大川史織 旅することをやめないために──
動き回ってください。旅をすること。しばらくのあいだ、よその国に住むこと。けっして旅することをやめないこと。もしはるか遠くまで行くことができないなら、その場合は、自分自身を脱却できる場所により深く入り込んでいくこと。
(スーザン・ソンタグ『良心の領界』木幡和枝訳、NTT出版、2004年、「序 若い読者へのアドバイス」)
「辺境の異国で暮らしたいと言う娘の背中をよく親御さんは押せましたね」と、言われることがある。2011年3月。旅先のマーシャル諸島から、わたしはここ首都マジュロで働いて暮らすと母にメールを送った。心はすでに決まっていた。翌日、メールボックスを確認しようとインターネットにアクセスして、東北で大きな地震があったことを知った。隣の部屋で暮らすフィリピン人の夫婦が、テレビを見においでと呼びに来てくれた。画面の前で立ち尽くした。2004年のスマトラ島沖地震を思い出すねと頷き合った。息を吞んだのはそれだけではなかった。ABC、BBC、アルジャジーラ。海外のニュース番組はいずれもトップニュースとしてFukushima Daiichiの様子を報じていた。大丈夫かと母に訊くと「原発? 知らない」と話が嚙み合わなかった。日本のメディアが逡巡している頃、海外メディアはいち早く福島第一原子力発電所の事故を報じていた。原発をめぐる報道のタイムラグの狭間で、わたしはソンタグのアドバイスを思い出していた。「しばらくのあいだ、よその国に住むこと」 ── それを実践するタイミングが、今でいいのだろうかという迷いはあった。でも、今なんだろうと思う気持ちの方が大きかった。翌日か翌々日、事態を把握した母からメールが届いた。「あなただけでも生き延びて」。あの頃、本気で東京にはもう住めなくなるかもしれないと思った。平時では止めたかもしれない娘の移住が、当時は希望の選択に変わっていた。
震災後、宮城県亘理町で災害ボランティアをしていた佐藤勉さんに出会ったのは2015年。勉さんは、戦時下のマーシャル諸島で餓死した父の日記を大切に持っていた。わたしは勉さんの慰霊の旅に同行し、2011年から移り住んだマーシャル諸島のドキュメンタリー映画『タリナイ』を制作した。震災で壊れた自宅の床の間を勉さんはマーシャル・コーナーに改修していた。地震のたびに勉さんは床の間の無事を教えてくれた。しかし今年3月16日に発生した福島沖地震で、勉さんの自宅は3月11日より大きな被害を受けた。これまで守られていたマーシャル・コーナーも被災した。
来春、日本政府は福島第一原子力発電所の放射能汚染水を太平洋に流そうとしている。テレビをつけると、アナウンサーは処理水の海洋放水は「安全」であるとくり返す。「「風評被害」につながらないように」。母と会話が嚙み合わず驚いた瞬間が蘇る。11年前からこの国が恐れているものは変わっていない。旅をすること。はるか遠くまで行くことができない今、ソンタグの言葉をまた思い出している。
(現在は隔月で「web岩波 たねをまく」で連載継続中)