【文庫解説】馮夢龍 撰/大木康 編訳『花魁と油売り 明代人情小説集』
蘇州の文人、馮夢龍が編集刊行した「三言」と総称される短篇作品集は『水滸伝』『西遊記』『三国志演義』などと並んで、中国白話文学(口語で書かれた文学)の代表作のひとつ。古今の帝王から庶民に至るまで、人間にまつわる種々様々な物語が収められています。本書では心を動かす人情噺7篇を収録。以下は訳者の大木康氏による解説の一部です。
この『花魁と油売り 明代人情小説集』に訳出した七篇は、中国明末蘇州の文学者、馮夢龍(一五七四―一六四六)が編んだ短篇白話小説集「三言」に収められた作品のうちから、人情噺の範疇に属する話を選んだものである。「三言」とは、『古今小説』四十巻(後に『喩世明言』と改題)、『警世通言』四十巻、『醒世恒言』四十巻の三書を指し、それぞれの書名に「言」の字があることから、「三言」と総称され、しめて百二十篇の小説(短篇白話小説)が収められている。馮夢龍「三言」の後を承けて凌濛初が編んだ(「二拍」『拍案驚奇』『二刻拍案驚奇』)と合わせて「三言二拍」ともいわれる。なお、ここで短篇白話小説の短篇とは、同じ白話小説の中でも『三国志演義』『水滸伝』などの長編に対していう短篇であり、白話とは、文言(文語)に対して、より口語、俗語に近い書き言葉で書かれている小説作品をいう。本書の姉妹編として、「三言」の中から怪異の内容に属する話八篇を選んだ『白蛇の妖恋 明代怪異小説集』も準備している。
「三言」の時代
編者の馮夢龍は、明の万暦二年(一五七四)に生まれ、清のごくはじめ順治三年(一六四六)に亡くなっている。明朝は崇禎十七年(一六四四)に滅んでいるので、まさしく明代の末期に生きた人といえる。馮夢龍が活躍した明末の蘇州は、名実ともに中国第一の商工業都市であった。ヨーロッパにおける十五、十六世紀は、いわゆる大航海時代、地理上の発見の時代である。コロンブスが大西洋を横断してアメリカ大陸に達したのが一四九二年。その後、スペインはアステカ、インカなどの諸国を滅亡させ、アメリカ大陸の原住民を酷使して大量の銀を産出した。この銀が、スペイン、ポルトガルによって東方へと流れた。
ポルトガルが東アジアの拠点としてマカオを確保したのが一五五七年、スペインがフィリピンのマニラを占領したのが一五七一年、すなわちいずれも明代後期のことであった。彼らは中国から絹織物、陶磁器などを買いあさり、その結果、中国には大量の銀が流入することになった。この大量の銀によって、中国のとりわけ沿海地域の経済規模が飛躍的に拡大し、本格的な商品経済の時代となり、蘇州も繁栄を迎えることになる。明末蘇州の繁栄は、世界経済の大きな流れにリンクしていたのである。馮夢龍が生まれたのは、このような時代の蘇州であった。
経済的活況を背景に、蘇州、南京、杭州など江南の諸都市では、出版業も空前の活況を呈することになった。そして、書物の出版が増えることによって、それまではあまり 刊行されなかったような内容の書物が刊行されるようになる。その最も典型的なものが、白話で書かれた白話小説、通俗小説である。「三言」が生まれた明代の末期は、『三国志演義』『水滸伝』などの白話小説作品が大量に生み出された時代であり、馮夢龍は当時のブックメーカーとしてその名を馳せたのである。
なお、一般に中国の人名は漢音で読むというしきたりがあるようである。となれば、馮夢龍は「ふう・むりゅう」であるが、ここであえて馮夢龍を「ふう・ぼうりょう」と呉音をもって呼ばせていただくのは、馮夢龍その人が蘇州(呉)の人だったかである。
「三言」前史
中国にあって、フィクションとしての「小説」は、その誕生が比較的遅く、唐代に至って、「李娃伝」「鶯鶯伝」など文言の伝奇小説があらわれるが、読み物として本格的に完成されたフィクションとしての小説は、やはり明代の白話小説を待たねばならない。
「三言」や『三国志演義』などの作品は、もともと寄席で行なわれていた講談にその起源がある。「三言」に収められた話の中で、「みなさん、今日はわたしの○○の話をお聴きください」のように、講釈師が直接聴衆(読者)に語りかける言葉が見られるのは、その名残である。寄席の講談の詳しい記録が残されるのは宋代以降のことで、北宋の都汴京(開封)の記録である『東京夢華録』や南宋の都臨安(杭州)の記録である『夢粱録』などによれば、各種講談のうち、最も盛んであったものに、「講史」と「小説」の二種があったようである。「講史」は『三国志演義』などに発展する歴史物語、時代物であり、「小説」は、それに対していわば世話物である。
元の時代のものと思われる羅燁の『酔翁談録』(仙台の伊達家に伝わった天下の孤本である)は、当時の語り物としての「小説」の貴重な記録である。羅燁はここで、「小説」をその内容によって、霊怪(怪談)、煙粉(妓女の話)、伝奇(恋愛話)、公案(事件、裁判物)、朴刀、桿棒(ともに任侠物)、神仙、妖術の八つに分類し、それぞれの話の題目を記している。例えば、霊怪に「巴(芭)蕉扇」とあるのは、後の『西遊記』の物語の一部のようであるし、朴刀、桿棒には「青面獣」「花和尚」「武行者」などが見え、これらは後の『水滸伝』である。題目だけであるから、確としたことはわからないが、これらのうち煙粉に見える「燕子楼」は、「三言」の『警世通言』巻十「銭舎人題詩燕子楼」の話かもしれず、公案の「三現身」はまた『警世通言』巻十三「三現身包龍図断冤」の話かもしれないように、直接「三言」につながる可能性がある題目も見える。
『酔翁談録』は、基本的に題目もしくは簡単なあらすじだけであったが、『水滸伝』や『西遊記』などのように長編小説に発展するものを除き、短篇の白話小説として、現在見られる最も古い作品を集めた小説集に、明代の嘉靖年間(一五二二―一五六六)に杭州の洪楩という人が集めて刊行した『六十家小説』がある。これもいまでは一部しか伝わらず、現在『清平山堂話本』の名で二十九篇が刊行されている。馮夢龍は、これらの短篇白話小説の後を承けて、「三言」を編纂したのである。なかには、本書に収めた「指輪の因縁」(『古今小説』巻四「閑雲庵阮三償冤債」)のように、明らかに『清平山堂話本』の「戒指児記」に手を加えてできあがった作品もある。
「人生の万華鏡」
「三言」には、最初の『古今小説』の題の通り、古今の題材を扱った短篇小説が収められている。古くは春秋戦国の時代を舞台とする話(例えば『古今小説』巻二十五「晏平仲二桃殺三士」など)から、馮夢龍自身が生きた明代万暦年間の話(本書に収めた「遊女の恨み」、『警世通言』巻三十二「杜十娘怒沈百宝箱」など)までさまざまであり、その内容も、先に見た『酔翁談録』に見えた霊怪、煙粉ほか、すべてにわたる話が収められているといってよい。登場する人物について見ても、上は神仙、帝王から、官僚、文人、武人、豪傑、そして一般の庶民である商人、職人、農民、はたまた盗賊や物乞いに到るまで、あらゆる階層の人々を網羅しており、また作品の中では、多くの女性たちが、その主人公として活躍している。小野四平氏が、内田道夫編『中国小説の世界』(評論社、一九七〇)において、短篇白話小説の世界を「人生の万華鏡」と称されたが、まことにその通りで、あるいはバルザックの「人間喜劇」にも比することができるであろう。
(全文は、本書『花魁と油売り 明代人情小説集』をお読みください)




