橋爪大三郎 救命と葬儀のあいだ
「原発事故とは何であろうか。…やってきたのは、…悲哀の感情であった。その感情は、…私を“スルーして”…若い世代の人々…をターゲットにしている…。大鎌を肩にかけた死に神がお前は関係ない、退け、とばかり私を突きのけ、…走り去っていく。」
(加藤典洋『3.11――死に神に突き飛ばされる』岩波書店、2011年)
2026年2月に盛岡を訪れた。東日本大震災で身許のわからない遺体の特定にあたった歯科医師をはじめとする皆さんの団体の研究集会があったのだ。
団体の名前はJUMP。Japanese Unidentified and Missing Persons Response Team の略である。身許を特定するのに、容貌→所持品→歯の特徴→DNA、の順に手がかりになる。容貌や所持品で判明しない遺体は、災害口腔医学の専門家が歯並びを記録し、歯科医のカルテと照合する。気の遠くなるような作業だ。情報を待ちわびる遺族を思って、多くの歯医者さんが遠方から駆けつけた。
手を携えて作業にあたった女性の歯科医師の皆さんが、一段落してから立ち上げた任意団体がJUMP。また必ず起こるだろう次の大災害に、3.11の経験を活かそう。救援の先頭に立つはずの自治体が壊滅しているかもしれない。救命救急が第一なのだが、並行して犠牲者の遺体を安置し、整理し、身許を特定し、遺族をケアする作業も待ったなし。救命と葬儀のあいだの、祈りにも似た厳粛な奉仕が果てしなく続くのだ。
自治体や警察や海上保安庁や…の皆さんが当時を回顧した。私の講演は「ひとつの生命/多様な死」。誰もが同様に犠牲になるとしても、その死の意味は宗教ごとに異なる。たとえばムスリムは、土葬が原則である。災害は緊急時なので、関係する人びとは通常の法令や指揮系統や予算に縛られず、必要で適切な行動がとれるよう制度を設計し直す必要がある、ともお話しした。
災害は、社会に与えられる試練である。個々人が人倫の根本に立ち帰り、めいめいの持ち場を守って務めを果たせたか。過去の災害を教訓に、できるだけの準備を尽くしたか。3.11の犠牲者は帰ってこないが、この次の犠牲者を減らすことはできる。その備えを怠らない人びとに敬意を表したい。





