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イメージボードでよむ宮﨑駿の世界

武田雅哉 空飛ぶ豚たちの饗宴[『図書』2026年7月号より]

空飛ぶ豚たちの饗宴

 

 「飛ばねえ豚はただの豚だ」──ふと聞こえてきたポルコ・ロッソのこのことばを耳にして、「そりゃそうだ」と、おおいにわが意を得た。中国の古典文学をいじくっている者に、宮﨑駿さんのアニメーションについてなにか言えることなど、ひとつもないはずなのだが、そのころ『西遊記』に登場する豚の妖怪、猪八戒のことを調べていた自分には、このことばは、ぐっときた。

 「ポルコはなぜ豚なのか?」という質問に、宮﨑さんはウンザリしておられたと側聞するが、八戒の豚設定については、きわめて明白である。八戒は、もともとは怠け癖のある人間であったらしい。あるときひとりの仙人から、しっかり修行すれば仙人になれるなどと説得され、その気になって励んだ結果、ついには天蓬元帥てんぽうげんすいという天界の水軍を統べる役職にまで大出世する。ところが、天界の宴席で酔ったいきおいで月の女神のじょうにたわむれ、セクハラの罪を得て下界に落とされてしまい、落ちたところがたまたまメス豚の腹の中であったため、豚の妖怪として再びこの世に生を享け、その地で妖怪稼業をつづけていた。この豚男、ある日、三蔵法師の旅のキャスティングをしていた観音菩薩と遭遇して諭され、仏教に帰依し、将来この地を通るはずの三蔵法師のお伴をするよう言いつけられる。──これが、いわば人生の失敗者であった猪八戒の履歴書である。ポルコもまた、もとはマルコ・パゴットなる人間だったらしい。だから『紅の豚』を見たときは、『西遊記』の八戒物語と通底するような設定を、おもしろいと思った。もっとも八戒は「紅」の豚ではなく、アジアの豚の在来種に多い黒豚である。日本では「猪」の字は「イノシシ」と訓まれるので、八戒はイノシシの妖怪であると誤解されがちだが、かれは「ブタ」──すなわち人類が野生のイノシシを飼育して食用とするために改良して創った家畜である。ちなみに「亥年」は、中国ではブタ年だ。野生動物の妖怪ではなく、「喰われる」ために人が創りし生命体であり、そいつが「喰うこと」に対して強烈な嗜好を持っているというところに、八戒という類いまれなるキャラクターを生み出した中国人の叡知の輝きを見るべきだろう。

 さて、昨年12月に刊行された『宮﨑駿イメージボード全集5』は、その『紅の豚』である。『紅の豚』は、模型雑誌『月刊モデルグラフィックス』(大日本絵画)に連載されていた漫画「雑想ノート」に、1990年の3月号から5月号にかけて3回つづきで掲載された「飛行艇時代」をもとに作られたアニメーションだ。原作漫画にはマダム・ジーナは登場せず、ポルコとフィオとカーチスの絡みがストーリーの中心になっていて、『飛行艇時代[増補改訂版]』(大日本絵画、2004)などで読むことができる。

 大学での「中国飛翔文学誌」と銘打った講義のために古代の中国人がデザインした飛翔機械について調べていたときには、『飛行艇時代』や『宮崎駿の雑想ノート[増補改訂版]』(大日本絵画、1997)など、ミリタリーをテーマにした漫画作品群に登場する空想の飛翔機械から実在する飛行機まで、それらのデザインと表現のカッコよさに、つくづくため息が出てしまったものだ。しばしば内部透視図なども提供されていて、ワクワクする。宮﨑駿さんと飛翔機械については、おそらく語り尽くされているのだろうが、ここでは中国文学との関係──いや、じつを言うとまったく関係はないのだが──について妄想してみることにしよう。

 宮﨑さんの描く飛翔機械は、ちゃんと飛ぶ。「ちゃんと」とはつまり、悲鳴をあげるエンジンに鞭打って、排気を顔に浴び、「どっこいしょッ!」と浮かんだらこっちのもの、鈍重な木や鉄の固まりも、どうにかこうにか重力を克服し、地べたから離れて進むということだ。それに、飛翔にしくじったときの落下の描き方もカッコいい。落下の悲劇を避けるためには、できればうまいこと海上に不時着して、そのまま船になってしまえばいいのだが、じっさい宮﨑さんのアニメーションには飛行艇がよく出てくる。その空間では、異形の飛翔機械も、『天空の城ラピュタ』のフラップターのように、いかにも「飛びそう」に設計され、めでたく実用化されている。『となりのトトロ』のネコバスの飛翔もカッコいい! ちなみに、SF的モチーフ満載の飛翔文学たるヒルダ・ルイス『とぶ船』(原著は1939。石井桃子訳、岩波少年文庫、1953)には、『トトロ』を彷彿とさせるエピソードが見えるので一読されたい。

 中国では古来「飛車」と呼ばれる飛翔機械への言及があった。この語彙は、もともと「飛ぶように早く走る車」の意であったと思われるが、文字どおり「飛ぶ車」とも解釈され、第二義を生じた。六朝・晋の『博物志』などによれば、殷の湯王の時代(紀元前1600年頃)、はるか西方のこうこくの民は機械工学に長けていて、飛車を造り、西風に乗って中原の豫州までやってきた。湯王は、この車を解体して国民に見せないようにした。10年ののち、東風が吹いたので、湯王はまた飛車を組み立てさせ、奇肱国の人には乗って帰ってもらったのだという。為政者が、高度な科学技術を人民から隠蔽するといったテーマも興味深いが、以降、飛車は「仙界などの遠い世界に運んでくれる乗物」として詩語ともなった。

 19世紀の初頭、すなわち清朝の後期になると、李汝珍が『鏡花縁』(1818)と題する異界漫遊小説を書き、その中で飛車を活躍させている。『鏡花縁』の飛車の構造は、「車体の下部には、銅製の車輪がいっぱいに据え付けられているが、その大きさはまちまちで、大きなものは洗面器ほど、小さなものは酒杯ほどである。それらが縦横に配列されていて、その多いこと数百もあろうか。それらはみな紙のように薄いのだが、きわめて堅固な材質でできていた」というもの。そして「エンジンが始動すると、かの銅輪は、縦のものも横のものも、すべてが一斉に動き始めた。臼のように、また轆轤のように、さながら風車のように、ひとつひとつがそれぞれ回転し始めた。みるみるうちに地面から数尺ばかり離れたかと思ったら、まっすぐ上昇して、およそ十余丈の高さまで昇ると、そのまま西に進路をとって飛び去ってしまった」というのだから、ほかならぬ垂直離着陸機(VTOL)である。20世紀初頭の清朝末期には、中国でもジュール・ヴェルヌの影響を受けて数多のSFが書かれ、未来の飛翔機械もあれこれ登場するのだが、『鏡花縁』は、ヴェルヌもまだ生まれていない頃の作品だ。

 学生たちには、これら漢代から清代までの中国人がデザインした飛翔機械の絵図のあれこれを配布して、「これらは、どのような理屈で飛ぶと考えられたのか、妄想してみよう」という課題を出す。ぼくもそのうち、中国の古典に出てくる、飛翔機械の模型製作に淫したいと思っている。

 さて「風使い」といえばナウシカだが、はじめに触れた『西遊記』の猪八戒は、じつはなかなかの風使いだ。『本へのとびら──岩波少年文庫を語る』(岩波新書、2011)によれば、宮﨑さんは『西遊記』がお好きみたいだから、こちらに話題を持っていってもいいだろう。あるとき、三蔵法師に破門された孫悟空は、生まれ故郷の花果山に帰ってしまう。妖怪は、手強い悟空がいなくなったので、たやすく三蔵を捕らえ、喰ってしまおうといういきおい。そこで白馬に説得された八戒は、悟空を呼びもどすべく花果山に飛んだ。

 三蔵たちは、大唐国から天竺めざし、西に向かって旅をしている。花果山は世界の東端に位置しているので、おのずと八戒は、雲を東に向けて飛ばすことになる。いそぎ悟空を呼びもどさなければ、三蔵が喰われてしまう。そこで八戒はひと工夫をする。つまり、かれはそのバカでかい耳をヨットの帆のように大きく広げて張り、耳いっぱいに西風をはらませ、風力を借りてスピードアップをはかるのである。ぼくはこのくだりを読むに及んで、古代の中国人は偏西風であるジェット・ストリームを知っていた!との結論に達してしまった。ちなみにこのシーンは、1985の中国の長編アニメーション『金猴降妖』(邦題『西遊記 孫悟空対白骨婦人』)で、みごとに映像化されている。すごいぞ八戒! そう言うと、かれはきっとこう返すだろう──「飛ばねえ豚はただの豚だ」。

 とまあこのように、わが中国古典文学研究において、宮﨑さんの表現はいろいろと脳味噌の刺激になっているわけであった。アニメーションでは、ポルコの豚面は魔法にかけられたためということになっているらしいが、そもそも宮﨑さんの世界には、戦争──じゃなくって「戦争ごっこ」かな?──にウツツをぬかす豚族が棲息している。宮﨑さん自身も時として豚になって登場しているくらいだ。

 はなしを『イメージボード全集』にもどそう。『紅の豚』の巻では、空想的な飛翔機械よりも、実在した航空機に近いデザインのものが大量に描かれている。ポルコの愛機はサボイアS‒21試作戦闘飛行艇なるもので、カーチスによって墜とされた後に、フィオの手で全面的な改修がなされ、よみがえる。マンマユート団のダボハゼ号はじめ、空賊連合の飛行艇群が並んでいる絵も壮観だ。おおむね実在した飛行艇をもとにデザインされたもののようで、イメージボードには「エンジンまわり資料写真アリ」との書きこみも見える。宮﨑さんのミリタリーをめぐる博覧強記には、私などはまったくついていけないのだが、それを読み、魅惑的な線で描かれた図解をながめていると、俄然、それらのプラモデルを探して──チェコなど、ヨーロッパのメーカーのキットを探すと、けっこう出てくるみたいだ──作ってみたくなる。最近、『模型雑誌の中の宮﨑駿』(大日本絵画、2026)も刊行され、その種の文章がまとめて読めるようになったのはうれしい。

 『紅の豚』のエンディング・クレジットに使われた、航空史の黎明期をモチーフとした、古めかしい写真アルバムふうのイラストもいいなあ。こちらには豚族が総出で、思わず水彩絵具で塗り絵がしたくなる。ああ、時には豚男になってみたい……。

(たけだ まさや・中国文学)

[『図書』2026年7月号より]


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