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真実を届ける仕事──世界のジャーナリストに会いに行く

第4回 オウムからコロナまで 英国人記者がみた日本の25年〈真実を届ける仕事〉

撮影:Shiori Ito

「権力者が本当は何を考えているのか、はっきりと発言させるのが私たちの仕事。挑発的な質問を向けるのはその先の答えが欲しいから。それは計算ずくで行なっているんだ」
── リチャード・ロイド・パリー
(英紙「ザ・タイムズ」アジアエディター)

 

 東京での記者生活が始まったのは、地下鉄サリン事件の発生から3日後のことだった。「ザ・タイムズ」アジアエディターであるリチャード・ロイド・パリーは、ことし日本駐在25年目を迎えた。
 
 日本をはじめアジアの幅広い地域をカバーし、様々な現場で取材を重ねるかたわら、リチャードは、英語圏、また日本でも高く評価されるノンフィクション作品を執筆してきた。
 四半世紀の時間を過ごした日本社会のいま、ジャーナリズムの状況をどうみているのか。昨年末、香港取材から戻ったばかりのリチャードに話を伺った。

クイズ番組に優勝して日本へ

 高校時代、学校から帰ってテレビをつけると、いつもあの番組が放送されていた。「ブロックバスターズ」だ。夕方5時15分、リチャードは紅茶のカップとお菓子を手に、テレビの前に座った。
 「いま40〜55歳くらいの英国で育った人なら、皆知ってると思う。他は誰も知らないけど(笑)。にきびのできる年頃の、人をいらつかせる、ませたティーンエイジャーのためのクイズ番組だったんだ」
 
 そんな人気番組に友人と出場したところ、みるみる勝ち進んだ。5週連続の勝者となり、贈られたのは2週間の日本旅行。1980年代半ばのことだった。リヴァプールの高校に通う少年の周りに、日本を訪れたことのある人はいなかった。「それまで考えたこともない国だった。そもそもヨーロッパを出たのも初めてのこと。一連の不思議な出来事が人生を変えたんだ」
 
 この旅で日本に興味をもったリチャードは、大学でジャーナリズムに出会う。もともとは別々の関心だった両者は、やがて新聞社の日本特派員というかたちで結びつくことになる。
 卒業後の数年間はロンドンでフリーの記者をしていたが、日本の旅行ガイドの執筆を引き受け、現地リサーチに約1年、執筆にも約1年をかけてまとめあげた。その経験が認められ、1995年、英紙「インディペンデント」の日本支局で働くチャンスがまわってきたのだ。

1995

 「インディペンデントは1994年当時、経費削減を迫られていた。日本にはあまり大きなニュースもないだろうという判断もあって、ベテラン記者の代わりに、若く安上がりで、ハングリーな新人を採用することにしたんだ」
 
 着任早々、リチャードは地下鉄サリン事件の取材にあたるが、その約2カ月前には阪神淡路大震災が起きていた。
   

イーグル・アイのメモリアル号
地下鉄サリン事件の数日後、誤警報に対応していた東京消防庁職員に取材するパリー氏(撮影:Antonio Pagnotta、Twitterより転載) 

 「日本にとって特筆すべき年になった。50年という戦後の区切りでもあった。経済が崩れつつあることは既に皆わかっていたけど、金融機関の破綻や相次ぐスキャンダルで、本当に痛みが現れ始めたのはこの年だったと思う。そして阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件は、日本が足を踏み入れつつある新しい不安、衰退の時期を象徴するような出来事だった」
 
 「大きなニュースはない」とみられていた日本の1995年は、指摘のとおり、一つの時代の節目として人々に記憶されている。
  もっとも、95年3月にまだ幼稚園児だった私の記憶は、地下鉄を利用する父に対する家族の心配、不安といった、おぼろげなものだ。知り合いの家では、事件の日の朝、出かけようとする父親に「電車に乗らないで」と子どもが泣きついた、まるで天使のお告げのようだった ── 事件後に聞いたそんなエピソードも心に残っている。曇り空の広がる不穏な時代を生きている、私たちの世代は、そんな思いを子どもの頃から抱えてきたのかもしれない。

 「95年に入り込んでしまったある種の溝から、日本はまだ抜け出せていないと思う」
 リチャードはこうも述べていた。

警察組織のコアにあるもの

 地下鉄サリン事件、またその10日後に起きた警察庁長官狙撃事件は、日本の警察組織へのリチャードの見方を決定づける出来事でもあった。
 
 「前年の1994年には、松本サリン事件や山梨県旧上九一色(かみくいしき)村での異臭騒ぎも起きていた。教団施設の周辺には、サリン製造の疑いがあると訴える住民もいたのに、県警は踏み込んだ行動を起こさなかった。地下鉄での事件発生から、首謀者として麻原氏を逮捕するまでに何週間も費やされ、自らの組織トップが狙われた事件ですら、結局、未解決のまま時効となった。この頃から、日本の警察組織は多くの意味で無能で、事件を解決するのに適していないと悟った。そう口に出すのはいまでもタブーとされているけれど」
 
 2000年に起きた英国人女性ルーシー・ブラックマンさんの失踪事件を追った、10年越しの取材に基づく『黒い迷宮──ルーシー・ブラックマン事件の真実』(原著2011年、邦訳は早川書房より2015年刊、同文庫2017年刊)にも、警察への批判が端的に記されたくだりがある。おざなりな捜査態勢、初動からルーシーさんの遺体発見に至るまでの捜査の遅れ。さらに最大の過失として指摘されているのは、事件発生以前に警察に伝えられていた、同一犯の可能性のある複数の被害が無視されてしまったことだ。

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 記者クラブにも属さない外国人記者として、どんなふうに警察取材を進めたのだろう。
 
 「警察関係の取材源にたどりつくことは、もっとも難しい部分の一つだった。捜査や裁判が長期化し、私も長く取材していたから、初期の担当だった刑事が引退し、それで話を聞くことができたという事情もある。文字通り年月を要したんだ。いざ取材をすると彼らはオープンで、とても有益な話をしてくれた。でも、そうやって個人から受けた印象と、組織としての印象はまったく異なる」

 警察をはじめ日本の官僚組織の取材対応に、この25年で変化はみられるだろうか。

 「ほとんどの政府機関は外国メディアにオープンになっている。一瞬でニュースが世界中に広まる時代に、可能なかぎり素早く、正確な情報を自ら発信することの利益、重要性を理解したからだと思う」

 しかし、依然として取材が難しいのが宮内庁、そして警察で、公式な窓口ではなく、別のルートを探し出すほかないという。

 「たとえば警視庁はたいてい非協力的だ。もちろん例外はあるし、地域の警察署では建設的な態度を示してくれることもある。でも、日本の警察組織の核心部分には、傲慢さという文化があると思う。
 日本の犯罪率は低く、世界的にみても安全な国だ。でもそれは警察の能力が高いからではなく、むしろ、警察の実態にもかかわらず、国民のおかげで穏やかな、法律が遵守される社会がある」

無礼にならなくても、タフな質問はできる

 記者クラブに象徴されるマスコミの閉鎖性や、権力に対する記者の姿勢について、国内外から問題を指摘する声がある。日本のメディア、記者たちをみて何を感じるのか。

 「日本のジャーナリストたちの仕事に対する考え方は、私の同僚たちとは大きく異なっていると思う。理屈のうえでは、私たちは同じ仕事をしようとしている ── 市場に、正確で公平な、そして信頼できる商品を届けようとしている。それは倫理的な要請に加えて、そうした商品こそ人々が求めているものだから。
 でも、たとえば英国のジャーナリストにとって、いちばんの野心や夢は、政治や巨大企業の噓を暴き、彼らにとってもっとも都合の悪い事態を生み出すことだろう。それが記者人生の山場になるかもしれないし、栄光なんだ。つまり、私たちの仕事は権力者たちの働きを問い、それが社会で共有される理想に応えているかを調査することだ。
 日本のジャーナリストの多くは、権力をもつ機関を批判したり、その妨げになることを報じたりするのに消極的にみえる。権力を追及しても、あるところでやめてしまう。おそらく意識的にせよ無意識にせよ社会の安定、言い換えれば現状維持に努めていると思う」

 個々の記者は問題意識をもっているのに、会社の方針や、「無言の空気」は変わらない。それは私自身も、フリーランスとして外部から日本のメディアをみながら感じてきたことだ。「必死にデスクに掛け合ったが実現できなかった」。そうした言葉を何度も聞いたことがある。
 より自由に取材し、発表できる場所を求め、新聞や雑誌からウェブメディアに移った人もいた。しかし、記者クラブに属さないフリーランスやウェブメディア、海外メディアの記者が当局の会見に参加することにはいまだ壁がある。そうして権力者に質問を投げかける機会が奪われてしまう現状がある。

 「消極的な姿勢が目立つ理由は必ずしも単純なものではないし、メディアだけの現象でもないのかもしれない。社会自体に、対立を避けようとする構造があることが、一つの要因だと思う。
 その構造自体がいい、悪いという問題ではないけれど、日本のメディアにタフな質問をする記者が少ないのは、読者や視聴者にとって残念なことだ。記者として、一人のプロフェッショナルとして、礼儀正しく、挑発的な質問をすることはできる。私たちの目的は議論に勝つことではない。それは政治家たちの仕事だ。権力者が本当は何を考えているのか、はっきりと発言させるのが私たちの仕事。挑発的な質問を向けるのはその先の答えが欲しいから。それは計算ずくで行なっているんだ」

400ページ必要なことだってある

 2002年にインディペンデントからザ・タイムズへと移ったリチャードは、先述のとおり、同紙のアジア・エディターとして日本、朝鮮半島、そして東南アジア地域を主にカバーしている。
 インターネットの普及により従来の新聞のビジネスモデルは立ち行かなくなった。ニュースを得る手段は多様化し、読者や広告を得るための競争は厳しいものになっている。予算や人員は削減され、特派員のコストも常に見直される可能性があるという。

 「いま、少ない人員で、誰もがより多くの成果を求められている。同時に、何が必要とされているか、その性質もある程度変わってきている。多数のメディアが存在するなかで、タイムズがBBCやロイターと速報性を競ってもしょうがない。事実を伝えるストレートニュースと同時に、何が起きたかを分析し、それが何を意味するか ── 可能なら次に何が起こりうるかも説明する報道が重要になっていると思う」
 「Longreadsというアメリカのウェブサイトでは、質の高い長文の報道記事を紹介している。私にはヒューマンストーリーをじっくり掘り下げて、そこからより大きな像を示すというプロセスがいちばんしっくりくるし、長く、深い読みものを求める読者の欲求も育ってきていると思う」

 2017年に原著が刊行された『津波の霊たち── 3・11 死と生の物語』(邦訳は2018年に早川書房より刊行、英文学賞ラスボーンズ・フォリオ賞受賞)も、「ロンドン・レビュー・オブ・ブックス」に寄せた長文のエッセイが発展してかたちになったものだ。リチャードの著書はこれまで3冊(未邦訳のIn the Time of Madness: Indonesia on the Edge of Chaosは、インドネシア・スハルト政権の終焉と、東ティモール独立の住民投票後に国連現地本部で記者として体験した襲撃事件について描いた作品)。いずれも新聞記事の長さでは展開しきれないストーリーだったという。

 「時には400ページ必要なことだってある。ちょっと長すぎるかもしれないけど(笑)」

 リチャードの作品からは、登場人物の様子がドキュメンタリー映画のように細部まで目に浮かぶ。『黒い迷宮』冒頭の章では、失踪の日の足跡が再現され、まるで昨日までルーシー・ブラックマンさんがそこにいたかのように感じた。どうしてこうした手法を取ったのだろう。

 「最初は、ルーシーさん自身は、物語のなかでそれほど重要でない人物の一人だと想定していた。彼女はとても若く、何かを成し遂げたわけではないし、家庭背景もごく普通だった。だから、興味深いのは彼女の死によって引き起こされた一連の出来事であって、彼女自身ではないと」
 「でも、英国に戻って家族や友人たち ── 友人からまた友人を紹介され、結果的に彼女を知る多くの人に話を聞いた。それで得た貴重な教訓がある。それは、たんに若いからといって、誰かの人生について勝手に判断することはできないということ。たとえ20歳でも、人はすごく複雑で、矛盾していて、面白いし、白、黒、灰色、そしてそのあいだにあるすべての色をしているんだ。犯罪の恐ろしさと深刻さは、被害に遭った人について本当によく知らなければ理解できない。それはすごく重要なことだと思う。結局、最初の4、50ページは彼女の小さな評伝のようになっている。当初はまったく想像していないことだった」

 『津波の霊たち』は、二つの柱 ── 被災地の様々な霊体験、そして、学校の誤った判断によって84人もの児童・教職員が命を落とした大川小学校の悲劇 ── からなるルポルタージュだ。津波を生きのびた人たち、大川小学校の児童の保護者たち、一人ひとりの繊細な描写は、もたらされた被害の重み、それぞれに異なる影響を丹念に伝えている。

 「世界はとても複雑な場所で、人間は複雑な生きものだ。ジャーナリズムの仕事はその複雑さを反映すること ── ただし、わかりやすい方法でそれを反映することだと思う」

 日々のニュースでは「犠牲者」「被害者」として、あるいは統計上の一つの数字としてのみ伝えられる人にも、単なる「情報」には落とし込めない奥行きがある。リチャードの作品、そして言葉から、そう改めて気づかされる。

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ノンフィクションと真実

 私はこの連載のタイトルのとおり、「真実を届ける」ことがジャーナリズムの仕事だと考えてきた。リチャードがストーリーを掘り下げ、執筆するなかで、真実とはどんなものだろう?

 「まず、事実は神聖なもので、ノンフィクションを書くなら事実に基づくリポートが最重要だ。でもそれは簡単な部分。難しいのは人が真実と呼ぶところのものだ。私は自分が『真実』にアクセスできるとは思っていない。私は書き手として、ストーリーを語ることを通して、真実にたどりつこうとしているといえるかもしれない。でも、あくまでそれは間接的な方法であって、『究極的な真実』を表現したいというより、複雑さを正確に反映しながらストーリーを語りたい、と考えている」
 「複雑さを描くといっても、自分の意見をもたないとか、共感しないということではもちろんない。あるいは、噓をつく人を非難することに躊躇しない。でも、仮にそれがあるとすれば、という以上の意味で、自分は真実にアクセスできるということにはためらいがある」
 
 多様な、時に食い違う見方を示しながら、説得的なストーリーを描き出す ── 実際にその場にいない人間がそれを成し遂げるには、大変な労力がいるはずだ。しかし、取材を続け、資料を読み解き、人々の声を紡いでいく ── その作業から、読者はそれぞれに真実を受け取るのだろう。
 ドキュメンタリー制作でも同じことがいえる。特に映像表現では、言葉が発せられる前後の間だったり、漂う空気感からも人々の思いや生活のリアリティを読み取ることができる。しかし、それをどう判断するかはすべて受け取り手しだいでもある。

 「ジャーナリストの仕事には時間がかかる。時間をかけて何度も人の話を聞かないといけない。でも、読者としても時間のかかる行為だ。ストーリーを理解するにはページを繰らないといけない」

未来のノンフィクションライターに向けて

 ジャーナリストやノンフィクションライターをめざす人たちへのメッセージをもらえないか、聞いてみた。

 「重い責任を感じるね(笑)。ノンフィクションでも、あるいは映像の世界でも、きっと原則は同じだと思う。大切なのは、何を書くかではなくて、どう書くかということ。世界でもっとも重大で、ドラマティックな話でも、ひどい書き方をすればだめになるし、ローカルな、とても小さな話でも、完璧に美しく、心に訴えかけるものになる。書くうえで、私にとってもっとも重要なことの一つは、読みやすく、美しいものにしようとすることなんだ」

 スクープ、あるいはテーマの重みが重視されるジャーナリズムの世界で、とても意外な答えだった。

 「私は、言葉に言葉として輝いてほしいと思っている。時々驚かれるけれど、何を言うかよりも、どうやって言うか、ということが自分にとっては大切なんだ。 だから質問の答えに戻ると、自分がストーリーを語る方法について ── 書き言葉であっても、映像でも ── 強い意識をもつこと。自分のストーリーが何を語るか、ということだけではなく。それから、敬愛し、見習いたいと思う作家から学ぶことかな。いい書き手になるには、いい読み手になる必要もある」

 リチャード自身についても聞いてみると、折にふれ読み直す作家として、ジョージ・オーウェル、ジョゼフ・コンラッド、V.S.ナイポール、W.G.ゼーバルトのほか、ポーランドのリシャルト・カプシチンスキ(『黒檀』、河出書房新社)、オーストラリアのヘレン・ガーナー(『グリーフ ── ある殺人事件裁判の物語』、現代企画室)やクロエ・フーパー(The Tall Man: Death and Life on Palm Island,Penguin)らノンフィクション作家の名前も次々と挙がった。

 「語りの技法に関して、フィクションから得られるものはノンフィクションと同じくらい重要だと思う。理想は、誰も実現したことはないし、たぶん不可能なのだろうけど、100%正確で、美しい小説のように読めるノンフィクション作品だ。それに近いところまでいった最初の作品が『冷血』とよくいわれる。実際には『冷血』以前にもそうした作品の例がみつかるだろう。でも、ともかくジャーナリストがフィクションの技法を使って作品を書くことは、いまではもうごく普通になっている」

 『冷血』は、1960〜70年代アメリカに現れた「ニュー・ジャーナリズム」の源流ともいわれる。そのスタイルの特徴は、取材対象やストーリーに深く関与した徹底的な取材、小説の手法を取り入れた表現や構成、また、書き手の内面など主観的な語り ── といったものだ。

異なる文化のあいだで

 通訳を介して取材することに、不便さや困難さはあるのだろうか。

 「私が日本語で十分に表現でき、会話を理解することができたとしたら、もちろんそれに越したことはない。でも、長く住んで、通訳の人と一緒にどうやってベストな取材をするか、自分なりに積み上げてきたと思う。特に『津波の霊たち』の取材で通訳をしてくれたアシスタントは、もし私が完璧に日本語に通じていたとしても得られなかったものを引き出してくれた。すばらしい通訳であることに加えて、温かい共感と適切な距離感をもって取材対象にアプローチしてくれた」

 通訳者の存在がクッションとなり、難しい質問が投げかけやすくなったり、一歩引いて冷静に取材できたりするという経験は、私にもある。しかし、毎回の取材で通訳が必要となると、いちばん聞きたい質問にたどりつけないジレンマや、直接コミュニケーションが取れないもどかしさを感じてしまいそうだ。
 目の前のリチャードは終始落ちつき払って、大きなリアクションをみせることも少ない。しかし鋭い指摘や分析をさらっと言ってのける。そんな人だった。

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撮影:Shiori Ito 

 長く日本に暮らすことで、出身の英国に対する見方に影響があるかどうかも尋ねてみた。

 「多くの人は、ブレクジットのせいで英国はひどい混沌状況に陥ったと思っているだろう。それは大方正しい。私は離脱を悲しく思うし、反対しているが、一方で、英国の様々な機構が危機の最中にもその強さや価値を示し、実際には一つひとつのステップで立憲的な歩みがとられたことには感心した。
 もう一つ気づかされたのは、英国とヨーロッパとの関係だ。もしも何の合意もない最悪の離脱となっても、たぶん英国とヨーロッパの関係は、現在の日本と他のアジア諸国の関係より10倍くらいは近いままだろう。日本はいまでも、悲劇的なほど近隣諸国と分断されている。戦後75年が経つが、まるで第二次世界大戦が人々の意識のなかでまだ続いているかのようだ。和解を実現するにはもう遅すぎるかもしれない。戦時中の責任を負う人たちはほとんど亡くなってしまったか、とても高齢だ。若い人たちが、和解を自らの仕事とは感じないことも理解できる」

新型コロナウイルスと「おとぎの国」

 リチャードは3月24日付のタイムズ記事で、「ひと月前、日本が産業先進国のなかでもっとも良い状況にあるとは誰も予測していなかっただろう」と述べている。クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号での集団感染が注目を集めたのち、日本よりむしろ他の国々でより深刻な感染拡大が起きたことを指しての指摘だ。

 世界的なパンデミックにおける日本をどうみているか、5月上旬、リチャードが追加取材に応じてくれた。

 「感染拡大の状況をヨーロッパや北米と比べると、日本ではかなり抑制されている。その理由の一つは、おそらくキスや握手、ハグなどで挨拶しない、あるいはマスクをつけるといった生活習慣の違いだろう。これは、単に運がよかっただけ」
 「ロックダウンを行なった英国では、何をしていいのか、いけないのかがはっきりしていた。一方の日本は、外出や人との距離感に関しても各自の自主的な判断に任されている。つまり、利己的でない『いい人』がそれを守り、そしてそうでない人は普段どおりの生活を続けられるようになっている。責任の負担がまちまちになってしまっていると思う」

 日本では、政府の要請に応じたとしても十分な補償や支援が得られるかどうか、不透明な状況が続き、行動の結果責任は、政府ではなくあくまで個人に丸投げされるかたちになっているように感じる。
 ネット上では、感染した人を名指しで責めるような記事、書き込みも多い。そうした差別や攻撃によって、感染の事実を伏せようとする人が増えたり、感染した人の体験を踏まえてオープンな議論をしていくことが妨げられてしまいかねない。

 「悲惨なニュースが世界各地から入ってくるなかで、日本は、おとぎの国のように感じられる ── そこには、いつ恐ろしい現実が迫ってきてもおかしくない」
 前述の記事で、リチャードはこう語っている。

 緊急事態宣言の解除後も、誰もがウイルスに感染する恐れがある。それを前提に新たな体制をつくっていかなければ、この不穏な「おとぎの国」の霧は晴れないだろう。

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著者略歴

  1. 伊藤 詩織

    ジャーナリスト、ドキュメンタリー制作者。映像ニュースやドキュメンタリーを制作するHANASHI FILMSをロンドンで共同設立し、ジェンダー、人権問題にフォーカスを当て発信する。初監督をしたChannel News Asia “Lonely Deaths”、撮影を担当したAl Jazeera “Racing in Cocaine Valley”がそれぞれ2018年New York Festival銀賞を受賞。 著書『Black Box ブラックボックス』(文藝春秋)は現在、韓国、中国、台湾、スウェーデン、フランスでも翻訳出版されている。2019年ニューズウィーク日本版の「世界が尊敬する日本人100」に選ばれる。

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