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山本貴光 岩波文庫百話

第2話 古典とはなんだろう

 それにしても「古今東西のあらゆる古典及び、價値高き良書を網羅」とは尋常ではない。どういうことだろうか。

 これについては創刊の辞「讀書子に寄す 岩波文庫發刊に際して」にもう少し詳しく示されている。「眞理は萬人によつて求められることを自ら欲し」で始まるあの文章だ。その文中に次のような一節がある。

 「吾人は範をかのレクラム文庫にとり、古今東西に亙つて文藝哲學社會科學自然科學等種類の如何を問はず、苟も萬人の必讀すべき眞に古典的價値ある書を極めて簡易なる形式に於て逐次刊行し……」

 ご覧のように「古今東西にわたって」とあるのをそのまま受け取るなら世界全域の古代から現代までを含む。もっとも一種の決まり文句のようなものでもあろうから、実際にはどこまでそうなっているかは検討してみたいところ。

 この文章では、それに続いて学問や技芸術の名前が並べられている。筆頭に置かれた「文藝」は芸術の一種。「哲學」「社會科學」「自然科學」は学問名や分類。細かく見れば「……等種類の如何を問わず」と続いており、以上の4分野に限らないことも示唆されている。「古今東西の全学術」と言い換えてもよいだろう。

 それならと、現在の岩波文庫の分類を見てみると、帯の色で5つに分けられている。青、白、黄、緑、赤で、これに別冊を加えて6カテゴリーの構成。黄、緑、赤が文芸で、詩、小説、戯曲、随筆、批評などを収める。青と白には、人文学、社会科学、自然科学、芸術、技術などさまざまな学術分野が入っている。まずは宣言通りと言ってもよさそうだ。

 さて、ここでは「古典」という言葉に目を留めておきたい。「古典」とはなんだろうか。

 日本語の「古典」とは、文字通りには古い典籍のこと。『日本国語大辞典』によれば、「典籍」は八世紀の『続日本紀』にも現れる古い語で、書物や書籍を指す。いまでは「てんせき」と読むことが多いが、呉音で読むと「てんじゃく」となる。要するに古い本というわけだ。

 古い本と言われると、私たちはつい古本を連想するけれど、文字通りに古代や古い時代の本と捉えるとまた印象も違ってくる。『図書館情報学用語辞典 第5版』(日本図書館情報学会)では「日本の古典籍は、慶應四年(1868)以前に日本で出版・書写された書籍で、内容・形態がともに優れ価値が高い書物のこと」という具合に、江戸末期までという時代区分で線を引いている。

 他方で日本語の面白くもややこしいのは、こうした中国語に由来する漢語が、後にはヨーロッパ諸言語と対応する翻訳語としても使われているところ。「古典」という語は、英語でいえばclassicやclassicalに対応するが、この英語には「古い」という意味はない。語源は古代ローマの言語でもあったラテン語のclassicusで、これは市民の等級のうち最上位を指す形容詞だった。いわゆるファーストクラスだ。ついでながら、この語には「軍隊の」という意味もある。

 英語では、そこからさらに派生したいくつかの意味で用いられている。『オックスフォード英語辞典(OED)』のclassicalの項目は、筆頭に「古代ギリシア語・ラテン語で規範となる優れた作品の書き手の」という意味を載せる。その最も古い用例は16世紀半ばのもので、おそらくはルネサンス期のヨーロッパで古代ギリシア・ローマの文化に憧れ、お手本として再評価した人文主義の名残ではないかと思われる。

 その好例は、14世紀イタリアの文人で古典古代の再評価に尽力したペトラルカの『ルネサンス書簡集』(近藤恒一訳、赤712-1、一九八九)に見ることができる(この「赤712-1」とは岩波文庫の番号で、これについては別の回で眺める予定)。同書にはペトラルカが愛読した古代ローマのキケロに宛てた手紙が入っており、そこには古典古代の書物や知識への渇望や敬意が表れている。

 ところで、こう書いてみて気づいたのだが、ペトラルカはしばしば「古典古代」や「古典」という言葉と結びつけて語られるものの、肝心の当人の書いたものでは、「ギリシア」「ローマ」「古代の人びと」という表現は見かける一方、「古典」という語をあまり見たことがないような気がするがどうだろう。

 そういえば、「ルネサンス」という言葉とその多様性を広く知らしめた本に、スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』(1860)がある。目下手にしやすいのは新井靖一訳(上下巻、ちくま学芸文庫、2019)だが、岩波文庫では『伊太利文藝復興期の文化』(上巻、村松恒一郎譯、下巻、村松恒一郎、藤田健治譯、青無番号、1931―1939)として刊行されている。同書ではペトラルカを「あの最初の完全な近代人の一人」と呼んでいるが、これはブルクハルトがルネサンスを古代の再生に留まらない、近代の入口と見ていたためである。

 以上はヨーロッパの場合だった。改めて日本語に目を転じれば「古典」という場合、分野にもよるものの、書物では国文学方面を指すことも少なくない。紫式部の『源氏物語』(全9冊、柳井滋、室伏信助、大朝雄二、鈴木日出男、藤井貞和、今西祐一郎校注、今井久代、陣野英則、松岡智之、田村隆編集協力、黄15-10~1‌8、2017―2021)のように、世界文学の古典と位置づけられるものもあるとはいえ、当然ながら日本語の「古典」と英語の「クラシックス」は必ずしも一致するわけではない。日本で「古典」について考えようとすると、古来中国や西洋から文物を採り入れてきたこの国やその文化の歴史を自ずと見直すことにもなるだろう。

 さて、「古典」という言葉を少し眺めてみた。では、「古今東西のあらゆる古典」の網羅を目指すといって出発した岩波文庫は、実際のところどのような書物を入れてきたのか。言葉の定義や来歴とは別に、そうした実態を通じて見えるものがあるはずで、これこそは本連載を通じて探ってみたいことの一つである。

(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)

[『図書』2025年5月号より]


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