『科学』2025年7月号 特集「競争と共存の生態学」|巻頭エッセイ「障害のある研究者が活躍する未来へ」並木重宏
◇目次◇
【特集】競争と共存の生態学
群集生態学とは何だろうか……山道真人
多種共存と多様性崩壊のメカニズム──外来生物の競争が示す統一的原理……鶴井香織
ダーウィンの置き土産──多様な生物はいかにして共存しているのか?……舞木昭彦
草花と昆虫が織りなすネットワーク……篠原直登
植生はいかに形成され,変化していくのか──植生研究の100年と土壌微生物学のフロンティア……門脇浩明
休眠しやすさの違いが支えるミジンコの共存……大竹裕里恵
[巻頭エッセイ]
障害のある研究者が活躍する未来へ……並木重宏
蚊の吸血の始まりと終わりを制御する仕組み……佐久間知佐子
銀河団の構造形成をX線精密分光観測で解き明かす……佐藤浩介
[新連載]
ウイルス学130年の歩み1 ウイルス学の誕生……山内一也
[連載]
17~18世紀英国の数学愛好家たち2 暦書の中の占星術……三浦伸夫
夜の教室からリュウグウへ──定時制高校科学部の挑戦5
JpGU2025を前に思う──科学部の現在地……久好圭治
言語研究者,ユーラシアを彷徨う12(最終回)チベットの地へ──土族語・東郷語……風間伸次郎
3.11以後の科学リテラシー150……牧野淳一郎
野球の認知脳科学3 わからない球は打てない……柏野牧夫
[科学通信]
ヤンバルクイナの憂鬱──マイクロプラスチックの曝露と影響……中田晴彦
次号予告
表紙デザイン=佐藤篤司
博士号を取得し,アメリカの研究所で博士研究員として新たな一歩を踏み出した矢先,進行する病のため,キャリアの岐路に立たされた。帰国後,半年の入院生活を経て車椅子で大学に復職することになったものの,「障害のある身体で研究を続けられるのだろうか」という不安は拭えなかった。そうした中で情報を集めるうちに見出したのは,海外,特にアメリカにおける障害のある研究者と,彼らを支え,歓迎する文化や制度の存在だった。私にとってそれらは大きな驚きであり,同時に希望でもあった。
アメリカでは,障害のある研究者が活躍できる土壌が,文化と制度の両面から育まれている。文化的な側面としては,多くの学術団体が障害のある人々の参加を支援している。例えば,アメリカ科学振興協会では,いち早く障害者が登壇するシンポジウムが開催され,年会のバリアフリー化が進められてきた。さらに,障害のある学生を対象としたインターンシッププログラムも設置され,過去600名の卒業生のうち,実に85%が科学者あるいはエンジニアとして社会で活躍しているという事実は,その実効性を物語っている。
制度的な環境整備も目覚ましいものがある。障害のある学生や研究者が研究を進める上で必要な支援(人的介助や実験機器のカスタマイズなどの合理的配慮)については,個別のニーズに応じて手配するための予算制度が準備されている。国内の理化学機器メーカーも,関連法規に準拠したアクセシブルな実験室設備を開発・販売しており,選択肢も豊富だ。これらには,障害者を含めた科学技術分野におけるマイノリティの参加を促進する法律が背景にある。政府機関の支援による障害のある学生向けの科学実習も多数開催されている。視覚,聴覚,肢体不自由などに配慮したプログラムにより,さまざまな学生に対して科学への扉が開かれている。
さらに,アメリカでは,博士号取得者の属性に関する年度ごとの詳細な調査が行われている。これにより,障害のある学生が実際にどれだけ研究の世界に参画しているかを把握できる。例えば2019年のデータでは,全米で約4万人の博士号取得者のうち,視覚障害者が約1300名,聴覚障害者が約500名,肢体不自由者が約500名含まれており,実に1割近くもの人々が何らかの障害を有しながら博士号を手にしている。障害のある人々は,アメリカのアカデミアにおいては決して例外的な存在ではないことがわかる。
日本の現状を鑑みると,障害のある人々が研究者としてその能力を存分に発揮できる環境は,まだ発展途上と言わざるを得ないかもしれない。しかし,アメリカの事例は,私たちに多くの示唆を与えてくれる。それは,障害の有無にかかわらず,誰もが参加できるインクルーシブな研究環境を整備することの重要性である。
東京大学では2020年度から,障害のある人が使用できるアクセシブルな実験室環境や実験室における合理的配慮の整備を行う取り組みを開始し,これらを活用して,障害のある学生に向けた科学実習を実践している。今後はこれを,全国の教育機関が共同して利用できるしくみに発展させていきたい。