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世界をもう一度面白く見るために。絵本作家・五味太郎が問い直す、「教養」の虚構と「リデザイン」の必然性

五味太郎という名前を聞いて、最初に思い浮かぶのは何だろう。鮮やかな色彩、ユーモア、ちょっと皮肉屋でありながらも、他者への優しさとあたたかな眼差し——。『きんぎょがにげた』をはじめ、半世紀にわたって描かれてきた絵本の数々は、世代を超えて読み継がれながら、どこか時代の空気と絶妙な距離を保ってきた。

その半世紀は、出版の変遷そのものと重なる。 LURF GALLERYで開催中の「五味太郎 絵本出版年代記展:ON THE TABLE」は、デビューから現在に至るまでの約50年を「出版」という軸でたどる試みだ。机上に広げられた書籍、資料の数々は、一人の作家の軌跡であると同時に、日本の出版文化そのものの“記録”でもある。

会場には、時代を超えても色褪せることない絵本が並んでいる。ユーモアや遊び心に満ちていながら、そこにあるのは「正しさ」ではなく「自由」。ページの白場には余白のような思考が息づき、読者が自分なりの解釈で世界を組み立てることを許してくれる。その軽やかさこそ、五味太郎という作家が半世紀にわたり第一線に立ち続ける理由といえる。

展示では、絵本がどのように時代と呼応し、またそこから独立してきたかを静かに物語る。その400冊を超える絵本の数々は、子どものためだけではなく、著者自身が「世界をもう一度面白がるための装置」だったのかもしれない。(語り手・五味太郎/聞き手・朝木康友)

「残念だった」でもいい

—— お久しぶりです。五味さんの佇まいは、いつ拝見しても独特の自由な空気感がありますね。

性分なんだよ、生まれつきだからもうしょうがない。さっきまで展示に来てくれたフィリピンの女の子と喋ってたんだけど、そもそも会話が下手なんだろうな、日本人は。おしゃべり下手。最初の取っ掛かりが下手なんだよ。たぶんみんな心が閉じてるんでしょうね。日本人だけだよね、こんなにギクシャクしてるの。不思議な感じ。「これって何だろう」って。で、俺はずっと「不真面目」だったんだろうね。だから、バッティングが多かった。つまり不真面目を怒られては「真面目にやれ」と。もう耳にタコだよね、ガキの頃は。それにめげずに生きてきた。

——「真面目にやる」ということが美徳とされてきた影響なのでしょうか。

「真面目にやる」っていうのが日本は基本になってるから、みんな真面目にやってると(逆に)不恰好になっちゃうのかもしれないね。それって社会が作った「型」であってさ。取材のオファーが届くと、事前に「こういう質問をします」っていうのが来るんだよ。ありえないよね。だったらもう電話でいいよね(笑)。

—— 予定調和を好むのは、失敗したくないという防衛本能かもしれません。

全部が「儀式的」になってきてるんだよね、きっと。気が合うか合わないかみたいなことは、話さないとわからないじゃない。だから世の中に、対話での取材とかで本当のこと言う奴ほとんどいないよね、それだけの話。もう話すことがとうとうと決まっていれば、それに答えなくちゃいけない。それって「演技」だよね。で、そうじゃないことをやられるとみんな困るんだ。メディアもSNSも同じことを繰り返してる。だからそこにはなんの得られる効果もなければ、議論にもならない。やっている割にはなんの意味や価値も見出せない物事や出来事がたくさんある。それがクリアできたら、面白いインタビューができるし、面白い会話もできるんだろうけども。

—— 五味さんの活動は、常にその「ライブ感」の側にあります。今回の展示でのトークイベントもテーマは決めていないとおっしゃられていましたね。

面白いのは俺が「この人と話したい」と思ってオファーをかける人は、不思議と「なんの話をするんですか」って誰も聞かないこと。荒俣宏も坂本美雨ちゃんもみんな「オープンハート」なんだよ。そこで話がつまらなくなってもしょうがない、だったらお互いに「残念だったね」でいいわけ。

絵本のゆくえ

—— 五味さんの絵本でも「オープンハート」な一面は垣間見ることができます。オープンであることに対して、児童書の世界では「わかりやすさ」の呪縛が根強いです。

俺が周りの人によく話をするのは「なんで絵本を子どもの本っていう設定しちゃったんだろうね」って。大人も子どもも関係なくしておけばよかったのに。「絵本」っていうのは読みやすいからね。絵的な表現っていう形のふつうのビジュアル本としての立ち位置にしておけばよかったんじゃないのか。でもある時期から資本主義に自然と巻き込まれ、「子どもの本」としての「専売」が始まってきたからでしょうね。

—— といいますと。

かつてこの国の児童書文化を築いた偉大な先輩たちがいた。商売としては抜群にうまかった。幼稚園で月刊誌を売り、基礎を稼ぎ、それを単行本にして流していく。そのやり方の前提にあったのは、親や幼稚園、学校の先生への「説得」だった。

—— 出版社が子どもではなく、親と先生をターゲットに本をつくり始めたということですね。

それが大失敗だったんだ。「絵本って面白いんだよね」っていう概念を子どもに任せればよかったのに、親や先生に任せてしまったのさ。彼らは「いい読者」じゃないんだよ。ただの「中間購買者」であって、絵本を選択する基準を彼らが判断するような図式になってしまった。それが少子化も伴って子どもの数も減ってきているからますます大変な状態になってきたわけだね。

——「子どもが理解できるのか」ということが、本をつくる基準になっていくと。

長新太を読んでごらんよ。彼は確信犯的に「わからないように描きたい」んだから(笑)。わからないから面白い。それを親や先生の「理解の範疇」に子どもを閉じ込めようとするのは大人の暴力じゃないですか。

—— 五味さんの絵本が、親のフィルターを通さず、子ども自身に選ばれてきたのはなぜだと思われますか。

俺が認識してんのは、ガキってわりとそういう敏感なのか、五味太郎が何を遊ぼうとしてるかすぐわかる。「俺こういう遊びしてんのよね」っていう感じが、すぐわかってくれるかんじがあるんだ。たまに手紙をもらうと、張り合ってくるガキもいれば、パロディを仕掛けてくるガキもいる。思いつかなかった結末を考えてしまったガキもいる。俺の絵本には「仲良くしなさい」とか「残さず食べなさい」なんていう「べき論」がない。ガキはそういう説教を敏感に嗅ぎ分けるんだ。それはきっと俺の絵本に「切迫感」がないからなんだろうね。

——「理解してほしい」という作者のエゴや、社会的正しさを押し付けないからこそ、子どもの世界と共振できるのですね。

責任なんて持たないよ。俺の本を読んで悪い子になった奴もいるだろうしね(笑)。でも、それでいいんだ。善か悪か分からないのが出版の面白さ。初期のコンプライアンスなんてなかった頃の本の方が、よっぽどイキイキしてた。いまの作り手は「SDGsに配慮してますか」とか「LGBTQの基準は」なんてことばっかり気にしてる。単純な希求を絵本で表現できる人が少なくなったんでしょうね。それは表現の本質には関係ない。面白いか、そうじゃないか。それだけなんだよ。そもそもエンターテインメントの世界って、その「わかる・わからない」も楽しいものだったよね。不安も含めて面白いはずなんだよ。

出版界の失われた30年

——五味さんはそのようにして約50年近く「本の環境」が大きく変化した社会のなかで、お仕事をされてきましたが、出版産業についてはどのようにお考えでしょうか。

俺自身の話だと振り返れば、会社との接点というより編集者との「人的接点」なんだよね、結局は人との付き合いだから。いつもそう思う、会社と付き合ってるわけじゃないんでね。だからお互いに面白ければね、っていうだけの話だよな。今はある意味で昔のような「企業色」みたいなものがなくなって、仕組みが少しづつ自由になってきているのはいいことだと思うんだ。昔はそれぞれの出版社にそれぞれの独自の色があった。でも最近はないよね。多分どの出版社にものんびりしていた「失われた30年」みたいなものがあるんだろう。

——「失われた30年」とはなかなか身が引き締まります……。

鹿島茂の『神田神保町書肆街考』って知ってる? 出版文化の近代の話をすると、老舗出版社ってある日本における教養の基盤をつくったよね。「この本を持っていれば大丈夫」というような出版社の本を三冊くらいブックバンドで括って持った、素敵なかんじの「学生」がたくさんいた。でも中身を読んでたかっていうと、また別の話で(笑)。本の内容は頭に入っていないんだけども、スタイルとしてそういうものが築き上げられた。そんな学生たちが社会に出たものだから、本当の意味での「文化」というものが、ちゃんと本を読んでいた、一部の人たちだけのものになってしまったわけだね。

—— 「その本を持っている自分」という格付け、いわばブランドを消費していた面もあれば、老舗出版社は意図せず、本を狭いものにしてしまった面もあると。

そう。どうして日本の哲学が専門家だけで終わっちゃうのかなって不思議なんだ。哲学なんて一般人がやるべきものだ。あんな楽しいことはないはずなのに、老舗出版社がそれを「専門家」のものにしてしまった。格付けになっちゃったんだよ。教養人なら一応知ってるよね、っていう程度の薄っぺらな知識の集積なのさ。村上春樹がどうのこうのと議論してる奴はいても、本当の意味での文学論を飲み屋でやってる奴なんてほとんどいないだろ? みんな読んでないんだよ、実は(笑)。「役に立つか/立たないか」で(人文学が)人気がないと、出版社は人気のある工学的に役に立つ学問やら、科学的なものに移行していってしまう。本当の意味での「文化って何だろう」ということを模索する時間がなくなってしまったんだね。

佇まいを「リデザイン」する

——  おっしゃる通り、効率ばかりが重視され「考える時間」というのは確保しづらいのかもしれません。老舗の出版社も含め、多くの会社が「過去の遺産」をどう活かすか悩んでいます。五味さんは、その現状をどうご覧になっていますか。

もう一回、世の中に問うだけの素晴らしい作品が、それぞれの出版社にはいっぱいあるのに佇まいが古いんだ。どう輝くかっていう「リデザイン」の視点が圧倒的に足りない気がする。のんびりしちゃったんだよな。「放っておいても大丈夫だろう」っていう会社の体質も問題だよね。出版社は歴史に名を残した作品に胡座(あぐら)をかいてしまった。バブルの頃に予算があったはずなのに、本をつくりなおしたり、本で実験してみようっていう話を日本はできなかったんだね。それで結局、空白の時間が生まれてしまった。今ではタイポグラフィーも変わっているし、紙も変わっているし、あるいは印刷技術そのものも変わってきてる。だからこそ今のマーケットのなかでもう一回蘇るような取り組みってもっと力入れなくちゃダメよね。

—— 内容が良いものでも、今の読者に届く「プレゼンテーション」ができていないと。

工業デザイナーの目線で見れば、今一番ビビッドな感じでやるのは当たり前だよね、当然のことだよ。それが唯一、文化を継続させる方法なんじゃないですか。産業資本主義っていうのはある意味で「数字がすべて」が前提だから、売れてないってことは何かが間違っているんだよね。

—— 五味さんの絵本は今でも色褪せない印象です。

この仕事やってきて『きんぎょがにげた』がなぜ300万、400万部いくのかって、俺が不思議なのね。「なんで?」って考えると、その売り方なり出し方に継続性があるわけ。そして、あの50年前に書いたあの絵が、なんかデザイン的にも佇まいとしてもなんの古びもない。じゃあ当時の佇まいはというと、あの時は逆に派手すぎたかもしれない。ちょっと品がないんじゃないかと思われたかもしれない。でもそれは結果が出ればいいんだよ、出すしかないんだ。それが自然と次の行き先へとなっていく。

「品(ひん)」から生まれていく

——「リデザイン」というと、五味さんはもともと工業デザインのご出身ですが、その経歴が絵本の「佇まい」に与えている影響は大きいのでしょうか。例えば五味さんの絵はもちろんですが、アトリエまで、いつ見ても風通しの良い心地良さがあります。

それって俺が気持ちいいからなんだよね、たぶん。一つは理由があるのかどうかわからないけど、よく「物の在り様」みたいなこと考えるのね。亡くなった桑沢(デザイン研究所)のある先生から「品」という字について教わったことがある。品川の「品」だね。箱が三つ重なってるだろ。二つ置いて、その上に一つ乗せる。これが一番安定するんだ。三つ横に並べると退屈だし、縦に並べると不安定。この「二つと一つ」の絶妙なバランスがデザインなんだ、と。

——「あってもなくてもいいものは、あってはいけない」という引き算の美学ですね。

工業デザインの世界ではそう。削ぎ落とす。俺の絵本で白場が多いのは、塗るのが面倒くさいからっていうのもあるけど(笑)、その「予定された白」が重要なんだ。中東の研究者が「五味太郎の白が気になる」ってインタビューに来たこともある。彼らにとっては砂漠やアラーの世界、つまり「何もない空間」への畏怖があるんだろうね。

—— 絵と言葉の関係についても、独自の距離感を感じます。

俺は絵で喋りたいっていうのがあるんで、言葉は「もう一つの絵の具」みたいな感じがある。言葉ってどうしても絵的な表現ができないのさ。あんまりうまくいっていない絵本って絵の説明を文がしていて、文の説明を絵がしていて、それぞれがもたれ合ってしまっている。それだとあまりシャープな感じがしないよね。絵で喋り、言葉でしか表現できない領域をそこに置く。例えば、この言葉がないとこの画面は成り立たない。この色がないとこの画面はちょっと崩れちゃう。そのギリギリの緊張感のあるところを攻めたい。それがわからないように書きたいんだ。

—— そこに五味さんと読者をつなげる、何かがあるのかもしれませんね。

今こうして展示をしていると、やっぱり本の見せ方、出し方、プレゼンテーションしない限り止まっちゃうんだよね、きっと。ここ(展覧会)に来てくれて、やり方とか、あるいは展示の仕方も含めて、いろんなひらめいてくれた人がいっぱいいるらしくて。こうして五味太郎を長くやってきたからこそなのか、ややどこか世の中のある空気感みたいなものに、俺の絵本はちょっと寄与してんじゃないかなって思うよ。

五味太郎(ごみ たろう)
1945年東京生まれ。工業デザインの世界から、絵本を中心とした創作活動に入り、400冊近い著作(共著を含む)を発表。海外30カ国以上で翻訳出版されている。

展覧会情報
五味太郎 絵本出版年代記展 「ON THE TABLE」
会期:2025年12月12日(金) ~ 2026年2月15日(日)
会場:LURF GALLERY 1・2F
時間:11:00~19:00
住所:〒150-0033 東京都渋谷区猿楽町28-13 Roob1
料金:入場バッジ ¥1,500(会場販売のみ)
   ※会期中バッジご提示で何回でもご入場可能
   ※未就学児は入場無料
   ※1Fの展示は入場無料

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