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3.11を心に刻んで

小林美穂子 弱い立場に置かれた人々のとなりで

「アーミートゥオフォー、アミトゥオフォ(阿弥陀仏)、この子を守って」

(配偶者の暴力から逃げて来た中国人女性のことば)

*  *

 しなるように揺れる高層ビルの一室で、中国人の母親はベビーカーにすがりついて、震える声で繰り返し阿弥陀仏に祈った。
  2011年3月11日、私は同僚と二人で、配偶者の暴力から逃げて来た母子を連れ、福祉事務所で生活保護申請をしていた。
 経験したことのない揺れと目の前で恐慌を来たしている女性を前に、一瞬呆然としてしまった私もハッと我に返り、「このビルは最新だから大丈夫。私たちはとても安全な場所にいるから大丈夫」と、下手な中国語で女性にかけた私の声は、ギンギンに緊張していて恐怖と不安だけを伝えていたと思う。女性は泣き続け、祈り続けていた。
 揺れがいったん収まり、相談はそこで打ち切りに。女性相談員は母子を安全な宿泊施設に送り届けていった。
 同僚と二人で階下に降りると、魚の大群のように人が歩道を埋め尽くして流れていた。その流れに逆らい、一人ポツンと突っ立っている男性がいる。良く知るビッグイシューの販売者だった。片手に雑誌を掲げている。駆け寄ると、「あ、小林さん。さっきね、ビルが飴みたいにグニャグニャ曲がって揺れてましたよ。飴みたいに」と東北弁混じりにのんびり言うのを「早く安全なところに逃げて!」と遮ると、道路標識を頼りに当時勤めていたNPOの事務所まで戻った。
 帰宅を諦めた同僚たちと事務所で過ごした夜、ネットニュースで悪夢のような光景を見た。東北出身の同僚もいた。相次ぐ余震に神経を尖らせて、それぞれが押しつぶされそうな不安の中、デスクで過ごす。
 数日後に原発が爆発し、放射能に怯えた人々が家にこもった。スーパーやコンビニからパンや乳製品が消えた。
 私たちが支援していた人たちは高齢者が多い。利用者たちに困りごとを問うアンケートハガキを一斉に送付すると、驚くほどの返信があった。備考欄にはびっしりと恐怖や不安が書き連ねてあり、その文字は枠を飛び越え、裏にまで及ぶものもあった。すぐに食料を買い集め、アルファ米などの備蓄食料の提供を始めると、事務所にはたくさんの方々が押し寄せた。みんな話し相手に飢えていた。
 震災からまもなく13年。
 災害は、弱い立場の人たちを孤立無援の状態にしてしまう。復興とか、絆とか、そういった耳障りの良いスローガンからこぼれ落ちる人たちに思いを馳せながら、私は東京の生活困窮者支援団体で、ご縁のあった人たちと支え合うようにして暮らしている。

 

 
 
岩波書店編集部編 2021年3月刊
A5判 ・ 並製 ・ 108頁 定価 880円

「3. 11を心に刻んで」は、2011年3月の大震災を忘れず考え続ける場として、同年5月にスタート。
以降、300名を超える筆者により岩波書店のHP上で書き継がれてきたWEB連載です。
(現在は隔月で「web岩波 たねをまく」で連載継続中
連載は単行本『3.11を心に刻んで』(品切)と9冊の岩波ブックレットにまとまっています。
 震災に思いを寄せて綴られた言葉の数々にふれていただければ幸いです。

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