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森里武 デュボイス『黒人のたましい』再考 [『図書』2026年5月号より]

デュボイス『黒人のたましい』再考

解放としての黒人哲学へ

 

この世界で自分の居場所を得るためには、いわゆる黒人の学者は他者ではなく、自分自身でなければならない。

W・E・B・デュボイス

偉大なるアメリカと黒人哲学研究

 アメリカの第二次トランプ政権は、古き良きアメリカや西洋文明を「リベラリズムの蛮行」から救うために、白人至上主義的な保守思想や人種差別的としか捉えられないような選挙中の過激な発言をすぐに実行に移した。就任してまもない2025年1月、アメリカ国内で生まれた「不法移民」の子に自動的に市民権を与える出生地主義が廃止され、翌月19日以降に不法滞在や一時滞在中の親のもとに生まれた子供たちには市民権を付与しないという大統領令を発した。正式な書類を米国大使館や国境で提出せず移住した「不法移民(アンドキュメンテッド)」と呼ばれる人々は、今や当局からは逮捕・収監・強制送還されるべき犯罪者とみなされている。アメリカ合衆国移民・関税執行局(通称ICE)が黒人や褐色人やイスラーム系アジア人(つまり非白人)を路上で覆面をしたまま職務質問したり、ナチス親衛隊を彷彿させる手際の良さで住居や公共の場から連行したりする動画が絶え間なく流れてくる。今年に入ると、無防備な移民たちを当局から守ろうとする白人リベラル層までもが白昼の路上で射殺されるという事件が複数発生している。事態はヨーロッパや日本のメディアも注目せざるを得ないところまできている。この背景にあるのは、アメリカ南北戦争後に制定された再建修正条項(憲法修正第13、14、15条の総称)のうちの一つ、憲法修正第14条に基づく「出生による市民権」を廃止・制限し、不法移民対策を強化することである。アメリカ合衆国憲法修正第13条は第一節で奴隷制の廃止を──条件付きで──制定している。それに反発して南部諸州は、黒人法令(Black Codes)を制定した。その内容は、無職で特定の住所をもたない解放奴隷を事実上の不法滞在者として大量に投獄し、奴隷制と同じような過酷な条件下で強制的に労働させることを合法とするものだった。その黒人の人々を合衆国市民として法のもとに保護するために、白人社会によって、修正14条が追記された。

 程度の差こそあれ「奴隷制や人種差別の歴史は、過去のものである」という意見をもつ学生や知識人と私は話すことがある。しかし同僚の黒人教員、有識者、公民権運動家たちから話を聞くと「奴隷制はまだ続いている」という。なぜなら第13条1節は、奴隷制、強制労働の条件を「適正な手続きにより有罪の宣告を受けた犯罪に対する刑罰として科される場合を除く」(筆者訳。『新版世界憲法集』第2版、岩波文庫、2012年も参照のこと)とし、黒人や有色人というカテゴリーに該当する人々を大量に不正投獄しさえすれば、白人至上主義的な奴隷制と同じ社会的状況を維持することができるからだ。

 指導部のスキャンダルで終わったBLM(Black Lives Matter)運動を思い出してみよう。そこで激しく議論されたのは、黒人男性や男児の冤罪と、警察による虐殺という現実だった。犯罪統計学を調べても、こうした状況が改善された形跡や兆しは全く見えてこない。アメリカ社会で構造的人種差別の象徴的原因の一つともいわれている13条を、右派ポピュリズムの政治家が白人社会や富裕層のために改正するというのだから、「正義と平等と自由」のために戦った公民権運動の歴史が白紙に戻されるほどの危機にアメリカは瀕しているといってよい。

 こうした人種差別的社会の構造的問題は基本に立ち戻って深く理解しなければ、そこから解放された未来を目指すことはできない。それこそが哲学者の仕事の一つだと私は思う。しかし、アメリカやヨーロッパだけでなく、哲学という分野は特に白人西洋哲学に迎合的で、常に西洋文明を中心に啓蒙的に進化する直線的な修正主義的歴史観も含んでいる。人種差別的な哲学者の著作に自由や平等の理念を求める、という矛盾した研究傾向が見られるのも事実だ。そのため、プラトンからハイデッガーにいたる西洋哲学史のあらゆる思想に精通したとしても、約400年にも及ぶ近現代西洋史における奴隷制度、植民地主義、構造的人種差別を正当化した西洋思想全体を、一体どこから具体的に解体していけばよいのかわからない専門家も多いのではないだろうか。京都学派の西谷啓治は『ニヒリズム』(創文社、1972)で、日本の知識層は虚無主義を西洋化近代化の中で知らぬ間に継承してしまった、過去の霊性と切り離された20世紀の自分たちは特にこの問題を克服しなければならない、と述べた。私は、自分自身を含む現代の日本哲学界が西洋哲学の研究をとおして「野蛮の言説」という人種差別的思想構造を同じように取り込んでしまったと考えている。これを克服していくことが21世紀の哲学における大きな課題の一つではないだろうか。またそれは、現在進行中のあらゆる新植民主義的政策や危険な政治・哲学理論に対して、心身ともに安全を確保するために必要なことでもある。その作業の必読書として、再建修正条項が制定された当時を振り返る『黒人のたましい』(岩波文庫、1992。現在重版中)をおすすめする。以下本書を読み直し、なぜ人種問題は繰り返され、それを克服するにはどうすればよいのかを、アフリカーナ哲学の観点から検討したい。

皮膚の色の境界線(カラーライン)
──差別構造の内在とその影響

 『黒人のたましい』は奴隷解放の40年後に、当時まだ35歳と若かった黒人哲学者W・E・B・デュボイス(1868―1963)により執筆された。現在では黒人米文学の金字塔として扱われているが、当時のアメリカ社会で彼はほぼ無名だったといってよい。ハーバード大学史上初の黒人博士号取得者となり、南部の新興黒人大学で社会学を教えていた若い教員である。

 彼の幼少期から青年期、つまり19世紀末から20世初頭にかけて、アメリカでは南部解放奴隷とその次の世代、および北部の自由黒人の人々が、アフリカと奴隷制にルーツをもつ自分たちにとって独自の文化と文明を築いていく道を探していた。白人至上主義的なアメリカ社会で平等な「人間」「市民」として生きていくにはどうしたらよいのかという切実な議論も繰り広げていた。差別的な社会におかれながらも、その人種問題を解決し、自身の人間としての尊厳を保証する新しい世界を創り上げるにはどうするべきか。現代アメリカ社会に照らし合わせても全く色褪せない哲学的問いである。

 その当時最も影響力のあったのは『奴隷より身を起して』(新教出版社、2024)を著したブッカー・T・ワシントン(1856―1915)で、彼は南部黒人社会における貧困を熟知していた。そのため、白人富裕層と協力して黒人地位向上のため産業教育と同化政策を進めていった。それに一定の理解を示しながら、同化政策の危険性、とくに産業教育のもたらす弊害について警鐘を鳴らすために、1897年に黒人知識階級グループ「アメリカ・ニグロ・アカデミー」がアレクサンダー・クランメル(1819―98)によって結成された。その一角としてデュボイスは、人種差別が黒人の精神にもたらす影響を明らかにしながら、黒人独自の文化と文明の構築を目指すべきだと本書で主張したのである。貧困に喘ぐ若者がいるなら助成金を与えればいい。社会を構成する人民が無学・無秩序であるならば、学校に通わせれば解決するだろう。多くの読者はそう思うかもしれない。ワシントンのように白人社会から寄付を募り、黒人がアメリカ社会に同化することでその地位を向上させることができると考えたのも不自然ではない。ただデュボイスによると、奴隷制や植民主義を通して構築された文明においては、「肌の色の境界線」という精神的な「ヴェール」が社会構造を反映する形で人々の精神に纏わりつく、という。そのため、金銭的な助成も教育も黒人地位の向上につながらないと本書の冒頭で批判する。

 第1章「われわれの魂のたたかい」は、よくこの問題を特にわかりやすく叙述している。20世紀初頭アメリカにおける人種化された主体、つまり「ニグロ」の描写から始まり、これを人類史における「第七の息子」と表現している。この世界から見放された末っ子は、

ヴェールを被って生まれ、このアメリカの世界において第二の視覚(未来を見通す目)を授けられたものである。この世界は彼に真の自己意識を全く与えず、ただ他者の世界(白人世界)からの啓示を通して自己を見ることを許すだけの世界である。この二重意識、このたえず他者の目を通じて自己を見る感覚、面白がる嘲笑と憐憫の眼差しで見る世界の巻き尺で自身の魂をはかる感覚は、独特なものである。彼は常にその二重性を感じている──アメリカ人であり、黒人(ニグロ)であること、つまり二つの魂、二つの思考、二つの調和することなき向上への努力、そして一つの黒い身体のなかで戦いを続ける二つの理想である。しかも、その身体をバラバラに引き裂かれることから防いでいるものは、その不屈の体力だけなのである。(訳文には原文を元に筆者が手を加えた。以下同じ。なお、岩波文庫版における当該部分の頁数を併せて示す。15―16頁)

 黒人哲学史で最も重要な課題とされる「二重意識」の問題は、個人や主観的なものではなく、特定の集団、すなわち「黒人」の経済的、政治的、知的権利を剥奪する構造的な問題を指している。要するに近現代アメリカ社会は、人種化された主体が適切な教育を通じて、その自己を人種化する構造──すなわち、自知と自決が可能になる自意識を確立した、優越した「自己」に対して自明的に劣等な「他者」として常にみなされる構造──を克服できるようにはできていない、と若きデュボイスは言うのだ。彼はさらに、他者の監視の目を通して自己を見るという構造が、黒人芸術家や才能を「二重目標のあがき」(17頁)に陥れると指摘する。つまり、天才的な感性をもつ黒人は誰もが「木を切り、水汲みをするだけの民族に対する白人の軽蔑から逃れるため、同時に貧困に打ちひしがれた群衆のために耕し、釘を打ち、穴を掘らなければならない」(17頁)という矛盾した努力を続けることになるのである。 産業教育の結果は黒人学生の心を分裂させるもので、そこで「どちらの目的にも熱意がもてない下手な職人」(17頁)として、半分死んだような自己として生きることを強要する。西洋社会の教育を当時最も享受することができた若い黒人哲学者の意見には説得力がある。

 自意識を破壊するこの二重意識は黒人社会においてある種の感染症のように広がり、その後遺症は黒人精神が自身の内外に抱える問題に対する有効な治療法を見つける洞察力を無効化する。つまり二重意識は、自身に内蔵する全く相容れない二元性を認識する能力を有するものの、統一された全体へとその自己を導くことはできないのである。さらに「この目標の二重性からくる浪費、この調和することのない二つの理想をともに満たそうとする希望は、(中略)時には自ら黒人であることを恥と考えるようになろうとさえしていると思えるほどである」とデュボイスは言う。黒人の身体は19世紀に奴隷制から解放されたかもしれない。ただその「たましい」は、それ自身にしか見えない大きな矛盾に苦しめられ、自身を蔑む思想を内在する構造に依然として縛られている、としている。

解放としての黒人哲学

 現代アメリカ社会は、そもそも差別された主体が経済的・政治的自由を享受できるように設計されていない。そのため、この不平等な構造の中で自らの生存のために技術的な専門性を身につけるためだけに行われる、(白人による)「黒人の誤った教育」や黒人自己嫌悪は、奴隷制から解放された黒人たちを新たな隷属の立場へ追いやることになった。つまり、彼らの目先の利益ばかりを目指す教育は、実際上の再奴隷化を意味すると本書は警告するのである。言い換えると、黒人芸術家や天才は白人社会への服従を通じて体系的に独自性と才能を抹消されることになり、アメリカの統合主義的な未来は、あらゆる人種化された主体にとって経済的、知的、文化的自由の放棄を意味したのである。

 それではこの状況を打破するにはどうすればよいのか。強欲と差別が横行する社会において、黒人だけでなく誰しもが「金儲けするためだけの産業教育」という考え方を超越する必要があると、デュボイスは言う。もちろん解放奴隷の教育は、「今日の狂った帝国主義によって新たな生命の息吹を吹き込まれ、人間たちを土地の物質的資源の一つとして見做し、将来の利益だけを目論んで彼らを教育する傾向」(133頁)を有するようなものであってはならない。 高等教育のあるべき姿について、彼はさらに次のように述べる。

 大学の目的は単に生計を立てることを教えることでも、公立学校に教師を供給することでも、礼儀正しい上流社会の中心になることでもない。それは何よりも、現実の生活と人生における知識の成長との間の素晴らしい調整、文明の秘密を形成する調整のための機関である。(120頁)

 人種化された主体が人間存在としての地位を獲得し、犯罪者や「人ならざるもの」という非存在の範疇を形成し続ける人種主義的社会構造を打ち砕くために、「我々が掲げなければならないのは多くの理想であり、広大で勇気を鼓舞する人生の目的である──卑しい金儲けや黄金のリンゴを求めることではない」(123頁)と本書は訴える。トランプ政権の稚拙で乱暴だが非常に明白で差別的な一挙手一投足にただただ反応するのではなく、アメリカ歴代政権の政策と現代社会がもつ構造的な問題を深く、系譜的に分析しなければならない。その歴史的な問題を根本から打破するような理想と目的を探索し、それに向かって闘うのが真の教育であり、本当の意味で自由な人間を育む哲学である。何世紀ものあいだ自由と隷属のはざまで戦ってきた「黒人のたましい」は、今もそう我々に語りかけている。

(もりさと たけし・哲学)


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