web岩波 たねをまく

岩波書店のWEBマガジン「たねをまく」

MENU

真実を届ける仕事──世界のジャーナリストに会いに行く

第1回 スポットライト〈真実を届ける仕事〉


「調査報道は権力をもつ人や組織の不正行為を暴き、自分の声を届ける場をもたない人たちに、その機会を与えることもできる」
──ジェン・アベルソン
(元ボストン・グローブ「スポットライト」チーム、現在はワシントンポスト紙記者)

 2016年の、年が明けて間もない頃だったと思う。ジャーナリストとして生きのびる場所を求め、なかば逃げるように乗った成田発ロンドン・ヒースロー行きの薄暗い飛行機のなかだった。薄いブランケットにくるまって、機内の小さなスクリーンで映画『SPOTLIGHT』(2015年公開、アカデミー作品賞・脚本賞受賞。日本では『スポットライト 世紀のスクープ』の邦題で翌年公開)を観た衝撃は大きかった。
 実話を基にしたこの映画は、カトリック教会の神父たちによる幼い子どもへの性的虐待事件を地元紙ボストン・グローブの取材班、「スポットライト」チームが追うというもの。1970年にスタートした「スポットライト」は、アメリカの新聞のなかでも最も長い歴史のある調査報道チームだ。

 幼少期に性暴力の被害を受けた人たちが、その抉られたくない過去について、細部にわたりジャーナリストから尋ねられる。息を整えながら話をしようとする姿に、何度も涙がこぼれた。
 私はその時も、たぶん今も、性暴力の問題になると、報道する側/される側、両者の思いから考えてしまう。

  当時書いていた日記を見返してみた。
 「『スポットライト』を観た。自分の向き合っているケースに対して希望をくれた。
 正義はスポットライトの下に照らし出されるべきであり、私たちは個人の責任を追及することにとどまらず、システム(社会、組織)について問うべき」
 報道によって照らし出される希望があることを強く感じた。

個々の神父ではなく、組織に焦点を──

 現在進行形で被害が生み出されているかもしれない。そうした危機的状況にもかかわらず、ボストン・グローブの新編集局長は、記事を出すタイミングを遅らせると決める。映画のなかで、新編集局長が記者たちにこう語るシーンがあった。
 「このストーリーはもっと大きい」「(今報じても)騒ぎにはなるが変化にはならない」
 長年、カトリック教会での性的虐待事件が見逃されてきた仕組み、組織的な背景とは何だったのか。そこに焦点を当てないかぎり、再発の恐れもある問題の「根」にはたどり着けないという判断だった。
 一旦ストップがかかったのち、9.11同時多発テロもはさんで、事件の第一報は2002年に掲載される。このスクープの反響は、被害に遭っていた多くの人々が新たに声を上げ、記者たちに体験を語り始めるというかたちでも現れた。一連の報道は結果として、ボストン周辺にとどまらない深刻な社会問題として、神父による性的虐待にアメリカ中の目を向けさせるものになった。

  2017年、ハリウッドのプロデューサーによるセクシャルハラスメントと性的暴行疑惑の数々が報じられ、今まで聞こえなかった、聞かれてこなかった「声」が世界中でエコーした。このMeToo運動に15年ほど先駆けて、全米を震撼させた性暴力事件を伝えたのが、「スポットライト」チームだった。

  日本でも、人権派と言われたジャーナリストの性暴力問題、官僚によるセクシャルハラスメントなど、近年明るみに出た事件をふり返ると、いずれも従来の権力構造のなかで見逃されてきたものだったことがうかがえる。そうした構図を踏まえ、性暴力にかかわる事件では、加害者個人の責任を追及するだけでなく、組織的な問題としてとらえる必要があるといえる。

 日本の刑法、司法による正義の実現に希望を失いかけたことは、決して一度ではなかった。それでも、「スポットライト」チームをはじめ、調査報道やジャーナリズムの可能性への希望が消えなかったからこそ、私自身のケース、そしてその背景にある問題に向き合うことを諦めずにいられるのだと思う。私にとっても、スポットライトを当てたかったのは一個人ではなく、一連のシステムそのものだった。

  今回から、連続インタビュー「真実を届ける仕事──世界のジャーナリストに会いに行く」をスタートさせることになった。真実を届ける仕事に携わる方々のストーリーをお届けし、一人ひとりの「伝える」というアクションのなかに、様々なかたちの「報道への希望」を感じていただけたらと願っている。

調査報道の現場で

 今回のインタビューに応じてくれたジェン・アベルソンは、カトリック教会での性的虐待事件が報道された直後の2002年1月、正式にボストン・グローブに加わった。それ以来、以下に述べるように「スポットライト」チームなどで長く活躍してきた。

  2018年11月、私は欧州放送連合(EBU)が企画し、年に一度開かれる国際会議「NEWS  XCHANGE」に招かれた。スピーカーとしてこの会議に参加していたジェンに、エディンバラの会場内にあるカフェで話を聞いた。「ベテラン調査報道記者」から想像されるイメージとは異なる、物腰の柔らかい人だった。

「NEWS  XCHANGE」でのジェンによる講演

 これまでにジェンは、同僚の記者とともに地元のレストラン業界での魚の偽装表示問題を暴いたり、患者に告げることなく同時に二人の外科手術を行なっていた病院の実態を報じたりと、ビジネス・医療、また司法をふくむ様々な領域の調査報道に携わってきた。他方で、アメリカのスポーツ専門チャンネルESPNでのセクシャルハラスメントやモデル業界での性搾取と虐待など、性暴力の問題についても取材を重ねている。

#MeToo

 「2016年にもなって、性暴力事件をどう扱えばいいのかまったくわかっていない学校がいくつもある。それを目の当たりにしたことは大きな衝撃だった」
 それは、ジェンがアメリカのある有名私立高校で男子生徒が女子生徒の体を触ったというケースを取材した時のことだった。学校側は男子生徒による行為を「セクハラ」と言い切り、警察の捜査は不要と判断した。その代わり、加害者である男子生徒には「罰」として毎週パンを焼き、被害を受けた女子生徒に持って行くよう指示したという。何が起きたかを軽視する、あまりに配慮に欠く対応だった。
 「若いサバイバーたちの声をきちんと聞き、そして、なぜ学校がこのような対応をしているのかを取材する必要があると思い、他の学校のケースも調べ始めました。チェシーと出会ったのはこの頃だった」

  ジェンが取材し、後に共著も出版するチェシー・プラウトは1998年生まれ。全寮制のエリート私立高校セイントポール(ニューハンプシャー州)の1年生だった時に性暴力の被害を受けた。彼女にとって安全な場所であるはずの学校で、その事件は起きた。

 セイントポール校には、3年生になった男子生徒が、卒業前にいかに多くの下級生とセックスできるか競うというシニア・サルート──3年生への敬意という名の〝伝統〟があった。

  シニア・サルートの一環としてチェシーを呼び出した加害者は、学校で成績トップの優等生だった。チェシーは、被害を警察に届け出、法廷で自ら証言し、後に未成年者への性的暴行に関して有罪判決を勝ち取った。しかし、ハーヴァード大学への進学が決まっていた「金メダル卒業生」を、学校側は自らの名誉とともに守ろうとした。
 学校のコミュニティーでは、加害者の裁判支援をするファンドレイジングが始まるなど、友人の生徒たちだけではなく、学校コミュニティー全体がチェシーと対峙した。当時15歳のチェシーにとって、信じていた学校や友人たちを失うことは、被害そのものに増して苦しみを伴う体験だった。

性暴力につながる〝伝統〟は、なぜ生まれたのか

 「セイントポール校は1970年代から女子生徒を受け入れ始めた。でも、それは昨日のことみたいだった」
 チェシーは先述のジェンとの共著  I Have the Right To: A High School Survivor's Story of Sexual Assault, Justice, and Hope(2018年、Margaret K. McElderry Books)でこう率直に綴っている。

 セイントポール校では、地位と伝統とヒエラルキーが根強く残っていた。その伝統を担っていたのは男子生徒だけでなく、教員を含む学校側もだった。

 チェシーは、やがて苦渋の決断として、学校に対する民事訴訟も提起する。陪審裁判で先述の有罪判決が下された後も、学校側は性的暴行の加害があった事実を認めず、それまでメディアではほとんど公表されてこなかったチェシーの情報を公にすると、半ば脅しのような重圧をかけ、チェシーの口を塞ごうとした。
  ボストン・グローブ紙でこの学校の対応を報じ、当時のチェシーの様子も知るジェンは次のように語る。
 「この一件で、チェシーのなかで何かが大きく変わった。学校は、『こうすれば被害者は黙る』と考えていた。でも、そうやって今までどれくらいの子たちが『恥』だと言われ、非難され、黙らされてきたのか。そのサイクルを断つ時だとチェシーは気づいたの」
 それまで「被害者A」とされていたチェシーが、実名で一歩を踏み出し、性暴力被害に遭った人たちを支援するための、社会に向けた啓蒙キャンペーンを行なっていく。こうしたアクションに至るまでのチェシーの葛藤を、ジェンは記者として隣で見守った。
 少しでも他のサバイバーが孤独を感じないように、もし自分の経験から何か学べることがあるのなら──チェシーがジェンと手記を執筆したのはそうした気持ちからだったという。

レイプだと知らなかった── 性暴力を報道するということ

 「#MeTooが広まったことで、誰でもこういったケースを話すことができるようになったと思い込んでしまうジャーナリストもいる。でも、現実はそうではない。私たちは常に取材相手に敬意をはらい、また報道によってその当事者にリスクが待ち受けていることを理解しなくてはいけない」
 性暴力の被害に遭った人たちへの取材を継続するジャーナリストにも、心の負担はある。ジェン自身、執筆中はヨガやウォーキングを定期的に行ない、心の平穏を保つようにしていたという。

 チェシーが声を上げ、報道記事が出たあと、ある変化が起きた。他の生徒たちも学校での被害について沈黙を破り始めたのだ。セイントポール校に対して新たな訴訟が提起されると、ニューハンプシャー州の検事総長は同校の性的暴行事件への対応に関する調査を始め、「子ども生命危険罪(child endangerment)」で告発するのに十分な証拠が集まった。州の検事総長は、今後校内で起こりえる虐待ケースの届け出などを直接担当するという異例の対応をとった。これにより、学校は事件を隠蔽したり、不十分な対応を取ったりする事例がないよう監視されることになったのだ。アメリカにおいて私立高校を司法機関が監督するというのは極めてまれなことだった。
 この後も「スポットライト」チームはいくつかの私立高校の調査報道を続け、それを受けて、他の学校も性暴力に関する調査を始めた。問題を把握しようとする動きが広まり、トレーニングプログラムや新たな方針を加えるところも出てきている。

  チェシーは、先述のようにネット上でポジティブな変化を促すためのキャンペーン「#IHaveTheRightTo」を立ち上げ、性暴力のサバイバーやその家族が適切な支援を得られるよう、より安全な学校、環境づくりの取組みをサポートするNPOも設立した。また、アメリカ本土のみならず日本や香港の学校を訪れ、性的同意に関する教育の重要性について話してきた。

チェシーとジェンの共著

  チェシーとの共著の出版後、ジェンのもとには10代の子たちから、フェイスブックやインスタグラムを通じて「やっと自分に何が起きたのか、理解するための言葉を知ることができた。ありがとう」というお礼のメッセージが次々に届くようになったという。

 「それまで彼らは、自分が体験してきたことが性的暴行やレイプだったって知らなかったの。レイプは、知らない人が夜道で飛び出してきて襲ってくるものだと思い込んでいた。だから(そういったケースではなかった)チェシーが加害者に立ち向かう姿をみて、『自分たちもできるんだ』ってインスピレーションを受けていたことがうれしかった」

  ジェンもチェシーとともに多くの学校やコミュニティーを訪れた。
 そこで感じたのは、大人たちが話したがらないトピック──たとえば性的同意とは何かということの重要性や、性暴力の実態について──生徒たちはとても真剣に知ろうとしていることだという。

大学に入ってからでは遅い、性的同意の教育

 オバマ政権下の2011年、教育改正法9編(タイトルⅨ)の性差別禁止規定に基づき、アメリカ教育省公民権局は全国の大学に向けて、学生をセクシャルハラスメントや性暴力から守る義務があることをストレートな言葉で改めて示す書簡を送った(ジョン・クラカワー、菅野楽章訳『ミズーラ──名門大学を揺るがしたレイプ事件と司法制度』2016年、亜紀書房)。アメリカでは、連邦政府が財政支援する各大学で、独立した「タイトルⅨコーディネーター」を設置し、タイトルⅨにかかわる申立てに適切に対応することなどが義務付けられている。
 また、多くの教育関係者や団体が、大学だけではなく小・中・高校でのタイトルⅨコーディネーターの設置や様々な対策の整備を強く働きかけている現状もある。ある調査によれば、中高生の半数以上の女子、また40%以上の男子が性に関連する望まない行為に直面した経験があるという(Equal Rights Advocates “Ending Harassment Now: Keeping Our Kids Safe at School”)。セクシャルハラスメントは教室だけでなく、ソーシャルメディア上でも起こっており、この点でも学校側の対応はまだまだ十分とはいえない。

 「最近、人々の関心は、大学のキャンパスでの性的暴行をどう防ぐかということに集中している。それを防ぐ唯一の道は、議論を早く始めること──だから私は声を上げた。……高校生も、小中学生も、同意や権利、そして健康的な関係性について話し始める必要がある。彼らが大学に入った時では遅すぎるのだから」
 チェシーは、著書の締めくくりにこう語っている。

一個人としてでなく、ジャーナリストとして

 「なぜジャーナリストになろうと思ったの?」と尋ねると、ジェンは「高校生の時から新聞オタクだったの」と笑いながら答えた。
 そのデビューは学校新聞だったという。身の回りで感じた疑問を出発点として、ジャーナリストという仕事にのめり込んできた。

 「ただの生徒には答えてくれないことも、学校新聞というプラットフォームがあるからこそ答えてくれる。そう気づいた時はなんて素晴らしいんだろう、これなら変化を起こすことができるって思った。それからというもの、ずっとこの仕事を続けていることになる」

 「私は真実を突きつけるという作業を、一個人としてではなく、ジャーナリストとして実践し続けている。権力のある人は、多くの人々に影響する決断を下すことができる。そして彼らは、自らの影響力を理解していないこともある。権力の濫用に光を当てることが私たちの仕事だと思ってる」
 ジェンは今年から新たな拠点、ワシントンポストの調査報道チームに加わった。
 これからも、必要とされる場所にスポットライトを当て続けるのだろう。
 (写真:Hanna Aqvilin)

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 伊藤 詩織

    ジャーナリスト、ドキュメンタリー制作者。映像ニュースやドキュメンタリーを制作するHANASHI FILMSをロンドンで共同設立し、ジェンダー、人権問題にフォーカスを当て発信する。初監督をしたChannel News Asia “Lonely Deaths”、撮影を担当したAl Jazeera “Racing in Cocaine Valley”がそれぞれ2018年New York Festival銀賞を受賞。 著書『Black Box ブラックボックス』(文藝春秋)は現在、韓国、中国、台湾、スウェーデン、フランスでも翻訳出版されている。2019年ニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100」に選ばれる。

閉じる