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藤田真一 『ゆふすげ』のしらべ(下)[『図書』2026年6月号より]

『ゆふすげ』のしらべ(下)

 

 美智子上皇后の歌集『ゆふすげ』を手にした最初の印象は、現代短歌集という枠におさまらないという感覚だった。理由のひとつに、皇太子妃、そして皇后という立場が関係するのではないかということがあった。

 だが、『ゆふすげ』の解説(永田和宏)には、「美智子さまの御歌は、皇太子妃、皇后、上皇后という特殊な立場を離れて、純粋に現代の歌人の一人として読まれるべきものである」と書かれていた。たしかに一首ごとには、現代歌人の歌として味読するのは当然だ。だが、歌集全体を見とおしたとき、当世の一歌集の範疇に押し込めてしまっていいのかという疑問がよぎる。「現代歌集」というだけの見方は、かえって歌集の奥行を見失わせることにならないか。むしろ、現代短歌の枠組みをいちど取っ払って、永々と培われてきた和歌史に位置づけるという視点があってもいいのではないか。ことによると、それが歌の世界の真味をたどるよすがになるかもしれない。そんな見通しのもと、改めて歌集をひもといてみたい。

 

光の歌

 全体的に、さりげないなかに濃やかな歌いぶりをもつ歌に印象づけられるが、そのかたわら、こんな大胆な発意を()(れき)することがある。

 

幾光年太古の光いまさして地球は春をととのふる大地(瀬音)

 

 宇宙のかなたで、何億光年か知れぬ太古の昔に発された光が、たったいま地球にとどき、その光が地球に春をもたらすとうたわれる。大上段に宇宙物理的知識を振りかざすのではなく、さらりと季節の芽生えへと昇華する詩情の羽ばたきに驚かされる。

 じつは、美智子妃に歌の指導をした五島美代子に、「かぎりなく空はかがよふ宇宙塵こえし向うの光りおもはせ」(時差)という歌がある。あるいは、師のこの作に触発されたかとも想像される。

 ところで、この歌の主役は「光」である。悠久の太古に発生した光が、いま地球にとどいて春をうながす。すなわち、春の本源は光そのものだった。そうした「光」の歌は、『ゆふすげ』『瀬音』両歌集に点在する。いま二首のみあげる。

 

東より満ち来る光あるらしく心ほのぼのと若木に寄れり

生命(いのち)あるもののかなしさ早春の光のなかに揺り(ユスリ)()の舞ふ(瀬音)

 

 五島美代子にも、「みなぎらふ光となりてもちの夜の月の下びに子はあそぶらし」などという歌があるが、「光」の歌は顕著というほどではない。むしろ、五島亡きあとの指導者、佐藤佐太郎の歌にきわだった親近性をみることができる。たとえば、「朝のまの時雨は晴れてしづかなる光となりぬ街路樹のうへ」や、「いのちある物のあはれは限りなし光のごとき色をもつ魚」など、多彩な光模様が詠じられている。とくに注目されるのは、黄昏の光である。

 

(ゆふ)(あかね)みつつ来りて土手のうへの(から)(たち)の枝やさしかりけり(歩道)

(ゆふ)(かげ)のなかにまぶしく花みちてしだれ桜は(かがやき)を垂る(形影)

 

 目をひくのは、「夕茜」の語や、「ゆふかげ」と()ませる「夕光」の文字である。じつは、美智子妃の歌集にもつぎのような歌がある。

 

夕茜に入りゆく一機若き日の吾がごとく行く旅人やある(瀬音)

(ゆふ)(かげ)のさし入る部屋に雛とゐてひととき心ゆたかにをりぬ

 

 「夕茜」「夕光」はいずれも師からの継承で、師資相承の語法と考えられる。

 また天空に発する光だけではなく、ときに人そのものから放たれる光もある。

 

(おん)(れつ)は夕映えの中ありなむか光おだやかに身に添ふ覚ゆ

 

 添え書きに「御即位に伴ふ祝賀御列の儀」とあり、明仁皇太子の天皇即位の行列のさまをよんだ歌である。夕映えのなかで、わが君(・・・)がおだやかな「光」を放っている。即位から20年を経て、そのときのようすを回想した歌。「人びとに見守られつつ御列の君は光のなかにいましき」(瀬音)でも、「光」に包まれる姿がよまれる。夫でありつつ国の象徴である天皇の傍らにあって、見守りつづけた皇后ならではの詠歌というべきだろう。

 

(かん)(あさ)打ち()めと君の打ち(たま)ふ白球はさやに光りて飛べり

 

 「君」は当時の明仁皇太子、「白球」はテニスボール。打ち放たれたボールが光るのは、もちろん朝日によってだが、とともに、「君」の打った球だからこそでもある。

 

去れる後もいかに思はむこの苑に光満ち君の若くませし日(瀬音)

 

 詞書に「移居といふことを」。平成の天皇譲位ののち、1993年から四半世紀を暮らした御所を去るというときの歌。「君のませし日」とは、即位してから、その御所に移り住むようになった日々の回想であることをいう。「君」は光に満ちていたとうたわれる。

 

本歌取り

 ふたつの歌集には他者の詠歌をとりこむ、いわゆる本歌取りの歌がみられる。

 

いまひとたび朝山桜みひたひに触れてわが師の蘇らまし(瀬音)

 

 「五島美代子師をいたみ」の詞書がある。皇室の一員となって以来、指南を仰いできた師、その昏睡する病床を見舞ったときの歌。これは五島の、「目さむればいのちありけり露ふふむ朝山ざくら額にふれゐて」(いのちありけり)からことばを借りてきている。(もと)(うた)にあった「目さむれば」を裏にひそませながら、もういちど桜の花が直接ひたいに触れて、目をあけていただきたいという渾身の願いが()められている。本歌のことばを(はん)(すう)し、呼び込み、対話することを通じて、命そのものの再生を願っているのである。本歌取りとは、たんなる技法をこえて、いのちの呼び覚ましでもあったのだ。

 恩愛のひとを悼むばかりではない。さらに視野を大きくとった本歌取りの歌もある。

 

(まな)(うら)()ち来る空の浅みどりかの日おほみ歌そらんじ初めぬ

 

 「明治神宮御鎮座五十年にあたり」と詞書にあり、1970年(昭和45年)の詠とわかる。「おほみ歌」は、神社の祭神でもある明治天皇の歌、「あさみどり澄みわたりたる大空の広きをおのが心ともがな」をさす。1904年(明治37年)の作である。もとの歌にある「あさみどり」をうけて、そこから明治天皇の歌につながり、これをきっかけにしてそらんじる(暗誦する)ようになったというのだ。ここでは、本歌取りの技法は、明治天皇の歌にふかく親しみ、その世界に分け入る契機となったということになる。

 明治天皇歌を暗誦した、いわばその成果として、本歌を取り入れた歌がうまれた。それは、さらに明治天皇の生まれ故郷、すなわち古都にはせる天皇の想いへの共感につながる。

 

萩の戸の花の盛りのまさびしき旧き都と偲び給ひき

 

 明治神宮70年の際の作。ここでは、明治天皇の「ふるさととなりし都は萩の戸の花のさかりもさびしかるらむ」を念頭においている。「萩の戸」はもともと、清涼殿北東に面した妻戸のことだが、近世期には清涼殿内の一室とされた。俳諧では、「萩殿・萩の戸」として初秋の季語とされる。明治天皇の歌は、もはや住まわれなくなった京の御所のことを、はるか東京から想いやっているのである。

 こうした明治天皇の心情をもっとも理解していたのは、みずからも京に生を享けた妃、昭憲皇太后だっただろう。

 

ふるさとの西の都はくるまより見わたすかぎり山にぞありける

 

 「西の都」は京都のこと。武蔵野とは異なって、三方を山に囲まれた盆地の都をなつかしむ。そしてこの想いは、平成の皇后にも受け継がれていく。

 

父祖の地と君がのらしし京の地にしだれ桜の幼木を植う(瀬音)

 

 1991年(平成3年)5月26日、京都における植樹祭での作。夫である天皇が、京は皇室累代の地とおっしゃった、その地に植樹するのだとうたう。しだれ桜は平安神宮に植えられるなど、都ゆかりの桜木であり、桜とともに京都思慕は連綿とうたい継がれていった。

 古歌ないし既存の歌と息を通い合わせる詠法は、本歌取りばかりではない。

 

「雪」といふうまごの声に見し窓にまこと雪かと花舞ひしきる

 

 「雪!」という孫の声に促されて窓の外に眼をやると、たしかに雪が降っているかにみえる、が、それは桜の花びらだったという歌。じつは落花を雪とみる和歌は古くから、たとえば、「山高み霞をわけて散る花を雪とやよその人は見るらん」(後撰集)のようによまれてきた。花びらを雪とみまがう見立ては和歌の伝統だった。幼な児の声にさそわれて、おなじ趣向が装いを新たにしたことになる。

 

君をうたう

 平成の天皇家は、一般家庭のように、わが子を手もとに置いて育てたという点で画期的だったとされる。そのようすは、歌の世界にも映し出されている。

 

冬空を銀河は乳と流れゐてみどりご君は眠りいましけむ(瀬音)

(なれ)を子と持ちたる(さち)を胸深く今日君が手にゆだねむとする

 

 一首めは、1973年の作。あとがきに「東宮殿下御誕生日の佳き日に」とあり、長男浩宮(現徳仁天皇)の生誕直後を追想する。二首めは、清子内親王の結婚に際しての歌。さらりとしたよみぶりのなかに、この手で育てた実感とともに、新郎に娘の未来を託す安堵の気持ちがこめられている。その一方で、浩宮誕生のこんな歌もある。

 

あづかれる宝にも似てあるときは()()ながらかひな畏れつつ抱く(瀬音)

 

 預かった宝(授かった、ではない)といい、わが子を抱くにしても「畏れつつ」とうたう。「吾子」は、わたくしの子であって、また同時に、わたくし独りのものではない、そんな個人的な歓びにとどまらない心情が、緊張感をもってうたわれる。

 この感性は、歌の師五島美代子の眼にはこう映っていた(いのちありけり)。

 

み子ながらおんわたくしのものならぬきびしき道も踏みまさむかも

 

 生まれたばかりのわが子を「わたくしのものならぬ」と言い、子育てから、立太子を経て即位へといたる将来を、「きびしき道」だろうと見すえている。

 美智子妃の御子(現天皇)が立太子の儀に臨んだときの歌にはこうある。

 

赤玉の緒さへ光りて日嗣なる皇子(みこ)とし立たす春をことほぐ(瀬音)

 

 「赤玉の緒」は、古事記に、「赤玉は緒さへ光れど、白玉の君が装ひし貴くありけり」とうたわれる。次代の天皇となる御方への祝歌となしつつ、手塩にかけて育んだその子が、もはや手の届かぬ存在となった感慨が秘められている。

 じつは、似たようなよみかたは平安朝のむかしからあった。たとえば後撰和歌集のこの一首。

 

君がため祝ふ心の深ければ(ひじり)()()の跡ならへとぞ

 

 詞書によると、10代だったのちの村上天皇に、本(習字の手本)が奉られたときの作とされる。贈り主は作者でもある太政大臣藤原忠平、うたわれる「君」の叔父であり、いわば身内にあたる。「祝ふ」とは、ここでは神の前で前途を祝する意をあらわす。それがつまり、未来の天皇の御代を見越して、予祝するうたいぶりになった事情である。

 一方、拾遺和歌集にはこんな歌もある。

 

岩の上の松にたとへむ君ぎみは世にまれらなる種ぞと思へば

 

 「君ぎみ」は、冷泉天皇の5歳と6歳の親王のこと。そのふた方を、類いまれなる高貴の血すじの方々とよむ。作者は左大臣藤原道長。時の最高実力者によって、格別の貴顕として詠じられる。帝の子にむけられるこうしたまなざしは、21世紀の現代短歌にまでも脈々と永らえたということができる。

 「君」は多義多彩の語で、目上にも同輩にも、また目下にも用いる。敬意もあれば、親愛の情をこめるときもある。歌集にうたわれる「君」もさまざまだが、何をおいても目をむけるべきは、夫でもある天皇のことである。わが子でありつつ、自分のものではない、そんな二重性は、夫明仁天皇に対しても同様であった。その存在は「君」の語に集約される。

 

若葉みな(きら)めき見ゆるこの(あした)その()(した)(みち)に君と入りゆく

 

 初夏の早朝、散策のいかにも親密なさまがうたわれている。慕わしさに満ちてあゆむ両人は、どこのだれにでもある姿であり、仲睦まじい私的なよみぶりといってよい。

 

()()の旅終へて還らす君を待つ庭の夕すげ(かし)ぐを見つつ

 

 うち見には、3日間の旅に出た「君」の帰りを待っている歌だが、どういう旅なのかと思いをめぐらせると、どこか公務の相を帯びてみえる。「夕すげ」とともにまつ心は、夫であり天皇であるという、二重の存在性が重なってくる。

 

(いく)(たび)(おん)()に触るれば頷きてこの夜は御所に(ぎょ)(しん)し給ふ

 

 「病院より一時還御」の詞書がある。入院中の天皇が、一時的に帰還したときの作。一首全体はまぎれもなく相聞歌である。ただ、詞書に「還御」とあって、「御所に御寝し給ふ」と詠じれば、唯一無二の天皇を介護する皇后でしかよみえない歌となる。ここではまさに、公と私は分かちがたく、融合しているとみるのがふさわしい。

 

四方拝終へて還らす君を待つ松かざり立つ未明の(かど)

 

 四方拝とは、元日の朝に行われる宮中行事で、国家国民の安寧を祈禱するきわめて厳粛な祭祀であるが、儀式に臨むのは天皇だけであって、皇后は参加しない。皇后はひたすら待つ身であり、つつがなきことを祈ることしかできない。

 このように歌集の「君」は、ときに夫、ときに天皇という公私にわたる存在として描かれている。この「君」の重ね合わせは、先にみたように、古今和歌集以来の勅撰集にもみられた。

 そもそも勅撰集とは、時の帝(天皇・上皇等)の命をうけて編纂される歌集である。そんな勅撰集中の「君」は、私人のこともあれば、天子を意味することもある。双方が重なり合ったところにこそ、一首一首、また歌集全体としての調和が保たれるといえる。

 美智子上皇后の歌は、万葉・古今のいにしえより脈々と流れてきた和歌伝統の先端に位置する。だがそれだけではない。思い切った語法を交えて、和歌伝統を大きくはみ出すよみかたもなされている。歌趣は、身辺にはじまって、国内はもとより、世界へと展開し、はては宇宙の光にまでおよぶ。歌の世界は広くて遠い。

 歌のしらべに角々しさはなく、音読朗誦にも堪える優雅さをもつ。和語にない表現があったとしても、歌の品位を逸脱することはない。いってみれば、『ゆふすげ』『瀬音』は、古典和歌と現代短歌のむすぶ交差点に位置する歌集である。

(ふじた しんいち・日本古典文学)


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