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伊藤詩織 真実を届ける仕事──世界のジャーナリストに会いに行く

第5回 “難聴のディレクター” がつないだ2つの世界〈伊藤詩織 真実を届ける仕事〉

撮影:Shiori Ito

「作り手が “共に生きる” ことの難しさと尊さを “自分ごと” としてとらえ、メッセージをもつことで、生まれる番組も変わっていく」
── 長 嶋  愛
(NHKディレクター)

 

 「みなさんは、2つの世界があることを知っていますか?」
 NHKのディレクター・長嶋愛さんが2018年に制作したETV特集「静かで、にぎやかな世界──手話で生きる子どもたち」は、手話によるこんな問いかけから始まる。

 日本で唯一、すべての授業を手話で行なう私立のろう学校・明晴学園(東京都品川区)を約1年にわたり取材したこのドキュメンタリーは、文化庁芸術祭大賞、ギャラクシー賞大賞、イタリア賞特別賞など、国内外の様々な賞に輝いた。

明晴学園・幼稚部での授業の一コマ(2021年2月、以下すべて撮影:Shiori Ito)

 60分の番組は、全編ノーナレーション。有名な俳優の音声解説が入ることも多い日本のドキュメンタリーでは珍しく、新鮮だった。
 小学部の子どもたちがカメラに向かって「手話ニュース」の真似を始めたり、「彼はいちばんモテます」「ファンが1万人以上いるそうです!」と友だちをからかったり……手話のおしゃべりがシャワーのように浴びせられる。子どもたちの豊かな表情と伸びやかな手の動きに心を奪われた。

 ろう者の世界と、聴者(※1)の世界。私は昨年、ろう者の俳優・大橋ひろえさんの取材を通して「2つの世界」の存在について知り始めた。そして、リサーチ中に出会ったこのETV番組を見て以来、ぜひ制作者の方に話を聞いてみたいと思っていた。 聴力の低下を機に、人生で初めて「壁」に直面したときから番組の完成までを『手話の学校と難聴のディレクター』(2021年1月、ちくま新書)にまとめられた長嶋さんに、Zoomでお話をうかがった。

 当日、職場でインタビューに答えてくれた長嶋さんの隣には文字通訳者の方がいて、PC上で私の質問を文字化する。同じPC画面でテキストをみた長嶋さんが音声で質問に答える。そんなふうにインタビューは進んだ。チャット上に質問のテキストを貼りつけることもあった。 生いたちや制作現場の苦労など、話題はあちこちに及んだが、言葉を選びつつはっきりと、時に豪快な笑いとともに質問に答えてくれた。

「バラエティのドキュメンタリー性」に魅せられて

 そもそもどうしてテレビの道へ? と聞いてみると、子どもの頃にハマったというバラエティ番組の名前が挙がった。

 「“学校に行こう!” と “ウンナンの気分は上々。” が大好きでした。まだ、今のように字幕放送が普及していない頃でしたが、この2つの番組はほとんどにテロップが入っていて。内容を存分に把握できたし、すごく面白かった。

 そうやってのめりこんでいくうちに、バラエティって意外と “人の素” が見えるドキュメンタリーなのではないか? 笑いにはうそがないな……と。それがたぶん好きだったんだと思います」

入局以来、ディレクターとしてEテレ「ハートネットTV」「ろうを生きる 難聴を生きる」、総合「世界はほしいモノにあふれてる」などを担当してきた。

 長嶋さんは2歳の頃に難聴と診断され、幼稚園に入るまで聴覚特別支援学校に通った。当時は難聴の程度が軽く、幼稚園以降は補聴器をつけながら、聞こえる子どものなかで育ってきたという。家族も学校の先生たち、友だちも、「聞こえにくい自分」をそのまま受け入れてくれていた、そのことに大人になってから気づいたと話す。

 2003年、NHKに入局。聴覚障害を伝えたうえでの採用だったが、初任地の奈良放送局では新人ディレクターの一人として他の職員と同じ仕事を任された。ニュースの中継を担当したとき、中継現場と放送局のスタジオをつなぐ伝達に失敗し、「中継は無理です」と上司に伝えたこともある。すると「伝達役はほかのスタッフに任せる。それ以外はやってくれ」と柔軟な対応がとられ、その後も取材・構成などディレクターの仕事を続けてきた。
 しかし、東京へ異動して間もない頃、突然、耳鳴りとめまいに襲われる。耳をちぎりたくなるほど音が過剰に聞こえた。やむなく休職し、回復を待ったものの状況は良くならない。

「共生」なんてきれいごとじゃないか

 難聴が進んで、これまで通りの生活がもう戻らないかもしれない。そんな事態に直面し、どんな気持ちでいたのだろう。

 「聴力をうしなう “喪失感” もあるにはあったんですが、自由にコミュニケーションをとれなくなったことが、とにかくつらかった。何を話しかけられているかわからないし、誰かに声をかけたくても、筆談であるとか “口元を見せてほしい” とお願いしなければいけない」 「人のお荷物になっているような気がして、気づいたら誰とも話さず黙って過ごす時間が増えていました」

 葛藤するなか、上司のアドバイスを受けて長嶋さんは難聴やろうの人たちの働き方について調べ始める。しかし、出会った人の多くが、聴者との直接のやりとりをあまり必要としない仕事をしていて、「聞こえる人と一緒に働く」ことへの手がかりはなかなか見つからない。手話通訳者と一緒に働いているろうの弁護士・田門浩さんの存在を知ったときは、とにかく「前例」が見つかったことに勇気づけられた。
 「耳の代わり」になる人と組むことでディレクターを続けられるのではないか? 手話はわからないが、筆談してくれる人がいれば、仕事ができるのではないか──さっそく「筆記する通訳をつけてほしい」という希望を伝えた。  
 だが、局の返事は「健常者と同等に働くことが前提」「特別なサポートは認めていない」というものだった。「ディレクターを続ける方法はない、と一気に目の前が壁に閉ざされていくような感じでした」

 共生。バリアフリー。世の中にあふれるスローガンは結局、大人の言うきれいごとじゃないかと毒づくうちに、自分の思いにも気づかされた。
 
 「“障害者” といわれるけれど、障害は自分の中にあるものではなくて、その壁こそ障害だと感じました。コミュニケーションがとれなくなっていったとき、“聞こえるようになりたい” というより、どちらかというと “なぜ聞こえにくい自分のままではいられないんだろう” “なぜ聞こえる人にあわせて生きなければならないんだろう?” と思ったんです。わりと自己中心的なので(笑)、そうやって我にかえったというか」

 障害の「社会モデル」──障害は、個人の中ではなくて社会の側にこそ宿る、多様な個人を包摂するものへと社会を変えていくべきだ、という考え方(※2)──が胸におちていった瞬間だった。
 復帰後、職場では電話対応を代わってもらい、長時間の会議では同僚がついてそばで筆記してくれた。「至れり尽くせり」の状況だったが、自分は組織のお荷物という感覚がぬぐえず、悶々とする日々が続いた。

自分らしく生きるって?

 しかし、聴力が落ちるまでほとんど接点をもたなかった難聴者やろう者との出会いによって、長嶋さんのなかで何かが変わっていく。
      
 「聞こえないけど、テレビ局でお仕事してるんだよ、すごいね~!」
 取材の一環で、あるろう学校を訪れたときのことだ。幼稚部の子どもたちを前に、先生は長嶋さんのことをこう紹介した。
 微笑みを向ける子どもたち。実は働けていないんです、とは言えなかった。「噓つきの大人」にならないように、「聞こえなくても、テレビ局で働く」先輩にならなくては……ここから、新しいチャレンジが始まった。

 何度か行ったきりになっていた手話講習会にも足を運んだ。「会話のキャッチボールを久しぶりに体感して、すごくほっとしました」
 参加した手話講習会に集まっていた人たちは、長嶋さんと同じように、これまで手話を使ったことのない難聴者や中途失聴者だった。お互い、最初は声のほうが先に出てしまう。口の動きと一緒に、覚えたての手話を一生懸命使って気持ちを伝え、何とかわかりあった。
 「聞こえる人たち」の中で、「聞こえない人」は自分一人だけ──それまでの状況では、会話につまずくたび、「聞こえないからだろうか?」と自分を責めていた。同じ立場の人と出会い、「こういうことあるよね」と思いや経験を共有できたことで、一人ぼっちではないと勇気づけられたという。

 「自分にとって “生きる” とは、聞こえる・聞こえないに関係なく、人とコミュニケーションをとること、それによって初めて自分らしく生きられるんだと気づいた体験でした」
 
 前向きな気持ちが仕事の姿勢にも表れてきた頃、道は突然開かれた。
 新しい上司が着任し、音声情報を文字にする通訳を、「番組制作補助スタッフ」として雇うと認められたのだ。 通訳と働くことで、電話取材ができるようになった。打ち合わせの音声が文字になり、全体の状況がわかるようになった。「聞こえないままの私」にできることが増えていく。しだいに罪悪感や自己卑下の感情が薄れていったという。

めくるめくおしゃべり……しかし、言葉がわからない!

 その後、長嶋さんは福祉班に移り、Eテレの番組「ろうを生きる 難聴を生きる」を担当する。局の許可も下り、正式に文字通訳と一緒に働くようになった。
 様々な番組を手掛けるなか、2017年、以前から噂に聞いていた「手話で学ぶ学校」明晴学園を訪問。校内見学が終わるとそのまま、「子どもたちと番組をつくりたい」と申し込んでいた。長嶋さんを突き動かしたものは何だったのだろう。

 「まず、手話でしゃべる、しゃべる……とにかくしゃべって、明るく元気な子どもたちには、圧倒的なパワーがありました。手を動かし、表情も多くを語っていて、深いコミュニケーションがあるとすぐにわかった。子どもたちの姿を通して、“共に生きる” とはどういうことか、問いかけられるかもしれないと思ったんです」
 「ただ一方で、その言葉が全然わからなかったんですが。あんなに手話が飛び交い、音も日本語も存在しない世界は見たことなかった」

 「言葉がわからなかった」のには理由がある。子どもたちが使っているのは、長くろう者に受け継がれてきた日本手話だったからだ。日本語とは異なる文法体系をもつ「視覚言語」である日本手話に対して、長嶋さんが勉強していたのは、「音声言語」である日本語をベースに、声や日本語にあわせて手と指を動かす日本語対応手話だった。

 日本のろう教育では、1933(昭和8)年以来、口の動きを読み取って発声させる「口話法」(後に聴覚口話法)が用いられてきた。
 「聞こえるほうがいい」という発想のもと、口話の妨げになるからと手話をしりぞけ、耳の聞こえない・聞こえにくい子どもたちに口話教育が一律にあてはめられてきたことに対して、ろう者自身からも強い疑問の声が上がってきた(※3)
 明晴学園は、口話教育を受け、深い葛藤を抱えてきたろう者たち、またろう者を子にもつ親たちが中心となってつくられた学校だ。月一回、公共施設を借りてのフリースクール開校に始まり、海外の事例や研究も取り入れながら実践されてきた「手話による教育」が、2008年の学校開設に結びついた。

自分の言葉を育てる、自分の言葉で育つ

 「静かで、にぎやかな世界」のなかでいちばん心に残ったのは、子どもたちによる詩の表現だった。
 明晴学園には「国語」という授業はなく、第一言語である手話を学ぶ「手話科」と、第二言語の「日本語」を学習する「日本語」の2つの授業がある。
 番組では「手話科」の授業で、草野心平の「春のうた」を取り上げ、児童たちが日本語の詩を日本手話に翻訳する場面がおさめられている。土から出て、太陽の光に照らされるカエル、ゆっくりとたなびく雲……子どもたちが目を細めて表現する様子が、今も目に焼きついている。

 インタビューのあと、実際に明晴学園に見学にうかがった際にも、「手話科」の授業で児童たちが「手話ポエム」を表し、その様子を先生が撮影していた。考えながら小さな手を思い思いに動かしていく子どもたちを見ていると、自分の言葉を育むことこそ成長なのだ、と感じた。

小学部での「手話科」の授業(2021年2月)。

 先に触れたとおり、長嶋さんは、ごく小さい頃に聴覚特別支援学校で口話教育を受けた。補聴器をつけ、音声の世界で生活してきたという経験から、口話の「難しさ」「生きにくさ」を比較的最近まで理解できていなかった、と著書に記している。

 「もし最初から、私がまったく聞こえない状態で生まれ、口話だけを強制されていたら……きっと言葉を獲得することも、人とコミュニケーションをとることもできなかっただろう。聴力によっては、私のように口話が合った人もいる。だが、全員ではない。その見極めは非常に難しいものだけれど、一人ひとりに合う生き方が尊重されるべきだと思う」(前掲書・57頁)

制作者にも多様性が必要

 私自身もフリーの映像の作り手として、『手話の学校と難聴のディレクター』を読んで深く共感したエピソードがあった。

 ETV特集を制作する前、長嶋さんが「聞こえない人たちの世界を伝えたい」と、手話を前面に出した番組の企画書を出したときのこと。それを目にした人からは、「耳が聞こえない人が出てくると、魅力的というより、可哀想って思っちゃう」という意見が出たという。

 テーマは異なるが、私も日本のメディアに海外の人権問題に関する企画案を持ち込んだ際、「その問題は日本とどう関係するの?」「海外のことなんて興味ないよ」と何度もいわれることがあった。
 面白い番組を届けるために、切り口や表現の工夫が求められるのは当然のことだ。でも、制作者の思い込みが番組の幅を狭めていないだろうか? 「可哀想な障害者」という描かれ方のコンテンツを目にすることも、いまだに少なくない。
 テレビと多様性について聞くと、長嶋さんははっきりとこう語った。「多様性は視聴者の中だけにあるわけじゃない。制作側にも多様な視点が必要だと思っています」

 ETV特集の番組制作では、チームの中での自分の役割をどう考えていたのだろう。「静かで、にぎやかな世界」は、長嶋さんが「当事者だからつくれた作品」なのだろうか?

 「最初の頃は、“聞こえない自分だからこそ” という思い込みみたいなものがありました。これまで多くの番組は聞こえるスタッフによってつくられてきた。それを覆して、当事者視点だから発信できるものをつくりたい、と。ところが制作を進めるうちに、どちらかの視点でいく、ということではなく、 “2つの視点” があるほうがより良いものが生まれると感じるようになりました」

 番組で、特に大きな反響を呼んだ2つの場面も、そうした “2つの視点” が混ざり合うことで生まれたという。「聞こえるようになる、魔法の薬があったら飲みますか?」という長嶋さんの質問に、生徒たちが答えるインタビューの様子。ろうの母親が「娘が生まれたとき、ろうとわかってうれしかった」と語るところ。いずれも「私やろう者の世界にとっての “当たり前” を、聞こえるスタッフが驚き、面白がってくれた」、そこから生かされていったシーンだった。

「手話で楽しむみんなのテレビ」の挑戦

 局内の雰囲気にも、変化を感じている。ジェンダー問題やマイノリティについての研修が行なわれたり、女性ディレクターの採用者数が増えるなど、目に見えるかたちで多様性を意識する姿勢が生まれているという。
 
 「作り手が “共に生きる” ことの難しさと尊さを “自分ごと” としてとらえ、メッセージをもつことで、生まれる番組も変わっていくと思います。ただ、まだ声を上げられない人はたくさんいる。私もそうでした。聴覚障害は目に見えない。だから “言わないと伝わらない” と自分を奮い立たせながら、いろいろ言ってきました。“耳の聞こえないディレクター” として、今も自分らしくいられるのは、時間はかかっても、声をあげれば必ず気がついてくれる人が現れたから」
 
 現在、長嶋さんは、NHKの人気番組に手話をつける「手話放送プロジェクト」の制作に関わっている。
 ろう者と聴者が1つのチームとなって、スタッフ同士で話し合いながら番組づくりが進められているという。私も手話がついた「きんたろう」「つるのおんがえし」(『おはなしのくに』)の放送をみてみたが、手話ってこういう言語なんだ! と、工夫をこらした斬新な番組に引き込まれた。
 「今まで聞こえる人だけで楽しんできたテレビを、今度はろう者だけが楽しむ、ということではなくて、一緒に楽しめる番組にしたかった」。長嶋さんは「手話で楽しむみんなのテレビ」の狙いについてこう語る。

文字通訳者の逸村さん(左)と。

 海外の番組を見ていても、ろう者が身近な存在としてメディアの中で描かれることが増えていると感じる。
 “Ginny and Georgia” という新しいドラマシリーズにもろう者の父がいる家庭が登場するし、ろう者の大学として有名な米ギャローデット大学を舞台にした青春リアリティ番組 “DEAF U” も人気だ(いずれもNetflix)。

“一緒に働く” 大変さと、醍醐味

 当初は受け入れられなかった、「文字通訳者と一緒に働く」という道を切り開いた長嶋さん。組織に新しい前例をつくった、その一人として、未来の世代にどんな現場を残していきたいと考えているのだろう。「まだまだ、自分の仕事しだい」「あんまり何も考えてない(笑)」と言いつつ、日々の体感からこう話してくれた。

 「必ずしも通訳の必要な難聴やろうのディレクター、ということでなくても、私が1つの事例になって、いろんなケースにつながっていったら……と思います。 ひとくちに “障害者と働く” といっても、ただ “一緒の職場にいる” ということではなく、実際に “一緒に働く” のは、けっこう大変です。エネルギーを消耗するし、コミュニケーションにいちいち時間がかかったりする。もちろんお金の問題もあります。通訳を入れて、コミュニケーションがきちんととれる体制を整えるにはそれなりにコストがかかるし、それについて意見が分かれることもたくさんある。でも、そうした環境がそろって初めて、今までにない価値観や創造力が生まれ、それが番組につながっていくのかなと思います」

*      *      *

 明晴学園では長嶋さんの番組をみて中学部に転校してきたという生徒にも出会った。新しい番組づくりを実現してきたその仕事は、2つの世界に橋をかけ続けている。
 
 「撮影させてもらった生徒たちが大きくなったとき、手話で生きる人も、音声で生きる人も互いの違いを理解し、認め合っている社会にしていかないといけないと思います」
 長嶋さんのこの言葉をあらためて共有したい。

 

※1 ろう者とは、ひろく「耳が聞こえない人」という意味でつかわれることもあるが、特に手話を日常言語として使用する人のことを指す。亀井伸孝『手話の世界を訪ねよう』(岩波ジュニア新書)によれば、「手話」と「ろう者」との対をなす言葉として、「音声言語」と「聴者(健聴者)」がある。日本語や英語のように声で話す言葉を「音声言語」と総称し、それを話す耳の聞こえる人たちを「聴者(健聴者)」と呼ぶ。

※2 障害者運動の歴史のなかで、社会に適応するように個人を変えていく「医学モデル」から「社会モデル」への転換が実現されていき、「社会モデル」の考え方は2014年に日本で批准された障害者権利条約、2016年に施行された障害者差別解消法にも反映されている。

※3 ろう者の歴史、ろう文化については、明晴学園の元校長でもあるジャーナリストの斉藤道雄による『手話を生きる——少数言語が多数派日本語と出会うところで』(みすず書房)や、※1で上げた『手話の世界を訪ねよう』にくわしい。

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著者略歴

  1. 伊藤 詩織

    ジャーナリスト、ドキュメンタリー制作者。映像ニュースやドキュメンタリーを制作するHANASHI FILMSをロンドンで共同設立し、ジェンダー、人権問題にフォーカスを当て発信する。初監督をしたChannel News Asia “Lonely Deaths”、撮影を担当したAl Jazeera “Racing in Cocaine Valley”がそれぞれ2018年New York Festival銀賞を受賞。 著書『Black Box ブラックボックス』(文藝春秋)は現在、韓国、中国、台湾、スウェーデン、フランスでも翻訳出版されている。2020年、米誌『TIME』の「世界で最も影響力のある100人」に選ばれる。

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