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思想の言葉:「哲学(史)」と「思想(史)」の差異はどこにあるのか 葛兆光【『思想』2026年8月号 特集|転換期の思想史/哲学史】

◇目次◇

【特集】転換期の思想史/哲学史

思想の言葉 葛兆光/中島隆博訳

特集にあたって
末木文美士

〈討議〉往還と深化
──日本思想史/哲学史の過去・現在・未来
末木文美士・佐藤弘夫・藤田正勝

 

──第1部 転換期の思想史──

転換期の思想史/哲学史
──方法論的探究
末木文美士

インテレクチュアル・ヒストリー
ヒロ・ヒライ

近代日本の女性思想家たちの軌跡
水溜真由美

歴史記述における「当事者性」と概念史
彌永信美

真実は誰のものか
──〈陰謀論〉としての〈偽史〉と戦後日本
オリオン・クラウタウ

日本中世における神道書
──寺院資料に見る
伊藤 聡

 

──第2部 転換期の哲学史──

哲学史という幻想と理想
──世界哲学からの見直し
納富信留

アフリカのエスノフィロソフィーから哲学への問い
──哲学は民俗学を超えられるか
河野哲也

中国哲学史と中国思想史のはざまで
中島隆博

比較思想の秘教的転回
──ルネ・ゲノンの形而上学的象徴論から
永井 晋

知ることの社会性
──フェミニスト認識論と分析哲学
飯塚理恵

関与すること
──日本哲学に関与する 第1章
トマス・カスリス/中島隆博・佐藤麻貴・上田有輝訳

 
◇思想の言葉◇

「哲学(史)」と「思想(史)」の差異はどこにあるのか
──中国哲学史と中国思想史の著作を中心に論じる

葛兆光

 二〇世紀初頭以来、中国の学術は伝統から近代へと転換し、西洋由来の様々な新概念が、伝統的な中国の知識を切断し直し、再構築した(例えば〔伝統的な学術分類法であった〕経史子集が、〔近代的な〕文史哲に分類された)。歴史分野にも様々な専門史の近代的な形式(政治史、経済史、文化史、民族史など)が導入されたが、哲学(史)と思想(史)の関係は常にもつれたままで、はっきりしなかった(「学術(史)」と思想(史)の関係も同様に混同されていた)。民国期に傅斯年(一八九六~一九五〇年)は、中国古代には西洋が言うような「哲学」は存在しなかったと述べていた(『傅斯年選集』第三巻、台北:文星書店、一九六七年、四二三頁)。また胡適(一八九一~一九六二年)は中国哲学史の新たな典範を確立した後に、断固として「中国思想史」を改めて用いることを主張し、「中国哲学史」という名称を放棄した。しかし、彼らはなぜこの二つの研究領域が異なるのか、特に自覚的かつ明晰に説明することはなかった。結局のところ、両者はどこで異なるのか。両者の差異を区別することにどんな意味があるのか。

 二〇世紀末に至るまで、当時の中国の大学の学科分類表では、哲学史は哲学系に、思想史は歴史系に分類されていた。ところが、長い間、この二つの学問の内容、方向性、方法について、自覚的に明確な定義を下す者はほとんどいなかった。したがって、一九九八年にわたしが『中国思想史』第一巻を出版した際、序論の冒頭において、「哲学史」と「思想史」の境界を明確に画定しようと試みたのである。

 現在、日本の学界でも哲学(史)と思想(史)の内容と方法における差異と関連性が議論されているのを見て、わたしはもう一度自分の考え方を説明したいと思う。日本の学者の思考に応えつつ、いくつかの考え方を提示するが、これらの考え方は、実は二八年前に出版した『中国思想史』のなかで、すでに基本的には論じている。したがって、以下では、最も簡単な形で議論を進めたい。

 

 疑いなく、哲学(史)はヨーロッパに由来する。古代ギリシア以来、ヨーロッパには「哲学」の伝統が存在した。古代ギリシアの学者たちは「宇宙」をコスモスと呼んだが、それは美しく秩序ある配置を意味した。宇宙の秩序は単に恒星や惑星の運動を含むだけでなく、季節、天候、万物、そして人間のあらゆる側面をも支配していた。宇宙は秩序立っているため理解可能であったことから、人間の知恵の意義は、宇宙の秩序を解明し、その秩序や法則を理解することにあった。このために人間は論理にかなった思考をしなければならない。これが「合理主義」の起源であり、哲学的思考の起源でもある。この哲学的伝統は、もうひとつの神話的伝統、すなわち古代ギリシア人が万物を神々(オリンポス山の頂に鎮座する一二神)に帰し、異なる神々の意志が万事・万物の運命を決定するという考えと、対峙しつつも互いに補完し合い、古代ギリシア思想の二大淵源を形成した。前者の思考方法と方向性は、次第に具体的経験を超越し、抽象的な次元において万事・万物の観察・思考・観念を論じることで、秩序・論理・体系を備えた思想伝統を確立した。ここから「哲学」が形成されたのだが、これこそ「西洋」哲学が形成された原因である。

 しかし、古代中国は別の知識伝統を持っていた。簡単に言えば、古代中国も古代ギリシアと同様に、いわゆる「三才」すなわち天・地・人の観察から、数字や概念で表現される思想体系を発展させた。例えば「道」「陰陽」「五行」といった概念である。近年では『太一生水』『恒先』『五紀』といった宇宙観を描いた簡牘や帛書の文献が多く発見されている。しかし、古代ギリシアと比べると、古代中国の人々は具体的な生活経験や政治実践の中で思想を表現することにより慣れていて、実用的な政治・社会・倫理問題をより重視していた。古代中国では、「数」は常に宇宙万物の分類と相関していて、決して抽象的な数字ではなかった。概念としての「名」は常に具体的な事物と相関していて、単なる記号ではなかった。したがって、古代において「名」を抽象的に論じる言説は、広く荒唐無稽と見なされ、「奇怪な説を治め、奇妙な言葉を弄ぶ」(『荀子』非十二子)とか、「人の口を制すことはできても、人の心を服従させることはできない」(『荘子』天下)と言われた。戦国時代以降、純粋に概念としての「名」のなかで思弁を行う伝統は、歴史の中で急速に消え去り、数字もまた古代ギリシアのような抽象的な「数学」として独立して形成されることはなかった。「数」であれ「名」であれ、具体的な政治・社会・生活から離れて、単純な抽象記号体系となることはできなかった。ヨーロッパの哲学伝統における「存在」や「実体」は、伝統的中国では思想的議論の核心ではなく、また古代ギリシア以来の概念の内包・外延を重視し形式論理を強調する習慣も、古代中国が象徴と連想を重んじる思考様式とは異なっていた。

 まさにこのために、古代西洋の抽象化・記号化された思想は、自ら体系をなして歴史の中で伸長・発展し、それらを論じる際には哲学(史)の方法によって完全に対応できた。しかし、古代中国において政治・社会・生活と密接に関連した思想言説は、それらの指向性を具体的文脈から切り離すことが困難であった。長い歴史の中で生まれた様々な思想学説には、往々にして具体的な政治的・社会的・生活的背景が存在し、こうした思想的文脈を説明しなければその指し示すものを理解し難い。

 これが、わたしが『中国思想史』において「「思想」という語は「哲学」よりも包含性に富む」(葛兆光『中国思想史(改訂版)』、北京:商務印書館、二〇二五年、六頁)と述べた理由である。

 

 二〇世紀以来、西洋(当初は日本を経由することが多かった)由来の哲学(史)の伝統が、古代中国の儒家の「道統」観念と結びつき、古代中国思想に関しては、往々にしてエリートたちの高尚な言説が論じられ、一般大衆の常識的世界はあまり論じられなかった。わたしは『中国思想史』の「導論」において、 この問題について特に一節を割いて論じた(葛兆光『中国思想史(改訂版)』「導論(上)」第一節「一般知識、思想と信仰世界の歴史」、八~二一頁)。

 中国で最も影響力のある哲学史家である馮友蘭は、その『中国哲学史』の冒頭でこう述べている。「哲学とは本来、西洋の言葉である。これから中国の哲学史を講じるわけだが、その主要な作業の一つは、中国史上の諸学問の中から西洋でいう『哲学』の名に値するものを選び出して、これを叙述することである」(馮友蘭『中国哲学史 成立篇』、柿村峻・吾妻重二共訳、冨山房、一九九五年、四頁)。「選び出して、これを叙述する」という方法は、古代中国史にある諸学問を西洋哲学(史)の枠組みに組み込んで、不適切に長所を削り短所を補い、断片化させるだけではない。さらに、それは必然的にある種の「敷居」を有していて、選び出されるのは「哲学」の名に値する人物や著作に限られるため、百余年にわたる哲学(史)は基本的に高尚で玄妙なものとなり、必然的に上流階級やエリート層のものとなった。『中国思想史』において述べたように、これらの天才たちは必ずしも政治・社会・生活に直接的な影響を与えたわけではない。逆に、一見するとそれほど高尚で玄妙に見えない思想が、生活世界においては常識となり、歴史上の政治・社会・生活を導いてきた。仏教の「諸悪莫作、諸善奉行〔悪いことをせず、善いことをする〕」や「三世輪廻、因果応報〔衆生は三世(過去世・現世・未来世)を輪廻し、因果は応報である〕」といったものが、伝統的な主流の儒教の倫理道徳観と結びついただけでなく、般若学の「空」「色」の論争や唯識学の「阿頼耶識」説と比べても、はるかに深い影響を残している。

 したがってわたしは常に、哲学(史)は深遠な哲学的思索をめぐって論じられるべきであり、思想(史)は一般的な知識・思想・信仰に注目するべきだと思うのだ。この二つの学問分野は適切な役割分担が可能である。

 

 おそらくもう一点指摘するとすれば、哲学(史)と思想(史)の差異は、それぞれが別々に「創造」の思想と「実現」の思想を論じる点にもあるということだ。

 哲学(史)が傑出した哲学者や経典になったような著作を発掘し称揚する必要があるのは疑いないが、思想(史)は単に、斬新に見える思想がどのような歴史的背景から生まれたのかを伝えるだけでなく、それらの斬新な思想学説がいつ、どのような理由で、どのような経路を通じて、民衆が受け入れる原則となり、かつ民衆が自ら望んでそれを自分たちの生活指針として受け入れたのかも明らかにしなければならない。したがって、わたしは以前、思想史は思想の「制度化」「常識化」「風俗化」に注目すべきだと述べたのである。「制度化」というのは、これらの思想学説が、政府の力と官僚のマネージメントを通じて、社会全体が従わざるをえない制度となることである。たとえば、西晋の泰始年間〔二六五~二七四年〕、儒家の家族倫理に関する「五服」の概念が法律に取り入れられた。それによって、伝統中国における「礼法合一」の現象が推進されたのである。次に、「常識化」というのは、様々なやり方での教育や宣伝を通じて、これらの思想学説を民衆の常識とし、社会で普遍的に認められ受け入れられるようにすることである。たとえば『朱子家礼』の様々な礼儀規定や、その背景にある道徳倫理は、児童教育や郷塾〔地域の学校〕の教科書を通じて広まり、数百年もの間影響を与え続けた。最後に、「風俗化」というのは、これらの儒家学説が単なる倫理道徳の教条ではなく、祠堂祭祀・家族墓地・節慶行事などのいくつかの形式を通して、外在的な節日〔重要な記念日〕儀礼・日常生活・行動規則となり、官側の期待に沿った民間風俗を形成したことを指す。たとえば、宋代理学が提唱した「餓死することは小事、節を失うことは大事」という観念は、実際には、宋代以降に徐々に絶対的な倫理原則となり、宗族の規範・婚姻関係・内外の区別を通じて強く顕在化し、伝統中国における女性の自由を束縛する習俗となった。

 これまで、哲学(史)は基本的にこうした内容を論じず、思想(史)もこうした問題にほとんど触れてこなかった。今後、思想史が哲学史と明確に区別されるならば、エリート的で高邁かつ創造的な思想が、いかに制度化・常識化・風俗化され、政治・社会・民衆生活に定着したのかが、極めて重要な研究領域となるだろう。

 東西思想には常に共通点があるものの、東西の異なる政治・社会・文化的土壌から生まれた思想学説は、その指向性や表現において、それでも大きな差異がある。様々な西洋哲学史、観念史、思想史の著作において、「存在」「神」「自然」「倫理」「人間」「社会」「歴史」「自由」「知識」といったテーマが繰り返し登場し、宗教(神学)と政治、科学、人間性との衝突がほぼ全ての歴史を貫いていることが見て取れる。しかし、文化的土壌の差異から、わたし自身は、古代中国においては、伝統的思想学説の重心は常に以下の五点に集中していたと考えている。

 (一) 伝統中国の「天」「地」に関する知識と思想。この点において特に注意すべきは、いわゆる「天円地方」「天尊地卑」「天人之際〔区別〕」「陰陽五行」、そして日月星辰や中央四方などに対する観察から形成された感覚・連想・推論である。中国の熟語である「天経地義〔天地のように当然の道理〕」が示すように、「天」「地」は中国伝統思想の言わずと知れた基盤であり、古代中国の思想・知識・文化の巨大な体系を支えてきた。この体系は中世に仏教が中国に伝来した際には崩壊しなかったが、明代の宣教師や、清末の西洋の堅船利砲〔強力な軍艦と高性能な大砲〕が東アジアに入ってくる時代になると、強大な西洋知識の衝撃を受けてはじめて「天人合一」から「天人相分〔天と人は互いに区分されている〕」へと転換し、「天崩地裂〔天地が崩れ裂ける〕」を引き起こした。これにより古代中国の天地宇宙に関する知識と、政治・社会・人間に関する知識が分化し始め、その神聖性と絶対的な解釈能力を失ってしまったのである。

 (二) 伝統中国の政治思想と社会倫理。古代中国思想が最も重視したのは国家・政治・社会の問題をどう処理するかであった。この点では、「君権」と「相権〔宰相の権力〕」、「政統」と「道統」、「封建」と「郡県」、「礼楽」と「法制」といったテーマに注目する必要がある。これらのテーマは、皇権〔皇帝の権力〕が神権を絶対的に抑圧した古代中国の思想世界において、極めて重要な位置を占めていた。これはヨーロッパで最も一般的な王権と神権の争いとも、日本の公家・武家・寺家の鼎立とも異なる、古代中国政治文化の重要な特徴であった。これらのテーマは近代西洋文化思想による再整理を経ることで、それらに対する理解と議論が、ようやく近代の政治学と倫理学の枠組みに組み込まれるようになった。

 (三) 伝統中国の「人」「身体」「生命」「自由」に関する学説。この点で注目すべきは、春秋戦国時代の「天人之際」の議論、漢代儒家の「三綱〔君臣・父子・夫婦〕六紀〔諸父・兄弟・族人・諸舅・師長・朋友〕」の原則、宋明理学の「心性理気」の弁論、そして儒道仏三家が「善」(「悪」)とは何か、「性」(「情」)とは何か、「仏性」(「人性」)とは何かについて展開した数々の論説である。もちろん、仏教の「因果輪廻」や道教の「不死飛昇〔天に昇って神仙となる〕」も加えるべきである。これらの論説は、西洋で注目を集める「神と民」「救済と超越」という考え方とはやや異なり、伝統的な時代において中国の社会倫理・道徳を支え続け、伝統社会の政治秩序を維持してきたものである。それらは近代西洋の民主主義、自由、人権などの学説の衝撃を受けるまで、絶対性を失うことはなく、哲学(史)や思想(史)の議論における歴史的テーマであった。

 (四) 伝統中国の「言語」または「名」の観念。この点では、古代中国における「正名」「名弁」「言尽意・言不尽意〔言は意を尽くすか尽くさないのか〕」「非思量」「不立文字」に特に注目すべきである。古代中国の言語に関する論説は特に多くないものの、漢字文化の影響や中国の思考方法の特殊性、さらに儒道仏の三教の言語観に関わっている。それは、西洋の「形式論理」「言語哲学」、インドの「因明」の学問とは異なるため、思想(史)においても重要な問題である。これは、近代においてしばしば「理性と感性」「言語と事実」「言語哲学」といった近代思想の命題へ転化された。

 (五) 伝統中国の世界認識と自己認識。この点で特に注目すべきは、「天下」「華夷の弁」「朝貢秩序」である。これらは古代中国思想世界では、もともとは言わずとも知れたことであって、伝統中国の国際観を常に導いてきた。近代に至ると、こうした世界と自己に関する思想は、西洋近代由来の主権国家と国際秩序によって転覆され、中国においては「世界主義」か「民族主義」かという大問題へ転化された。

 最後に述べておきたいのは、おそらく秦漢以降の伝統中国の政治・制度・文化の連続性に相関しているのだが、古代中国思想は二千余年にわたり常に「伝統の内での変化」であったということだ。これは古からのテーマで、常に「復古を革新とする」という旗印のもと、経書体系に支えられて、繰り返し議論され続けてきた。だからこそ、上述した五点のテーマが、中国思想史に繰り返し現れる主要な脈絡を構成しているのである。これらのテーマのなかには、ヨーロッパ由来の純粋な哲学(史)の叙述範囲には収まりにくいものもある。そのため、わたしはあえて言う。思想(史)と哲学(史)のどちらも意義深いものの、伝統中国の様々な思潮や学説を記述する上では、思想(史)の方が哲学(史)よりも適しているのだ、と。

(中島隆博 訳)

二〇二五年一二月三〇日 上海にて

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