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子どもの本を手渡すひと

「本」という火を灯し続ける/たね書房(栃木県)田中裕香里さん

大和田佳世(聞き手・文)

 SL(蒸気機関車)で有名な栃木県の真岡鐵道益子駅から約二五分歩いたところにある益子陶芸村。野原や、田んぼだった空き地が周囲に広がるのんびりしたところで、古道具店、カフェなど小さな店舗が集まる。その一角、緑の木枠のドアの前に「たね書房」の看板が出ていた。

 冬の午後の光がさしこむ店内で、店主の田中裕香里さんにいつお店をはじめたのかたずねると「二〇二二年の四月です。GW前、春の陶器市にあわせて」と振り返るように話してくれた。毎年春と秋は「益子陶器市」が開催され大勢の人で賑わうが、ふだんは人通りも少なく静かだ。

 田中さんは北海道の札幌市出身。茨城県の大学を卒業後、二〇〇七年から都内の大手全国チェーン書店で正社員として二年働き、結婚して栃木県へ。宇都宮市の書店で、出産まで五年間働いた。子どもが生まれ、益子に引っ越したという。「いくつか見てまわった中で「ここで子育てをしたいな」と思ったんです。同時に「私はここでいつか子どもの本屋をやろう」と自然に思いました」

 店内に入って正面は、季節のおすすめ絵本コーナー。左手は国内外の絵本が作者のあいうえお順に並び、右手はことば遊びやなぞなぞの本、昔話。奥にボードゲームや木製玩具、パズルなどのおもちゃコーナー。ひと棚は児童文学で、復刊された『天国を出ていく 本の小べや2』(ファージョン作、石井桃子訳、岩波書店)が表紙を出して陳列されている。最奥の棚は子育て論、ジェンダー論、ジュニア向けのノンフィクション、山の仕事・食べ物・薬草といった暮らし関連まで、ギュッと詰まっている。小さなスペースながら目を見張る品揃えだ。

 本屋以外のお店は考えなかったのかという問いに、田中さんは一瞬の後「考えなかったです」とはっきり答えた。
 書店員の仕事は早番・遅番、土日勤務もあるシフト制。入荷する雑誌・書籍の荷解き、陳列、返品などの力仕事もある。見た目よりも厳しい労働であることも、利益が大きくないのもわかった上でこれまでも本屋で働いてきた。ただ、「いつか」は子どもが大きくなってからのつもりだった。

 子育てがはじまると、抱っこしていればご機嫌だがおろすと泣いてしまう赤ちゃんと一対一で過ごす日々。「これでは本も読めないな」と思い、「何か資格でも取れないかと探したら、パソコン教材があったので」通信で保育士資格を取得した。資格を探したのは、いつかの社会復帰を考えたとき就職先があるのかと不安を感じたことと、子どもという小さな生きものに興味が湧いたからだという。
 第二子出産後、資格を活かし認定こども園で働くことに。自身も幼い子たちを預け必死で働くうち、思いがけずコロナ禍で休園になり時間ができた。思い立って色々調べるうちに「やっぱりいつかじゃなく今やろう」という気持ちに。

 「もともと園長先生にも本屋をやりたいと伝え、保育士をしながら知人の雑貨の店に「ぴゃっぴゃ文庫」という小さな本棚を置かせてもらっていたんです。「ぴゃっぴゃ」は私の学生時代のニックネームですが、もっと覚えやすく、子どもの本を手渡すことに思いを込めた屋号にしたくて、たね書房になりました」
 下の子どもがもうすぐ小学生になるタイミングもあり、一年かけて準備したのち、五年働いた認定こども園をやめて開店に踏み切った。

 一見静かな佇まいだが、田中さんは精力的な人なのだということが伝わってくる。子どもの頃はどんな本を読んでいたのだろう。

 「毎月私と弟に月刊絵本の「こどものとも」が届き「読んで」と母に持っていっていました。小学校高学年は、母が好きだったと聞いて『コロボックル物語』(佐藤さとる作、村上勉絵、講談社)も読みました。中学は今でいうライトノベルみたいなティーンズ小説が好きで。あと父の本棚から司馬遼太郎の歴史小説を。高校のときには、出題された論説文に『指輪物語』(トールキン作、瀬田貞二、田中明子訳、評論社)に関する記述があり、架空世界の地図と、そこから物語が展開していくことが述べられていたんです。興味が湧いて『指輪物語』を読み通したことは覚えています」

 大学進学で北海道を離れ、文化地理学を専攻しながら、所属するカヌークラブで毎週のように川を下り学生生活を謳歌する。あるとき「出版社に勤めてみたい」と口にしたところ、カヌーで知り合った社会人に「たくさん本を読まなきゃ」と言われ、夏目漱石、谷崎潤一郎、芥川龍之介といった文豪の作品を片っ端から読むようになったという。「特に川端康成の『山の音』には感動して、興奮して友達に話した記憶があります。日本語の美しさや作品の面白さを感じとれたことが嬉しかったのでしょうね」

 就職活動前の自己分析で、本作りでなく本を選ぶ場作りをしたいと思った田中さんは、総合書店への就職を第一志望にした。池袋に本店があった全国チェーンの書店に入社、研修を経て練馬区の店舗の児童書担当に。最初に上司から言われたことは、今も土台になっているという。
 「店舗にある本だけじゃなく、ない本をちゃんと知って、なぜ店に置かないのかその理由を自分なりに持ってね、と。限りあるスペースに置く本をどう判断するか考えさせられました。絵本のガイドブックを読んだり、休みの日に他店に行ったりして、絵本について知ろうと一所懸命でした。一方で当時吉祥寺にあった本屋トムズボックスで、佐々木マキさんや井上洋介さんの作品を自分用に買ったりもしていました」

 結婚後は宇都宮市ショッピングモール内の本屋で求人を見て、すぐに働きはじめた。当初は一人でやることが多く、分業制だった都内大型店とのギャップに戸惑った。でもしばらくすると慣れて発注もこなすように。「店長には、「棚の向こうに誰かの顔を思い浮かべて」と言われました。この本を読むのは誰だろうと具体的にイメージして仕入れてほしいと。確かに「あのお客さんが喜びそうだな」と思い浮かんだ本は、その人が買うとは限らなくても、誰かの気持ちに刺さることが多いんですよね」

 田中さんにとって本を売る現場は楽しかったが、妊娠による体調の変化には苦しんだ。「働くなら精一杯働きたい。思い切り動けないのはもどかしくて……。産後は三年間専業主婦になりました」

 しかしその三年間こそが「たね書房」につながる大きな三年になる。「書店員にとって定番の赤ちゃん絵本は切らしてはいけない商品でしたが、親になり、声に出して読んで初めて、その心地よさに衝撃を受けました。『じゃあじゃあびりびり』『おつきさまこんばんは』とか『いないいないばあ』ってこんなにいい本だったのかと身をもって知って。絵本を読むって楽しいなと」
 独身時代に買った『丘の上の人殺しの家』(別役実作、スズキコージ画、復刊ドットコム)も子どもが「読んで」と持ってくるけれど、一緒に読んだら変な感じで……と田中さんはおかしそうに笑う。心と体のおもむくまま動いてきたような軽やかさを感じ、ふと部活は何をしていましたかと聞くと、中学は吹奏楽、高校は空手。「節操がないけど、どれも姿勢や体幹がすごく大事だなって」とさらりという。田中さんの立ち姿勢、本屋開業に対する姿勢にも通じるものがあるような気がしてくる。

 益子に住んで一〇年、たね書房をはじめて四年目。今は東京子ども図書館に通って素話を学んでいる。「お話会で、友人が、お話を覚えて語る素話を披露してくれて。子どもたちが耳でお話を味わっていることに気づいたんです。今、子どもたちって本をなかなか読まないんですよねえ……。だけどお話を聞くのは好きなんだなと」
 絵本はみんな見てくれるが、物語を手にとってもらうのが難しい。文章を読み慣れない子たちは、文を目で追うだけで精一杯で、物語を味わうところまで行けない。
 「でも物語って人が生きていくうえですごく助けになり、糧になるものだと思うんです。だから、読むのが苦手な子たちにも物語を楽しんでほしくて。語りを自分でもできるようにやってみようと」

 店内には東京子ども図書館が編纂する「おはなしのろうそく」シリーズ全巻、アジアやヨーロッパ各国の昔話、日本の昔話が揃った一角がある。
 「素話をはじめてから昔話の豊かさに気づきました。お話を暗記するだけで精一杯の段階から、覚え終えてお話のイメージと語りがなじんでいくと、まるで目の前に絵を見ながら語っているように自然に言葉が出てくるのが楽しいです。昔話を味わっていると、人間って昔も今も悩むことは変わらないんだなと思う」

 田中さんが取り出した『読む力は生きる力』(脇明子著、岩波書店)にはたくさんの傍線が引いてあった。自らの想像力を駆使して味わう物語世界がどんなに楽しいものか、子どもたちに知ってほしいと田中さんは願っている。
 「自分にできることは本当に小さなことで。ろうそくの火を細々と消えないように守っているようなこと。でもやらないと消えてしまうと思うので、一人でも二人でもつなぐ気持ちでやっています」

 最後に『木を植えた男』(ジャン・ジオノ作、フレデリック・バック絵、寺岡襄訳、あすなろ書房)のことを話してくれた。新聞記者で不在がちな父が買ってきた絵本だが、絵がちょっと怖いし、漢字がいっぱいの文章は難しそうで田中さんは読んでいなかった。「中学の時に父は病気で亡くなるんですが、絵本はしまい込まれることもなくずっと本棚にあって。子どもの本屋をやろうと決めたとき、いよいよ、私の中で妙な存在感のあるこの絵本にも向き合わなくてはと決心して読みました。読み終えたとき、生前の父が大切にしていた価値観に触れたような感覚に、しばし呆然としました」
 図書館の本ならば、あれほど印象は残らなかったに違いないと田中さんはいう。
 「やっぱり、子どもたちに自分の本を持ってほしい。手元にあるからこそ本が自分を支えてくれる。本は、自分のものにしてそばに置いておくに足るものだということを伝え続けたいです」

(おおわだ かよ・ライター)

店舗情報
たね書房
住所:〒321-4217 栃木県芳賀郡益子町益子3435-1陶芸村内
営業時間:13時〜17時 不定休 *SNS等でご確認ください
https://tane-shobo.storeinfo.jp
X:@tane_ehon
Instagram:@tane_ehon

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