俵万智 歌集『ゆふすげ』の魅力[『図書』2025年7月号より]
歌集『ゆふすげ』の魅力
格調の高さと、しみじみとした本音の心。両立させることの極めて難しいふたつが、ことさらな感じを見せず、やわらかく調和している。それが美智子様の御歌の大きな魅力だ。
三日(みか)の旅終へて還らす君を待つ庭の夕すげ傾(かし)ぐを見つつ
歌集『ゆふすげ』の表題歌であるこの一首にも、その魅力は溢れている。
「還らす」は、お帰りになるの意だが、「還」という漢字を用いることで、ご公務から御所へとお戻りになる特別感が出ている。そこに添えられた「す」が、また絶妙だ。古典の授業風に説明すれば、「す」は上代の助動詞で、軽い尊敬、そして親愛の意を表す。皇太子様が3日間にわたる公務からお戻りになるのを待っているという状況で、この大げさでない助動詞が、まことに心憎い。
夕すげは、安野光雅さんの美しい装画の通り、淡黄色の野の花だ。庭の夕すげが、ちょっと首を傾げているのを見つつ……と詠まれているが、その花の様子はまさに、夫君を待って心が少し前のめりになっている美智子様の御姿と重なって感じられる。
「格調の高さと、しみじみとした本音の心」の調和ということが、この一首ですでに、充分おわかりいただけるのではないだろうか。
本歌集は、巻末の永田和宏氏の解説によると「昭和から平成の終わりまでに詠まれながら、これまで私たちの目に触れることなく眠っていた466首の御歌」が、まとめられたものである。『ともしび』(当時の皇太子様との共著歌集)や、『瀬音』で、私たちはすでに歌人としての美智子様の優れた作品に接してきた。特別な(あまりに特別な)お立場を踏まえつつ、それでも普遍に届く作品として、たとえば次のような一首がある。
あづかれる宝にも似てあるときは吾子(わこ)ながらかひな畏(おそ)れつつ抱(いだ)く
(『瀬音』)
浩宮様が誕生された時の歌だ。我が子でありながら、ゆくゆくは天皇となるみどりご。貴重な宝物を預かったように、畏れ多い気持ちで抱く母親の、腕(かひな)と心の震えが伝わってくる。限りなく愛おしいからこそ、責任の重圧と不安も、いよいよ大きい。
皇室に嫁がれたかたのプレッシャーというのは、とうてい私たちの知りえぬものではある。けれど、この一首は、作者の特殊な状況から生まれたものでありながら、命を抱く母親の多くが持つ心の風景を描き出している。私自身、初めて我が子を抱いたときの恐怖にも似た心細さを、ありありと思い出した。
預かりものの宝という意味では、どの命もそうだ。たまたま自分のところに生まれてきた赤ん坊を、育て、ゆくゆくは世界に巣立たせる。か弱いものを胸に抱くときの、おののくような気持ちは、社会的な立場うんぬん関係なく、誰もが持つものだろう。そして、自分でさえこうなのだから、美智子様の御気持ちたるや……とまた、普遍から特別に戻って、味わいなおすことになる。そこに溝はなく、短歌を通して往復の橋が架かっている感覚だ。
『ゆふすげ』にも、お子様を詠まれた歌が多く登場する。
一つ距離保ちて見れば余りにも小(ち)さく危ふく立てる吾子かも
窓辺の花なべて光に向きゐるを見つつ暫しゐぬ吾子を送りて
子の自立のためには、適度な距離を保つことが必要だ。支えてやりたい気持ちをぐっとこらえている一首目。手は出さないが、目を離すことのできないのが親心である。「余りにも」という切羽詰まった一語があることで、はらはらする気持ちが痛いほど伝わってくる。
けれどやがて、目の届かないところへも子は行くようになる。短時間であっても心配で仕方ない気持ちを捉えたのが、二首目だ。見送った後の窓辺の花の、さりげない存在感が素晴らしい。花は、自然の摂理で光の方を向く。そう、吾子もきっと光の方へ歩んでいくだろう。第四句の字余りが、母親のちょっとぐずぐずした気持ちとも重なって、ぴったりだ。この歌は初句も字余りだが、花の存在感とうまく響きあっている。
湯上りの幼児(をさなご)の肌温(ぬく)みつつ紅志野(べにしの)の如きくれなゐ含(ふふ)む
遠き旅近き旅にと子ら発ちて園ひそやかに黄すげ咲きつぐ
この春に入学したる幼子はその背に余るランドセル負ふ
細やかな観察眼については永田氏も触れているところだが、湯上りの肌にほのかな赤みが差す様子をとらえた「紅志野」に、はっとさせられた。丁寧に選ばれた「含む」という動詞も効いて、実感のある独特の比喩である。
二首目が詠まれたのは、昭和59年。3人のお子様は、それぞれ満で24歳、19歳、15歳となり、健やかに成長された。「遠き旅近き旅」というフレーズは、リズムがよく魅力的だが、ほどよい抽象性が心理的な遠さ近さをも伝えてくれる。そう思って読むとき、下の句の黄すげ(夕すげの別称)は、美智子様ご自身に見えてくる。ここから動くことはできないけれど、ひっそりと子を思う心を咲き継がせ、待っておられるのだ。冒頭の「三日の旅」と合わせ読めば、歌集名の「ゆふすげ」は自画像と受けとめることもできるかもしれない。
ランドセルの一首は、平成4年の御作なので、ご自身のお子様のことではないだろう。どちらが主役かわからないほどの存在感を見せるランドセル。小一あるあるの描写に微笑みを誘われる。と同時に、子どもが未来に背負ってゆかねばならぬ様々を思う心が、そっと見え隠れするところが、ポイントだ。かつての我が子の姿を重ねつつ、すべての子どもへの普遍的な愛情が感じられて、こういう感覚もまた美智子様らしいものと思われる。
幼児(をさなご)の馳(は)せ去りゆけば我のみの立てる枯野に日のかげり来る
駆け足で並べたが、これは平成8年の御作で、すでに3人のお子様は成人されている。丁寧で的確な風景描写は、実景を思わせつつ、子育てを振り返る心象風景とも読めるだろう。
預かった宝物を大切に慈しみ、適度な距離ということを常に考え、風呂上りなどの日常を共有しつつ、見守ってきた吾子たち。幼児だった子は、光に向かって元気に走り去っていった。限りない安堵に包まれながらも、寂しい一人の母親がそこにいる。青々とした野原ではなく枯野であることは切なすぎる気もするが、やがてくる老いをも予感させ、作品のスケールは大きい。
子育て以外の歌も読んでみよう。平成26年の御作に「復興」と詞書が付された次の一首がある。
帰り得ぬ故郷(ふるさと)を持つ人らありて何もて復興と云ふやを知らず
上の句で詠まれた「人ら」は、東日本大震災の被災者だろう。永田和宏氏は「復興」という言葉と、この歌について次のように記す。
被災後、二年、三年を経ると、新聞やテレビ、政府もできるだけ「復興」という言葉を使って、被災地がその打撃から順調な回復を遂げていることを強調するようになります。人々を元気づけるために必要な姿勢ではありますが、美智子さまのこの一首は、そのような「復興」という言葉の安易な使用に対して、鋭く警鐘を鳴らすものともなっています。原発事故の影響も含めて、故郷に帰ることのできないこれだけ多くの人がいるなかで、何をもって「復興」と言えるのだろうかと、強い疑問を呈しているのがこの一首なのです。
お立場を考えれば、ギリギリのところを攻めた一首とも言える。「何もて復興と云ふや」と鋭く訴えた直後に「知らず」と穏やかに着地しているところには、最大限の配慮があるだろう。
永田氏の鑑賞に頷きながら、加えて私が心打たれたのは「帰り得ぬ故郷を持つ」という表現だ。口語で言うところの「帰れる故郷がない」なら「帰り得る故郷を持たぬ」となる。一般的には、このほうが自然な言いかただろう。そこをあえて「帰れない故郷がある」と言っているのだ。確かに、被災者にとって故郷は「ない」のではなく「ある」もので、その有りようが変わってしまったのである。当事者の心を持って被災地を、彼らの故郷を、思いやる人にしか宿らない表現だなと思う。この心寄せ、痛みを共有するお力があればこそ、一首は単なる批判で終わらず、読む者を被災者の側に連れていく歌になった。表現者として、人と言葉への心くばりが行き届いているからこそできる、離れ業である。
この国の岬も浦も照らしつつ今さし昇る朝日と思ふ
平成5年の御作。この国の新しい年を寿(ことほ)ぐように、すみずみまで照らして朝日が昇る。国母としての大きく温かな視点が感じられるうえ、「も」が生きている貴重な例だ。私は歌会などで「も警察」と呼ばれるほど、助詞の「も」を常にパトロールしている。たいていの場合、「も」は他の助詞に置き換えたほうが歌は引き締まる。が、この歌では「岬も浦も」とすることで、日本のすみずみまで余すところなく朝日が照らすことになる。ピックアップされた岬や浦は、ざっくりとした捉え方では視野に入らない。ちゃんと日本地図の輪郭が頭のなかに描かれていなくては出てこない表現だ。
「今さし昇る」という現在形の限定がもたらす心地よい緊張感。結句の「思ふ」に至って、それまでの神のような高い視点からサラッと個人の心へ収斂(しゅうれん)するところも鮮やかだ。この一首などは、あまりに的確でさりげない言葉の配置なので、読み過ごしそうになる。が、ひとたび立ちどまって味わうと、まことに行き届いた言葉の斡旋であることがわかる。
島處女(しまをとめ)らが濡(ぬ)れつつ染むるテイチ木(き)と泥土(でいど)の色の眼裏(まなうら)にたつ
「奄美の旅」一連の最後には、この歌が置かれている。テイチ木は和名をシャリンバイと言い、この木の煮汁に含まれるタンニンと奄美の泥の鉄分とを反応させて染めるのが、大島紬を支える「泥染め」だ。奈良時代の文献にも出ている古(いにしえ)からの技法である。
2年前、仕事で取材させてもらったのだが、機械化は到底できない繊細な工程で、おそろしく手間ひまがかかるものだった。たまたま私は知っていたが、泥染めの知識のない読者にとっては、地元の言葉であるテイチ木や、泥土と言われてもピンとこないかもしれない。
けれど、あえて、この歌なのだ。大島紬の完成品(おそらく素晴らしいものを目にされたはず)ではなく、伝統工芸を支える手仕事、その過酷な過程に思いを馳せての一首であることに、心意気を感じる。
『ゆふすげ』には、蚕の歌も何首か登場する。以前、宮崎県綾町で藍染めをしている秋山眞和さんを訪ねた。彼は染めに用いる絹を蚕から育てている。「小石丸」という奈良時代から伝わる品種で、良質だが生産性の悪さからほぼ飼育されなくなったものだ。
秋山さんは蚕を慈しみながら「この素晴らしさをご存じで大切にされているかたがいらっしゃる」として美智子様の御名前を口にした。あの蚕が、この歌集の蚕なのだ。
泥染めや蚕のこと、私は偶然知っていたが、古き良きものへの心寄せや、深い教養に裏打ちされた御歌は、他にもふんだんにあるのだろう。多くの読者を得て、『ゆふすげ』の魅力がいっそう紐解かれることを願い、筆をおこうと思う。
(たわら まち・歌人)