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山本貴光 岩波文庫百話

第33話 世界の歴史

 岩波文庫の中でも、とりわけ好きな一角に青帯の400番台がある。「歴史・地理」と分類されたコーナーだ。他の分野では、例えば日本思想(青001〜200)、東洋思想(青201〜300)とか、東洋文学(赤001〜100)、ギリシア・ラテン文学(赤101〜200)というふうに地域や言語によって分けられているところ、青400番台にはいろいろな時代や地域や言語のものが並んでいる。

 ここで「歴史・地理」とは、特定の時代や地域というよりは「世界の歴史・地理」を指していると思われる。理想的には地球上で人類が活動した全域が対象となりうる。歴史という器には、国家の盛衰、戦争や民族の移動といった大きな出来事から個々の人びとの暮らしぶりまで、それこそ多種多様な人間の営みが含まれており、言ってしまえばどんな分野であれ、歴史と無縁ではない。

 では、青400番台にはどのような本が入っているだろう。分量という観点でみると、著者別分類番号では401から499までを使い切っており、それに続く書目ではN401、N402という新たな番号が使われている。その全体を眺めてみると、いくつかの傾向が感じられる。

 まず地域別に見てみよう。一つには日本の歴史に関わるものが大きな塊をなしているのが目に入る。中国や朝鮮の史書に現れる日本についての記述を抜粋した本や、日本を訪れた異邦人による観察記、あるいは日本に暮らす人が書き残したものなどが含まれており、さまざまな立場の人が目にしたそれぞれの日本の姿が面白い。これについては次の第34話でもう少し近づいてみるつもり。

 その他の地域で目立つのは、中国、モンゴル、古代ギリシア、ローマ、南米(インカ)、フランスあたりだろうか。点数としては少ないものの、イブン=ハルドゥーン(1332―1406)が文明という大きな視座から著した『歴史序説』(全4巻、森本公誠訳、青481―1〜4、2001)のおかげでイスラーム圏も存在感がある。

 次に文献の種類はどうか。これもまたごく大まかに言えば、まず歴史書とでもいうべき本がある。例えば、ヘロドトスの『歴史』(上中下巻、松平千秋訳、青405−1〜3、1971—72)やカエサル『ガリア戦記』(高橋宏幸訳、青407−1、2026)、『元朝秘史』(上下巻、小澤重男訳、青411−1〜2、1997)などがこれに当たる。世界史の教科書などでもお馴染みの文献たちだ。

 それから比較的分かりやすいものとして歴史学の研究書がある。ランケ、ブルクハルト、ルフェーヴルなど、大学で教鞭を執った学者による著作だ。これらは現代に続く大学の仕組みが整って、歴史学が専門分野となる19世紀以降のものが多い。後世の人による記述という点では、ギボンの大著『ローマ帝国衰亡史』(全10巻、村山勇三訳、青409−1〜10、1951―59)もある。

 さらに興味を惹かれるのが、市井の人びと、とまとめては語弊があるかもしれないが、いわゆる偉人や英雄といった著名人に限らない個々人による記録だ。ジャン・マルテーユ『ガレー船徒刑囚の回想』(木﨑喜代治訳、青473−1、1996)やマルタン・ナド『ある出稼石工の回想』(喜安朗訳、青475−1、1997)などはその好例で、よくぞこのような記録が残されたものだと驚く。19世紀パリの労働者たちについての観察が書かれたドニ・プロ『崇高なる者──19世紀パリ民衆生活誌』(見富尚人訳、青457−1、1990)なども同様の趣がある。また、『ニコライの日記──ロシア人宣教師が生きた明治日本』(上中下巻、中村健之介編訳、青493−1〜3、2011)やトク・ベルツ編『ベルツの日記』(上下巻、菅沼竜太郎訳、青426−1〜2、1979)をはじめとする日記もここに並べておこう。昨今の歴史学の用語でいえば「エゴ・ドキュメント」(自己語り史料)に当たるものだ。

 こうして「歴史・地理」に並ぶ書目を眺めてみると、書き手の多様さに気がつく。歴史家、探検家、軍人、政治家、外交官、大学教員、ジャーナリストあたりはよいとして、不幸にもガレー船送りになってしまった市民、農民の出身で石工となった人、反乱を率いた人物、明治維新に感激して日本にやってきたという革命家、異国へ漂流してしまった人、外交官の夫とともに訪日した女性など、時代も立場もさまざまな人たちがいる。かれらの書き残したものが、こうして私たちの手元に届いて同じ文庫に収まっているのはなんだか不思議な気もする。

 また、大航海時代とその結果として生じた南米の植民地での出来事についての記録も、重要な史料として岩波文庫で読むことができる。それについては機会を改めて触れることにしよう。

 こうした本に触れると、教科書類では数行で済まされて味気なく感じられる歴史の出来事も、もっと知りたいという気持ちをそそられるのが楽しい。

(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)

[『図書』2026年9月号より]


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著者略歴

  1. 山本 貴光

    1971年生まれ。文筆家、ゲーム作家。現在、東京科学大学 未来社会創成研究院・リベラルアーツ研究教育院教授。慶應義塾大学環境情報学部卒業。著書に『文学のエコロジー』(講談社)、『世界を変えた書物』(橋本麻里編、小学館)、『マルジナリアでつかまえて』(本の雑誌社)、『記憶のデザイン』(筑摩書房)など。

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