藤井一至 土から読み解くナウシカの謎[『図書』2026年3月号より]
土から読み解くナウシカの謎
私たちは今、『風の谷のナウシカ』で巨神兵たちが世界を焼き尽くした「火の七日間」の前夜にいる。火の七日間は、おそらく核戦争か何か、大災害のメタファーだろう。その1000年後、廃墟となった世界に広がる異形の生態系が腐海だ。自然科学者として、腐海は私の興味をひいてやまない。風の谷のナウシカのイメージボードと高度文明を支える科学的知見とをもとに想像をたくましくして、腐海という生態系を掘り下げてみたい。
錆とセラミック片に覆われた1000年後の廃墟に暮らす姿はペジテの工房都市が象徴的だが、その予備軍を私たちは目の当たりにしている。東京やニューヨークなどの大都市だ。建築家たちはそういった危機感を覚えている。巨大な都市を造ったまではいいが、これをどう循環させていくのか。その現実的な方法を思いつかないままに、コンクリートの材料である砂資源の枯渇に慌てている。砂の供給速度は岩石の風化と侵食、河川による運搬・堆積プロセスに制限されるが、消費量はその2倍にもなるためだ。
毒や汚染物質が何かは明示されていないが、金属類の錆とセラミック片は分解されない人工物であり、今日話題のマイクロプラスチックやPFAS、重金属や放射性物質なども含まれるだろう。実際、1960年代に採取された土を調べると、核実験由来の放射性炭素が現在よりも高濃度で含まれている。
汚染物質を浄化して旧世界をリセットすべく、人工的に生み出された生物群(王蟲やムシゴヤシなど)の構成する生態系が腐海である。大ババ様の言葉を借りれば、「いくたびも人は腐海を焼こうと試み……(中略)……そのたびに王蟲の群れが怒りに狂い地を埋めつくす大波となって押し寄せてきた。やがて王蟲のむくろを苗床にして胞子が大地に根を張り広大な土地が腐海に没した」。腐海の拡大は、熱帯雨林を切りひらいて造ったプランテーションで蔓延する土壌病害に似ている。バナナを枯らすパナマ病の病原菌フザリウム(カビの一種)、アブラヤシ(パーム油の原料)を枯らす腐朽菌ガノデルマ(キノコの一種)の被害を見るたび、「こんな所まで菌糸が来ている」とショックを受ける。人類は土壌消毒や隔離といった原始的な手段しか持たないが、浄化後の土地に増加しやすいのはやはり病原菌だ。これらの病原菌は、人間が大規模にバナナやアブラヤシを単一栽培するプランテーションに適応して進化(突然変異)した、いわば人工物でもある。
腐海はやがて粘菌の極相林になる。ここからは、4億年前に実在した菌類プロトタキシーテスが連想される。プロトタキシーテスはカビやキノコの共通祖先だが、高さは8メートルにもなる巨大菌類だ。王蟲を苗床に菌類植物が胞子を出し、根(菌糸ではない)を張る。これは、カビの菌糸を食べるダニが死ぬと、その遺体を培地としてカビが繁殖する自然界の仕組みに似ている。原作のコミックス版では、「森はひとつの聖なる生命体」「個にして全、全にして個」というセリフがある。無数の生物が環境や他者と影響を受けあいながら機能する集合体を超個体という。そして、この超個体によって高度で複雑なシステムが構築されることを創発現象という。無数のシロアリたちが土を積んで作るアリ塚が一例だ。一匹、一匹のシロアリは設計図を共有していないし、気候や土地の粘土の多寡によって土の積み方が変わってくる。腐海も人間社会も同じだ。
腐海の植物たちは毒や汚染物質を吸収し、瘴気と呼ばれる有毒ガス(二次代謝産物)を出す。ナウシカは「腐海遊び」(フィールド調査)だけでなく、胞子を持ち帰って比較的汚染程度の低い風の谷の水と土で育てる室内実験を実施した。植物は常に瘴気を出すわけではないことを示し、「汚れているのは土なんです。この谷の土ですら汚れている」という結論に至る。
現実の生態系では、放射性物質や重金属を分解してくれる都合のよい生物は存在しない。錬金術もない。有機汚染物質では、ペットボトル(ポリエチレンテレフタレート)を分解する細菌は見つかっているが、その速度は遅く、実用的なレベルにはない。毒を分解できる腐海の菌類植物もまた人工生物なのだ。おそらく、高度文明では遺伝子組み換えや遺伝子編集技術によって分解機能を高めたと考えられる。「腐海の木々は人間が汚したこの世界をきれいにするために生まれてきた」というナウシカの言葉にもあるように、腐海の生物には創造された目的がある。本来は生物進化に目的はなく、ただ突然変異と自然淘汰の結果があるだけだ。
旧世界の人類は毒のない清浄な世界では生きていけない。低濃度の有毒物質との共存例としては、タバコのニコチンやコーヒーのカフェイン、クロロゲン酸がある。コーヒーの苦みが示すように高濃度では有毒だが、低濃度では覚醒作用をもたらす。あれがないと生きていけない、とタバコやコーヒーに依存している人も多い。酸素や二酸化炭素、塩さえも濃度によっては毒となる。
そもそも、清浄な世界とは何か。イメージボードにその答えはない。原生林をイメージする人もいるだろうし、自然草原や砂漠、農薬や化学肥料を使っていない畑を思い浮かべる人もあるかもしれない。しかし、空気と水は循環している。例えば、車の排ガスやウシの糞尿由来の窒素が雨に溶け込み、土にしみ込む。人間の影響がない場所はもはや存在しない。人類は、化石燃料の生み出すエネルギーで窒素ガスを肥料に変えて収穫量を、世界人口を倍増させてきた。もう肥料なしでは生きられない。それに伴って、亜酸化窒素やメタン、二酸化炭素といった温室効果ガスの排出も増加させてきた。そのガス濃度さえも調節して地球の気候を制御する時代が来れば、私たちはまさしく汚染物との共生になる。現代人は多かれ少なかれ、クシャナのようにサイボーグ的だ。
「腐海の木々は人間が汚したこの世界をきれいにするために生まれてきたの、大地の毒を体に取り込んできれいな結晶にしてから死んで砂になっていくんだわ」と語るナウシカ。本来、植物遺体はミミズや微生物の働きによって腐葉土になり、そして原形を残さない黒い腐植になる。珪化木や石炭にように水中に埋没した植物遺体は分解されずに石化する場合もあるが、砂は清浄なもののシンボルと解釈すべきだろう。風の谷の老人ギックリは、「火は森を1日で灰にする。水と風は100年かけて森を育てるんじゃ」と語っているが、1センチの厚みの土ができるには100―1000年かかる。1メートルの厚みの土を作るには少なくとも1万年かかることになる。私がギックリならば、「植物と微生物は1万年かけて土を育てるんじゃ」という一文を追加して語るところだ。
私が20年にわたって調査しているインドネシア東カリマンタン州では熱帯雨林が切りひらかれ、畑に姿を変えた。ただし、熱帯雨林の下で培われた表土は決して肥沃ではなかった。黒い土の厚みは3センチほど。日本の10分の1しかない。再び森に戻す焼畑ではなく数年間連続で耕作すると、表土が微生物による分解や雨による侵食で失われた。その下の黄色の粘土層を耕しても作物は育たない。人々はまた次の熱帯雨林を伐採して木材(学校の机になったラワン材)を日本へと売り、残りを焼き払ってまた畑にした。畑はやはり数年後に放棄された。放棄地はチガヤしか育たない不毛な草原となり、腐海のようにどんどん拡大した。「また村が1つ死んだ」(ユパ)というシーンはフィクションではない。放棄された土地では石炭の採掘が行われ、地下の重金属に富む堆積物が露出した。とくにパイライト(黄鉄鉱)は酸素に触れると硫酸に変化し、雨水が浸透しにくい粘土層の上に硫酸の湖ができあがった。傷ついた王蟲を守ろうとナウシカが酸の海で足を痛めたシーンと重なる。
腐海に例えたチガヤ草原だったが、放棄されて10年後の土を掘って驚いたのは草原の下に黒い土が分厚く発達していたことだ。不毛なチガヤ草原の根は、確かに土を育んでいた。そこに外来種のマメ科樹木のアカシアが育てば土に窒素も増え、生産力が上がる。チガヤ草原はまさに腐海の役割を果たしていた。
原作コミックス中で決して雄弁ではないナウシカがはっきり否定しているのは、虚無と純血主義だろう。「清浄と汚濁こそが生命だ」、「いのちは闇の中のまたたく光」だとしている。そこには、青き清浄の地という虚像への疑い、清浄と汚濁の二項対立という虚構への疑いがあり、人工生物である王蟲や菌類植物、そして毒なしには生きられなくなった旧世界の人類への愛情を見ることができる。原生林の生物だろうと、人工的なものであろうと、生きているものは尊いものだ。
この一つの生命観は、政治的にいえば、ナチスの純血主義やシオニズム、優生思想への警戒心とも捉えることができる。極論の否定は可能だとしても、実際の生態系の問題は複雑だ。外来種の多い都市生態系や遺伝子改変生物を含む人工生態系をどう評価すべきかという今日的な課題にも関わってくる。例えば、都市に定着したドブネズミはやわらかい食べ物を食べるように歯並びが変化しているという。これを一つの生物進化と捉えるべきか、遺伝子汚染と考えるのか。少なくとも都市生態系の掃除屋として彼らの役割はすでに貴重なものになっている。
インドネシアの石炭採掘跡地や福島の除染後農地のように表土を失った場所では、客土された砂から生態系、土壌を人工的に再構築する必要がある。もう土地を捨てて人が移住すればいいだけだと思うかもしれないが、その先には東京という廃墟、地球という廃墟を捨てた未来、ごく一部の人々の生存のためのテラフォーミングが待っている。劣化した土地、汚染した土地から逃れ、青き清浄な地を求める人もいれば、汚れたとて故郷を愛し、その土地でしか生きられない人もいる。汚れた土地も、人間が土を汚したのであって、土が悪いのではない。客土した福島の土には、数年でミミズが帰ってきた。生物の想像以上のたくましさに癒されたのは、私の方だった。ナウシカの「木々を愛で、虫と語り、風をまねく鳥の人」に倣い、小さな発見を愛で、ミミズと語り、微生物をまねく土の人となりたいと切に思っている。
(ふじい かずみち・土壌学、生態学)




