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人生を損なう「いじめ後遺症」のエビデンス――『いじめ後遺症』(岩波新書)著者・斎藤環氏インタビュー

 いじめは被害者の人生を数十年にわたり損ない、ときに破壊してしまう――いじめの中・長期的な影響をエビデンスやいじめ事件の検証から詳細に示した『いじめ後遺症』(岩波新書)が刊行されます。「ひきこもり」が専門の精神科医で、いじめ後遺症の問題について早期から発信を続けてきた著者の斎藤環さんに、執筆へ至る経緯や精神医療をめぐる状況についてお話を聞きました。(聞き手:編集部)


長らく見過ごされてきた問題

――斎藤さんは数多くの著作を発表してきましたが、いじめをテーマとした書籍は内田良さんとの共著『いじめ加害者にどう対応するか』を除きはじめてです。これまで精神科医として、いじめについて話を聞くことは多かったのでしょうか。

 はい、非常に多かったです。私は「ひきこもり」を専門としており、昔から少なくない頻度で長期のいじめ後遺症にあたるケースに出会ってきました。しかし、いじめの長期的な影響に関する文献が過去にはまったくなく、いじめが実際に起きている規模のわりに、後遺症の問題があまりにも見過ごされてきている、とずっと感じていました。

 青年期のPTSD事例について、実はいじめに起因するものが最も多いのでは、と私は思っているのですが、それくらいいじめ後遺症の問題は珍しくありません。にもかかわらず、専門家はほとんど触れてこなかった。そのギャップをずっと不思議に思っていたことは確かです。

――たとえば、子どもに関わる精神科医がいじめのケースに関わることは多いように想像しますが、長期的影響にほとんど触れられてこなかったというのは意外です。

 精神医学の専門家の多くは臨床上、いじめ事例の経験が少なくないはずですが、深く追及しようとはしてこなかったように思います。その理由はなんとなくわかります。精神科医や心理士は、加害―被害の絡む問題にはあまり首を突っ込みたがらないように見えるのです。まして、加害者の告発に関わるのはもっと嫌がる。被害者がそれを求めていたとしても、距離を取ってしまうのです。

 このあたりは個々人の価値観の話ですから、そうした態度を一概には批判できません。でも、果たしてそれでいいのだろうか? という疑問はずっと感じています。私はいじめにしてもハラスメントにしても、加害者が何も失わず被害者は時に人生そのものを失いかねないというアンフェアな状況をどうしても看過できないので、被害者寄りの診断書を出すなどしてサポートを試みていますが、そういう医師は圧倒的に少数派のようです。

 要するに、いじめというのは加害と被害の判断がからむ「政治」の問題であり、そういう政治問題には関わりたくないということなのでしょう。臨床心理士の信田さよ子さんは、虐待や依存症の問題をはじめ積極的に発言を続けてきましたが、そこでは必然的に政治の話になっていかざるを得ないことを繰り返し指摘しています。そして、それを好まない専門家が多いのは残念ながら事実です。

 PTSDという概念が広がった最初期のテーマは、ベトナム戦争とフェミニズムです。ベトナム帰還兵の多くが、戦闘体験後も長期にわたり悪夢・フラッシュバック・感情麻痺・過覚醒など、いわゆる戦争神経症的な症状に苦しんでいることが広く知られるようになり、退役軍人団体や臨床家の積極的な働きかけによって、こうした苦しみを「トラウマによる後遺症」として公式に位置づける原動力となりました。

 もう一つはフェミニズムです。第二波フェミニズムの高まりの中で、レイプ被害者や家庭内暴力のサバイバーたちが「レイプ・トラウマ症候群」などの概念を提起しました。これにより、トラウマは戦場に限らず、性的暴力や日常的な対人暴力においても生じるものという認識が広がり、PTSDの診断基準が整備され、1980年に発表されたDSM−Ⅲ(米国精神医学会が発表した精神疾患の診断・統計マニュアルの第3版)にはじめて掲載されたのです。まさに、政治のど真ん中のトピックですよね。

 日本でこうしたPTSDの問題が広く認知されるようになってきたのが90年代半ばになってからですから、いかに出遅れていたかがわかります。それくらい、日本の専門家は政治的な問題としての精神医療と距離を取っていましたし、今もあまり関わりをもちたくないと思っている人は少なくないのではないでしょうか。

初となる「いじめ後遺症のエビデンス」の提示

――本書の重要なポイントが、いじめが中・長期的に、人生に関わるスパンで負の影響を与えることを、精神医学が積み重ねてきたエビデンスから徹底的に示したことです。自死の恐れが高まり、数十年にわたって心身に負の影響を与える……こうした危険性がはっきりと示されていることは驚きです。

 詳しくは本書第3章・第4章を読んで頂きたいですが、いじめ後遺症の問題は極めて重大であり、私自身の臨床経験とも合致します。本書では中長期的な影響について、欧米を中心に積み重ねられてきた頑健なエビデンスを取り上げて、その問題の深刻さを整理していますが、まだまだ研究自体が多くありません。日本での研究は、それに輪をかけて少ないのが現状です。

 いじめ後遺症のエビデンスの蓄積を知見としてまとめたのは、本書がおそらく始めてです。これまで非常に手薄過ぎたという問題はありますが、本書をきっかけに研究が盛んになってほしいと思いますね。

――いじめ対応に関わる人々には「中長期的な影響」という意識が薄く、短いスパンのものとして捉える向きがあったのではないでしょうか。

 不登校と「ひきこもり」の関係についてもいわれることですが、学校側からすれば「不登校は卒業までの問題」であり、それ以降はケアできないということになります。ところが、実際には不登校がこじれて長期の「ひきこもり」になってしまうことは珍しくありませんし、「ひきこもり」の方が学校になじめなかった経験をお話しされることも多いです。学校の側には、生徒の卒業後の人生設計も含めた視点をぜひ持って欲しい、と思っているんですけれども。

「いじめと自殺は関係ない」は許されない

 いじめに関しては、問題はより深刻です。本書の第7章「否認という病理」でも記していますが、そもそもいじめとは学校側にとって隠蔽、否認したい問題です。多くの場合では短期的影響すら認めない学校側が、ましてや長期的影響を認めるかというと、おそらく難しいのではないでしょうか。

 ただ、2013年に制定された「いじめ防止対策推進法」では、いじめによって学校に在籍する子どもの生命や安全・財産に重大な被害が生じた疑いがある、および登校できなくなっている恐れがあるという「重大事態」が認定されることになり、この重大事態に学校は対応することを明記されました。従来はいじめによる自殺が起こってしまった際、「いじめがあり、自殺は起こったけれども、両者に因果関係はない」という、おかしなロジックがまかり通っていました。しかし私としては、いじめ被害が起きてから一定期間が経過した後にもPTSDを発症することは珍しくなく、自殺にもごく普通に結びつきうる問題であることを訴えていきたいと考えています。

――長期的な影響の存在をはっきり示す「いじめ後遺症」という言葉がもたらす意味も大きいように思います。

 そう思います。私はかつて2012年、朝日新聞のインタビューで「いじめ後遺症」という言葉を何気なく使い、記事でも取り上げられました。それが私の予想を超えて、多くの人に拡がり、共有されていったようです。

 その反響の大きな理由のひとつが「この言葉に救われた」という当事者の声でした。かつていじめられた経験があり、今も生きづらさを抱えている人は少なくありません。その人たちは、「自分の生きづらさはいじめのせいだ」と言いたいけれど、周囲はその因果関係を認めてくれず、「昔のことにいつまでくよくよしているんだ」などと言われてしまう。それに対して、「いじめ後遺症」という言葉の存在を知ることで、いじめと自分のつらい状況の因果関係をしっかりと認めてくれた、それが自分を救ってくれた、というのです。

 こうした影響がありうることを私自身はあまり意識していませんでしたが、そうした意味があるのであればなおさら、「いじめ後遺症」という言葉や考え方をしっかり広めていきたいと思いますね。

旭川の事件は日本のいじめ問題の縮図

――本書のもう一つの重要な点が、2021年に旭川市で起こったいじめ自殺事件に関する、いじめ後遺症の観点からの分析です。斎藤さんは「旭川市いじめ問題再調査委員会」の調査委員としても携わっています。

 事件のことは報道で知っていたのですが、調査委員長の尾木直樹さんから「調査委員として参加してほしい」という要望を頂きました。尾木さんとは大津いじめ事件の第三者調査委員会で接点があり、いじめ後遺症に関してレクチャーを依頼されたことがありました。こうした経緯もあり、自分としても関わるべき問題だと思い、引き受けることにしました。また、事件の検証を通じていじめ後遺症の問題について取り組み、広く伝える機会になるかもしれない、という思いもありました。

 この事件については、再調査委員会以前にも市教育委員会による第三者委員会が非常にしっかりした聞き取り調査を行っており、大部の報告書としてまとめられています。ただ、その内容を読んでいくと「いじめと自殺に因果関係あり」としか思えないのに、自殺の原因は学校での不適応、孤独感の増大、学業の挫折など多岐にわたり、いじめとの関連性は不明、というものでした。この結論は私にとってあまりにも不自然で、違和感を覚えざるを得ないものでした。それは、調査委員の人選の偏りの問題かもしれませんし、少なくともメンバーに「いじめが中長期的に後遺症をもたらす」という認識が薄かったのは確かでしょう。

 この旭川の事件は、「日本のいじめ問題の縮図」といってもいいくらいさまざまな要素が凝縮しており、いかに学校の日常のなかにいじめ問題が潜みうるか、そのことがリアルに見て取れます。特に、発達障害のある方がどのようにして性被害をふくむいじめ被害に遭いやすいか、そしてそれがどういった影響を与えてしまうのか、それがわかる大変重要なケースといえます。

 本書では2章にわたり、この事件をもとにいじめ後遺症の問題を論じていますが、そのもととなっているのが再調査委員会の報告書です。被害者である廣瀬爽彩さんのお母さまが、通常なら黒塗りになりうるような箇所も含めて情報開示し、調査報告書として公開することを許してくださったためでもあり、心より感謝いたします。そして、こうした問題を明らかにすることが、爽彩さんのご遺志にも沿うことなのではないかと思っています。

被害者ケア優先のいじめ対応へ

――しばしば「いじめ問題では加害者―被害者が明確でない、それゆえに判断が難しい」と言われます。学校のいじめ対応についてどう考えるべきなのでしょうか。

 まず、いじめが起こった場合の最優先事項は被害者ケアであることは繰り返し強調しておきたいです。現状はあきらかにそうなっていません。先述のいじめ防止対策推進法におけるいじめ重大事態のガイドラインをみても、いじめ対応では調査が最優先であるかのように読めるところがあり、これは非常におかしなことです。むしろ調査は後回しでもいいくらいで、被害と苦痛を訴えている生徒のケアを最優先に、徹底してやってほしい。調査はケアと平行してか、その後でもいいでしょう。そのことは本書でも目一杯強調したつもりです。そのうえで、事態に即して加害者指導や懲戒、あるいは犯罪であれば司法による介入も行われて然るべきでしょう。

 また、調査も大事ですが、教師が被害者・加害者に個別に聞き取りや指導を行う場面では、被害者には我慢を強いて、加害者には一方的な決めつけ・断罪となってしまうおそれがあります。加害―被害関係がはっきりしているケースであればそれも有効でしょうが、少なくない曖昧なケースの場合には、双方を傷つけ、不信感を与えてしまうリスクがあります。

 私は、曖昧なケースほど、双方に参加してもらう「オープンダイアローグ」の手法が有効だと考えています。加害生徒と被害生徒、できれば保護者にも参加してもらい、教員ともう一人(スクールカウンセラーなど)の立ち会いのもと、きちんと手続きを踏んでオープンな場で話をすることを本書では提案しています。

 いじめ対応でオープンダイアローグを勧める理由は単純で、一対一で話を聞こうとすると、どうしても相手の主張を抑え込むことになりやすいのです。それに対して、オープンダイアローグではルールに則ったうえで複数の前で話し、それぞれの言い分をしっかり丁寧に聞いていって、最後に感想を交換しあうという過程を踏むんですが、この過程が相互理解と和解の上で非常に大きな意味を持ちます。

 たとえば、被害的な思い込みにみえる訴えを行うお子さんの場合、教師から「あなたの考えすぎだ」などと決めつけられてしまうと、かえって思い込みが強化されてしまうことが少なくありません。結果、いっそう問題がこじれてしまい、ご家族の態度にも波及して「あの教師はおかしい、ダメだ」とさらに対立が深まる恐れもある。

 それに対して、オープンな場で双方の気持ちをしっかり話し、聞くことができる場が設けられることによっても、お子さんの気持ちはかなり変わるでしょう。私自分の経験でも、こういう場を設定することで解決するケースは確実に存在します。具体的なやり方については、本書でも詳しく説明するとともに、巻末でモデルケースも紹介しているので、参照いただければと思います。

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