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3.11を心に刻んで

本間龍「今回の五輪の遺産(レガシー)とは」

ジャーナリズムとは報じられたくないことを報じることだ。それ以外のものは広報に過ぎない。

*  *

 これは使い古されたともいえる、ジョージ・オーウェルの言葉とされている(オーウェルの言葉ではないとの指摘もある)、あまりにも有名な言葉だ。だが東京五輪における報道を考える時、これほど現在のメディア状況を言い当てている言葉はないだろう。

 開催まで1カ月を切った今でも、東京五輪は有観客なのか無観客なのか、はたまた中止なのか定まっていない。政府分科会の尾身会長が国会で「普通ならこんな時期にはやらない」と言い放ち、ほとんどの医療関係者が中止または無観客を提言しているのに、中止はおろか観客を入れようとしているのだから、もはや狂気としか言いようがない。

 ここまで政府や五輪組織委が民意を無視して暴走できるのは、批判する側のメディアの力が、著しく弱いからだ。それもそのはず、大手メディアはあろうことか、自ら五輪のスポンサーとなり、積極的に翼賛報道に加担してきたのである。
 五輪にまつわる諸悪の根源は、全国紙全紙(朝日・毎日・読売・日経・産経)が東京五輪のスポンサーになったことである。スポンサーになるとは、その対象に全面的に賛同し協賛することであり、広告収入等で必ず儲けられるという打算があったのだ。もちろんそうなれば、批判的報道ができなくなることは分かりきっていた。だが彼らはそれを承知で儲けを優先し、真実を報道する義務を捨てたのだ。

 実は、報道を旨とする団体が五輪スポンサーになったことは、五輪の歴史上、過去一度もない。それが日本では、全国紙全てがスポンサーになっているのだから、驚愕である。そして新聞社がスポンサーになったことは、その各社とクロスオーナーシップで結ばれた民放テレビキー局にも大きな影響を与えた。五輪のデメリットを忖度なく批判すべき報道機関が消滅し、翼賛報道に躍起となったのだ。「報道の顔をした広報」が、恐るべき規模で展開されたのである。

 最近でこそようやく、政府の姿勢に批判的な報道は増えた。だがそれでも、「中止」の主張はほとんどない。大手では朝日新聞社が社説で中止を要請したが、それでもスポンサーにとどまっているから、迫力が無い。他社に至っては、中止を主張した社は皆無である。これは、3.11以前の、メディアが原発に対して無批判だった状況に酷似している。この「報道の自殺」こそは、五輪の「負の遺産(レガシー)」として、永遠に語り継いでいかなければならない。

 

(2021年7月5日) 
(ほんま りゅう・作家)
 

注)冒頭の一文について、オーウェルの言葉ではないのではとのご指摘をいただき、公開時の原稿に修正を加えました。(2021年7月14日

 
 
 
岩波書店編集部編 2021年3月刊
A5判 ・ 並製 ・ 108頁 定価 880円

「3. 11を心に刻んで」は、2011年3月の大震災を忘れず考え続ける場として、同年5月にスタート。
以降、300名を超える筆者により岩波書店のHP上で書き継がれてきたWEB連載です。
(現在は隔月で「web岩波 たねをまく」で連載継続中
連載は単行本『3.11を心に刻んで』(品切)と9冊の岩波ブックレットにまとまっています。
 震災に思いを寄せて綴られた言葉の数々にふれていただければ幸いです。

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