【文庫解説】J.S.ミル著/関口正司訳『代議制統治論』
よい統治とは何であり、それはいかにすれば可能なのか。19世紀イギリスの思想家、J. S. ミルはその答えを代表者による統治に見出しました。危機に立つ現代の代議制デモクラシーを深く考えるうえでも触発されるところが多い古典的労作です。以下、訳者の関口正司先生による解説の冒頭部分を抜粋して掲載します。
古典と広く認められている名著は、さまざまな読み方をされながら、世代を超えて読み継がれてきた。評価や理解は、読まれる時代や社会によって大きく異なることもあるが、それを超えて「これは深い、本物だ」という感触が共有され、古典としての地位が確立していく。学校の教科書で古典として扱われることも古典の地位の確立に影響するだろうが、本質的な要因とは思えない。やはり最後は、読者が自分自身で実際に読んでみて得られる「本物感」が決定的な鍵になるだろう。ミルの『代議制統治論』も、そうした本物の古典と言ってよい一冊である。
そうであればこそ、この著書についての解説は難しい。読者に古典の本物感を実感していただくのが一番大切なことであり、それを損ねる解説であってはいけないだろう。誤読にもとづく解説は論外だが、解釈や評価を読者に一方的に押しつけるようなことも避けなければならない。さすが古典だという実感は、読み手が自分の力で自由に読むことでしか得られない。
しかし、自由と恣意が隣り合わせであることも見落とせない。テクストに刺激されて、読み手自身の自由な思考が展開していくのはすばらしいことであるけれども、それと元のテクストとの距離感は、はっきり自覚しておく必要がある。テクストとの明確な関連がなくても価値ある思考になることはあるかもしれないが、少なくとも、それをテクスト自体が言っていたことだと思い込むのは避けるべきだろう。自由な読み方とテクストという事実の尊重とは共存する必要があるし、共存可能である。そして、テクストという事実の尊重は、テクストの著者自身がどんな問題を解決すべき問題と考えて取り組み奮闘していたのかを見きわめる姿勢を前提としている。
この点に留意して解説を進めることにしたいが、その前に、読者の便宜のためにアドバイスを一つだけしておきたい。本書の第1章から第4章まではかなり抽象度の高い理論的考察になっていて、ミルの議論に馴染みのない多くの読者にとっては難解に感じられるかもしれない。実はミル本人にとっても、これらの議論は、もっと具体的な事実や問題に関する思索と抽象的な理論レベルでの思索との往復をくり返した結果として到達したものだった。つまり、議論が具体的になってくる第5章以下は、それ以前の章の抽象的な理論や概念がまずあって、そこから論理の自動的展開で一方通行的に出てきたもの、というわけではない。したがって、第4章までは、わかりにくい点があってもひとまず保留したまま読み通し、第5章から最終章までの具体的な議論を十分把握し理解した上で、再度戻ることをお勧めしたい。どんな具体的問題を念頭に置いて理論的な考察をしていたのかということがよくわかり、読解を深められるだろう。
さて、以下ではまず、『代議制統治論』に至るまでの著者ミルの思想的模索(何を問題と考えて奮闘していたのか)について、ごく手短かな概略を示すことにしたい。なお、ミルの生涯の詳細については『ミル自伝』(朱牟田夏雄訳、岩波文庫、1960年)を、ミルの思想的模索の詳細については、拙著『自由と陶冶――J. S. ミルとマス・デモクラシー』(みすず書房、1989年)および『J. S. ミル――自由を探究した思想家』(中公新書、2023年)を参照していただきたい。
これに続けて、ミルのテクストの中でも特に、現代の私たちのものの見方のこわばりやとらわれをほぐしてくれるようなミル本人の視座あるいは論点を五つほど取り上げておこう。政治哲学の古典を読む最大の効用は、人間や政治についてのびのびと自由に考えるのに必要なきっかけやヒントを与えてくれることではないか、と考えるからである。
(全文は、本書『代議制統治論』をお読みください)




