第6回 俺は(父を)告発する〈金 範俊/Moment Joon 外人放浪記〉
以下は韓国語で書いた書簡を日本語に訳したものです。原文は韓国語の「하오체・ハオ体」という文体で書かれていて、格式的にタメ口と敬語の間の、相手と距離を置く中称の待遇表現となります。日本語にはそのニュアンスを的確に伝えられる文体がないため、任意でありながらタメ口に近い文体に訳して書きます。
暴力的・トラウマ喚起的な表現を含みます。
まず以下のことをはっきりしておこう。
1.
俺は2019年から2022年まで、家族に嘘をついていた。大学院進学の代わりに、あなたが好きそうな、または納得できそうな会社を選んで、そこに入社して働いていると、研究のことはもちろん音楽活動やその他のことについても一切話さなかった。架空の人物と出来事まででっち上げて長い間、嘘をついていた。そして2022年、このままではどうしても家族として一緒に生きていけないと思い、あなたと母、弟にそれぞれ手紙を書いて、事実を告白して許しを請うた。俺の嘘が家族の間の信頼をどれほど傷つけるのか、そしてそれはどれほど許されにくいことなのか、全部分かった上で嘘をついていたし、また告白をした。手紙の最後に2022年11月に韓国に行くから、万が一でもこんな俺のことを許してくれるなら、会いたいと書いた。私たちは会って、俺はあなたの実家で5日間滞在し、最後の夜には遅くまであなたと話をした。相変わらずあなたは俺が望む人生や生き方を軽蔑していたが、それでもあなたが望む「現実的な生き方」をすくなからず意識していることを俺はアピールして、私たちは話を終えて、不安定でありながら家族として残ることにした。
4年間嘘をついたことは、今でも恥ずかしいし、申し訳ない気持ちのままである。しかし2と3で書く事件のせいで、俺はもう自分の嘘のことを謝罪することが出来なくなった。どうぞ、俺の嘘を担保にして俺のことをずっと責めていろ。あなた自身の間違いを無視できる、良い言い訳だろうから。
2.
2024年9月、俺はあなたの実家に行った。6日間の滞在中、私たちは割と普通に時間を過ごすことが出来た。あなたと母が順天(スンチョン)の実家でどう暮らしているのか、その日常を一緒に生きてみたり、一緒に少し離れた所に遠足に行ったりもした。俺が知っていたあなたと大きく変わったあなたの姿、そして何より母が幸せであることを見て、俺も幸せだった。
もちろんあなたのことはよく分かってるから、いつも通り最後の夜にはドラマチックで「腹を割って話す」みたいな会話をあなたが計画していたぐらいは知っていたし、やはり帰国前日の9月8日、夕食で行った海鮮料理屋であなたはその会話を始めた。「来た」と思った俺は、いわゆる「現実的」な方向で、出来るだけあなたの希望に合わせて話を持っていこうとした。俺も就職を考えてる、もちろん自分がやりたいことで職に就けるのが最高だからそっち方面で頑張るけど、それが無理ならもちろん違う業種のことも視野に入れていると、嘘を付かない範囲内であなたの価値観に最大限に合わせて話をした。
しかし、あなたは俺が「やりたいこと」の価値を見下し始めた。「お前が出した本なんて、別に大したもんじゃない」と。「33歳のくせに未だにそんな生き方なのか」と。そこで俺は思い出した。なぜ俺が最初から「就職した」と嘘を付こうと思ったのか、その理由を。あなたは俺の価値観を少しも、少しも尊重しないし、それだけではなく、他人があなたと違う価値観を持って生きる可能性すら、想像できないということを。そんなあなたと「家族」という型を維持しながら生きていくためには、俺があなたとは違う価値観を持っていることを隠すか、さもなきゃあなたの価値観に合わせて人生を丸ごと変えて生きるしかないということを。嘘をついたことを告白して謝罪した手紙を送ってから、前とは違う形でも、家族として残れると思っていたのに。
だから俺はその場で泣いた。「女みたいに泣くのかよ」と、あなたに性差別的で、ぶっちゃけ言ってクソバカみたいなことを言われても、それでも俺は誇りを持って泣いた。そうやって素直に感情を表現すること自体、あなたは軽蔑していることをよく知っているから。もうあなたに合わせる必要なんてないことに気づいたから。そして予想どおり、あなたの言い方と態度はそこから敵対的で暴力的に変わっていったし、怒りがコントロールできなくて、何もせずに隣に座っていただけの母をいきなり脅し出して「お前は静かにしてろ」などというバカげたことを言った。俺はもう話をまとめる必要性を感じなくなったから、素直に自分の考えを全て言い切ったし、最後にあなたは感情的になりすぎて外に出ようと、急いで会計を済ませてお店の外に出た。
3.
外に出てからは、あなたは酔っぱらったまま怒りにかられて一人で家に歩き出した。俺は母と一緒にお店の前に立って、なぜ俺は素直に言うしかなかったか、なぜあなたの好みに合わせて話を持っていけなかったのかを説明した。母は悲しんで、俺の言い方にも問題があったと指摘しながらも、俺のことを理解してると言ってくれた。その時、あなたはお店の前に戻ってきて、いきなり母の手首をつかんで「付いてこい」と、母を無理やり引っ張っていった。あなた、何センチ? 175? 178? 母は150前後だ。自分一人で勝手にキレたくせに、何もしてなかった母をさげすんで脅かして、やがて物理的な力で母をコントロールしようとする。小さい時から見てきたその構図が、結局何一つ変わっていないことを目撃してから、俺は帰国日より1日早いけど今すぐ家から出るしかないと決めた。
あえて時間を空けて家に帰ってから、俺は何も言わずに俺が泊まっていた2階の部屋に行って荷造りを始めた。あなたは1階の、階段の下から俺に話しかけ始めて、俺はそれに日本語で答えた。あなたとはどうせ話が通じないから、韓国語でも日本語でも結局意味ないということを、あなたに伝えたのだ。したらあなたはまた怒り出して、2階の部屋に上ってきて俺の手首を握って「話をしよう、話を」と言いながら、力で俺を押えた。俺はあなたの暴力に両手を縛られたまま「お母さん」「助けてくれ、助けてくれ」と叫んだ。そんな俺を見てあなたはへらへら笑いながら「こいつ、狂ってるな」と言った。後ろの壁まで追い込まれた俺は、大声で叫びながら壁を頭でぶつけて死のうとした。それであなたはやっと俺を放して、俺は全力であなたを押しのけた。俺はあなたがまたやってくると思って、1階に降りてキッチンで包丁を手に持った。あなたのクソみたいな記憶がまた勝手に事実を曲げちゃうだろうから、はっきりしておこう。俺は包丁を持ってあなたを脅かしたことなんてない。あんたに向けてないし、最初から「自己防衛のため」であると大きい声で言いながら手に持った。母が来て、包丁を放してと頼まれたけど、俺はあなたが2階にまた上がってくるなら包丁は放せないと言ったし、結局母があなたを自分の部屋に戻るように説得してからやっと包丁を放した。俺は2階の部屋に戻って、あなたを大声で呪いながら荷造りを終えた。人を産んだなら、そいつを一人の人間として尊重できないなら、せめてほっておくべきではないのかよ、と。お前みたいな人間は去勢すべきだった、と。呪いの言葉を吐きながら1階に荷物を下ろして、俺はあなたの部屋に行ってあなたの足に唾を吐いて、死ぬまで二度と会わないことにしようと言って、それから家を出て近くのホテルに行って泊まった。
俺が書いた9月8日のことが本当かどうか、確かめてみろ。酔っぱらったままバカみたいに、まるで自分に有利な証拠を残してるかのように、あなたは俺に暴力を振るいながら動画を撮っていた。恥ずかしくて後で消したかどうか知らんけど、もしその動画が残っているならどうぞ、俺が書いたことと違うか、見てみろ。俺には暴行直後のあざだらけの腕の写真だってあるんだ。以上が、次のことを書く前にはっきりしておくべき事実関係だ。
その日から、いろいろ考えた。しかし結論は変わらない。俺は死ぬ日まであなたには会わない。だからって、俺の中にあるあなたへの愛、父への感謝が死んだ訳ではない。俺がどれほどあなたに似ているか、分からないだろう。日々の生活で、特に配偶者との生活で、あなたは俺が予想していなかった所からいきなり出てくる。何かを鋭く観察する時に、間違ったことに対してはっきり意見を言って自分を守る時に、状況を楽観せず常に疑って未来に備える時に、俺は自分の中のあなたに会う。
もちろん良い方向だけではない。人を見下す時に、人の本音を疑う時に、怒りが我慢できない時に、言葉と論理で人の首を絞める時に、それもまたあなたなのだ。しかし、たとえあなたに似た姿で悪いことを犯したとしても、自分の中の「あなた」を行うのは結局俺だから、あなたを責めるのは正しくないだろう。良くも悪くも、俺の多くの部分があなたから来ている事実は変わらないから、それを培っていく責任は自分にあることを、しっかり覚えて生きていくしか。
俺という人間を形成してくれたのとは別で、あなたが俺と家族のためにやってくれたこと、自分を犠牲にしたことも忘れない。僕らのために夜遅くまで頑張って働いて、その中でも笑顔で家族との時間を作ろうと頑張ったこと、僕ら兄弟の未来のために中国特派員を志願したが、また最終的には僕らのためにそれを断ったことで会社を辞めるしかなかったことも。俺には死ぬ日まで想像もつかないはずの、不安まみれの退職後の状況でも起業をして、どうにかして家族を養って守ったことも。それを俺が忘れたら、俺は家族とか息子どころか、人間として失格だろう。俺がいい歳して間違ったことをしちゃって人を傷つけた時に、あなたがその後始末をしてくれて、俺の代わりに恥をかいて俺の代わりにつらい思いをすることになっても、息子のための献身でそれを耐えた。これらのことを思い出すと当然胸が痛いし、あなたに哀れみを感じて、こっちから先に手を伸ばしたくもなるけど、もうそれは出来なくなった。ただ、あなたが「恩知らずのやつ」と言い出すことに備えて、反論の根拠としてここに書いておくだけだ。
親と子供の間の相互理解は、必然的にアンバランスだ。産まれた時の子供に親は「世界」そのものだし、また育ちながらは、世の中を親の目を通して見ていくから。あなたには死ぬ日まで俺の目で世界が見れないこと、たった1秒だけでもそれは不可能であることを、俺はもう悲しまない。ただ事実として受け止めるだけだ。
しかし、あなたには逆のことが受け止められないだろう。他人があなたとは違う目線で生きているかも知れないという、その可能性すら想像できない人だから。俺の本のことをあなたがバカにした時に、俺は胸を張って「でも俺にはそれが誇らしい」と言った。それにあなたがどう答えたか、覚えてるか?「そんなものの何が誇らしいの?」とあなたは言った。一体何を期待してその言葉を言ったか、あなたは自分でも分かってないだろう。そんなことを言うと、33年間形成されたきた俺の中の価値観がいきなり変わり出して「あ、お父さんが価値が無いと言うからこれは価値ないもんなんだ」と俺が言うとでも思ったのか? まぁ、別に何も考えてなかったろう、酔っぱらってたから。
逆にその場で俺が、あなたが成し遂げてきたことを「俺の価値観に合わないから」と見下したら、あなたはどう感じただろう。あなたが書いた本? 中国のことを紹介する児童向けの学習漫画 1? それが10刷まで行ったのって、そんなにすごいのか? マクドナルドのハンバーガーが、料理人さんが時間と誠意を込めて作る料理より多く売られるなんて、当たり前じゃないのか? あなたは5歳児でもウィキペディアで調べられるぐらいの内容を、だらだらコピペしただけだ。それに何の価値があるって言うんだ、とか。俺もこうやって俺の価値観をあなたに押し付けるべきだったのか? 残念ながら、俺は価値観は人によって違うと分かってるし、あなたが誇りを感じるものはあなたにとって大切であると分かってるから、言わなかったけど。
「33歳のくせに未だにそんな生き方なのか」と言ったあなたの言葉に、俺は「還暦も過ぎてるくせに未だに世の中の全員がお前の価値観に沿って生きるべきだと思ってるのか、お前こそガキじゃないか」と言ってやるべきだった。その日、言い忘れて残念だった唯一の言葉だ。
自分が人より賢いと思って、少しでも自分より下だと思う人には惨く接するあなたのことが、俺は昔から恥ずかしかった。去年もそうだった。どっかのレストランに行ったら、必ず従業員さんの文法や接待とかをいちいち指摘して自分の優位を見せようとする。それは上述した通り、あなたには他人を尊重する心も思考も足りないからだろう。
それでも、そんなあなたの姿さえも、(あなたが俺のことを理解してるよりはるかにあなたのことを理解してる俺からすれば)俺は理解できる。あなたが経験してきた世界が、あなたをそう考えさせたのだろう。田舎から単身で上京して、自分の力だけで中産階級に編入したあなた。一時期は映画監督を夢を見たけど、その夢を諦めた時に、あなたは自分には元々夢なんて無かったと気づいた。俺に「同僚の新聞記者の中に、ジャーナリストとしての使命感を持ったやつなんて一人も居なかったし、俺だって特に持ってなかった」とあなたが言った時、俺はあなたの証言を疑わずそのまま信じた。あなたが生きてきた環境はお金・地位・安全という価値観によって立てられていて、あなたはそれに沿って頑張って生きてきただけだろう。
けど、これに答えてみろ。あなたが生きてきたその世界が、世界の全てだと言えるのか? あなたの経験の濃さや信頼性を疑ってる訳ではない。ただあなたが見てきた世界が、世界の全てである訳がないという、ごく原理的な話をしてるんだ。あなた、日本に住んでみたことあるか? 2010年代と2020年代を、20代と30代として生きてみたこと、あるか? あなた、英語や日本語で生きてみたことあるか? 新聞社で働いてた時にあんだけ海外出張に行きまくった人にしては、あなたは自分の想像力というものをわざと封じ込んで生きてきた人に見える。もちろん、それも分かる。家族が居たから、だろう。社会経済的な状況が、いま目の前にある韓国社会の価値観だけを見て生きるように強いたから、だろう。
俺が持っている(または俺だけが持っている)理解力が、あなたの行動を許す所に至る前に、話を戻そう。そう、ほとんどのことは理解できるし、理解できないものでも、そのまま受け止めて生きていけるのだ。一つだけ除いて。あなたの暴力。
その暴力までも、理解しようと頑張ったら、できる部分もある。あなたの暴力は、あなたが始めたものではないのだろう。当たり前のように、あなたは殴られながら育った訳だ。おじいさんとおばあさんに、兄弟たちに、学校で、軍隊で、もしかしたら職場でも。人が人を殴らずには機能しない世の中を誰かが作って、搾取してきたのだろう。封建王朝が、日本の植民地主義・帝国主義が、軍事独裁が。あなたはただその暴力の中で生まれて、それに染まってきただけであることを、俺は知っている。
そしてその暴力の中で育ったにもかかわらず、その悪循環を止めようと、あなたが努力したことも覚えている。特に98年の韓国経済危機以前に、あなたが俺と弟に注いでくれた愛のことを。あなたは「愛しているよ」という言葉と表現に溢れる人だった。同じ世代の韓国男性に、同じことは期待しにくいだろう。あなたが恋愛の時に母に送った昔のラブレターを読むと、その前の世代とは違う、新しい愛の形で家族を作りたかったあなたの希望が、見えてくる。
しかし、それでも結局、暴力は振るわれた。必要以上にあなたのことを悪魔化しないために言っておくと、あなたが振るった暴力が世界で一番ひどかったとは思っていない。もちろん、だからと言って、それが当時の韓国社会の平均ぐらいだったとも、いや、そもそもそれが「正しい」ことであったとは、俺は決して言わない。
しつけとしての体罰ではなく、初めてあなたに「殴られた」日のことを覚えている。また、あなたが俺の体の上に乗って、俺の胸ぐらをつかんで俺の顔面を数分間ぶん殴って、口と顔から流れた血で床がドロドロになった日のことも覚えている。そして去年の9月8日、この歳になっても還暦を過ぎた父から自分の身を守れなくて、腕があざだらけになった日のことも。超人的なレベルの理解力を発揮するなら、これさえも、理解できるのだ。怒っていたから、だろう。お酒か何かの要因で、自己コントロールを失ったのだろう。あなた自身も、それが間違っていたぐらい分かっているだろう、と。
しかし、それでも許せないのは、暴力以降のあなたの態度だ。あなた、俺をそこまで殴った後に、一度でも俺に謝ったことあったか? 母から聞いた。俺が幼いころ、酔っぱらったままゴルフクラブで、初めてあなたが俺を殴った日。その後に、罪悪感にやられて、あなたが自殺しようと思ったことがあるとのこと。そんなクソったれの自己憐憫じゃなくて、俺に対して人と人として、謝るのが順序ではなかったのか? 子供の時に俺が弟をいじめていたら、あなたは俺を止めて「弟も一つの宇宙だ。一つの宇宙を、お前はなんの資格でいじめてるの」と叱った。俺は? 俺は一つの宇宙ではなかったのか? もし「あんなやつ、殴ってやって良かった」みたいな風に思っているのでなければ、俺にちゃんと謝るべきではなかったのか?
いや、あなたには出来なかっただろう。謝ることで「神としての親」から「同じ人間」に降りてきたら、それはあなたも間違いを犯せる、普通の人間であることを認めることになるから。そうなると、あなたが追っかけてきて俺に押し付けようとしたその価値観も、絶対的なものではなく、ただ一人の人間が信じてきたものに過ぎないということを、俺の前で認めることになるから。「謝れない」とか、「親は子供と一緒ではない」とかのバカげたことを未だにあなたが言い続けるには、そういった自己正当化があるのだろう。その結果、俺という宇宙が傷つくだろうが、関係なく。
この手紙は、別にあなたから謝ってもらいたいから書いているものではない。謝罪、もちろん悪くないだろう。けど俺はあなたが「親」というものを置いて、本当に人と人として俺と話すようになれるとは、その結果お互いを理解して許せる関係になれるとは、想像できない。可能性がゼロとは言えないだろう。だけど、その可能性を俺が待たなきゃいけない理由、あるのか。あなたがいつ変わるのか、いや、そもそも変わる気はあるか分からないのに、ただ「家族」という型を維持するために、尊重と理解が欠けていて暴力の危険性が常に潜んでいるあなたと、家族として生きていかなきゃいけないのか。あなたの目に俺がどう映るか、あなたとどう接していくべきか、過去のトラウマを抱いたままあなたとはどう話していくべきなのか、いちいち気にしながら? 俺はこの人生で自分がやりたいこと、やるべきことをするだけで忙しい。あなたとの縁を切って生きることで、自分が歩きたくて歩くべき道を歩けるなら、俺は自分のためにそうしなきゃならない。だから謝罪も許しも、もう俺にはどうでも良い。
いや、これを書く理由は、母のためだ。あなたの我執と尊重の無さ、そして暴力の第一の被害者は、いつも母だった。その日も、あなたの思い通りに俺が動かないということが頭に来て、あなたは隣に居た母を何の理由もなく蔑んで脅かして、最終的には物理的な力で母をコントロールしようとした。
俺は、人のことを理解しようとして、また理解するための努力を止めずに生きてきた母のことに、あなたに対して感じる誇りの100倍以上の誇りを感じる。「感情的」だと、あなたがバカにする姿(そんなこと言うくせにあなたこそガキみたいに怒りをコントロールできないのがマジで笑っちゃうんだが)、そんな母の姿こそが俺が見習って人と分かち合いたい姿なのだ。体が小さくて弱いからって、もっと大きくて強い人が振るう暴力に暴力で対抗するのではなく、理解と許しと反省で生きてきた母こそが、俺にとって大切なロールモデルだ。
あなたはそんな母を見下して、暴力でコントロールしようとする人間だ。もちろん、あなたを愛して結婚を選んだのも、30年以上その関係を維持してきたのも母だから、母を完全に力のない可哀そうな人質みたいに描くのも、正しくないだろう。それでも、あなたの物理的なサイズと暴力は母にはどうしようもないということを、俺は2024年9月8日にもう一度目撃した。
この手紙は、警告だ。あなたが死を迎えるまで残っている時間がどれぐらいか、そしてその中で母と一緒に暮らせるのはどれぐらいか分からないが、その残っている日々の中で1回だけでも、あなたが母に精神的・物理的な暴力を振るったら、必ず俺が報復する。もちろん物理的な力で俺に出来ることはない。法律的にも、俺に出来ることは特にないだろう。だから俺は、生まれてから今まで俺が目撃したあなたの暴力と間違いを一つ残さず全部書いて、親戚みんなが入っているグループチャットに上げる。そうすることで、特に何かが変わる訳じゃないのは知ってる。そこにいる親戚たちも、結局あなたと同じくあの時代の韓国社会の価値を共有していて、あなたが犯したことを問題として認識する能力に欠けてるだろうから。しかし、「こんなやつを産んで育てたのか」と彼らに思わせることで、あなたがかく恥だけは確かに保証できる。あなたが家族に暴力を振るったことよりも、就職もしてない、頭の狂った息子が変なことをしていることをもっと大きな恥として見なす人たちだから。違うか?
親戚たちだけでは怖くないだろう。だから、ネットに上げられる全ての所に、あなたの実名と写真を入れて同じ内容を上げる。内容を印刷してあなたが住む順天市内で1か月でも2か月でもばらまいてやる。あなたが反省なしで生きてきて手に入れた日常を平穏を、俺にできる全てを使って破壊してやる。
ここまで話しても信じないだろうから、俺がいま岩波書店で連載しているエッセイに、この書簡をそのまま書く。ある日、予定より少し遅れて帰ってきた母に「浮気してるだろう」と追及し出して、○○○○○○○○○ 2することを強制した話をそこに書いたら、俺が言うことがブラフでないことが分かるだろう。ここまでの話よりもっと酷い話はまだ残ってるから、俺の警告をはっきり覚えろ。単純にあなたにやり返しをするために自分の人生を捨てるには、あなたなんかはもうどうでも良いけど、母なら話が違う。どっちかが死ぬ日までに会わないことを願う。そしてあなたが死ぬまで、あなたの暴力は俺の心と体の中だけに残ったまま、お別れすることを願う。
1. 父は中国特派員を準備していたため中国に滞在した経験があり、それをもとに2000年代中盤に学習漫画を書いて出版したことがあります。
2. 母の尊厳を守るためにエッセイでは削除しておきます。




