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都甲幸治 青春文学のアメリカ

4 身近にある戦争――ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』

『本当の戦争の話をしよう』(ティム・オブライエン/村上春樹 訳、文藝春秋、文春文庫、1998年)
ティム・オブライエン『本当の戦争の話をしよう』
(村上春樹 訳、文藝春秋、文春文庫、1998年)

戦争が身近な国で

 戦争と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。ウクライナや中東で人々が苦しんでいる。大勢の若者が兵士として駆り出され、たくさんの命が失われている。とても不幸だが、遠い世界の出来事だ、というイメージがあるのではないでしょうか。そうした私たちにとって、戦争が身近に感じられるのは、推しの韓国アイドルが兵役に行くときくらいかもしれません。せっかく世界的な規模で売れているのに、突然キャリアを中断して、何年も軍隊に行ってしまう。もちろん、いまだ北朝鮮と軍事的な緊張があるのはわかるけれども、そこまでしなければいけないのだろうか、などと思ったりします。けれども私たちのこうした感覚は、第二次世界大戦後、歴史的にも極めて長いあいだ戦争がなかった日本に生まれた、という偶然に負うところが大きいのです。

 そこへ行くと、アメリカは違います。たとえば大学では、ROTCという組織に属する学生たちがキャンパスを駆け回り、軍事教練をしているのによく出くわします。あるいは、教室の後ろのほうに何人か、他より明らかに年上の学生がいる。聞けば彼らは、アフガニスタンや中東での戦争から戻ってきた、という過去があったりします。そうして奨学金を得て、大学に入ってきたわけですね。そして教授の言葉にみんなが笑っていても、彼らだけはブスッとしたような無表情を貫いている。こうしたことが当たり前にあります。言い換えれば、社会における軍の存在感が、日本とは桁違いなのです。もちろん、どこかで戦争をしていない時がほとんどない、というアメリカの歴史を考えても、こうした日本との違いは当然でしょう。しかしだからといって、アメリカの若者たちが嬉々として戦場に向かっているわけではありません。特に、志願兵中心である今と違って徴兵制が敷かれていたベトナム戦争当時は、状況がまったく違っていました。

「間違った戦争」に召集される

 ティム・オブライエンの『本当の戦争の話をしよう』(文春文庫)は、各々の短篇が緩やかに結びついた連作短篇集という形をとっています。各作品に何度も同じ登場人物が出てくるので、むしろ全体として、こうした長篇とみなしてもいいのかもしれません。その中に「レイニー河で」という題名の作品があります。主人公は作者と同名のティム・オブライエンです。彼はミネソタ州の大学に通っており、卒業後はハーバード大学大学院で学ぶことが決まっています。いわゆるエリート学生ですね。1968年当時のアメリカでは、ベトナム反戦運動が盛り上がっていました。アメリカ政府は、世界中が共産主義化するのを食い止めたい、という口実でベトナムとの戦いにのめり込んでいました。しかしながら、これは単にベトナムを侵略しているだけではないか、という声が全米で広まっていたのです。ティムもまた反戦運動に参加していました。確かにナチスとの戦いなど、正義の戦争もあるでしょう。けれどもこれは間違った戦争だ、と彼は確信していたのです。

 さて、そのようなティムのもとに、ある日召集令状が届きます。彼に残された選択肢は3つしかありません。このままおとなしくベトナム戦争に参加するか、あるいは徴兵を拒否して犯罪者として捕らえられるか、またはカナダなどの外国に亡命するかです。良心的戦闘忌避者になるという道を選ぶことも可能でしたが、戦争を禁ずる宗教を信じているなどの理由が必要で、認められるにはかなりきびしい条件がありました。何の変哲もないアメリカの一青年であるティムにはあてはまりません。どうしたらいいのか。ティムはまったく選ぶことができなくなってしまいます。

 追い詰められた彼の内側から出てくるのは嗚咽だけでした。「封筒を開けて、最初の数行にさっと目を通したところで、目の奥のあたりで血液が急にどろりと重くなったことを覚えている。頭の中でそのときに聞こえた音を私は覚えている。それは思考ではなかった。それは声にならない嗚咽だった。まさに青天の霹靂だった。なんで俺のような立派な・・・人間がこんな戦争に行かなくちゃならないんだ。頭だっていいし、心優しいし、その他何をとっても優秀だ。こんなことあってたまるものか」(『本当の戦争の話をしよう』文春文庫、74頁、村上春樹訳、1998)。なぜティムはこう思ったのでしょうか。それは当時のアメリカの状況に原因があります。建前では、くじによって平等に徴兵される人が決められるということになっています。しかしながら、実際に戦地に送られたのは黒人やラテン系などの人種的マイノリティ、あるいは貧困層の人々が多かったのです。それに対して、白人で成績優秀であるティムが選ばれる可能性は非常に低かった。だからこそ、自分の家に徴兵通知が届いたとき、ティムは驚愕したのでした。

残酷な気づき

 ベトナム戦争は正義の戦争ではない、と考えている以上、ティムは犯罪者として捕まるか、あるいはカナダに逃げるしかありません。実際に彼は、国境を越えようと何度も決意を固めます。けれどもその度に心が折れてしまう。自分の内側から言葉にならない何かが湧き上がってきて、そうした論理的な決意を押し留めるのです。その言葉にならない何かとは何でしょう。彼にとって、それは体面でした。極めて保守的な中西部の町に育ったティムには、もし自分が国外へ逃げた場合、周囲の人々からどう言われるかが容易に想像できました。あいつは国を守る義務から逃げた腰抜けだ。学校の成績は良かったが、男としては大したことない。そう言ってあらゆる人が嘲笑うに違いありません。さらには、共産主義者呼ばわりされたり、就職で差別されたりするかもしれない。そして両親も今後ずっと肩身の狭い思いをするでしょう。そうした体面を気にするのは、人としては小さいのかもしれない。けれども、あらゆる人に嘲られ、後ろ指を差される状況は、ティムにはとても耐えられません。しかし、それではベトナムで死ぬ覚悟があるのかといえば、それも違います。よりによってあの間違った戦争で命を落とすなんて無意味過ぎる。ならばいったい、どうすればいいのだろう。

 食肉工場でのアルバイト中、ティムは自分の胸の中で何かがばりっと折れるのを感じます。そしてそのまま家に戻り、書き置きを残して車でカナダ国境に向かうのです。8時間も走ればカナダ国境に到達します。そこを流れているのがレイニー河です。そのほとりにティップトップ・ロッジというホテルを見つけて、彼は宿泊を決めます。オフシーズンのこの時期、ロッジにはティム以外の宿泊客はいません。だから経営者であるエルロイとたった2人きりの日々が始まります。エルロイはティムより60歳ほど上、81歳の無口なミネソタ人です。おそらく一目で状況を読み取ったエルロイは、しかしティムに何一つ訊ねません。そしてそのまま彼を、自分の生活に当たり前のように受け入れるのです。

 ティムは思います。「彼は私の求めていたものをそっくりそのまま提供してくれた。何も質問せず、余計なことはただのひとことも言わず、彼は私を中に入れた。いちばん大事なときに、彼はそこにいたのだ――何も言わず、しっかりと気を配って」(同83頁)。何も語らないことで、エルロイはその時何をしていたのでしょう。1968年に大学生の男子が逃げてきたとすれば、カナダへと国境を越えようとしていることは一目でわかります。あるいは、そうした青年は以前にもいたのかもしれません。どうするつもりだ、などと一言でも訊いてしまえば、ティムが逃げ出すだろうことは、エルロイにも分かっていたことでしょう。だからこそティムの側にいて、しっかりと彼を見守りながら、同時に沈黙を貫くことで、ティムが自分自身の内側に向かい合うための空間をエルロイは保っていたのです。そうした、何もしないことによる大きな働きは、容易に成し遂げられることではありません。いっそのこと誰かに答えを教えてほしい、と思うところまで追い詰められていたティムにとって、エルロイの存在はかけがえのないものでした。

 人生にとって本当に重大な決断は、自分の内側からしかやってきません。そしてそうした確信に至るためには、時間と安全な場所が必要です。そのことがエルロイにはわかっていたのでしょう。そのときエルロイは、偉大な教師としてティムに対峙していたのだと思います。それだけではありません。ある日エルロイは、ティムを現実に直面させます。釣り船でレイニー河に漕ぎ出した2人は、やがてカナダの水域に入ります。そのことに気づいたティムは愕然とします。ほんの十数メートル泳ぎきれば自分はカナダの岸に到達できるのです。ボートの縁を掴んで体を前に傾けながら、ティムは何度も飛び込もうとします。けれども決してそうはできない。そしてそのことに気づいて、ティムは号泣します。「私がそれほど悲しかったのは、カナダが今や惨めな幻想と化してしまったからだった」(同96頁)。

 それまでティムは、いざとなれば自分は英雄的に行動できるだろう、正義のためにすべてを犠牲にすることができるだろう、と考えていました。けれどもその、いざという瞬間が来たとき、自分にはそんなことはできない、と気づいたのです。むしろ自分はちっぽけで弱い人間だ、体面のために正しくない戦争に向かい、そのまま命を落とすかもしれない愚かな存在だ、という現実を、彼は心底悟ったのでした。それは残酷な気づきです。けれども、エルロイの助けを借りて到達したこの気づきは、それはそれで貴重なものだと思います。そして、惨めな現実を直視することができたティムはこの瞬間、決定的に大人になった、ということができるのではないでしょうか。

戦地の現実

 伝記的なことを調べてみると、この短篇はかなり、ティム・オブライエンの人生に近いものであるようです。実際、彼は徴兵されるまでベトナム戦争に反対していましたし、場所は違いますが、ワシントン州でのトレーニングの間にカナダに逃げようかと考えたこともあったようです。ティップトップ・ロッジやエルロイが実在したかどうかは分かりませんが、物語に登場する基本的なことがらはある程度、事実に基づいていると思われます。1946年にミネソタ州のオースティンという町で生まれたティム・オブライエンは、非常に成績優秀な学生でした。ミネソタ州セントポールにあるマカレスター・カレッジを優等で卒業した彼は、大学院への進学が決まっていたそうです。しかしなぜか徴兵され、そのままベトナムに向かいます。アメリカに戻ってきた後はハーバード大学で学び、ワシントン・ポスト紙で記者として働きます。やがて1978年に『カチアートを追跡して』(新潮文庫)で全米図書賞を獲得し、一躍有名作家の仲間入りをします。しかし現在まで最も読まれているのはこの『本当の戦争の話をしよう』です。回想録と小説の間のような奇妙な書かれ方をした本作品は、ピュリッツァー賞と全米批評家協会賞の最終候補にまでなりました。

 それでは実際に戦場に行った兵士たちはどうなったのでしょう。短篇「兵士たちの荷物」に登場するジミー・クロス中尉は、自分を強く責めています。なぜなら、部下であるテッド・ラヴェンダーが死んだのは自分のせいだ、と思い込んでいるからです。行軍のあいだずっと、クロス中尉は上の空でした。彼は故国に残したマーサのことを考えていたのです。とは言っても、マーサとクロス中尉が実際に付き合っていたわけではありません。せいぜい親しい友達でしかなくて、マーサには自分以外にボーイフレンドがいるということも彼はわかっています。それでも、マーサから来た手紙の最後にLOVEと書いてあるのを見て、それがただの挨拶の慣用句だと頭では理解しながらも、彼はそこに愛の印をむりやり見出そうとします。さらには、マーサが海岸で拾ったという小石を口に含んで、その塩の香りと湿気を味わいます。

 指揮官がこんな様子では、何かが起こるのも時間の問題でしょう。そして実際、小便のためにふらりと隊を離れた部下のテッド・ラヴェンダーは、姿の見えない敵に顔を撃ち抜かれて、一瞬で命を落とします。その様子を、戦友であるカイオワはこう語ります。「ズドンと鳴ってばたっと倒れただけ、映画みたいにころげまわったりもしないし、かっこよくくるっと回転したりもしないし、派手に倒れたりもしないんだ、全然違う、とカイオワは言った。あの可哀そうな野郎はただばたっとまっすぐ前に倒れただけなんだぜ。ズドン・ばたっ、それだけ」(同21頁)。実際の戦争に参加しながらも、戦場を思い浮かべるとき、兵士たちはかつて戦争映画で見た光景と現実を重ね合わせます。けれども、実際に仲間が亡くなる場面は、映画のように英雄的なものではありません。重い装備を身につけた兵士は、体から命が抜けていく瞬間、まるで物のように、ただその場で前に倒れるだけです。そしてその即物的な感じが、見ている者に強い衝撃を与えます。このとき、「レイニー河で」のティムと同じように、兵士たちの思い込みが剥ぎ取られて、現実が顔を出すのです。

 もし自分がもっとちゃんとした指揮官だったら、テッド・ラヴェンダーは死ななかったかもしれない。上官として部下たちにきちんと軍規を守らせず、友達同士のハイキングのように楽しい馴れ合いの雰囲気を作っていたからこそ、テッド・ラヴェンダーは死んだのではないか。すなわち、みんなの命を守る上官としての責任から自分が逃げたからこそ、部下が死んだのではないか。クロス中尉はそんなふうに自分を激しく責め続けるのです。

 このシーンが残酷なのは、テッド・ラヴェンダーが死んだのは、クロス中尉のせいではない可能性が高い、ということです。確かにクロス中尉がもっときちんとした上官ならば、テッド・ラヴェンダーの死の確率も少しは下がっていたかもしれません。けれども、もしクロス中尉が完璧な上官だったとしても、さほど事態は変わらなかったのではないでしょうか。そしてそれでもなお、クロス中尉がこう思ってしまうのは、戦場における圧倒的なコントロールのできなさを、自分の心の持ち方のせいにして、もしあのとき自分がこうしていたらうまくいったかもしれない、というコントロールの幻想を抱きたいからなのではないでしょうか。まったくコントロールできない状況の中でランダムに仲間が死んでいく。この状況に人間は耐えられません。それを直視してしまえば、正気を保つことなどできないのです。だからこそ、逆説的にではありますが、クロス中尉は、自分がきちんとした上官になることを固く決意します。

 彼は思います。「俺の任務はみんなに愛されることではなく、みんなを指揮することにあるのだ。俺は愛なんてものを抜きにしてやっていこう。それは今のところ無用のものなのだ」(同46頁)。そして彼はマーサの写真を焼き捨てます。彼の姿もまた、大人になることの一つのあり方が現れていると思います。けれども、愛や友情を諦めて、感情を捨て、自分の属する集団を戦争の機械として有用なものに変えていく、という決意には、何かしら物悲しいものがあります。確かに、そうすれば兵士としての成績は上がるでしょう。しかも、部下も含めた生存率も上がりそうです。けれども、そうやって人として大事なものを捨てていくという形の向上は、とてつもなく間違っている気がします。生き延びるために、クロス中尉にこう決意させる戦争は、極めて非人間的なものだと言えるでしょう。

語り続ける死者

 さて、苦しい戦争ですが、いつかは終わりが来ます。やがて除隊したティムはアメリカに戻り、戦争を文章に書き続けることで、なんとか戦後の日々を生き延びていきます。けれども、そうできない人もいるのです。短篇「勇敢であること」で、戦場から心を病んで故郷に戻ったノーマン・バウカーは、町にある大きな湖の周りを車でぐるぐると何時間も回ることで日々を過ごします。かつてはこの町に親友も恋人もいました。けれども親友のマックスはこの湖で溺れ死に、そして恋人のサリーは他の男性と結婚してしまっています。それでもなんとか新しい人生を始めようとして、ノーマンは様々な仕事に就いたり大学に行ったりします。けれども、なぜか続けることができないのです。結局彼はシヴォレーに乗り込んで何時間も走ったり、YMCAでバスケットボールをしたりするぐらいしかやることがなくなってしまいます。

 ノーマンは思います。「町がなんだか自分から遠ざかっているように感じられた。サリーは結婚してしまっていたし、マックスは溺れ死んでしまっていた。そして彼の父親は家でテレビの野球中継を見ていた」(同232頁)。実は彼には語りたい戦争の経験がありました。川沿いの糞の山の上で野営をしていたとき、迫撃砲の攻撃を受け、戦友のカイオワがずぶずぶと沈んでいった時のことです。彼はカイオワを助けようと必死にブーツを掴みました。けれどもあまりの悪臭に手を離してしまったのです。そしてカイオワは死に、ノーマンは勲章を取り損ねました。けれども故郷の町の人々は、こんな惨めな話は聞きたがりません。彼らは英雄的な話しか好まないのです。けれども、ノーマンの経験はそんなものからは遠く離れている。そうやってノーマンは語るべき言葉を失い続け、沈黙に閉じこもるのです。

 この短篇の後日談である「覚え書」という作品で、ノーマンはその3年後に、地元のYMCAのロッカールームで首を吊って亡くなったことが明かされます。結局、彼は語るべき言葉を見つけることができませんでした。そしてどこにも行けないまま、自身を消滅させることを選んだのです。けれども、このティム・オブライエンの作品を通してノーマンは何度も生き返り、語れない、という現実について我々に語り続けます。文学は時に、死者を生き返らせる魔法であり、さらには、彼らと永久に対話を続ける道筋となるのです。そのことをティム・オブライエンの本作は思い出させてくれます。

(とこう こうじ・アメリカ文学、翻訳家)

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著者略歴

  1. 都甲 幸治

    (トコウ コウジ)
    1969年生まれ。早稲田大学教授。専門はアメリカ文学。主な著書に『大人のための文学「再」入門』『教養としてのアメリカ短篇小説』、訳書にトニ・モリスン『暗闇に戯れて 白さと文学的想像力』、ブコウスキー『勝手に生きろ!』、デリーロ『ポイント・オメガ』など。

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