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森絵都 その犬、野犬にして名犬[『図書』2026年8月号より]

保護犬今昔物語(中)
その犬、野犬にして名犬

 

ドラクロアドッグランチ|イラスト=スギヤマカナヨ

  (承前)

 私が秋葉犬に心を持っていかれたのには、もう一つの理由もあった。

 ドラクロアが保護する秋葉犬の多くは、茨城県の動物愛護センターから引き出された元野犬だ。2007年、スギヤマカナヨさんと私が12匹の殺処分を見届けたのは、まさにその茨城県のセンターなのだった。

 その当時、茨城県は捨て犬の多さで悪名高く、犬猫の殺処分数は全国ワーストワンだった。が、その後、2016年に「茨城県犬猫殺処分ゼロを目指す条例」が制定され、民間ボランティアの助力も得て殺処分数の減少への取り組みがスタート、なんと2024年には犬猫の殺処分ゼロを達成している。

 あのガス室が今は稼働していない。その目覚ましい進展の裏で、さらに、そこには秋葉犬というホープまで誕生していた。この時点での私は単純にそれを福音そのものとして受け止めたのだった。

 約20年前の茨城を知る私には一つの疑問もあった。かつて当地のセンターにいた犬の大半は捨て犬だったが(茨城では遺棄犬の回収車まで走っていたほどだ)、目下収容されている多くは野犬のようである。なぜ、いつ頃からこれほど野犬が増えたのだろう?

 

まずはスタッフに会う

 そんな折、渋谷区の富ヶ谷でドラクロアのメンバーがトークショーを開催するのを知った。

 秋葉犬のことを知るチャンスだと、スギヤマさんともども足を向けた私は、会場のお店に一歩入るなり、ここでも時代の流れを肌で感じることとなった。

 来場者が若い。そして、奥渋のバーにでも迷いこんだのかというくらい、皆がお洒落で格好いい。かつては希少種だった若い男性の姿も複数ある。

 「なんか、キラキラしてる……」

 「悲壮感のかけらもない……」

 約20年前の空気──手弁当による懸命な保護活動に対する一部の人々の「宗教ですか?」的な眼差し──を知る私たちにとって、それは衝撃の光景だった。動物の保護問題をめぐる風景は確実に変化している。

 ハードルが下がった、とも言えるかもしれない。通りを行き交う人々がふとした興味で立ち寄れるような、良い意味での軽い空気がそこにはあった。

 同様に、動物の保護に携わるボランティアのあり方も新しいフェイズを迎えていた。個人で保護犬の譲渡会を開催し、ドラクロアの預りボランティアもしている牧野芽子さん、そしてモデルの風間エイリさんによるこの日のトークショーは、それをまざまざと実感させてくれるものだった。

  「ボランティアは難しい、自分には無理、と思われている方もいるかもしれませんが、たとえ犬の預かりができなくても、ボランティアにはいろいろな形があります」

 ペットフードなどペットの総合サービス『ペトコト』を展開する PETOKOTOに勤める牧野さんは、かつて「雑種犬を飼いたい」というラフな気持ちから保護犬(ポンゴ)と暮らし始め、それをきっかけに元職場の証券会社を辞し、犬の世界へ突き進んでいった経歴の持ち主だ。その自らの体験も含めて、現在に於けるボランティアの多様さを語ってくれた。

 「たとえば、車で保護犬の搬送をサポートするボランティアもいれば、保護犬のお散歩を手伝うボランティアも、イベントの際に手を貸してくれるイレギュラーなボランティアもいます。譲渡会に足を運んでくれるだけでも私たちにとっては励みになりますし、SNSで情報を拡散してくれるのもありがたいです」

 一人一人が無理のない範囲で自分にできることをする。ドラクロアではその分業制によって個々の肩に過度の負担がかかるのを防いでいるようだ。

 一方で、ボランティアが担っている役割はむしろ昔よりも増えている印象を受けた。犬猫を保護して里親に譲渡する。その主軸以外にも、野犬の捕獲から迷子犬の捜索、虐待されている犬のケアに至るまで、牧野さんたちの活動範囲は広い。

 「2年ほど前ですが、目黒区役所の近くに迷子犬がいるって目撃情報を聞きつけて、ほかの団体の皆さんと共同で捜索しました。高齢で足腰の弱いおばあさんのもとから犬が逃げてしまったと……」

 ステラという保護犬と暮らす風間さんもまた、その捜索に駆けつけ(牧野さん曰く「モデルなのに紫外線もかまわず」)、ビラ配りに聞き込みにと奮闘した一人だという。

  「あとからわかったんですが、ある団体が、明らかに犬の飼育には不適当な条件下にあるおばあさんに保護犬を譲渡していたんです。ある意味、そのおばあさんも被害者じゃないかと私は思います。ともかく、そのときは野犬捜索のプロの方のもとで、がむしゃらに探し回りました」

 都内で犬が迷子になれば車に轢かれるのは時間の問題だ。その前になんとしても生きて捕獲したかった、と風間さんは言う。

 「結局、捜索開始から約2ヶ月後に、ようやく豪徳寺の境内で捕獲しました」

 一方で、地方には地方の危険がある。

 「この前も、誰かが仕掛けた違法のくくり罠に犬がかかっているとの報を受けて、皆で茨城へ駆けつけました」と、牧野さん。「地元の有志が定点カメラで観測していた母犬だったので、どこかに赤ちゃんがいるはずだって、皆で必死に探し続けて……でも、なかなか見つからなくて、きっともう生きてないって諦めかけていた3日目、ようやく見つけて保護できたんです」

 犬が違法な罠の被害に遭うケースは少なくないらしい。

 「野犬たちは、ただ厳しい環境に生きているだけではなく、人間の悪さの犠牲にもなっています」

 動物に酷いことをする人間がいて、その尻拭いに駆けまわる人間がいる。動物保護をめぐる空気は一新しても、その本質は残念ながら変わっていない。

 ボランティア活動に関する話の詳細は PETOKOTO のウェブサイトにある牧野さんの記事をご覧いただくとして、さて、その野犬問題である。

 

 茨城県の茨城町や小美玉市で野犬が急増しはじめたのは、2021年頃。その端緒は不明ながらも、なぜその土地で増えたのか、に関しては2つの原因が推測されている。

 

1 住処にできる森や藪がある。

2 養豚場が多いため、餌を奪ったり子豚を狙ったりすることで空腹を凌げる。

 

 つまり野犬の繁殖に適した環境にあったわけだが、私はそこにもう一つの理由も加えたい。

 

3 賢い犬が多かった。

 

 生きる力に満ちたその賢さがのちの秋葉犬人気にも繋がるのだろうが、ともかく犬たちは知恵をめぐらせて野生の中で生き抜き、増えに増え、その結果、ピーク時の2024年には300匹を上回る野犬がその地で捕獲されている。奇しくもそれは茨城県が犬猫の殺処分ゼロを達成した年でもあった。

 捕獲数は急増。殺処分はゼロ。それがどんな事態を引き起こしたかというと……。

 「センター内で犬たちが鮨詰め状態になりました」

 その日、牧野さんが語った悲痛な現実は、殺処分ゼロ=めでたい、というシンプルな認識を揺るがすものだった。

 「センターに収容された犬たちは、たとえ処分を免れても、窮屈な檻の中で自由のない日々に延々と耐え続けることになります。ストレスだらけの集団房ではいつ集団リンチが起こるかもわかりません。中には3年近くも劣悪な環境下に置かれたままの犬もいるんです」

 たとえば、2024年12月時点で茨城のセンターに収容されていた犬は220匹。ドラクロアや他の団体が繁く足を運び、一匹でも多く引き出そうとするも、保護できる数には限りがある。シェルターは持たない方針のドラクロアは、「保護下にある一匹を里親に託したら、また新たな一匹をセンターから引き出す」という原則に基づいて動いている。

 「でも、引き出しても、引き出しても、またつぎつぎに収容されてくる犬たちがいる。結局、蛇口を閉めるしかないんです」

 蛇口を閉める。久しぶりに聞いたその言葉が指していたのは、繁殖の抑制だ。

 「2024年の暮れに、ドラクロアの代表を含む有志たちのあいだで『ゼロイバ』という試みがスタートしました。目標は、茨城の野犬をゼロにすること。そのために、まずは野犬の雌から捕獲して保護することにしたんです」

 雌犬を減らせば、当然、繁殖も減る。一匹の雌犬が産む子犬の数を考えれば、それがどれだけの効果をもたらすかは想像に難くない。事実、ゼロイバの奮闘は着実に実を結びつつあり、2026年4月時点で茨城県のセンターに収容されている犬の数は140匹まで減っている。

 それでもまだ140匹が人間優位のエコシステムの犠牲になっているのである。

 それを思うと心が塞ぐが、しかし、ゼロイバの取り組み以外にも、茨城には明るい要素がある。

 そう、秋葉犬である。

 神は茨城の野犬たちに試練を課すと同時に、家庭犬としての才能を与えたもうたのだ。そして今、その魅力に気づき、彼らと一緒に暮らしたいと願う人々の輪が広がっている。

  「ドラクロアさんのインスタを見ていると、毎週のように複数の犬がトライアルを始めていますけど、今はそういうものなのですか。それとも、ドラクロアさんが特別なのですか」

 浦島太郎的な私の質問に、牧野さんは少々考えてから、「やっぱり、ドラクロアはちょっと別なのかも」との答えを返してくれた。

 「コロナ禍で一時期、保護犬ブームのような現象が起こったことはありますが、今は落ちついてしまって、やはりどこの団体も里親探しに苦労しています。ドラクロアへの問い合わせが多いのは、秋葉犬の人気に加えて、代表の発信力があればこそかもしれません」

 やはりあの秀逸なインスタグラムが効いているのか。

 次はその代表に会いに行こうと心に決め、フレンドリーな若者たちで沸く会場を後にした。

 「今は、あんなに若くてスタイリッシュな子たちが保護犬問題に関心を持って集まってくるんだね。しかも皆、すごく熱心で……」

 「すごいよね。前は20代ってあんまり見かけなかったのに」

 「福島で取材したボランティアは、全員、40代だった」

 「やっぱり、坂上家の影響かなぁ。あと嵐の相葉くんの番組も……」

 帰りの電車内でも、顕著な時代の移ろいを体感した興奮が冷めやらぬスギヤマさんと私であった。

 

秋葉犬に会いまくる

 2026年2月8日、私は再びスギヤマさんと渋谷区代々木上原で開催されたドラクロアの譲渡会を訪ねた。今回の目的はリアル秋葉犬と会うこと、そしてドラクロアの代表から話を聞くことだ。

 雪の舞うその日、会場には各預かりボランティアの家で保護されている十数匹の犬たちが集結していた。その容姿は「垂れ耳系」「立ち耳系」「長毛もさもさ系」「テリア系」等に分かれるも、基本、秋葉犬は茶色くて大きい。30キロを超えるサイズも稀ではなく、10キロ程度の犬は「ティーカップ秋葉犬」などと呼ばれている。2、30キロの犬がごろごろいる風景というのは、都内ではなかなかお目にかかれるものではない(秋葉犬以外にもチワワなどの座敷犬や猫もいました)。

 感心したのは、それだけ多数の犬が一所に身を寄せ合っていながら、どの犬も実に静かで落ちついていることだ。中には緊張気味の犬もいるけれど、攻撃性はゼロ。皆がまったりと床に伏している。入れ替わり立ち替わり人間が現れようと、撫でられようと、その堂々たる怠惰ぶりは不動である。

 そんな犬たちとの触れ合いを求めて続々と会場を訪れるのは、保護犬の迎え入れを検討している人(子ども連れの家族も多い)のほか、ボランティアの志願者、ドラクロアの卒業犬の家族、秋葉犬の推し活組──等々、多彩な顔ぶれだ。卒業犬を連れた家族の口からは、「この前、代々木公園を散歩していたら、秋葉犬ですか、って声をかけられました」などの声も聞こえてくる。どうやら私の予想を超えて秋葉犬の名は知られているらしい。

 しかし、この秋葉犬人気は自然発生的に生まれたわけではなかった。売れっ子アイドルの陰に名プロデューサーがいるように、秋葉犬ブームにも立役者が存在するのである。

 その人物、ドラクロアドッグランチ代表の舛方涼子さんから、まずは団体発足の経緯を尋ねた。

 「ドラクロアを立ち上げたのは2020年の9月です。それ以前も長らく保護活動に携わっていましたが、ドラクロアという名前の愛犬を亡くしたのを契機に、自分の団体を起こそうと決めました。最初から意識していたのは、見せ方です。愛護団体というと固いイメージで捉えられがちですが、なるべく敷居を低くして、保護犬との生活を検討している方々に安心して歩みよってもらえるように、普通の人間がやっています、というのを前面に出しました」

 平日は会社勤めの舛方さんは、インスタグラムで自らを社畜と称し、激務あり保護犬あり笑いあり、一方で遺棄犬をめぐるやるせない現実ありの多忙な毎日を綴っている。その飾らない筆致が親近感を喚び、2万人のフォロワーを引きつけているのである。

 「普通の感覚、大事にしたいです。ボランティアさんたちにも、保護活動にどっぷりとはまるのではなく、仕事もして、趣味も楽しんで、と話しています。それと、持ち出しで生活が汲々としたりしないように、お金のルールもしっかり作って、あとはボランティアのメンター制度なども採り入れていますね」

 発足当初は夫婦2人だったドラクロアには、目下、常時活動しているボランティアが3、40名ほどいるという。ピンポイントで集まってくれる助っ人を含めると、その数は100名にも膨れあがる。秋葉犬にはそれだけのサポーターがついているわけだ。

 「ただ、トライアルの決まった子をそのお宅へ届けるのは、必ず私自身がやっています。最初の敷居は低くても、譲渡条件が緩いわけではないんです。かわいそうだから飼ってやる、ではなく、本当にその犬と暮らしたい人のもとへ届けたいので。犬を迎えるための努力をしてもらえるか、犬にちゃんとお金をかけてもらえるか、希望者さんの一人一人と向き合って判断しています」

 かくしてドラクロアから新しい家族のもとへと巣立った犬猫の数は、発足から5年半で計400匹近く。保護した犬猫を預かりボランティアに託し、また彼女自身も保護犬と暮らしながら人に慣らして、アンケートやお見合いを通じて里親希望者との適性を見極め、卒業犬として送り出す。その絶え間ない繰り返しの中で、2023年、彼女は運命の犬とめぐり会った。

 

(もり えと・作家)

イラスト=スギヤマカナヨ

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保護犬今昔物語(上)「謎の「秋葉犬」、現る」


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