『科学』2026年6月号 特集「自己の身体はどこまで拡がるか」|巻頭言『米国エリート大学の苦悩』遠藤 悟
◇目次◇
【特集】自己の身体はどこまで拡がるか
拡張する身体,変容する自己……稲見昌彦
人間は「第6の指」を受け入れるのか?……宮脇陽一・ゴウリシャンカー ガネッシュ
サイバーフィジカル環境が切り拓く「新しい身体」の探求──「拡張身体」と「潜在的支援」……杉本麻樹
人間とコンピュータの融合で変わる「自己」……笠原俊一
身体的リアリティの科学──なぜそれが自分の身体のように感じられるのか……北崎充晃
からだの外へとはみだし,内へと迎え入れる──出来事の舞台としての身体錯覚……小鷹研理
[巻頭言]
米国エリート大学の苦悩……遠藤 悟
[解説]
イトヨで語る現在進行形の進化……北野 潤
〈対談〉人間とAIの未来……岡野原大輔・篠田謙一
小惑星ベヌーの砂から見つかった「生命を構成する糖」……古川善博
[連載]
カミオカンデはいかに生まれたのか──基礎科学の曲がり角に立って9 地下1000メートルに棲みついた実験の鬼たち……古川雅子
ウイルス学130年の歩み12(最終回) 全頭殺処分を招くブタのウイルス……山内一也
17〜18世紀英国の数学愛好家たち12 産業革命と実用数学者たち……三浦伸夫
野球の認知脳科学13 スムーズな守備を支える視線……柏野牧夫
科博のお宝コレクション
4 震災と戦災を経て伝えられた“はじまり”の植物化石:明治5年収集の天産部標本から……矢部 淳
5 詳細な記録で空白期のベールをはがした化石:サハリン産のアンモナイト……重田康成
[フォーラム]
第6期科学技術・イノベーション基本計画とは何だったのか……小林信一
科学技術基本計画を知る──第1期基本計画から第7期科学技術・イノベーション基本計画まで……標葉隆馬
生成AIは研究不正をどこまで拒否するのか──倫理的ガードレールの実験的検証……川原繁人・岩瀬 央
次号予告
表紙デザイン=佐藤篤司
2025年1月に成立したトランプ政権の下で,米国の著名な大学を取り巻く環境は大きく変化した。
2023年10月7日のハマスによるイスラエルへの攻撃の後,米国の大学キャンパスではガザへの侵攻に対するイスラエルへの抗議の声が上がったが,トランプ政権は「反ユダヤ主義への戦いのためのタスクフォース」を設置し,多くの大学に対し施設利用や教育機会などにおけるユダヤ系学生の保護義務の履行に関する調査を行った。そしてその対応が十分でないと判断されたハーバード大学,コロンビア大学などいくつもの著名大学は,公民権法第6条違反として多額の連邦政府の資金配分の凍結が通知された。
本稿執筆時点においてはハーバード大学以外の大学は連邦政府との間で和解が成立し,(大学によっては和解金を支払うことにより)連邦政府の資金配分は復活した。和解に際し大学側は,反ユダヤ主義への対応を含む改善の方策を政府に示すことを求められた。コロンビア大学などが公表した和解に関する文書にはトランプ政権下で大学の自律性を保持しようとする努力が読み取れるが,ガザの人々に寄り添おうとする学生達の心情に応えているかは明らかでない。大学教授職協会(AAUP)はそのような迎合的な対応に批判の声を上げている。
トランプ政権が著名な大学に対しこのような厳しい姿勢をとる背景には,大学のリベラルな文化への反感があると言われている。トランプ大統領や教育省長官は大学を急進的な左翼の集団などの言葉で非難している。そして,そのような大学への姿勢は,研究面においては資金配分の削減などの形で現れている。
トランプ政権が発表する科学技術・イノベーション政策に関する文書をみると,その関心の中心は規制緩和を通したビッグテックによる人工知能などの研究開発の推進にあり,大学への期待は希薄である。予算面では,トランプ政権は民生研究への支援を削減する試みを続けている。例えば4月に発表された2027年度大統領予算案関連文書には,国立科学財団(NSF)の研究関連の予算額が2025年度に比べ59%削減され,その結果,研究グラントの採択数が5800件から2100件に,支援されるポストドクターの数は同4500人から1000人に減少する見込みであることが記されている。歳出予算法は議会において審議されるため大統領の意向が覆る可能性は高いが,前年度と同規模となった2026年度予算についてはファンディング機関による資金支出が大きく滞っているなどの問題が報じられており,研究活動へのネガティブな影響への懸念は拭えない。
さらに,トランプ政権は行政機構の組織改編も進めており,例えばNSFにおいては同財団に設置された国家科学審議会(NSB)のメンバー全員を解任し,大学などから出向しプログラムオフィサーなどの任にあたった研究者の大半を帰任させる中,研究グラントの設置や審査も含め,政権の意向が反映され易い組織構造に変容しつつある。
これらのトランプ政権の政策が成り立つ背景には,保守層を中心とした米国民の支持がある。2024年の大統領選の結果は分断された米国社会を反映したものとも言われるが,世論調査をみると近年特に保守層において科学への信頼度が低下しており,大学における科学研究活動も分断された米国社会と無縁ではないことがわかる。
米国のアカデミックコミュニティーの動きをみると,トランプ政権期が終わるまでは声を潜め,その後の新たな政権による科学への支援の復活を待ち望む者も多いように感じられる。しかし,米国社会の分断が続くのであれば,トランプ政権期に損なわれた理想を,再び幅広い国民と共有することは容易ではないように思われる。




