大浦美蘭 そして、わたしは映画を撮る
「俺、本当にこんなところで話せるあれじゃないんです。すみません。」
(映画『ほとりの朔子』深田晃司監督、2014年公開、孝史(太賀)の台詞)
私は福島県浪江町で生まれ育った。自然豊かで、私にとっては「何もない」地元のことを、どちらかと言えば嫌いだったと思う。どこに行っても退屈で、いち早くここから抜け出して上京したかった。
高校1年生の終わりに東日本大震災が起きて被災し、自宅には住めなくなり避難生活を送ることになった。高校を卒業するまではとにかくいろいろなことが起きて、2年後に東京の大学に進学した。
とにかく「震災」から離れたいという一心だったのに、そうはいかなかった。自己紹介で出身地を言えば、自然と震災の話がついてくる。相手から心配されても、無関心でも、いろいろと質問されても……どんな反応をされようと傷ついてしまう。そんな私の気持ちを相手も察してか、空気も自然と暗くなる。次第に耐えきれなくなって、自分の出身地を偽るようになっていった。
その反面、当時は震災から数年しか経っていない時期だったこともあり、頼まれて公の場で震災の体験を語る機会も多々あった。そんな時はなるべく堂々と、気丈に、弱い自分を見せまいと頑張っていたように思う。
大学に入学して半年経つ頃、私は大学に通えなくなっていた。それからしばらくして、平日の閑散としたシアター・イメージフォーラムで、内容もよく知らず、なんとなく気になっていた映画を観た。映画の後半、福島の被災地からひとりで親戚宅に避難してきた高校生・孝史が、突然、反原発の集会でスピーチをすることになる。孝史は聴衆の期待する言葉とは異なるようなスピーチをした後「俺、本当にこんなところで話せるあれじゃないんです。すみません。」と呟いて逃げ去るのだ。途端に、私はボロボロと泣いた。それから映画が終わるまでずっと咽び泣いてしまった。共感、とはまた違う、言葉にできない感情が湧き上がって、たまらなかった。きっと私はこの東京で、「震災」から逃げている自分を許せずにいたのかもしれない。上映が終わり、場内が明るくなったとき、私は「映画を撮ろう」と思ったのだった。
右も左もわからぬまま、けれども映画が撮りたくて、私は浪江への一時帰宅のたびにカメラを回すようになった。在学中の数年間撮り続け、2017年にはセルフドキュメンタリー映画『かえりみち』を完成させた。自分が「被災者」として抱えていた葛藤が起点の映画ではあったが、制作を続けるなかでその葛藤にとらわれず、素直な気持ちを表したいと思うようになっていった。
今も映画を撮り続ける中で、地元や震災との心の距離について考えてしまう。それはきっと、私が映画を撮る原動力そのものだからだと思う。