森絵都 150匹の同窓会[『図書』2026年9月号より]
保護犬今昔物語(下)
150匹の同窓会
(承前)
運命の犬──そう、のちに彼女が秋葉犬と名づけることになる茨城の野犬である。
「もともと私は群馬を拠点としていて、主に群馬のセンターから犬を引き出していたんです。なので、最初は茨城の犬まで手がまわらなかった。ただ、ある日、茨城のセンターが大変だから助けてってSOSが届いて……。収容されている犬の数が増えすぎて、このままでは殺処分が復活してしまうと聞いて、駆けつけました。そこで最初に引き出した一匹が、すごくよかったんですよね」
人にも犬猫にも優しい。大人しい。空気を読める。遊び好き。食欲も旺盛。茨城へ足を運ぶほどに、その地で捕獲される犬の性格の良さ、家庭犬としての才能に舛方涼子さんは惚れこんでいった。
「外れなし!」
まさしくそれは茨城で野犬が急増していた時期と重なる。
犬の捕獲数が動物愛護センターの許容量を超えれば、犠牲になるのは犬たちだ。その窮状を打開すべく、舛方さんは現地の有志とともに野犬ゼロを目指すゼロイバの活動を始める一方で、保護した野犬のブランド化を図ったのだった。
「こう言ってはアレですけど、日本人って、ブランドに弱いじゃないですか。秋葉犬という名前をつけることで、これまで敬遠されがちだった大型犬が、一緒に暮らしたい犬になってくれたらと……。秋田にいた犬が秋田犬、土佐にいた犬が土佐犬と呼ばれているのだから、秋葉出身の犬を秋葉犬と呼ぶのも自然ですよね」
茨城の野犬をブランド化。その大胆な戦略は成功した。舛方さんやボランティアたちのインスタグラム、さらに卒業犬の飼い主たちが各々発信する「我が家の自慢の秋葉犬」を通じて情報が拡散し、秋葉犬は着実にファンを増やしていった。
「都内では小型犬が人気と言われますけど、やっぱり大型犬を飼いたい人もいるんですよ。それも、これまで犬を飼ってきて、犬のことをよく知っている人ほど、秋葉犬にどはまりするんです。おかげで躊躇なくセンターから大型犬を引き出せるようになりました。今ではよその団体も、茨城のセンターから引き出した犬を秋葉犬と称して譲渡していますよ」
どこの団体を介してであれ、犬たちが幸せになってくれればそれが一番と舛方さんは言う。たしかに、秋葉犬に注目する人々が増えれば増えるほど、センターで囚われの身にある野犬たちが自由を得る可能性は高まる。
ドラクロアの枠を超えて広がり続ける秋葉犬の評判。その先には、究極の目標である「野犬ゼロ」も見えてくるのではないか──と思いきや、見通しはそれほど甘くないようだ。
「野犬、まだまだたくさんいます。捕獲をしても、受け入れ先が足りない状況で……。野犬ゼロがいつ達成できるのかはまったくわかりませんね」
幸せになった犬たちの背後には常に無数の救われない命が取り残されている。
私見ながら、茨城の今昔を知る私には、野犬問題を真に解決するには自治体ぐるみの対策が不可欠とも思える。現地ではまだ犬の外飼いも多く、首輪が緩んで脱走した犬が野犬化したり、期せずして生まれた子犬が野犬化したりしている。犬の飼育をめぐる考え方は人それぞれだが、せめて「雌犬は避妊させる」という意識が根付けば、蛇口はいくらか閉まるのではないか。不可能と思われていた殺処分ゼロを実現できたのだから、行政が本腰を入れれば野犬ゼロも夢ではないはずだ。
地域全体の問題を一部の有志に委ねる時代はもう終わってほしい。
その願いを胸に、最後に舛方さんからのメッセージを聞いた。
「ええっと……やっぱり、秋葉犬の良さを知っていただきたい、というのに尽きます。ドラクロアは定期的に譲渡会も開いていますので、ぜひお気軽に秋葉犬に会いにきてください。秋葉犬を飼えるのは今だけですので、どうかこの機会をお見逃しなく!」
そうか、茨城の野犬がいなくなるときは、秋葉犬の繁殖も途切れるときなのか──と、やや複雑な思いに駆られつつ、和気藹々とした会場を後にした。
スギヤマカナヨさんが堰を切ったように胸の思いを語りだしたのは、その帰り道だ。
「預かりさんが連れてきた犬たちも、卒業犬たちも、みんなかわいいコートを着たり、バンダナ巻いたり、すごくお洒落だったね。私、てんを連れてこなくてよかった。もしあの犬たちの中にてんがいたら、一匹だけ裸んぼうで、みじめで、私が泣いてたかもしれない……」
裸で、裸で……と繰り返すスギヤマさんの横でけらけら笑っているうちに、私はふとあることを思いついた。
「そういえば、カナヨのだんなさんは、もともと秋葉犬のことを知ってて、てんちゃんを迎えたの?」
返ってきたのは「いや、偶然」との声。
「彼は里親募集サイトをずっと見てたんだけど、てんの写真を見たとき、亡くなった茶々を感じたんだって。あ、茶々がいる、って。それで里親に立候補して……」
その犬が秋葉犬と呼ばれる名犬であることを、あとから知ったわけである。
さすがスギヤマ家、引きが強い。いや、もしかしたら天国の茶々が私たちと秋葉犬を引き合わせてくれたのか?
ここでも不思議な縁を感じるも、ともあれ、スギヤマ家のてんから始まったこの取材も今日にて一段落。と、思った矢先にスギヤマさんが言った。
「そういえば、3月22日にドラクロアの卒業犬の同窓会があるんだよね」
なぬ?
卒業犬の群れに会う
行ってきました、「第4回ドラクロアドッグランチ同窓会2026」。
会場は群馬県の某広場。開始時刻の午前11時、ドラクロアが貸し切ったその広大なグラウンドには、なんと150匹近くの卒業犬が一堂に会していた。リードを握る人間もまた200人を超える盛況ぶり。なにせこの催しのためにキッチンカーが5台も出店していたほどである。
これだけの多勢になると、ある種の秩序が求められるのだろう。ドラクロアの卒業犬たちは「秋葉犬スタンダード」「秋葉犬ロング」「立ち耳連合」「猟犬とお嬢様」などの謎のカテゴリーに分けられ、各エリアで実にお行儀よく怠惰に過ごしていた。容姿の似た犬たちは血縁があるらしく、「この子たち、きょうだいなんです」「あの犬はこの子の母犬なんです」等の声も聞こえてくる。
秋葉犬スタンダードに属するスギヤマ家のてんは、最初のうち、その圧倒的な犬数に気圧されて縮こまり、グラウンドの隅でスギヤマ夫妻にぴったりくっついていた。ほかの犬たちのもとへ連れていこうとしても、すぐに戻ってしまう。
「てんは生後2ヶ月で保護主さんのもとへ行って、そこからひと月でうちに来たから、犬づきあいはあんまり身につけてないんだよね」と、スギヤマさん。
ところが、数十分後にふと見ると、そのてんが悠々とグラウンドを歩いているではないか。後ろ脚のあいだで縮こまっていた尻尾もぴんと上がっている。スギヤマさん曰く、「さっきそこで、てんの保護主さんと再会した」とのこと。
「そしたらてん、憶えていて、大喜びして……それ以来、ずっと尻尾が上がってるんだよ」
幼い頃に愛情を注いでくれた保護主さんと久しぶりに会って安心したのだろう。
おかげで表情にも余裕の生まれたてんは、その後、離れた距離から飼い主のもとへ走るスピードを競う「呼び戻しゲーム」にも参加し、溌剌とした姿を見せてくれた。
幸いにして、この日は雲一つない快晴。暖かな春の日射しのもと、犬たちが楽しそうに戯れている姿はなんとも癒やされるものである。
とはいえ、私は癒やされに来たわけではなく、この日の目的は卒業犬の飼い主たちから話を聞かせてもらうことだった。
かつて野をさすらっていた犬たちは、人間とどのような関係を築き、その家庭でどのように暮らしているのか。
最後にそれを伝えたい。
子犬の頃に捕獲され、1年9ヶ月をセンターで過ごしたのちに引き出された麦茶(秋葉犬スタンダード)の里親さん談。
「麦茶とは錦糸町の譲渡会で出会いました。大きな犬が飼いたくて、探していたんです。犬が高齢になったときの介護を考えると、飼うなら若くて体力のある今が最後のチャンスかな、と。心配だったのは先住猫との相性でしたが、麦茶は最初からとても猫に優しくて、猫パンチを受けても怒ったことがありません。いつも穏やかなので、すごく暮らしやすいです。体重は、うちに来た頃は30キロほどだったんですけど、今では35キロ。この前、お散歩中に『もしかして、秋葉犬では……?』と声をかけられて、びっくりしました」
齢2歳前後でセンターから引き出されたアイル(秋葉犬ロング)の里親さん談。
「夫も私も実家で犬と暮らした経験はありますが、自分たちで犬を迎えたのは初めてなんです。迎えるならば秋葉犬がいいと思って探していたら、代表のインスタでこの子を見つけて、かわいいな、と。今、うちへ来て8ヶ月くらいです。とっても穏やかで大人しいですけど、だんだんやんちゃな面も見せてくれるようになりましたね。とくにお散歩が大好きで、いつも楽しそう。うちに来た当初は50メートル先にいる小型犬にも怖がって、パニックになることもありましたが、今じゃほかの犬が吠えていてもぜんぜん動じません。もとは野犬なので、『アイルにとって、怖いことってなんだろう』『本当に楽しいことってなんだろう』と、いつも夫婦で考えています。アイルと暮らしはじめてから、犬に何かを与えるだけじゃなく、犬の気持ちを想像する時間の大切さを知りました」
ゼロイバで捕獲されたサミット(秋葉犬小)の里親さん談。
「私は犬の初心者なんですけど、迎えるなら保護犬にしたいと思って探しているうちに、秋葉犬のことを知りました。最初にサミットの写真を見たのはゼロイバのインスタです。一目でぴんときて……その後、ドラクロアに保護されたのを知って、お見合いに至りました。サミットはティーカップサイズの12キロ。今、うちに来て半年くらいです。最初はびくびくしていて、人間からも逃げていましたけど、少しずつ慣れていって、もう動じなくなりました。全然吠えないし、大人しいから一緒に暮らしやすいです。今では、ときどき、床の上に落ちているものを囓ったりするようにもなりましたけど、それもまたかわいい。預かりさんの家でお散歩や人慣れの練習をしてもらっていたので、とてもありがたかったです」
子犬の頃に北関東の多頭飼い現場で保護された咲良(すみっコぐらし関係者)と、ゼロイバで捕獲された我路(秋葉犬小)の里親さん談。
「最初に迎えた咲良はとにかく手のかかる子で、食の好き嫌いは激しいし、人間の気を引くために靴下を奪ったり……かまってちゃんなんです。それに、すごく気が強くて、姉御肌。その点、我路は弟気質で、食のむらはあるけど、気難しさはない。相性がいいんです。一緒にいて楽しそうだし、我路への競争心から、咲良も前よりフードを食べるようになりました。白くて瞳が薄い我路は秋葉犬でも珍しいタイプで、オリエンタル秋葉犬とも呼ばれています(笑)。お世話になった預かりさんに顔を見せるため、こういう会や譲渡会にはちょくちょく足を運んでいます」
2年2ヶ月にも亘ってセンターに収容されたのちに引き出されたロミオ(秋葉犬ロング)の里親さんのお母さん談。
「最初にロミオに目をつけたのは、私なんです。ドラクロアのホームページで写真を見て、すぐに気に入って。ただ、30キロ以上ある犬でしたし、私は大型犬の飼えない環境にいるので、動物病院で看護師をしている娘に勧めたんです。その後、二人で相談して申し込みました」
その娘さん談。
「それまでは小型犬としか暮らしたことがなかったから、私も大きな犬を飼ってみたかったんです。でも、いざトライアルが始まると、ロミオはモンスターになっちゃいました! 留守番中にカーテンをビリビリにしたり、ケージを壊したり。今から思えば、それまでずっと群れの中で生きてきたので、置いていかれるのが怖くて仕方なかったんですよね。一度、ものを破壊した際に爪を折ってしまったことがあって……このままではもっと体を傷つけてしまうのではと不安になって、代表の舛方さんに相談したんです。そうしたら、『それが野犬です。爪を折ろうが、それが野犬なのだと、心を強く持ってください』と言われて、そこで覚悟が生まれました。幸い、2週間くらいで落ちつきましたね。今は私にとっての癒やしです。この子のためにがんばれる。頭がよくて穏やかでマイペース、ビビリなところもすべて愛おしいです」
紙幅に限りがあるため、すべての声を伝えられないのが残念だが、話を聞かせてもらったほぼ全員が口を合わせていたのは、「賢い」「穏やか」「吠えない」の3語だ。事実、同窓会に集っていた犬たちは皆、実に穏やかに時を過ごしていた。150匹もいるというのに吠え声が滅多に聞こえない。喧嘩も起こらない。
それでもやはり、決して小さくない犬の里親に名乗りをあげたときには、最初は不安もあった──と、それもまた多くの飼い主が口にしたことだった。誰しも初めから自信があったわけではない。しかも、相手は人間のコントロール下で生きてこなかった元野犬である。脱走の恐れもつきまとう。それらをしかと受け止めた上で、それでもこの犬と暮らしたいと人間が一歩を踏みだせば、犬もまたその覚悟に応えようとする。最初はどちらも探り探り、一生懸命に。次第に肩の力が抜けていき、一緒にいるのが当たり前になって、やがては互いになくてはならない存在となる。
春光のもとでくつろぐ犬と人間の群れを見渡し、私は改めて思った。この壮観は、犬を保護した人々と、家族として迎え入れた人々と、そしてその犬たちと、皆の力が重なり合って生まれた結実なのだ、と。
いつの日か、茨城の野犬ゼロが達成されたのち、この光景が伝説となることを願いたい。

(もり えと・作家)
イラスト=スギヤマカナヨ
*犬・猫の保護団体〈ドラクロア ドッグ ランチ〉の活動内容について、詳しくは下記リンク先のサイトよりご覧いただけます。
https://ddranch.jp/
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