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小川待子 ふたりアフリカ[『図書』2026年7月号より]

ふたりアフリカ

 

 シトロエンの2CVカミオネットは、車の後部に箱型の空間がついていて、パリのパン屋さんが長いバゲットを配達したり、職人さんが道具箱を運ぶために使うような車だった。安価で、調査に出かける時に必要なキャンピングベッド、水、食料、ガソリンその他雑多なものを何でも積み込める。

 1972年、人類学者の夫と私は、夫のアフリカ研究の調査地である西アフリカ、オートボルタ(現ブルキナファソ)で数年間を過ごすために日本を出発した。パリでこの車を買い、西アフリカに送り、長い航海の末ようやく象牙海岸の首都アビジャンの港に到着した車を受け取った。

 出発の日が来た。アビジャンからオートボルタの首都ワガドゥグーに向かって、1100キロの道のりだった。彼はパリで免許を取り、その日が初めて車を運転する機会だったので、少し緊張しているように見えた。今思い返してみると不思議だが、私には全く恐怖心がなかった。これから始まる新しい土地での生活に、好奇心と期待で胸がいっぱいだった。

 森林地帯からサバンナに変化して行く風景の植生は様々だった。大統領の故郷ヤムスクロに近づくにつれ、突然四車線のピカピカの道路が現われて、又消えた。雨季の激しい雨で大型トラックの太いタイヤに捏ね廻され、洗濯板ともそろばん道路とも呼ばれていた悪路が続いた。

 国境近くになって、恐る恐る進んでいた私たちの新車は、太い溝にはまって見事に横転し、路肩から転落した。後になってからそういう道は猛スピードで走り抜けるべきだと教えられた。何が起きたのかわからないまま、気が付くと私は逆さまになった車の給油口からもれ出るガソリンを手で押さえていた。集まってきた数人の村の若者の助けを借りて、車を元の位置に戻し、傷心の私達は警察の車に乗せられて署に連れていかれた。マダム! と言って目の前に差し出されたオレンジジュースをひと口飲んで、私は我にかえった。車の前方部はペシャンコだったが、幸いエンジンは動いた。そのまま放置しておくと部品を盗まれて翌朝には骨組だけになるぞと脅かされて私達は慌てて車を取りに戻った。その日はこの国境の町で一夜を過ごした。翌朝事故現場をもう一度走り過ぎた時は、二人共掌が汗でじっとりと湿っていた。

 その後は何事もなく、ワガドゥグーまでの道を完走した。悪路と言っても首都と首都を結ぶ幹線道路だ。その後調査で経験する事になった内陸部のパリ・ダカールラリーのような道を知ってからは、今思えば立派なものだった。

 これがそれから3年間の、驚きに満ちた異なる世界での生活の始まりだった。

 最初の1年間はワガドゥグー130キロ南東の、水も電気もないテンコドゴの町で、土地の人と同じような土でできた家に住んだ。テンコドゴ王ナバキーバの生活、風習、祭り事。太鼓の音による口頭伝承、無文字社会の研究、近隣の村々の調査に日々を過した。

 その後2年間はワガドゥグーに住まいを移し、そこを拠点に国境近くまで内陸部各地の村々、隣国ガーナ、ニジェール、マリと調査に走りまわった。

 3年が過ぎて……。日本に帰る日が近づいてきた。最後の調査地は、ワガドゥグーから350キロ北のドリの町だった。北の半砂漠地帯は、いつも暮らしていたサバンナ地帯とは風土が違う。女性の顔立ちはエキゾチックで、装身具も美しかった。アリビンダの町では、女性は一角獣のような特徴のあるヘアースタイルで大人も子供も可愛らしかった。

 調査を終えてワガドゥグーへの帰り道で、私達の車は(その頃はランドクルーザー風の日産車だった)道路のあちこちにある、コリントゲームと呼んでいた無数の穴のひとつに落ちて大きくバウンドし、道路脇の大木に正面からぶつかったらしい。村人に助けられたらしく、地面に横たわった状態で意識を回復した。車の6気筒の前方部は、グシャリとつぶれていたが、私達は生き残った。

 アフリカの事故現場からパリの病院に辿り着くまでの苦しい日々が過ぎて、彼は3ヶ月、私は5ヶ月をパリの病院で過ごし、又アフリカの家に帰った。

 日本に帰ってからも相変らず、年に1、2度彼はアフリカの調査に出かけた。

 長い年月が過ぎて、彼は一人で海外旅行をする事が難しくなり、私はアフリカに行く事ができるまで事故の後遺症が回復したので、私達はもう一度最後のアフリカ旅行を計画した。

 隣国ベナンで、以前彼が修復を担当した内陸部のユネスコ世界遺産の建造物を訪ね、オートボルタでは友人パスカリーヌのランドローバーを運転手付きで借りて、テンコドゴに向った。町に近づくと両側にカポキエの大木が並ぶ一本道に入った。時間が一度に巻き戻されて、私は感情の海に投げ出された。

 町は何も変わっていないように見えたが、私が土器作りを教えてもらったマハムッドも太鼓叩きベンドレの長のキブサも、もういなかった。

 日本に帰ってから、自宅にパスカリーヌの運転手が時々電話をかけてきた。「カワダ、今度はいつワガドゥグーに来るんだ」。

(おがわ まちこ・陶芸作家)


*7月11日から9月6日まで世田谷美術館で「ふたりのアフリカ、手仕事の宇宙――人類学者・川田順造と陶芸作家・小川待子のコレクション」展が開催されます。詳細は同館ウェブサイトでご確認下さい。
☞ https://www.setagayaartmuseum.or.jp


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