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思想の言葉:私のメディア史研究の起点 佐藤卓己【『思想』2026年3月号】

◇目次◇

思想の言葉 佐藤卓己

虚構的なものと合理的なもの
──三木清と未来の技術哲学について
ユク・ホイ/中村徳仁訳

スピノザの特異な体系
──離接的総合の可能性
上野 修

戦後日本における植民地主義批判の生成
──鶴見俊輔と鈴木道彦の場合
米谷匡史

近代日本における「学生」の誕生
──第一高等中学校「籠城主義」をめぐって
高原智史

ブルーノ・ラトゥールにおける大地の政治
──「世界の終末」と庶民の「月末」の対立をこえて
太田悠介

アリストテレスの祝福の倫理学
──あらゆる境遇に「輝き続ける」高邁な人
千葉 惠

20世紀の女性と思想史
──第一部:合衆国思想史の「起源」の再考
ソフィー・スミス/宇都宮 有+上村 剛訳

 
◇思想の言葉◇

私のメディア史研究の起点
──ヒトラー神話、電体主義、総力戦体制

佐藤卓己

 二〇二六年一月一五日、拙著『流言のメディア史』(岩波新書、二〇一九年)の中国語版『流言的伝媒史』(浙江大学出版社)が発売された。検閲や言論統制なども批判的に論じる翻訳書がいま中国で公刊できるのか、不安を抱いていた。それというのも昨年一一月の高市首相「台湾有事」発言以来、日中間で外交危機が生じているからだ。とはいえ、そうした時節であるからこそ、流言を冷静に分析するメディア史研究は必要なのではないか。

 それにしても、『流言のメディア史』中国語版の公刊で特に気をもんでいた理由は別にあった。最終章「情報過剰社会の歴史改変──〝ヒトラー神話〟の戦後史から」に、中国メディア関連の記述があるためだ。「戦後七〇年」を前にした二〇一五年六月二三日に中国国営通信社・新華社の電子版が配信した記事「アドルフ・ヒトラーの紋付き羽織袴姿の写真──英紙が公開」を取り上げている。

 「色あせたモノクロ写真に映っているヒトラーは代表的な髪型と口髭で、紋付き羽織袴を着て、右手に扇のようなものを持ち、厳格なまなざしでカメラを見ている。着物には、ナチスを象徴する鷲のモチーフと鉤十字が入っている。」(二五七頁)

 イギリスの大衆紙『デイリー・エクスプレス』の電子版で公開された「写真」の紹介記事なのだが、この新華ニュースについて私は次のように書いている。

 「「中国人民抗日戦争および反ファシズム戦争勝利七〇周年記念行事」が、あと三か月足らずに迫っていた中国にとって「和服姿のヒトラー」は飛びつきたい証拠写真だったのかもしれない。」(二五八頁)

 抗日戦争はその通りだが、反ファシズム戦争という歴史理解はそう単純なものではない。ドイツ国防軍は中華民国に軍事顧問団を派遣しており、日中戦争開始後も一九三八年まで中国に留まっていた。一九四〇年に日独伊の三国軍事同盟が締結される以前であれば、ナチドイツと軍事的交流があったのは日本ではなく中国だった。そうした複雑な関係があるため、日本とドイツを「ファシズム」として一括りにできる「和服姿のヒトラー」は、反ファシズム戦争の複雑性を縮減する判りやすいシンボルになる。だが、そこで示された「写真」はどう見ても手書きの肖像である。私は次のように続けている。

 「ただし、このフェイク画像は戦前のヒトラー崇拝者による「メイド・イン・ジャパン」という可能性が高く、このグローバルな偽史情報を日本のメディアがただ黙殺して済ませればよいとも思えない。」(同)

 メディア史研究者としてそう書く以上、私自身がファクトチェックをするべきなのだが、この執筆時に画像の出所を突きとめることは出来なかった。だが、「戦後七〇年」から「戦後八〇年」へと時が流れる中で、情報のデジタル化は進んだ。「ヒトラー/着物」で検索すると、いくつかの新聞記事がすぐにヒットする。ヒトラーに日本から紋付羽織が贈呈されたことは事実である。

 「ニツポンのキモノをヒトラー氏へ 足袋まで添へて オリムピツク応援団長佐藤市議に託し」(『讀賣新聞』一九三六年七月八日夕刊)によると、ベルリン・オリンピック開催時に東京市長・牛塚虎太からヒトラーに「ナチの逆巴と東京市紋の比翼五ツ紋」の和装一式が贈られている。これに対しては、ドイツから「ヒトラー氏の肖像画」の返礼もあった(「市長に肖像画 ヒトラー氏から」『東京朝日新聞』一九三七年三月一一日夕刊)。もしも「ヒトラー氏の肖像画」が和服であれば全文八行のベタ記事ではなく、もっと大きな記事になっていたはずである。また、これとは別に一九三六年一一月二五日に締結された日独防共協定の記念としても、秩父織物組合から「逆卍(ハーケン・クロイツ)の五つ紋を染め抜いた黒羽二重羽織」などがヒトラーに贈られている(「感激の伝達式 秩父織物をヒトラー総統へ」『讀賣新聞』一九三七年二月一六日)。

 こうした記事が「和服姿のヒトラー写真」の実在を思わせたことはまちがいない。ただし、いずれも羽織の写真を紹介するだけで、新華ニュースの報じた「写真」はそこにない。その「写真」が登場しているのは『京都日日新聞』一九三七年一一月二四日の記事「盟邦の元首に贈る 和装等身大の肖像画──日独協定一年の記念日を祝福して 京で表装・国際反共聯盟」である。ここでは「愛国熱沸る青年画家」林東文が描いた墨絵作品と明記されているが、次のような事実と異なる内容も含まれていた。

 「[国際反共連盟理事長の貴族院議員・井田磐楠が]独逸大使館に照会した結果、同[ヘルベルト・フォン ディルクセン]大使から、我国から贈つたナチスの紋章を見事に染上げた黒羽二重紋服に袴を着用したヒツトラー総統の珍しい写真を借受け爾来潜心苦慮等身大の墨絵肖像に特技を揮ひ表装寄贈の手続きを某氏に依頼した。」

 この記事内容が正しいとすれば、東京市長あるいは秩父織物組合が贈った黒羽二重紋付を着用したヒトラーの「珍しい写真」をドイツ大使館が日本側に提供したことになる。いくら防共協定締結記念としても、『わが闘争』などでも日本人への人種的偏見を隠していないヒトラーが羽織袴を着た写真を撮らせたとは信じがたいことである。

 だが「林東文」という画家名で検索すると、一九三七年六月六日付『東京朝日新聞』の記事「和服でお珍しい・ヒトラーさん──日独協定記念に贈る画像」にたどり着く。そこには、林東文がドイツ大使館のネーベル参事官夫人と並んでヒトラー肖像画の前に座った記念写真も添えられている。墨絵肖像の制作プロセスを本人が語っているので、真実なのだろう。

 「四十七、八歳の総統の写真を基礎に約五尺八寸五分と云ふヒ総統の身長に酷似する人を頼み紋服姿でポーズを造り五十日を要して完成した」

 かくして「和服姿のヒトラー」がメイド・イン・ジャパンであることは確認できた。その限りで『流言のメディア史』の記述を修正する必要はないが、そうした「写真」が実在したというフェイクニュースもまた、戦前のメイド・イン・ジャパンだったことになる。

 「和服姿のヒトラー」のファクトチェックを行う過程で思い出したのは、肖像画をドイツ大使館に持ち込んだ国際反共連盟の機関誌『防共情報』(一九三八―四五年)である。国際反共連盟は顧問に平沼騏一郎・近衛文麿・頭山満、評議員に松岡洋右・荒木貞夫・内田良平・蓑田胸喜・四王天延孝といった錚々たる面々が名を連ね、一九三七年四月一二日に設立された右翼団体だ。この組織を調べたことはないが、『防共情報』に掲載された社会学者・赤神良譲(一八九二―一九五三年)の論文はこれまでにも何度か引用している。『流言のメディア史』の第三章「怪文書の効果論──〝キャッスル事件〟の呪縛」でも、赤神論文「怪文書心理学」(『維新』一九三五年一〇月号)から引用している。

 「近時日本社会に於いて、殊にその非常時が叫ばれ出して以来、甚しく怪文書の横行を見るに至つた。(略)怪文書、秘密出版物、則ち「怪」だ「秘密」だと云はれ、その「怪」が、その「秘密」が魅力を人心に絡みかけるからである。」

 人びとが怪情報・陰謀論に惹きつけられる時代は、SNSとともに幕を上げたわけではない。複雑な利害関係が入り組んだ大衆社会では、事件や事故の因果関係をシンプルに説明することはむずかしい。複雑な現実を理解して安心するためには、隠された「秘密」や「黒幕」を暴く陰謀論が今も昔も魅力的なのである。「怪文書心理学」はポスト真実時代の社会学としても十分に通用する。

 赤神良譲(崇弘)は東京帝国大学文学部で、社会学講座初代教授の建部遯吾教授に学び、その助手を務め、建部の退職と同時に明治大学教授となっている。マルクス主義など社会理論に関する論文以外に、『キツスとダンスと自殺の学説』(春陽堂、一九三〇年)、『猟奇の社会相』(新潮社、一九三一年)などジャーナリスティックな著作も執筆している。その赤神が『防共情報』一九四〇年七月号に発表した論文に「全体主義と電体主義」がある。近衛新体制運動の中で「国体の社会科学的明徴」を言挙げた論文で、一九四〇年一〇月に発足した大政翼賛会の総力戦システムを電体主義の概念で解説したものと言える。論文の核心部分だけを引用しておこう。

 「個人は独立の意識と生命を有するが、社会、国家、民族は、更に高次の意識と生命とを有するものであり、高次の生命は低次の生命の組織結合によつて生ずるが、その質をば全く異にする。低次の生命によつて成し遂げられぬことでも、高次の生命によつて容易に遂行し得る能力を具有するものであつて、斯くして獲得されたる力は、更に個人に再配分され、その個人の可能力即ち電圧を高めて来る。而も高められたる電圧は、更に国家、民族即ち全体の電力を高次のものとなし創造と分配とが、交互に行はれ行くものと観念される。従つて最早、電体は個人の手段でもなく、個人が電体の手段でもない。反対に電体の目的は個人であり、個人の目的は電体となつて来る。」

 「電体」概念が明確に定義されているわけではないが、当時の知識人ならレーニンの言葉「共産主義とは、ソビエト権力プラス全土の電化である」あたりを連想したはずだ。いずれにせよ、戦前のラジオ(電波)と映画(電影)から戦後のテレビ(電視)を経て、現代のコンピュータ(電脳)に至る電気メディアによるシステム社会化を考える上で有効な概念である。むろん『反共情報』掲載の赤神論文は、戦後ほとんど顧みられることはなかった。この電体主義については『ファシスト的公共性──総力戦体制のメディア学』(岩波書店、二〇一八年)の第五章で詳述したので、ここではその現代的意義だけを述べておきたい。

 赤神はファシズムの左翼的定義を紹介した上で、その政策や手段においてファシズムは自由主義、民主主義、社会主義と必ずしも異なったものではないとする。最大の相違点は、ファシズムが「社会のための個人」を強調するのに対して、それ以外が「個人のための社会」を唱えることだと言う。その両者を止揚するのが電体主義なのである。

 「個人主義が若しヘーゲル流に考えて「正」であるとすれば、当然全体主義は「反」でなければならず、然らばそこに創造されて来る者は「合」に当る電体主義(仮に私はさう呼んで置く)でなければならない。」

 「電力」「電圧」「配分」という言い回しからも分かるように、赤神が「電体」で表現しようとしたのは、今風に言えば「電子ネットワーク」だろう。そして、このネットワークの担い手として赤神が注目するのは、そのコントロール(制御)を体現する経営労働者、すなわち新しい知識階級である。赤神は電体主義論文の一年後に「知識階級の心理」(『反共情報』一九四二年六月号)を発表している。資本主義の発展は「資本」と「経営」の分離を必然化したが、「資本」と「労働」を統制する「経営」が最も重要となる。電体主義とは高度化された経営の集産主義(collectivism)なのである。集産主義とは集団全体の相互依存関係を強調し、個人より集団の目標を優先する世界観の総称であり、ソビエト共産主義やナチズムはもちろん、アメリカのニューディールや日本の高度国防国家までその一語で包括することができる。

 電体主義に関心を抱いたのは、山之内靖・ヴィクター・コシュマン・成田龍一編『総力戦と現代化』(柏書房、一九九五年)で同じような総力戦体制とシステム統合の議論に触れていたからである。同書は「戦後五〇年」の節目に刊行された共同研究の成果だが、私も最終章「総力戦体制と思想戦の言説空間」(『ファシスト的公共性』に収載)を執筆した。さらに言えば、この山之内先生を代表とする研究会で報告した「ワイマール期ドイツ社会民主党の「ニューメディア」観と「教養」の崩壊」が、私の『思想』デビュー論文(一九九一年一二月号)だった。それがドイツ現代史から日本メディア史に研究領域を移す転換点だった。そういえば、『ヒューマニティーズ 歴史学』(岩波書店、二〇〇九年)で、大学院生のとき先輩が口にした次の言葉を繰り返し引いている。

 「どんなテーマで何を対象に研究をするかということは、それほど重要なことではないんじゃないだろうか。むしろ、そうした研究の積み重ねで、どんな歴史家になるかが重要なんだよ。」(二七頁、一三七頁)

いま定年退職を前に、この言葉がまた脳裏に浮かんでいる。しばらくは特別契約教授として教育研究を続けるわけだが、メディア史家として最後の仕事は〈新聞学―マス・コミュニケーション学―メディア学〉の学問史と考えている。きっと今回の『思想』登場も、その仕事の起点となるのだろう。

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