『図書』2026年7月号 目次 【巻頭エッセイ】チョン・スユン「「海を巡って」
スギモトノートで「絶滅」を読む……杉本博司
ふたりアフリカ……小川待子
ピアスさんの思い出……北野佐久子
「無常」からの創造……木下華子
舟の歌……大谷雅夫
謎の「秋葉犬」、現る……森絵都
亡霊たちの彷徨う都市 基隆……倉本知明
空飛ぶ豚たちの饗宴……武田雅哉
「理解できない」を楽しむ……小川哲
「あなたゐない」と呟く自由……神野紗希
漆黒の深海に現れし光の正体は……大場裕一
医療文化史サロン展に集う人々……武田時昌
岩波文庫の会と『文庫』/読者欄の楽しみ……山本貴光
金融資産の登場と相続をめぐるドラマの変貌……鹿島茂
こぼればなし
七月の新刊案内
[表紙に寄せて]ネコバスに間に合うか/川内有緒
釜山から大阪まで船で行ったことがある。午後3時に乗り、朝9時に着く。わざわざそうした理由は、日本と韓国の間にある海を実感したかったからだ。夜に下関を通過すると放送が流れる。「これから海流の方向が変わるので、ぶつかるようにドンと音がしますがご安心ください。日本に入った証拠です」
北朝鮮に拉致された方々もそれを感じただろうか。共著『言葉の森のかくれんぼ』で、斎藤真理子さんが蓮池徹さんに触れていたことから、新書『日本人拉致』を読んだ。そんなことがあったと知ってはいたが、この本で解像度が何万倍にも上がる。そこに海があると知っていても、実際に渡ってみると経験がより深く身につく。読書とはそういうものかもしれない。
『波の子どもたち』に海を見たことがない子が出てくる。私はそれを抑圧された自由の象徴として書いた。一方、北朝鮮の海辺から韓国へ来た子もいる。その子が私に聞く。在日コリアンだったおじいさんは、差別がいやで北朝鮮行きの船に乗ったが騙された。母が日本の叔母たちに会いたがっているが方法はないか、と。海を巡って色んな人がいる。知ってはいたが、語られることで歴史に刻まれる。
(ちょん すゆん・作家、翻訳家)
〇 「自らの言葉で、自らを表現すること。偽りなき本音を語ること」(本誌6月号、「心も体も、私のもの」より)。神野紗希さんは連載「抗うための十七音」で、生きることの困難や権力に対し、抵抗の精神を見出しうる俳句をご紹介くださっています。本号のご寄稿も、表現の自由とその危機を問う、大変に力強いものでした。
〇 やはり自分を生きるために抵抗を貫いた人、金子文子の死から、この7月で100年となります。無戸籍のまま虐待と貧困のうちに育った文子は、「運命が私に恵んでくれなかったおかげで、私は私自身を見出した」と自ら振り返るように、体験と書物から思索を深め、抑圧されていた朝鮮の人びとと共闘し、家父長制と国家に立ち向かいました。関東大震災の混乱の中、パートナーの朴烈とともに皇太子暗殺未遂の疑いで逮捕され死刑判決を受けるも、恩赦により減刑。文子はそれを拒み、自死を選びました。23歳でした。
〇 文子は裁判で、人間の完全な平等を徹底して主張します。また獄中で、自身の壮絶な生い立ちと思想を綴りました。世の親たち、そして、すべての人に読んでもらいたいと文子が願い、類まれな文学的才能をも伝えるその手記は、『何が私をこうさせたか』と題して1931年に春秋社から出版され、いまに読み継がれています(岩波文庫にても刊行)。
〇 文子の生と死、文子の言葉は、以降の表現者たちを熱く突き動かしてきました。瀬戸内寂聴さんは、存命であった関係者へも取材し、評伝『余白の春』を1972年に上梓しています(岩波現代文庫に収録)。文子の死の翌年に刊行され即座に押収された歌集『獄窓に想ふ』(自我人社)を発見し、再刊(黒色戦線社)に貢献されたのは、歌人の道浦母都子さんでした。
〇 「塩からきめざしあぶるよ/女看守のくらしもさして/楽にはあらまじ」。ブレイディみかこさんが『女たちのテロル』(岩波現代文庫)に引いた文子の歌です。自分を監視する立場の人であっても苦しみとともに生きていることを想像するやさしさは、ブレイディさんが描く文子像の核をなしています。このシスターフッドは、2月に公開され好評を博している浜野佐知監督の映画『金子文子──何が私をこうさせたか』とも共鳴しているものです。文子が闘った差別や暴力、権力の横暴は、過去のものではありません。文子は私たちの傍らにありつづけています。
〇 受賞報告です。『サメのイェニー』(リーサ・ルンドマルク作、シャルロッテ・ラメル絵、よこのなな訳)が第73回産経児童出版文化賞翻訳作品賞を、日比嘉高『帝国の書店──書物が編んだ近代日本の知のネットワーク』が第47回日本出版学会賞を、音遊びの会『即興がつなぐ未来 音楽と社会の狭間でおっとっと』が第4回音楽本大賞を受賞しました。




