誰かの心の止まり木になる本屋/小鳩書房(北海道)柴田翔太さん
大和田佳世(聞き手・文)
北海道夕張郡長沼町。広々とした畑の中、ぽつんと青いスレート屋根の家が見える。七五年前の開拓農家を修繕したこの建物で、柴田翔太さんは土日月の一時から一七時まで岩波少年文庫専門の本屋「小鳩書房」を開いている。
「ここは長沼の一番北で風が強いです。かつては夕張川から木材を荷揚げし馬に引かせていく開拓拠点だったとか。ここにいると炭鉱や商業圏の移り変わり、百年単位の時間の流れを感じます」
冬はどれくらい雪が積もるか尋ねると、本屋開店前、ここで暮らしはじめた頃のことを話してくれた。当時、花屋で働きながらホテルの室内装飾を請け負っており、腰まで積もる雪の中をがむしゃらに出かけていたという。しかしある猛吹雪の夜、すぐそこにあるはずの家にどうしてもたどりつけない。何時間もスコップで格闘していたら車のライトを見た農家のお爺さんが警告しにきてくれた。「家に戻るのは無理だ、死ぬぞ」と。自然の猛威の中で生きてきた古老に諭され、冬は無理をしなくなったと笑う。足元のレモンバームをちぎって嗅ぐといい匂いがした。
小鳩書房はハーブ農場の一角にある。普段は鍵が閉まっていて、お客さんは隣のハーブ小屋「香珀-kohaku-」で鍵を受け取る。青い屋根の母屋までの小道をたどり、お客さん自身が鍵を回し、扉を開けるのだ。
部屋に入ると、古いガリ版機械を加工した看板、石炭ストーブや古いスピーカーの間に、岩波少年文庫の新刊と古本が隣りあって並ぶ。木彫りの熊などの民芸品が棚上に飾られ、すりガラス越しにやわらかい光が入る。
「案内も説明もしないので、皆、どんな場所かわからずにここに入るんです。誰の目もない空間を作ったら、安心して物語を読めるかなと思って」
入ったきり、なかなか帰ってこない人もいるという。
「鍵を返しに来て、実は泣いてしまってと打ち明ける方もいます。どの本を読んだのか詳しくは尋ねないけれど、そんな風に心が揺れ動いたことをきっとその人は覚えていてくれるだろうなと」
ひとりきりの時間を過ごせる少年文庫の本屋。なぜ作ろうと思ったのだろう。
「子どもの頃に出会った本棚……両親や母の友人の家、可愛がってもらっていた商店主の本棚が美しかったんです。中を読めない年齢のときから『モモ』や『はてしない物語』(ともにミヒャエル・エンデ作)は視界に入っていました。無造作に積んである背表紙にも心惹かれて」
記憶の中の本棚に、柴田さんは人生で辛いときに何度もなぐさめられる。高校のときわけあって東京で四畳半のアパートに一人暮らしをしていた。寂しくてたまらない夜、遅くまで開いている本屋に行っては、記憶の中の本棚からたどって本を選んでいたという。
「少年文庫の古典のようにずっと大切にされてきた普遍的な物語なら、辛いときふと思い出して救われることがあるんじゃないかと思ったのです。僕はもう十分、自分を助けてくれる美しい本棚に出会ってきた。でも世の中からそういう本棚が減ってきている気がして……。それは、悔しいしさみしい。だからこそ今物語に出会い、一〇年後にまた思い出せる場所を作らなきゃ!と思ったんです」
どんな本を覚えているのか聞いてみた。
「『不思議の国のアリス』は母の本棚の高いところに飾ってありました。触ると怒られるかなと思いながらそっと手にとったことを覚えています。中学のとき長沼の絵本屋「ぽこぺん」(現在は閉店)で『リンゴ畑のマーティン・ピピン』(エリナー・ファージョン作、石井桃子訳)を買いました。戦地へ赴いた愛する男性宛てのお話を集めたもので、美しいリズムと爽やかな風を感じる作品です。その後『ムギと王さま』(エリナー・ファージョン作、石井桃子訳)も読みました」
北海道の森や山には、古典作品に出てくるような風景や植物がたくさんあるという。『牛追いの冬』(マリー・ハムズン作、石井桃子訳)の風景やアンデルセン童話の「人魚姫」の矢車菊も……と一つひとつ数えあげる柴田さん。これまでどのような道のりを歩んできたのか。
「僕は一九八八年、昭和最後の生まれです。幼少期は東京・日野市に住んでいました。北海道出身の母は東京の美大を卒業後、劇団の服飾担当をしながら、中央線沿いに住んで働いていたんです。三歳のとき家族で母の実家近くの恵庭市に引っ越しますが、一〇歳のとき両親が離婚して。父は神奈川・相模大野の実家に戻りました。自分は小学生から一人で札幌の本屋や楽器屋をのぞくのが好きで。中学になると午後の授業を早退して散歩したり図書館に行ったり。高校に入ったものの一か月で貯金箱のお金を持って千歳空港から東京へ家出しました」
一五歳の柴田さんがどうしても行きたい高校があった。開校したばかりの通信制高校「信濃むつみ高校」エクステンションセンターが東京・巣鴨にあったのだ。
「行ってみたら、もう前期は始まったから次は九月入学になるけれど、年度末には追いつけるようにすると先生たちも言ってくれた。学費は親戚が手分けしてくれることになりました。僕は一度家へ戻り、夏は札幌で音楽フェスの運営スタッフや、大学の研究農場でアルバイトをして過ごし、九月に再び東京に行きました」
塾講師をしていた父の家から学校に通うつもりだった。しかし父の実家の大人たちの人間関係も複雑で「ここで暮らせない」と再び家出。昼は高校に行き、夕方から夜は生活費をまかなうため働いた。
「一、二か月は宿なしで、立川駅前で野宿したり、バイト先や飲食店で会った人に泊めてもらったりしました。銭湯の回数券や、いっぱいになったスタンプカードをくれる人がいて漫画喫茶に泊まれたり。食べていきな、と店に呼び込んで食べさせてくれる人もいました」
大人の善意をありがたく思いながらも、張り詰めた気持ちでその日暮らしを続けていたある秋の日のこと。
「出入りしていた国際青年環境NGOでの会議の後、誰かの誕生日パーティに呼ばれたんです。シェアハウスに人が集まるからおいでと。目黒の一軒家で会がお開きになった深夜、IT系や出版系、デザイナー、NGO職員など一〇人くらいの住人たちで話し合いがもたれたみたいで。翔太は今行くところがなくてこのままだと危険だから、しばらくここに置いてあげたい、と。その日は久しぶりにゆっくり眠ることができました。翌朝起きると誰もいなくて。仕事中のデザイナーさんの声が屋根裏から聞こえてきました。「ご飯あたためて、味噌汁もあるよ。めざしは表三分裏四分、焼いて食べな」と。その朝ご飯は、生涯で一番安心して食べたご飯だったと思います。涙が流れて、声を抑えながら食べました」
シェアハウスの彼らは皆三〇代で、柴田さんにとっては大きなお兄さんたちだった。秋から冬、学期の単位を取得し終えるまで滞在させてもらった。その後西荻窪のアパートで一人暮らしが始まる。母が学生時代から交流のあった中国茶を商うお店の家族と食卓を囲むこともあり、「若いうちに特別美味しいもの、特別美しいものとたくさん出会いなさい」と極上のジャスミン茶を飲ませてもらった。吉祥寺の地下の洞窟のような喫茶店で働いたこともある。江戸時代から続く糸あやつり人形の劇団が作った店で、スタッフもお客さんも面白い人が多かった。
大学はAO入試で無事合格したが、二年目の学費を捻出できず退学。その後たまたまの出会いから小さなコンサルティング会社でアルバイトをし、社員になるが、過酷な勤務に体を壊して三年で退社。四か月後、東日本大震災が起こる。北海道に戻り、かつての音楽フェスの仲間のつてでカメラやデザインの仕事をしながら花屋に勤めはじめた。思えば大切な記憶の場所には、常に植物と親しくつきあう人がいた。植物への関心は深まり、ハーブ栽培地として長沼の地を借りたのが八年前。今はハーブを料理店に卸したりお茶を販売したりしている。
昔から読書家だった柴田さん。友人たちに「本屋をやったらいいじゃないか」と言われたが、開店を決心したきっかけは、翻訳者だった大正生まれの父方の祖父の古い本棚に『星の王子さま』の旧版を見つけ、吉野源三郎の一九五〇年創刊の辞「岩波少年文庫発刊に際して」を読んだことだ。若い世代への燃えるような希望に胸を打たれ、この文にあるように、農村の片隅に、少年文庫を並べる本屋ができたらいいねと友人と語り合った。
柴田さんは東日本大震災後からコロナ期に思春期を過ごした一〇代、二〇代の子たちが、時折、自分らしい仕事や生き方を「諦めている」と口にすることに気づいた。「地に足をつけてちゃんと生きているように見えるのに、彼らがそう言った瞬間、なぜか自分も傷ついた。ショックでした」
自分が出会ってきた、オーナーの人生がまるごと反映されたたたずまいの店が、地方ではどんどんなくなっている気がした。「自分ならどんな言葉をかけるかと考えたとき、「きっとできるよ」と励ますのでなく、「できたよ」という希望を目の前に示したいと思ったんです」
本と植物、二つの異なるものを響かせあい、自分なりの〝手渡し方〟を提示できる気がした。昨年のクリスマスは初めてハーブティーと岩波少年文庫をセットにしたギフトを企画し好評だった。
なぜ小鳩書房という名にしたのか聞くと、小説「第三の鳩の物語」(シュテファン・ツヴァイク)の話をしてくれた。ノアの箱舟から放たれた最初の鳩は地上に降りられず、二番目の鳩はオリーブの枝を掴んで戻る。でも三番目の鳩は永遠の平和を求めて飛び続け、決して戻ってこない。「そのずっと飛び続ける鳩の姿が心に残っています……」。希望と絶望を胸に飛び続ける人が漂泊の果てに小鳩書房の扉を開け、物語を手に取ったら。 その心に何か生まれるのではないか……。
外に出ると夏至前のほんのり明るい夜空に、糸のような細い月が出ていた。「百年残る物語に出会った人は、いつか百年残るものを作る人になるかもしれない」と柴田さんはいう。誰かの心に希望の灯をともすため、農村の片隅で柴田さんはひとびとの訪れを待っている。
(おおわだ かよ・ライター)
岩波少年文庫の本屋「小鳩書房」
住所:〒069-1317 北海道夕張郡長沼町東5線北18番地 香珀-kohaku- 内
*土日月10-17時営業。「香珀-kohaku-」の営業日に合わせて開店しています。
営業時間、定休日はHPやSNSをご確認ください。
小鳩書房WEBsite:https://hokkaidoherb.jp/kobato_shobou/
北海道ハーブ 香珀-kohaku- WEBsite:https://hokkaidoherb.jp/
Instagram:@kobato_shobou









