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大谷雅夫 舟の歌[『図書』2026年7月号より]

舟の歌

 

 四方、山ばかりの土地に住むせいか、まれまれ海辺に来てみれば、沖ゆく船が珍しく、心をひかれる。

 動くようにも見えないあの大きな船はどこに向かうのか。白波を立てて遠ざかる漁船はどんな魚を獲るのだろう……。そんなことをぼんやり考えながら、いつまでも眺めている。

 『万葉集』の歌人たちも、同じだったのかも知れない。

 柿本人麻呂の旅の歌(巻三・256)。

 

飼飯けひの海のには良くあらしこもの乱れてづ見ゆ海人あまつりぶね

 

 淡路島の西の海は豊かな漁場であるらしい。たくさんの舟が入り乱れて出てゆくよと詠う。

 また高市黒人のやはり旅の歌(巻一・58)。

 

いづくにかふなてすらむ安礼あれの崎ぎたみきしたななしぶね

 

 岬をめぐって漕ぎ去ったあの小舟はいまごろどこに停泊しているのかと思う。

 ほかにも、黒人に「旅にしてもの悲しきに山下の赤のそほ船沖を漕ぐ見ゆ」(巻三・270)があり、人麻呂には「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ」(古今集・羈旅・409)という有名な伝誦歌がある。

 それは大和の都の歌人だけではない。下総国の人にも、

 

葛飾かづしか真間ままうらを漕ぐふね舟人ふなびとさわく波立つらしも

 

 という東歌(巻十四・3349)がある。舟人があわただしく動きまわるようすを見て、あのあたりでは大波が立つのだろうと思いやっている。

 どの歌も、遠くの舟に思いをはせる作である。見ず知らずの舟人に、どうしてそこまでの関心を寄せるのか、不思議にも思われるが、しかし『万葉集』にはこのような歌がほかにも数多い。

 中国の詩に、それに似た表現はあるだろうか。

 詩人たちも、もちろん舟を詠った。陶淵明の「眇眇べうべうとして孤舟き、綿綿めんめんとして帰思まつはる」(「始作鎮軍参軍曲阿作」『文選』二六)は、任地にむけて出発した作者が、郷里を思う心に囚われていることを言う。杜甫「秋興八首(その一)」の「孤舟いつつなぐ故園の心」も同様。そのように、詩人たちが詠う舟の多くは自らの乗る「孤舟」である。または友人の舟であり、「にち征帆せいはんいづれところにかはくする」(孟浩然「送杜十四之江南」)は、別れた友の舟のゆくえを思う。まれに「江路西南にながく、帰流東北にす。天際に帰舟をり、雲中に江樹をわかつ」(南朝斉・謝朓「之宣城新林浦版橋」『文選』二七)のように、遠くに見える他人の舟が詠われることはある。しかし、それは、西南に向けて遙かな舟旅に出る作者が、東北に流れて海に帰る江水と、その流れに乗って都に帰る舟を羨み見る表現である。漁夫の舟が詠われることもあるが、それは水辺の点景でなければ、濁れる世を避けることを屈原に勧めた隠者の舟(『楚辞』漁父)の面影をかすめる詩句である。

 要するに、中国詩の舟は、多く詩人自らの思いの表現である。詩人の「我」から離れるものではない。あの舟はどこに泊まったのだろうとか、島影の向こうに舟が隠れるよなどと、取りとめのない、はかない咏嘆をもらす作は、古代中国の詩には見いだせないであろう。

 沖の舟を思う歌は『新古今集』離別の巻にもある。建久九年(1198)ごろの作とされる一首(883)である。

 

 守覚法親王五十首歌よませ侍りける

時藤原隆信朝臣

たれとしも知らぬ別れのかなしきはまつの沖をづる舟人ふなびと

 

 肥前国の「松浦」は、その昔、遠く朝鮮半島の任那に赴く夫、大伴佐提比古の船を山上で領巾を振って見送った松浦佐用姫の伝説(『万葉集』巻五・八七一題詞)の地である。「松浦の沖を出づる舟人」は、すでに遣唐使などのない時代だったにもかかわらず、松浦から異国にむけて船出する男を心に描いて、都の歌人、隆信がそう詠ったものである。『万葉集』の「漕ぎたみ行きし棚なし小舟」などが、わが目に見た舟を思う表現だったのに対して、こちらは題詠による想像の作である。しかし、縁もゆかりもない舟人を思う心は同じである。

 ところで、この上句の「誰としも知らぬ別れのかなしきは」とは、どんな意味だろうか。近年刊行されたある注釈書は、この一首に「見知らぬ人でも別れが悲しく思われるのは、松浦の沖を出航し大陸へと赴く人との別れ」という現代語訳を施している。その舟の人は、家族でも、友人でもない。誰と名を知る人ではない。そのような見知らぬ人との・・別れであっても、その別れが悲しく思われることと解釈するのである。

 これは特殊な解釈ではない。今日、一般の読者が手にとるような『新古今集』の注釈書はすべて同様に訳している。もう一例あげておこう。「去っていく人が誰とも分らぬ別れで悲しいのは、松浦の沖を出る舟に乗っている人との別れであるよ」。

 しかし、私たちは、誰とも知らない人と別れることがあるだろうか。私たちは日ごとに数多くの見ず知らずの人々とすれちがっている。しかし、それを別れるとは言わない。宇宙ロケットに乗りこむ人をテレビで見て、心細く思ったり、無事の帰還を心に願うことがあっても、それを「別れる」という言葉で意識することはないだろう。

 逢うは別れのはじめと言う。逆に、別れるためには、その前に逢っていなければならないとも言えよう。私たちは面識のない人と別れることはない。それは、和歌の言葉にあっても同じである。古典和歌に、見知らぬ人と別れるとする表現はなかなか見つからない。仮にそのように読まれている歌があるなら、その解釈が疑われなければならないと思う。

 室町時代、連歌師の猪苗代兼載が師の心敬の注を整えたものという『新古今抜書抄』がこの歌について次のように述べている。

 ──波風の荒い松浦の沖の船を眺めて、誰とも知らない船人が波間に浮き沈みするのが悲しく思われる上に、「別なん人の心たがひの程をおもひやるに、せんかたなくや」。この海の向こうには唐と補陀洛以外は近くに国もないのにという心である──。

 「別なん」、別れてしまう、「人の心たがひの程をおもひやるに」、舟に乗る人と見送る人、その双方の思いを想像するに、「せんかたなくや」、どうにも気の毒でたまらない、遠い国に行ってしまうのに、という解釈である。

 これにほとんど同文の注が、東常縁、細川幽斎、烏丸光広の手を経て江戸時代初期に成立したという『新古今私抄』にもある。

 この解釈は、今日ではほとんど忘れられている。わずかに、石田吉貞『新古今和歌集全註解』(昭和35年)の「遥々と故国を離れて出て行く舟を眺めて、そこに悲しい別れのあることを想像して哀愁を感ずるのである」がそれを継ぐくらいであろう。

 しかし、これが正しい理解ではないか。まず、「別れ」という言葉の意味からそう考えられる。しかも、舟人たち自身の別れを思いやる作が新古今時代の和歌には少なくないのである。

 後鳥羽天皇の御製歌(『後鳥羽院御集』『玉葉集』)。

 

とまりするひとのちぎり漕ぎ別れおのがさまざまづる舟人

 

 「寄海朝」の題の作。「一夜のちぎり」は男女のはかない逢瀬を言う。一夜をともにした港の浮かれ女に別れを告げて、舟人たちがおのおの、さまざまな思いをいだきつつ漕ぎいでることを詠う。

 ついで慈円の歌(『拾玉集』)。

 

舟人の心にもあらぬ別れにはいくたび袖に波をかくらむ

 

 舟人が、家族や恋人とのよんどころない離別を悲しみ、袖を(波に、また涙に)しとどに濡らすことを想像する。

 定家に師事したという藤原長綱の作(『藤原長綱集』)。

 

別れゆくあともはかなし松浦舟まつほどしらぬ人の命は

 

 松浦から異国へゆく舟人を見送る悲しみである。いつまで待てばいいか分らず、いつ命がはかなくなるかも知れない。おそらくは、その母の心を思いやるのだろう。

 沖ゆく舟を想像して、歌人たちは、舟人の、また彼を待つ人の別れの悲しみを思った。隆信の「誰としも知らぬ別れの悲しきは」も、それと同じであろう。

 先に、「あの舟はどこに泊まったのだろうとか、島影の向こうに舟が隠れるよなど」の歌について、「取りとめのない、はかない咏嘆をもらす作」と述べた。わが身に関わりのない人の舟がどこに行こうが、視界からどう消えようが、どうでもいい、つまらぬことだからである。

 しかし、「いづくにか船泊てすらむ」の「らむ」、あるいは「飼飯の海の庭良くあらし」の「らし」に表される推量の思いは、和歌にとって、常に重要な心でありつづけただろう。

 『万葉集』の歌人たちは、見ず知らずの舟人たちの思いとしわざとを推量した。「いづくにか船泊てすらむ」と、舟のゆくえに思いをはせた。人麻呂の「ほのぼのと」詠の「島がくれ行く舟をしぞ思ふ」の表現も同じ心であり、これは「上古・中古・末代まで相叶へる歌なり」(藤原俊成『古来風体抄』)と絶賛され、人麻呂を歌神として祭る儀式(人麻呂影供)中に唱えられる歌となった。

 歌人たちは、ゆかりのない人の身の上を思いやることを大切なこととした。「我」を去ることを尊んだとも、それは言いうるであろう。

 平安時代後期の歌人、源経信に「暮路行客」を題とする

 

夕日さすあさはらの旅人はあはれいづこに宿やどるらん

 

 の作(『経信卿家集』)がある。高市黒人の「いづくにか船泊てすらむ」にも似て、たまたま見かけた旅人のゆくえに思いをいたす歌である。

 また室町時代の歌人の三条西実枝は、「関路行客」という歌題の詠み方を若い細川幽斎に教えて、「我身行客に成りてもよむ。又他より思ひやりてもよむべし」(『初学一葉』)と述べた。旅人の心になりきって詠め、または、外から旅人の思いを想像して詠めと説いた。それで言えば、ここまで挙げてきた舟人の歌は、すべて舟人の思いとしわざとを「他より思ひやりて」詠むものであった。

 『万葉集』の舟の歌の心は、後の世の歌人たちにこのように受け継がれた。見ず知らずの舟人や旅人の身を「あはれ」に思いやるそれらの和歌は、やがて、歌人ならざる人々の倫理観をも、はぐくみ、育てることになったであろう。

(おおたに まさお・国文学)


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