第41話 創刊時のラインナップ
1927年7月10日発行の岩波文庫の創刊第一弾は、全部で22点だった。試しにどんな作品が含まれていたのかを見てみよう。
ここでは『岩波文庫の80年』(別冊18、2007)に収録されている「岩波文庫刊行順全書目リスト」を参考にする。並び順も同書の通り。ただし、整理の都合で同書にはない番号を振っておく。
01:一茶作/荻原井泉水校訂『おらが春・我春集』106頁
02:正岡子規著『病牀六尺』解説=寒川鼠骨、192頁
03:正岡子規著『仰臥漫録』解説=寒川鼠骨、182頁
04:夏目漱石著『こゝろ』240頁
05:幸田露伴著『五重塔』94頁
06:島崎藤村編『北村透谷集』232頁
07:国木田独歩著『号外 他六篇』106頁
08:樋口一葉著『にごりえ・たけくらべ』90頁
09:島崎藤村自選『藤村詩抄』198頁
10:武者小路実篤著『幸福者』192頁
11:倉田百三著『出家とその弟子』220頁
12:レッシング作/大庭米治郎訳『賢者ナータン』206頁
13:トルストイ作/米川正夫訳『戦争と平和 第一巻』546頁
14:トルストイ作/米川正夫訳『闇の力』128頁
15:トルストイ作/米川正夫訳『生ける屍』98頁
16:チェーホフ作/米川正夫訳『伯父ワーニャ』104頁
17:チェーホフ作/米川正夫訳『桜の園』94頁
18:ストリントベルク作/小宮豊隆訳『父』90頁
19:ストリントベルク作/茅野䔥々訳『令嬢ユリェ』88頁
20:久保勉・阿部次郎訳『プラトン ソクラテスの弁明・クリトン』100頁
21:リッケルト著/山内得立訳『認識の対象』278頁
22:ポアンカレ著/田辺元訳『科学の価値』204頁
ご覧のように全22点のうち、01から19までの19点が文学作品。そのうち11点は日本のもので、8点が海外文学である。その他は、哲学が2点(20、21)に科学が1点(22)でいずれも海外のもの。文芸が大多数を占めているのが分かる。
原著の言語は、ドイツ語2点(12、21)、ロシア語5点(13-17)、スウェーデン語2点(18、19)、古代ギリシア語1点(20)、フランス語1点(22)とヨーロッパ方面が中心とはいえ5言語にわたっている。ただし、ストリンドベリ(ストリントベルク)については、訳者2名がドイツ文学者であることを考えるとドイツ語訳からの重訳かもしれない。実際、訳文には、ドイツ語を音写したルビが用いられている箇所がある。とはいえ、翻訳の底本や原書について記されていないので確たるところは分からない。それはそうと、「外国語」といえばまずは英語で、他は「第二外国語」と呼ばれたりもする現在から見ると、英語から翻訳された本が含まれていないのはかえって印象的である。
これらの本に携わった人びとについても見てみよう。著者、訳者、校訂者、解説者を含めて総勢27名。女性が樋口一葉(1872-96)ただ1人であるのは、この時代のこととはいえやはり目に留まる。時代で見ると、紀元前5-4世紀、古代ギリシアのプラトンが飛び抜けて古く、それに続くのは一気に18世紀まで下ってドイツのレッシング(1729-81)と日本の江戸期の小林一茶(1763-1827)の2人、あとは19世紀生まれの人たちである。こんなふうに人名に触れる場合、初出時に生没年を添えておこう。というのは、どんな時代の人が登場するかを知る手がかりというつもり。ついでながら、レッシングの『賢者ナータン』は、岩波文庫がお手本と仰いだドイツのレクラム文庫の創刊書目の1冊でもあった。
著者のうち1927年当時存命だったのは、幸田露伴(60歳、1867-1947)、島崎藤村(55歳、1872-1943)、武者小路実篤(42歳、1885-1976)、倉田百三(36歳、1891-1943)、リッケルト(64歳、1863-1936)で他は故人である。いまカッコ内に記した年齢は、1927から生年を差し引いた数値でご参考まで。見方を変えれば、存命中の作家も「古典」に数え入れているということだろうか。あるいは「価値高き良書」の枠かもしれない(「岩波文庫百話」第一話参照、『図書』2025年5月号)。とりわけ倉田百三は36歳と若く、武者小路実篤が42歳、藤村が55歳で露伴とリッケルトは60代。もっとも、現在とは年齢の感覚はだいぶ違っていると思われるから、その点は注意を要する。

創刊書目に採用された日本の作家10名のうち、一茶を除くとあとは幕末から明治はじめの生まれだ。1927年は元号こそ昭和ではあるものの、明治が終わった1912年から短い大正を挟んでまだ20年と経っていない、そんな時期である。子規、漱石、露伴という慶應3年(1867年)生まれが並ぶのを見ると、坪内祐三の『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲がり』(マガジンハウス、2001;新潮文庫、2011;講談社文芸文庫、2021)も思い出される。「漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨」とその副題に並ぶうち、宮武外骨以外は岩波文庫に収録されている。
改めてリスト全体を眺めてみると、目立つのはトルストイ3点、チェーホフ2点の都合5点とロシア文学が多いところだろうか。しかもそれらは全て米川正夫(1891-1965)一人による翻訳だ。米川正夫といえば、「積み重ねて天井に及ぶほどにも」訳書がある(谷耕平、『日本近代文学大辞典』)と言われた人で、後には『トルストイ全集』(全23巻、創元社)や『ドストエーフスキイ全集』(全18巻、河出書房)の個人全訳も達成した翻訳超人である。岩波文庫創刊のこのとき、米川は先ほどの倉田と同じ36歳。翻訳・編集・校訂・解説の担当陣のなかでも最若年である。岩波文庫にも米川訳が多く入っているので、これについては改めて別途眺めてみることにしたい。

いまでは文庫というと、単行本で出ていたものが文庫入りしたり、はじめから文庫で刊行したりするけれど、この頃はどうだったのか。これも気になるところ。
■参考文献
★岩波文庫編集部編『岩波文庫の80年』(岩波文庫別冊18、岩波書店、2007)
★日本近代文学館編『日本近代文学大辞典 増補改訂デジタル版』(講談社、1984;JapanKnowledge、2022)
(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)