの皆でお話をしました。私と私の出身についての話になると、校長先生からこう言われました。
「韓国、今めちゃくちゃですよね。法治国家ではありえないことが……」
それまで、校長が日本語が少し不自由な他のボランティアにタメ口で話したり、「日本語お上手ですね、日本人みたい」とか言ったりするのにも特に反応しなかった自分でしたが、その一言で「おとなしくて常に感謝する外人」の振る舞いをやめて、少し暴走しちゃいました。
「国の最高法律である憲法で、民主主義的に間違いを直しているのに、それが法治国家じゃないってことですか? 先生が仰る法治国家とは何ですか?」
自分で思い返してみても唐突すぎたこの言い返しに、校長先生もコーディネーターの財団の職員さんも驚いて、職員さんが急に帰りのバスの時間のことなどに話題を変えてくれたおかげで、その場は何とか済みました。帰りのバスで、職員さんから何か注意されるのかと思ったら「ちょっと無神経すぎる人でしたね」みたいに、こちらをかばってくれる言葉に驚いた記憶があります。
2017年の韓国の大統領弾劾をめぐる日本のメディアの報道、ネットの反応、あの校長先生の話まで、私はその全てを鮮明に覚えています。あざけりと見下し。しかし、表面の嘲笑の下には、もっと根本的な理解の足りなさ、または認識の食い違いがあります。「法治国家」「憲法」「市民」「民主主義」などの大きい言葉を巡って私と日本のあいだに認識の隔たり、感覚の隔たりがあることに気づいたのは、その時でした。
「日本は法治国家」。韓国は?
例えば、日本での「法治国家」とは何か。それは、政治家や政府機関が憲法に反する重大な行為をした時に、それを「憲法」で阻止して正す国を示すのではありません。日本での「法治国家」とは、そういった憲法による阻止や修正のプロセス自体を「混乱」と見なし、「そもそもそういう混乱が起きない国」を意味することを、2017年の韓国大統領弾劾の時に気づきました。
私にとって2017年の弾劾は、民衆による暴動や軍・警察による暴力などではなく、最高法律である「憲法」が正しく機能して、国の最高権力者であっても法律によって裁かれるという、法治主義の生きた証拠であったのです。「だって憲法がちゃんと働いたのよ、それより良い法治国家の証なんてあるの? なんで理解できないの?」と、嘲笑いを超えた根本的な認識の差を理解するために、日本の憲法裁判所と事例について調べてみたんです。するとおっと、(いつもの憧れの)ドイツやフランスなどにもある憲法裁判所が、大陸法を採択している国では珍しく、日本には独立した機関として存在しません。また韓国や防衛的民主主義で知られるドイツのように憲法裁判所が多数の裁判・審査で社会・行政・政治の多方面にわたって違憲・合憲性を判断するのと比べて、日本の最高裁の違憲審査は戦後から今までたった13件で、事例自体が極めて少ないことが分かりました。
そのコンテクストを知ってから、韓国の弾劾に対して日本で使われる「法治国家」のニュアンスを改めて考えると、そもそも憲法という「彼方のもの」が「俗世・人間界」に降臨してきてリアル政治・社会に関与する状況が非常状態で、そのプロセス自体がカオスであり「法律が機能しなかった」ように見なす感覚も、何となく分かる気がしてきました。それにしても、他の国の政治的な混乱の時に憲法が前に出る時には言及されない「法治国家」云々が(憧れのドイツで連邦憲法裁判所によって政党の解散が審議された時とか)、なぜか韓国の政治的混乱と憲法による収束の時だけ「さげすみ」のコンテクストで使われるのは、どこか旧植民地への元宗主国からの見下しが入っている感じがしますけどね。「法治国家」にお住まいの読者の皆さんには、その真意が分かるのでしょうか。
「大韓民国は民主共和国である」。日本は?
そう、日本と比べれば、韓国では「憲法」が我々の人間界に降りてきて、その力を行使することが多いのです。それは、憲法が持つ歴史的な文脈が、日本とは違うからではないでしょうか。日本では、今まで存在した二つの憲法を「強者によって定められた規範」として認識する人も少なくないですが、韓国の憲法には「今ないものを夢見る」ための「灯火」として働いた歴史があるのです。
大韓民国憲法は、日本による植民地支配期に中国で活動した大韓民国臨時政府の正統性を継承していると述べています。植民地にされて9年後の1919年、朝鮮の社会指導者たちが集まって独立を宣言し、民衆によって大規模の独立万歳運動が起きました。三・一運動と言われる朝鮮の独立運動に勇気づけられた海外亡命中の独立運動家たちは「独立宣言をしたならば当然政府が必要である」と、独立国家の臨時政府を建てることを決議しました。
そこで彼らは、「我が国」とはどういった国であるべきか、そもそも「我が国」とは何か、滅びた朝鮮、大韓帝国なのか、国の基とは王室と皇室、社稷なのか、定義しなければならなかったのです。「大日本帝国の植民地」という「今」を打ち砕くために臨時政府が下した自己定義は、封建制と専制君主制の「朝鮮・大韓帝国」といった「過去」ではなく、それまでにやってみたことのない、「未来」の「民主共和国」でした。以下、1919年4月11日に布告された大韓民国臨時憲章の第1条と第3条です。
第1条 大韓民国は民主共和制とする
第3条 大韓民国の人民は男女、尊卑および貧富の階級が無く全て平等である
万人が平等で、誰にも支配されず、自由に生きていく国。今はもちろん、過去にも生きてみたことのない未来を夢見た臨時政府の「共和国」としてのアイデンティティは、単純に「日本に反するため」ではなく、「民主主義」への熱望だったのです。そしてその熱望は独立後の大韓民国憲法に継承され、朝鮮戦争、独裁と民主化を経て今まで9回に渡って改正される中でも、一度も修正されず、第1条の第1項と第2項の中に生きています。
第1条 第1項 大韓民国は民主共和国である
第1条 第2項 大韓民国の主権は国民にあり、すべての権力は国民から生ずる
もちろん、憲法の理想を建てたからといって、それが自動的に人びとの独立、安全、平等、自由に繋がった訳ではありません。植民地支配の傷、同じ民族で殺しあった朝鮮戦争の傷、世界最貧国だった時代、反共トラウマと集団パラノイア、独裁による人権侵害、21世紀に入っては競争社会と貧富格差、世代間・男女間の葛藤まで……建国以来、韓国は憲法で建てた理想を一度も生きてみたことがないと言われても、私は反論しません。しかし、自らの矛盾と不条理を正して、その理想に向かって一歩でも足を踏み出すために、人びとは憲法を掲げてきました。2025年、民主主義の回復を望んで集まった市民たちが、大統領の弾劾を求めながら憲法第1条の第1項と第2項を歌にしてうたったのは、その例の一つです。
そうやって歌詞にもなって人間界に降りてくる憲法で定義される韓国とは、なんと「民主共和国」らしいです。公共のもの、公共財を意味するラテン語の「res publica」から派生した「republic」を、幕末の日本で中国の故事を踏まえて訳した「共和国」。そしてその「主」は君主や特定の階級ではなく「民」であると定義する「民主共和国」。
日本はどうでしょう。「それは天皇さまがいらっしゃいますから君主国」と言ってしまえば終わりですが、日本国憲法のどこを見ても天皇の地位を「君主」と定義する条文はありません。「République française」「Republic of China」「United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland」「Kingdom of Thailand」など、自国の権力と正統性の根源を「共和制」または「王室」から探し、それを「共和国」や「王国」といった自己定義によって表す世界の多くの国々と違って、日本は対外的にただ「Japan」、国内的にも自ら「どんな国なのか」、特に定義していません。
他の共和国や王国と一緒に並べてみると更に目立つ日本の自己定義の曖昧さを、何と理解すればいいでしょうか。「憲法に君主と明記されていないだけで当たり前に君主である」という主張がもちろん多いですが、平成16年に衆議院で開かれた「最高法規としての憲法のあり方に関する調査小委員会」で法学者の横田耕一氏は、「日本は君主国か」に対して次のように述べています。1
天皇は、(a)世襲である、(b)統治権を有する、(c)対外的に国家を代表するという君主制の三つの条件を満たしていない。したがって、我が国は、純粋の君主国でも純粋の共和国でもない。
このように「君主制なのか」を巡って違う意見が存在できる余地があることこそ、日本国憲法に「曖昧さ」が含まれていることの証ではないでしょうか。
いや、それを「曖昧」だと感じ、はっきりさせたいこと自体が、共和主義者的な感覚かもしれません。もしかしたら、分かる人には日本ほど明確に定義されている国も他にないかもしれません。共和国民の私に読解力がないだけで、日本国憲法の第1条をもう一度ちゃんと読み直してみると、そこには日本の自己アイデンティティがはっきり書いてあるかもしれません。
第1条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。
桜が咲いて散る、ここは皇国
この憲法から表れる「日本」の自己アイデンティティとは、「憲法」「君主制」「共和制」「近代国家」といった、人間の作り物である概念に縛られるのではなく、それよりはるかに上位の概念、「彼方」のものとして「日本」を位置づける、その行為自体ではないでしょうか。憲法に君主とは書かれていなくても多くの人に(当たり前のように)君主と思われる天皇制を理解するためには、明文化された憲法だけではなく、日本のいわゆる「奥深さ」を分かっていなければなりません。国家機関ではないのに、まるでそうであるかのように敬われる、もしくは国家機関を超越した存在として参拝される靖国神社を巡る奥深さ。「日本を守るため」の戦争であったはずなのに、その結果守れた「日本」とは何なのかという複雑さ。私には正直すぐ分からない奥深さと複雑さですが、「それを分かっているのが日本人」であると言われるのでしょう。そしてその前提は更に「日本人なら分かるはず」または「日本人なのにそんなことも分からないの」に進んでいき、そうなると感覚の領域でこそやっと「日本」は建国されるのではないでしょうか。
しかし「日本人なら皆分かるはず」の「日本」なのに、実際には、誰かは万世一系の神によって治められる「神国」に、誰かは親としての皇室や社稷・年号などで定義される「儒教的帝国」に、誰かは精錬された欧米スタイルの「立憲君主国」に、誰かは天皇とは本当に象徴にすぎない「共和国」に住み、それぞれが違う日本を生きているのではないでしょうか。
戦後GHQによって作られたと信じられているにもかかわらず、いかにも日本らしくて、同時に日本を定義する日本国憲法。「日本」を定義するためには「日本」を分かっていなければならなくて、日本人の皆がそれを分かっている前提で成り立つ「日本」。そのおかげで、人間によって作られた規範を超えた所に存在する(と感じられる)日本。ここまで来ると「日本という言葉の後ろに○○国なんかつけるな」ということこそが日本らしいことぐらい分かっていますが、共和主義者すぎる自分は、あえてそれを「皇国」だと呼びたくなるのです。「Empire」「Imperium」などの一般名詞ではなく、「Koukoku」と訳されるべき「皇国」。
韓国の憲法裁判所が大統領罷免宣告を言い渡し、60日以内に大統領選挙を実施することが確定した2025年の4月上旬、私は地元の井口堂の桜が咲くのを待っていました。正義が下される時も、逆に世の中から正義というものが消えたとしても、相変わらず咲いて散っていく(と感じられる)桜。母国韓国の政治的な混乱、それだけではなくアメリカ・香港・トルコ・ヨーロッパ・パレスチナ・コンゴ・ロシア・ミャンマーの出来事を読んで聞いていると、人間社会に、いや、人類自体に幻滅しちゃいそうなことが多いのです。嫌悪と貪欲、無知と我執で我々はお互いを虐げ、結局仲良く一緒に滅びるしかないみたいな予感がする最近。そんな中で日本は、まるでその全てを超越した(ように感じられる)桜みたいに、人間界の浮沈と関係なく、いつまでも続きそうな安心と安定を届けてくれるのです。人間が作り出した全てのもの、いいえ、人間たちが消えた後も、ひょっとしたら物理的な日本列島自体が無くなっても続きそうな「彼の日本」。皇国居住歴13年の私にも、やっとその真実の欠片が分かるようになってきました。
「伝統」としての皇国と「文化」としての民主主義
もちろんその「彼の日本」「永遠の桜」は、残念ながら虚像です。戦争や災害、気候変動によって、または数億年の進化と滅亡の可能性によって、井口堂の桜はいくらでも消え去れるでしょう。考古学・歴史学は天皇が、いや「日本」という概念自体が人間の創造物であって、その創造物はまた時代によって形成され変化してきたことを明らかにしています。「伝統の人工性」という概念は、大学の教養授業レベルで学ぶぐらいの、21世紀には割と多くの人に理解されているものですよね。
こんなことをいうと「桜(が日本で持つ象徴性)」「天皇」「伝統」をさげすむのか、と言われるかもしれませんが、そう感じる人びとはまず「人工」的なものが「自然」に劣るという認識を持っているのではないでしょうか。そもそも「人間」が行う全ての行為が「人工的」であり、また(宇宙人によって我々が操られていないという前提で)その人工的な全ては「自然的」ではないか、と思いますが。
でも分かります。人工性は「自然発生した」、または「神から与えられた」とのイメージから得られるオーラを、そしてそのオーラに自分の思考と選択を託せる余地を消してしまいます。しかし少なくとも私にとっては、人びとがどういう願いと考えをそれらの人工物に込めてきたか、その「人工性の歴史」を理解することは、それら人工物の価値を下げるどころか、むしろ増幅していく気がします。
「民主主義」という人工物が、その良い一例です。人類の歴史を根拠にして、民主主義というものは「非自然的」で「人工的」なものだと言いたい人がいっぱいいるでしょう。しかしその人工性を指摘することで、民主主義に込められた多くの人びとの希望と夢、その実現と守護のために払われた犠牲の価値は減るのでしょうか。「誰にも支配されず、自分の意志で生きていきたい」と、植民地支配や軍事独裁と戦った韓国、数十年の戒厳令と戦った台湾、アメリカの公民権運動、アイルランド、バルト3国、今のロシアやミャンマーに生きる人びとまで。
もちろん、日本も民主主義です。「日本は民主主義国家ではない」と言いたい人は(陰謀論などを持ち出さない限り)日本に民主主義があることを示す莫大な量の証拠に、一つ一つ反論しなければなりません。三権分立、選挙による政権交代、司法システムによって守られる個人の権利、表現の自由と世論に基づく政策と国政など、細かな問題点はいくらでもあるにせよ、大まかな意味で健康な民主主義のシステムを持っていることは間違いないでしょう。
しかし問題は、日本の「民主主義」は「皇国」抜きでは語れないということです。人間の作りものを超越したところにある(と思われる)「皇国」。伝統・美意識・神話・感覚の「皇国」と、その下の人間界に設けられている民主主義システムの中で生きている人びとは、自ら民主主義を実感しているでしょうか。その「実感」に対して、私は長年疑問を抱いてきました。なぜなら民主主義は「システム」だけではなく、「文化」と「価値観」でもあるからです。
日本とよく比べられる、立憲君主制の代表例であるイギリス。成文憲法はないけど、長い歴史の中で貴族・中産階級・民衆が王から権力を奪い取り、人びとは権利章典を通して主権者として民主主義を作ってきました。そのイギリスの国会には「黒杖官(Black Rod)」という伝統があります。王権を象徴する黒杖を持った黒杖官が、国王の開会演説のために下院(庶民院)議員たちを召喚しようと下院に入ろうとすると、黒杖官の目の前で下院の扉が閉められます。黒杖官は扉を杖で3回たたき、それでやっと扉が開いて会場内に入れるのです。この黒杖官が国王の特使として下院に向かってくると「扉を締めろ!」という叫びと共に、かなり激しく扉が閉ざされるのですが、その姿を見ると、この儀式のもとになった1642年、国王が議員5人を下院で逮捕しようとしたピューリタン革命の歴史、また2024年に韓国国会内に侵入した軍人たちのことを生々しく思い起こします。そういった歴史を通じて守り抜いた民主主義の存在を「儀式」といった文化を通して記憶し、その価値観を再生産しているのでしょう。選挙などのシステムや国立墓地・演説・追悼などの国の機関や儀式はもちろんのこと、チャーリー・チャップリンの『独裁者』から、ミュージカル『レ・ミゼラブル』、光州事件についての韓国映画『タクシー運転手』まで、民主主義は文化を通してその価値観を強めてやっと、成立するのではないでしょうか。
日本の文化の中にも『銀河英雄伝説』など、民主主義的な価値について論ずる・擁護する作品は確かにあります。しかし、それでも日本において民主主義は、とくに議論されて語られる必要がないような浮遊感を持っている感じがします。他国の民主主義の話(とくに闘争の話)でも、『ベルサイユのばら』のなかの「ヨーロッパの話」のようにみなされ、「日本」と遠い距離があるように感じるのは、私が共和主義者の変な感覚を持っているからでしょうか。日本が、彼らと「生きた民主主義」の経験を共有していないような感覚は、私の気のせいでしょうか。