web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

藤田真一 『ゆふすげ』のしらべ(上)[『図書』2026年5月号より]

『ゆふすげ』のしらべ(上)

 

 「歌は世につれ、世は歌につれ」というフレーズがある。おおよそ、歌はいつの世にもあって、世情や人間の営みと不即不離であるさまをいう。その「歌」を和歌としてみると、和歌こそ人と世につれ添ってきたといえる。時代の変遷とともに和歌も移り変わる、そうありつつ、かたちは過去から今日までほとんどゆらぎをみせない。そこには、和歌として、短歌として貫かれた筋があった。

 2025年初めに刊行された『ゆふすげ』(岩波書店)は、美智子上皇后の歌集である。この歌集を一読して、現代の一個人歌集にとどまらない懐に思いをいたすところ、浅からぬものがあった。多彩な振幅をもつ内容と、声に出して胸に響くしらべをあわせもつ。その秘密はどこからくるのか、たずねてみたい思いにかられた。

 「ゆふすげ」とは見なれないことばだった。山地の草原に自生し、初夏の夕方、ユリに似た花が咲き、翌日の朝のうちにしぼむ、そんな草花だという。どこか古典的なひびきがするが、古い和歌や俳諧にはみえない語である。立原道造の「SONATINE」No.1に、「薊の花やゆふすげにいりまじり/稚い いい夢がゐた」とうたわれており、知られないではなかったらしいが、近年になってようやく、夏の季語とする歳時記もでてきた。

 

ひとところ()(ぎり)流るる静けさに夕すげは梅雨の(とき)を咲きつぐ

 

 本歌集中の一首。梅雨時分、霧が流れるような土地に咲く花としてよまれている。

 「ゆふすげ」は、近来の詩歌にとって、使い古された歌語ではなく、花そのものの優雅さと、しらべの瑞々しさをもつ新鮮なことばだった。仮名で「ゆふすげ」と書いて、目に角を立てない(やまと)(ことば)にも通い合うところがある。書名は歌集の入口にふさわしいものだった。

 なお、『ゆふすげ』所収466首のほか、本稿では、上皇后の前歌集にあたる『瀬音』(大東出版社、2019、増補改訂)をあわせて、歌のあれこれを逍遥してみたい(『瀬音』は出典明記)。

ちいさき者へ

 

()()()ねて静寂(しじま)にかへる殿の(のき)七夕の笹ややに(かし)げる

 

 「吾子」はわたしの子、とくに親しみをこめていう語である。7月7日の夜、七夕の祝いを過ごした、そのあとの寝静まった室内のさまがよまれている。どの家庭にもありそうな風景なのだが、これが皇太子一家のこととなると、ある種の感慨をそそる。「殿」だから特別の屋形のことかとつぶやきつつ、「うちの七夕とおなじやないか」などと。

 明仁天皇(現上皇)は、皇太子時代、美智子妃とともに、3人のわが子を手もとにおいて育て上げた。その一端がこのような歌になったとみられる。新年のかるた会に興じる歌、窓辺でコオロギをいつくしむ歌も、「吾子」とともにすごすなかでよまれている。

 このこどもへのまなざしは、わが子に向けられるだけではなかった。

 

子どもらのお店屋さんごつこ渡されし紙幣もて大き指輪を買ひぬ

 

 「保育園」と題され、その訪問時に、園児らと遊んだようすがよまれている。「お店屋さんごつこ」を丸ごと持ち込むとは大胆、しかもそのごっこ遊びで、大きな指輪を購入する行為が異彩を放つ。園児から渡された紙幣を支払って指輪を手にした歓びを隠さず、園児らの戯れに乗っかってなんのこだわりもない。

 だが、いつもこんな愉しげな歌ばかりではない。

 

戦場にいとし子捧げしははそはの母の心をいかに思はむ

 

 題「硫黄島」、1994年になされた慰霊の旅の歌。悲劇の死を余儀なくされた兵士たちを直截に鎮魂するのではなく、わが子をいくさに送り出した母親への惻隠の情としてうたう。

 歌はもとよりこころの内をよむのに適した文芸である。だが、外的なコト──自身の外、皇室の外、日本の外、さらには現代の外にある事柄を詠じつつ、それがこころの歌となる。外と内が一首のなかでひとつになって響く、そんな歌いぶりである。

 

少年のソプラノに歌ふ「流浪の民」この歌を愛でし少女ありしを

 

 「流浪の民」は、シューマン作曲のドイツ歌曲。ウィーン少年合唱団の演奏会に臨んだ折の作で、歌の直後に、「少女横田めぐみ」の文字がそっと添えられている。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの愛唱歌だったというのだ。放浪を余儀なくされた民をうたう曲は、いまもって故国にもどれない少女の愛唱歌だった。少年合唱の清楚な歌声がめぐみさんの過酷な運命に重ねあわされる。ことに、言い差しの語尾が万感胸にせまる。

 わが子をうたうばかりではない、園児とたわむれるかと思えば、戦場で人生を閉ざされた若者とその母へ想いをはせる。さらにいわれなき拘引によって、さすらいを余儀なくされている運命をうたう。わが子にそそぐ情愛は私個人のことだが、うたわれるちいさき者たちはその世界にとどまらない。作者の私的な歌心をこえた想いの奥行が感じられてならない。

歌のことば

 和歌には古来、用語や言い回しの約束事がいろいろとあった。そのひとつに、和語にかぎるというものがある。漢字語(漢字音の文字や熟語)、生活用語・俗語・方言、あるいはオノマトペ(擬態語・擬音語)などは禁句であった。江戸時代、俳諧がその禁を解き、語彙の多様性に道を拓いた。明治以後、歌の世界でも制約は徐々に解除され、短歌の時代となる。漢字音もカタカナ語もごくふつうに用いられ、ときには刺激的な文字や耳に立つことばもかまわなくなった。『ゆふすげ』でも、語彙の抑制はほとんどみられない。

 

新しき()()となりたる春風に子らのぶらんこゆれつつあらむ
フィヨルドの(びゃく)()にありてふとしのぶ遠き故里のせせらぎの(おと)

 

 「ぶらんこ」はポルトガル語に由来するとされるが、もとより和歌ことばではなく、江戸時代、俳諧で「ふらここ」として春の季語となった。また「フィヨルド」「白夜」と、異国の語、異郷の現象をとりあげつつ、故郷を想起する歌として詠じられている。

 

ひたぶるに地表へ()ぶる土筆(つくし)あらむ野辺には早も(かげ)(ろふ)のたつ

 

 「地表」は漢字語、「土筆」は俳句の季語、「ひたぶる」「陽炎」は和歌のことば。それぞれ出所の異なる語彙が、たがいにそっぽを向くことなくしっくりと調和している。「たまゆらをいにしへの花揺らぎ()つアルハンブラの朝風の中」などと、カタカナ語が割り込んでも、違和感なくすっと溶け込んでいる。

 

こほろぎのころころ鳴くを(いと)しみて宵の窓辺を子は去りやらず

 

 「こほろぎ」「ころころ」と頭韻をふみつつ、虫の声にいつまでも飽きないわが子とともにたのしむようすを詠じる。擬音効果抜群の作である。

 個々の用語にかぎらず、形式的に意表をつくのは会話体の挿入である。

 

「生きてるといいねママお元気ですか」(ふみ)に項傾し幼な児眠る(瀬音)

 

 「手紙」の題でよまれた歌。注によると、東日本大震災の津波で両親を亡くした4歳の少女が、母に宛てた手紙を書いて、そのまま寝入った写真を新聞で目にしたという。原文は、「ままへ。いきてるといいね おげんきですか」だったとか……。「項傾し」は、「うなかぶし」とよんで、うなだれるの意。古事記にみえる語だという。

 

言の葉の限り悲しく真向かへばひたこめて云ふ「お帰りなさい」

 

 詞書に、「北朝鮮より帰国せし二名に会ふ」とある。2003年10月15日、拉致されていたうちの五名が帰国したのをうけて、蓮池薫・祐木子夫妻と面会したときの歌である。この会話体では、美智子妃から発せられた発音どおりに、「お帰りなさい」としるされている。古文めかすことなく、会話の口語体のままで、直前の「ひた」(ただちに、一直線に)の語の勢いにぴったり呼応する。ただの一字もおろそかにしない濃やかさが、臨場感をまざまざと蘇らせている。

 いまひとつ、目立たないながら、絶妙のはたらきを発揮する文字がある。

 

過ぎし日に手にとり読みし本ならむ思ほえずして書架より出づる

 

 いつだったか、かつて読んだことのある本を、たまたま本棚から取り出してみたという歌。印象深くして読み終えた書物だったか、愛読書だったか。胸の底に沈んでいた記憶の一端が、本をふと手にした瞬時によみがえる。

 ちなみに、生涯3万6000首を詠じたといわれる明治天皇妃(昭憲皇太后)は、また古典文学への造詣も深かったとされる。そんな皇后には、こんな歌がのこされている(角川文庫『新抄明治天皇御集・昭憲皇太后御集』)。

 

しらぬ世にありしことどもあつめたる(ふみ)とりいでてひもをとくほど

 

 時代をこえて、書物に親しむ共感の類歌といってよい。古来、皇室は文雅にいそしむ伝統をもち、日本の文事の中心に位置した。

 ところで、右「過ぎし日に」の歌には、「本」を介してふたつの時制がよみこまれている。本を手にしたことがあるという過去と、たまたま何の気なしに本を取り出した現在。過去と現在の対話は、過去の助動詞「し」のはたらきによる。いつかのあの本? という一瞬の記憶の再生がおこったのだ。『ゆふすげ』にはこうした追想の歌が目立って多い。

 目前のありさまをそっくり写しとるのではなく、相応の間をおくうちに、物事が時間のふるいにかけられる。そのなかで、まろやかになったり、強烈になったり、ふくらんだりと、直後の露わな印象に深みをもたらすことがある。そこにおのずから現在と過去との対話がうまれる。それは、写生主義を基調とする明治以後の短歌とは異なる行きかたとなる。

万葉ことば

 古文の文体のなかに、口語体を織り込む現代ふうの歌があるかとおもえば、奈良時代にまでさかのぼる古代の語彙や語法がみられることもある。

 

那須の野の露さはに置く草ぐさに偲べば恋ほし過ぎし日の夏
コカリナに息吹き込めば信州の木なる楽器は()しき()すなり

 

 「恋ほし」は、「恋ひし」の古形で、万葉集にあるというだけでなく、日本書紀など古代の書にもみられる。男女間の情愛とともに、とくに直接見えないものへの慕わしさをいうことばである。歌全体どこか古調を帯びているのは、この語によるところが大きい。「愛しき」は、いとおしい、愛らしいなどの意味をもつ。「()しきやし」と同様に、万葉集にみえる。

 また、「さやに」(清らか、鮮やか)、「思ほゆ」(しぜんと思われる)、「まがなし」(真愛し)、(くに)(じゆう)をあらわす「くぬち」といった語もみえる。古事記にしか用例がないという、「(こや)ります」(横になる)といった耳慣れない語もある。

 助詞・助動詞のたぐいもある。たとえば、「今もなほ()すがに思ふ玉ゆらの過ぎてうつつの寂しきろかも」にみられる、「がに」や「ろかも」である。「がに」は、「~するかのように」の意をもつ副助詞で、後世にも使われるが、万葉集に発する語。また「ろかも」は、接尾語「ろ」と係助詞「か」「も」が合わさった語で、親愛の情をあらわす。記紀歌謡や万葉集の東歌などにしかみえないとされる(日本国語大辞典)。

 万葉語はじめ古代の語彙は、その後の日本語、ことに和歌の(もとい)になったにちがいないが、かといって、平安以後の勅撰集などの和歌ことばへとすべて直結したわけではない。語彙や語形は、連歌・俳諧とつづく流れのなかで、変遷があり、曲折を経て、詩語の世界が広がっていった。

 そもそも、万葉集はすべて漢字で書かれていて、原文のままでは容易に読めない歌集だった。それが、江戸時代になって、研究の進捗があり、テキストや注釈書の出版が盛んになるという趨勢のなか、しだいに万葉集への関心が高まり、親しまれるようになる。明治にはいると、正岡子規や斎藤茂吉など、万葉集を歌づくりの手本とする歌人が輩出する。

 万葉集が国民的な歌集とみなされていくさまは、品川悦一『万葉集の発明』(新曜社、2001)に詳述されている。同書によると、昭和天皇の侍従を長らくつとめた入江相政も、旧制中学在学時、万葉集に「強烈な刺激を受け」、「万葉集に惚れ込ん」だという。父為守は、藤原定家の流れをくむ冷泉家という、旧来の和歌の家のひとであり、相政も幼少期からその学びをうけてきた。それが一変したというのだ。

 万葉集が手軽に読めるようになり、教養として身に着けるレベルをはるかに超えて、歌壇にとって欠かせない指南書のような位置に達していく。古代の万葉集が一千年をこえて、近代に生きる歌集となり、新時代の歌をみちびく亀鑑になったということである。

 そういう背景のもと、ごくしぜんと万葉的な用語・用字を駆使して歌をよむ、そんな時代がやってきたのだ。その一端が『ゆふすげ』にもあらわれているといえる。もちろんその裏には、万葉集・古事記などの書物への篤学があっただろうことは想像するに難くない。美智子妃のあまたの歌が、現代の語彙摂取だけでなく、古来のことばの海の上に成り立っていることを忘れてはならない。

(ふじた しんいち・日本古典文学)


『図書』年間購読のお申込みはこちら

タグ

関連書籍

ランキング

  1. Event Calender(イベントカレンダー)
  2. 岩波書店 ポッドキャスト ほんのタネ

国民的な[国語+百科]辞典の最新版!

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

新村 出 編

詳しくはこちら

キーワードから探す

記事一覧

閉じる