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どくさいスイッチ企画 『ケアと編集』とお笑い[『図書』2026年9月号より]

『ケアと編集』とお笑い

 

 たまたま手に取った本に強く共感することがあります。知らない分野の本に、自分が考えていたことを言葉にしてもらえたような感覚を覚えることがあります。それが全く意図していない方面からの出会いだと、より強く印象に残ります。白石正明『ケアと編集』(岩波新書、2025)は、私にとってそのような本でした。

 どくさいスイッチ企画と申します。芸歴3年目、中年ながら駆け出しのお笑い芸人です。大阪で36歳まで会社員をやっていたのですが退職し、関東に移住してお笑いを始めました。お笑いを本業としながら、脚本を書いたり、SNSに書評を投稿したり、アルバイトをしたりしながら生活しています。

 『ケアと編集』を手に取ったのは、どちらかといえば「編集」について興味があったからでした。お笑い芸人は、常に編集を求められる職業です。私のような駆け出しの芸人は、基本的にお笑いライブで自分のネタを披露する活動をしています。漫才、コント、漫談、それ以外にも様々な種類のネタがあるものの、一組あたりの持ち時間はだいたい3分から5分に統一されています。定められた持ち時間の中で、どれだけお客様にウケるようにするか、全員が同じように試行錯誤しています。ネタが終わればだいたい、平場と呼ばれるトークの時間があります。その場にいる芸人が何かを言ったら、大げさに驚き、あるいはツッコミを入れ、はたまた類似のエピソードを披露したりします。ネタにせよトークにせよ、そこには数えきれない取捨選択があり、膨大な量の編集があります。今後も活動していくうえで、何かの助けになればと思い、私は『ケアと編集』を読み始めました。

 十数ページ読んで、驚きました。題材となっている「編集」だけではなく「ケア」についての考え方が、私がお笑いに感じていたことと強く似通っていたからです。

 

むしろケアは「現在志向」だと思う。今を少しでも楽にする。痛いことはしない。この場にある不快をとにかく除去する。そこに居られる「現在」をつくる。(同書、4頁)

 

 この一文を何度も読み返しました。ケアについての文章が、お笑いの存在意義のようにも見えたからです。ライブだけでなく、ラジオ、テレビからインターネットまで、様々な媒体で展開されている「お笑い」は、すべて「今、この瞬間」を楽しむためのものだと私は考えています。本来、お客様が予習や復習をする必要があったり、視聴したことで将来の役に立ったり、逆に視聴していないことがハンディになることは基本的にありません。一方、お笑いライブの出演者は、ライブの持ち時間いっぱいを使って、とにかくお客様に楽しんでもらうことを全員が考えています(いるはずです)。お笑いライブについていえば、来場者も出演者も、きわめて「現在志向」で動いているといえるでしょう。

 私は学生時代を大阪で過ごし、よくお笑いの劇場に足を運んでいました。わざわざ劇場まで足を運んだのは、劇場にいる時間、その瞬間をお笑い芸人の方と共有したかったからです。笑っている間はすべてを忘れられた、というほど単純で劇的な展開はありませんでしたが、それでも劇場にいる間は、間違いなく少し楽でした。出演者と裏方の皆様の働きによって、そこにいられる場所を作っていただいた結果だったのでしょう。

 

「あなたと環境の嚙み合わせを変えればいい」(同書、34頁)

 

 もう少しだけ私の話をします。私は大学卒業後に新卒で就職しました。会社員生活は想像以上に辛く、苦しいものでした。周りが普通にできていることができず、周囲に迷惑をかけ、自分を責め続ける日々が10年以上続きました。なんとかやってこられたのは、生きがいを外に求めたからです。私の場合、支えは落語でした。大学で落語研究部に入り、卒業以降も社会人落語のサークルに入って人前で落語を続けました。やがて新型コロナウイルスの流行に伴って落語会が開催できなくなったとき、本当の危機がやってきました。このままでは本当に死んでしまうと思い、落語に近いもの、人前に立って笑ってもらえることを求め、ネットで見つけたインディーズお笑いと大喜利のシーンに身を投じました。当時は、どちらのコミュニティも新参者に優しく、ほめられてライブに呼ばれることが増えました。なぜか、仕事よりもはっきりと「実績を出せている」感覚がありました。最終的にひとり芸の全国大会「R-1グランプリ2024」で決勝に進出できたことをきっかけに会社を辞め、私はお笑い芸人になりました。今も人並みに悩み、苦しんでいますが、それでも会社員時代より数段暮らしやすいです。半ばヤケを起こしての転職でしたが、強引にでも周囲の環境を変えてよかったと思っています。

 

出された問題に答えるのではなく、その問題自体を組み替えてしまうこと、あるいは、与えられた問題の外に出てしまうこと。(略)なにより当人がもっとも「克服すべき」と思っている問題──に別の光を与えること。

 それは編集という仕事そのものだと思う。(同書、64頁)

 

 いざ身を投じてみると、趣味にしていた時よりもお笑いについて考える時間が増えました。お笑いは、人とは違う視点と切り口の探しあいです。お客様や出演者をどう裏切るか=どう普通に答えないかをずっとやりあっています。普通とは違う視点で物事を見るので、普通だと糾弾されたり是正されたりする特徴や習性をもった人が、それを武器にしてライブを完全に掌握することがあります。ひどく失敗したり恥ずべき行いをしてしまったエピソードが、鉄板のトークとなって場を沸かせることもあります。「自分にははっきりしたイジリどころがない」と悩んでいる若手芸人が山ほどいます。私も自分がすでに中年であること、会社で仕事ができなかったこと、今更お笑いを始めたことを自ら大っぴらにして、笑いをとったりとれなかったりしています。この文章を読んだあたりで、お笑いは私にとっての「ケア」なのかもしれないと考え始めました。「編集」について書かれた一文ですが、欠点だと思っていたものをトークの材料に変えられたとき、私が感じたものは明らかに救いであり、安寧だったからです。

 

噓でもいいから先に「信(仮)」のカードを出すことによって、わたしとあなたのあいだに「信」が、少しずつ、具体的に生成してくる。(同書、83頁)

 

 私が呼ばれるようなお笑いライブには、だいたい5―6組のお笑い芸人が出演します。芸歴3年目の私は、他の芸人さんとは初対面の場合が多く、何度か顔を合わせたことがあっても、パーソナリティまでは深く知らないことがほとんどです。そのような状況で、ライブを盛り上げるために、まるで旧知の仲間のようにふるまいます。司会を任された芸人さんが、その日初めて会う芸歴1、2年の超若手芸人に、当たり前のようにトークを振り、パスを出します。パスを出した相手がどの程度の実力者かはもちろんわかっておらず、面白くなるかはわからないのに話を振ってみるのです。なぜそんな恐ろしいことができるのかずっと疑問でした。そこで『ケアと編集』に出てくる「信(仮)というカード」「ちょっと信じる」という表現を見たとき、ああ、あれのことか! と、非常にしっくりきました。まずはいったん、相手のことを信用してパスを出してみる。明らかに失敗したら失敗したことをネタにして、別のルートで楽しい時間を作る。お笑いの場では「ちょっと信じる」がさりげなく、当たり前のように行われています。だからこそ、私は居心地の良さを感じるのかもしれません。

 

ケアとは、現在を未来の「手段」にしない、つまり社交や対話と同じようにケアは、現在を「目的」とする思想であり行為なのである──とまずは考えてみたい。(同書、110頁)

 

 お笑いをやっていて思うのは、お笑いを手段としている人の少なさです。将来は政治家になるつもりなので、今は人気集めのためにお笑い芸人をしています、という人を見たことがありません(いるのかもしれませんが)。少なくとも私は、お笑い芸人に転職した時点で、お笑いは手段ではなく目的になりました。ここまで書いて、ふと、この考え方だと未来永劫売れないような気がしてきました。お笑いをやること自体が目的なので、もう達成できており、これ以上を望む必要がないからです。とはいえ、なぜ売れたいか、もしくは売れないといけないかを考えたとき、結局は「お笑いを続けられるから」という答えにたどり着きます。収入面での不安がなくなれば(バイトをしなくてよくなれば)もっとたくさんお笑いができますし、知名度が向上すればもっと色々な媒体でお笑いができるようになります。会社員を辞めた時点で未来は極端に不明瞭になりましたが、逆に言えば今この瞬間に集中して生きているとも言えます。何が起こるかわからない状態を恐れず、楽しむ、というのは、お笑いを始めるまで得られなかった視点でした。

 ここまでケアとお笑いをまるで同列の事柄のように話してきましたが、両者には決定的な違いがあります。ケアは社会にとって必要不可欠です。お笑いは、そうではありません。お笑いは、誰しもに必要なものではありません。むしろ、自らは積極的にお笑いを見ない、お笑いライブに行かない、お笑いについて知ろうとしない方がほとんどだと思います。インターネットを通じて家にいながら多様なコンテンツを摂取できる時代、わざわざお金を払って何が起こるかわからないライブを観に行くことは、ただのノイズまみれのギャンブルだと捉えられても仕方ありません。お笑いというコンテンツそのものが、古びて廃れていくことを危惧する意見を目にするようになりました。

 一方で興味深いのは「お笑いをする」ことへの関わり方が多様になってきたことです。漫才の全国大会「M-1グランプリ」の参加者は2024年には1万組を突破し、そのうち半分以上はアマチュアによるコンビだったそうです。大学生によるお笑いサークルでの活動や、そのOB達による社会人お笑いと呼ばれる取り組みも盛んになってきました。「見る」ものだったお笑いを「やる」ものに変えたとき、そこにはこれまでの暮らしと明らかに異なる光が差してきます。金銭や将来の成功を目的とせず、目の前のお客様にウケるために、この瞬間を大切にする。こうした行為は、お客様へのケアではなく、むしろ自分に対するケアと言えるのではないでしょうか。

 ケアと編集にお笑いを加え、なかば強引に共通点を探しながら読み進めてきました。この本を通じて初めてケアについて考え、それが自分にとってはお笑いをやることだったのだと気づくことができました。今この瞬間に集中できたこと、目の前で起きていることを楽しめたことが、かつての私にとって救いであったのだと思います。願わくば、自分にとってのケアであったお笑いが、誰かの救いになればよいと思いながら活動しています。お笑いライブはいたるところで開催されています。もし気が向きましたら、ぜひ足を運んでみてください。

(どくさいすいっちきかく・お笑い芸人)


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