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香川檀 ヴァニタスと時間[『図書』2026年2月号より]

ヴァニタスと時間

現代芸術が見つめる〈生のはかなさ〉

 

過去の美術の「本歌取り」

 現代美術の世界で、「時間」をテーマにした映像作品といわれて真っ先に思い浮かぶのは、シンガポールの作家ホー・ツーニェンの仕事である。2024年、東京都現代美術館での個展に出されたシリーズ作品の1つ、《Still (Life)》(静(物))は、石板上に並んだ3つの事物──花瓶に挿したチューリップの花、人間の頭蓋骨、そして砂時計──を、照明の角度を変えながら延々と撮影したかのように、編集したもの。会場で私が観た数分間では、画面上ですでにチューリップの花弁は散り、片や砂時計の砂はなおも落ち続けていた。本来は静止しているはずの「静物」が、時の経過とともに様相を変化させていくさまを表現した、さしずめ「静物―動画」とでも呼びたくなる作品だ。今こうして映像に見入っている瞬間にも時は容赦なく流れ、花が散るように早晩、死を迎えるのだ──そんな冷徹な寓意を放ちながらも、機知に富んでどこかユーモラスなのは、これが有名な絵を引用(本歌取り)した一種のパロディだからだろう。実は、この作品には、元になった美術史上の絵画がある。オリジナルの絵は、17世紀パリで活躍した画家フィリップ・ド・シャンパーニュの《髑髏のある静物》(1671年、下図)という油彩画である。バロック文化たけなわの17世紀、フランスやとくにオランダで、「ヴァニタス画」と呼ばれる特殊な静物画がさかんに描かれた。卓上に置いた事物を描いたものだが、テーブルの上は大抵、前述のシャンパーニュの絵よりもっと賑やかで雑然としている。楽器や書物など学芸を象徴するもの。宝飾品や豪華な食器、王冠や武器など富や権力を象徴するもの。片やそれらの価値に水を差すかのように、時の経過をあらわす砂時計や懐中時計、火の消えかかった蝋燭やランプ、すぐに壊れてしまうシャボン玉などが、生に終わりがあること、そのはかなさの象徴として登場する。そして極め付きが人間の頭蓋骨で、髑髏は、言うまでもなく死の記号である。 

フィリップ・ド・シャンパーニュ《髑髏のある静物》
フィリップ・ド・シャンパーニュ《髑髏のある静物》

回帰するヴァニタス

 そもそも「ヴァニタス」とは、旧約聖書「コヘレトの言葉」に出てくる「空の空、一切は空なり」という有名な句に由来するもので、中世後期から宗教美術の主題として散見されるが、16―17世紀にかけて一気に流行する。現世での富や名声や快楽を追うことを戒め、死後の裁きに備えて信仰に篤く生きよ、というキリスト教の教訓を表したものとされる。とはいえ、人文主義に目覚めた者も増えるなかで、そうした宗教的救済の約束はおのずと色褪せ、時代が下るにつれて、より近代的なヴァニタス意識が芽生えるようになる。己れの人生を振り返って、いたずらに時間だけが過ぎてしまったと感じる虚しさ。世のなりゆきを目にして、信じていた価値や意味が失なわれてしまったと感じる哀しみがそれである。第一次世界大戦後のドイツで思想家ヴァルター・ベンヤミンが著した『ドイツ悲劇の根源』は、17世紀バロック演劇論であるとともに、彼の同時代を浸す、救済の地平の喪失によるメランコリックな気分を受け止めたものでもあろう。さらに、ナチスドイツによる占領を経験した第二次世界大戦後のフランスで、画家ピカソやブラックがひっそりと髑髏のある静物画を描いて版画にした。世界の崩壊感を表現するために彼らが参照した伝統的図像が、ヴァニタス画だったのである。

 そして今、ヨーロッパ各地の美術展で「ヴァニタスの回帰」というべき現象が報告されている。前述のホー・ツーニェンによる過去のヴァニタス画の引用は、そのような潮流への彼なりの応答でもあったにちがいない。イギリスのロン・ミュエクが2023年にパリの個展で発表した《Mass》(2017年)は、人の背丈ほどもある巨大な白い頭蓋骨を、百個も累々と積み上げたり並べたりしたもの。髑髏は、誰もが知る強烈なアイコンであり、デザイン化されて薄っぺらな記号にもなれば、アートのモチーフになって人間存在の根源を照らす聖性をおびることもある。また、時期は少し遡るが、インドの美術家スボード・グプタが制作した縦横3メートルの彫刻《Very Hungry God(腹ペコ神様)》(2006年)は、インド料理につかうステンレス製の食器や調理道具を頭蓋骨のかたちに組み上げたものである。空の食器は、食糧がないことを訴えるもので、慢性的な食糧不足と、インドが植民地化される以前からオランダ東インド会社の交易政策によって飢餓に陥れられた苦い歴史を意味している。オランダ発祥の髑髏モチーフが、現代グローバルサウスの問題を扱う美術によってアイロニカルに流用されているのだ。

 このようなヴァニタスの再来が、顕著な傾向として認められるようになったのは、世紀の変わり目にあたる2000年頃のこととされている。その後、フランスのパリをはじめ、ドイツでもヴァニタスの潮流にフォーカスした美術展がいくつも開催された。こうした機運に後押しされるように、10年ほど前からドイツのブラウンシュヴァイク美術大学とハンブルク大学の研究者が学際的共同研究として「現代の諸芸術におけるヴァニタス」と銘打った研究プロジェクトを進めている。そこで問われているのは、いったいなぜ宗教的な基盤が失われてしまった現代にヴァニタスが回帰するのか、絵画だけでなく写真や映像といったデジタルアートのメディウムによってその意味はどう変わっているのか、という問題だ。頭蓋骨に限らない多様なヴァニタス・シンボルが使われた「生のはかなさ」の現代的表現が、議論の俎上にのぼっている。それらの文献を読むと、現代のヴァニタスがけっして一過性の流行ではなく、社会や個人の、心理的にもっと奥深いところから発していると感じる。

甦るヴァニタス 〈はかなさ〉と向き合う現代美術

香川檀、ヴィクトリア・フォン・フレミング、結城円 編『甦るヴァニタス 〈はかなさ〉と向き合う現代美術』

現代日本のヴァニタス

 では、日本ではどうだろうか。興味深いことに、日本では西洋の死に関する美術を「メメント・モリ(死を想え)」と呼ぶことはあっても、「ヴァニタス」と呼ぶことはなく、後者はどちらかといえば「虚栄(心)」と訳されて、非常に限られた絵画ジャンルの呼称となっているように思われる。それでも、射程をひろげて「生のはかなさ」を主題とした芸術ということで考えてみると、じつに多様な作例が思い浮かぶ。

 2024年春に東京の新国立劇場で日本初演されたシアターピース《TIME》は、坂本龍一(音楽)と高谷史郎(ヴィジュアル)の共同制作による、まさに時間を主題とした静謐で深遠な作品だった。劇中ではいくつかの物語が引用される。ひとつは夏目漱石『夢十夜』の第1話、死んだ女を100年間待った男の話。100年後に会いにくると言い残して死んだ女の墓の傍で、日が昇っては沈むのを数えているうちに、ある日、百合の花が咲き、これが女の化身であること、いつのまにか100年経ってしまったことを知るのである。あっという間に経過した100年の歳月の果てに、待ち侘びた女は花というべつの姿をとっていた、その虚脱感。あるいは別の挿話は、能の『邯鄲』の下敷きとなった中国の故事で、ある男の栄達をきわめた50年の人生が、じつは粟飯が炊けるあいだに眠り込んで見た夢だったというもの。人の一生は「一炊の夢」のようなもの、という生のはかなさの寓話である。

 ヴァニタス思想にはまた、人生の虚しさを託つだけでなく、世の営みの欺瞞や理不尽をあばき、「一切は空なり」と否定してみせる批判的な一面もある。写真を中心に多彩な表現に取り組む杉本博司は、個展「ロスト・ヒューマン」(2016年、東京都写真美術館)のなかに、「今日 世界は死んだ もしかすると昨日かもしれない」と題したセクションを設けた。彼が収集したさまざまな歴史的事物や写真がテクストとともに展示され、日本の戦争や原爆、天然資源の搾取などが長大な時間軸のなかに位置づけられ、「最悪のシナリオ」と杉本が言う、世界の暗い未来像が描き出される。それは神なき時代の黙示録であり、静物(モノ)に歴史の凋落を語らせる現代のヴァニタス画に他ならない。その一方、杉本は「仏の海」と題した次の最終セクションで京都三十三間堂の仏像写真を展開した。それらは、仏たちが来迎して人々を浄土へ連れてゆく「死の訪れ」のイメージなのだという。

 同じく写真家の畠山直哉は、写真というメディウムの本質を仏教思想にひきつけて考え抜いたひとであり、浄土宗の僧侶である谷口昌良との共著で『空蓮房──仏教と写真』という本も著している。畠山は、東日本大震災のとき故郷の陸前高田を襲った津波で母親を亡くした。思えば自然災害というものは、一瞬で大勢の命と、人の営みを呑み込んでしまう点で、究極の「生のはかなさ」の淵源といえるだろう。万物の生成消滅という仏教の無常観を重ねるならば、それは人に苦をもたらすものである。畠山はしかし、復興後に再開した地元の祭の風景にカメラを向けるなかで、母と子のなにげない仕草を撮り収める。あたりまえの淡々とした日常の繰り返しのなかに、無常の反転としての静かな希望が見て取れるのである(この所見は、鈴木賢子氏の論考に負っている)。写真はそのとき、一瞬を切り取り「肯定する」救済のメディウムとなる。このように、はかなさを見つめ、それと向き合い乗り越えようとする表現も、広い意味での「ヴァニタス」と呼べるのではないだろうか。

 そのように見ることで、現代芸術の表現と読解に新たな可能性が開けるように思う。

(かがわ まゆみ・表象文化論)


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