web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

3.11を心に刻んで

大浦美蘭 そして、わたしは映画を撮る

「俺、本当にこんなところで話せるあれじゃないんです。すみません。」

(映画『ほとりの朔子』深田晃司監督、2014年公開、孝史(太賀)の台詞)

*  *

 私は福島県浪江町で生まれ育った。自然豊かで、私にとっては「何もない」地元のことを、どちらかと言えば嫌いだったと思う。どこに行っても退屈で、いち早くここから抜け出して上京したかった。

 高校1年生の終わりに東日本大震災が起きて被災し、自宅には住めなくなり避難生活を送ることになった。高校を卒業するまではとにかくいろいろなことが起きて、2年後に東京の大学に進学した。
 とにかく「震災」から離れたいという一心だったのに、そうはいかなかった。自己紹介で出身地を言えば、自然と震災の話がついてくる。相手から心配されても、無関心でも、いろいろと質問されても……どんな反応をされようと傷ついてしまう。そんな私の気持ちを相手も察してか、空気も自然と暗くなる。次第に耐えきれなくなって、自分の出身地を偽るようになっていった。
 その反面、当時は震災から数年しか経っていない時期だったこともあり、頼まれて公の場で震災の体験を語る機会も多々あった。そんな時はなるべく堂々と、気丈に、弱い自分を見せまいと頑張っていたように思う。

 大学に入学して半年経つ頃、私は大学に通えなくなっていた。それからしばらくして、平日の閑散としたシアター・イメージフォーラムで、内容もよく知らず、なんとなく気になっていた映画を観た。映画の後半、福島の被災地からひとりで親戚宅に避難してきた高校生・孝史が、突然、反原発の集会でスピーチをすることになる。孝史は聴衆の期待する言葉とは異なるようなスピーチをした後「俺、本当にこんなところで話せるあれじゃないんです。すみません。」と呟いて逃げ去るのだ。途端に、私はボロボロと泣いた。それから映画が終わるまでずっと咽び泣いてしまった。共感、とはまた違う、言葉にできない感情が湧き上がって、たまらなかった。きっと私はこの東京で、「震災」から逃げている自分を許せずにいたのかもしれない。上映が終わり、場内が明るくなったとき、私は「映画を撮ろう」と思ったのだった。

 右も左もわからぬまま、けれども映画が撮りたくて、私は浪江への一時帰宅のたびにカメラを回すようになった。在学中の数年間撮り続け、2017年にはセルフドキュメンタリー映画『かえりみち』を完成させた。自分が「被災者」として抱えていた葛藤が起点の映画ではあったが、制作を続けるなかでその葛藤にとらわれず、素直な気持ちを表したいと思うようになっていった。
 今も映画を撮り続ける中で、地元や震災との心の距離について考えてしまう。それはきっと、私が映画を撮る原動力そのものだからだと思う。

 

(おおうら みらん・映像作家)
 
 
岩波書店編集部編 2021年3月刊
A5判 ・ 並製 ・ 108頁 定価 880円

「3. 11を心に刻んで」は、2011年3月の大震災を忘れず考え続ける場として、同年5月にスタート。
以降、300名を超える筆者により岩波書店のHP上で書き継がれてきたWEB連載です。
(現在は3カ月に1度「web岩波 たねをまく」で連載継続中
連載は単行本『3.11を心に刻んで』(品切)と9冊の岩波ブックレットにまとまっています。
 震災に思いを寄せて綴られた言葉の数々にふれていただければ幸いです。

タグ

バックナンバー

ランキング

  1. Event Calender(イベントカレンダー)

国民的な[国語+百科]辞典の最新版!

広辞苑 第七版(普通版)

広辞苑 第七版(普通版)

新村 出 編

詳しくはこちら

キーワードから探す

記事一覧

閉じる