【文庫解説】高橋宏幸 訳『アレクサンドリア戦記』
古代ローマの将軍カエサルが自ら記した戦いの記録『ガリア戦記』。ガリア平定後にローマ内部で起こった、宿敵ポンペイウス派との戦いを描く『内乱記』。本書に収める3作は、ポンペイウスの死後も地中海世界全域を舞台に続いた、激しい内乱の行方を記した貴重な記録です。アレクサンドリアにおけるクレオパトラの王位継承や、象の軍団をあやつるヌミディア王ユバとの対決など、古代史ファンならば読み逃せない場面も多数。今回が初の文庫化となります。以下、訳者の高橋宏幸先生による解説の冒頭を転載いたします。
一 三作品の成立と著者
カエサルは、ガリア遠征については前五八年の遠征開始から遠征七年目の前五二年に叛乱軍の最高指揮官ウェルキンゲトリクスを降伏させるまでを『ガリア戦記』第一巻から第七巻に、内乱については前四九年年初の戦争勃発から前四八年に宿敵ポンペイウスがアレクサンドリアで殺害されるまでを『内乱記』全三巻に、書き記した。彼自身が書かずに終わった事績のうち、ガリア遠征八年目と九年目についてはカエサルの副司令官であったヒルティウスが『ガリア戦記』第八巻として記録した。その一方、ポンペイウス死後も続いた内乱が本書に訳出した三作品に記録されることとなった。『アレクサンドリア戦記』はアレクサンドリアとポントスでの勝利を中心とする前四七年の出来事を、『アフリカ戦記』は前四六年におけるアフリカでのスキーピオーとユバ王が率いる軍に対する戦いとその勝利を、『ヒスパーニア戦記』は前四五年における外ヒスパーニアでの(大ポンペイウスの息子の)ポンペイウス兄弟が率いる軍勢に対する戦いと勝利を記す。これら三作品の著者は不詳とされ、どのように公表されたかも明らかではない。ただ、この問題に関わる重要な古代の証言が二つあり、また、最近、詳細な検討にもとづく一つの見方が提起されているので、この章ではそれらを以下に紹介する。
なお、三作品はカエサル『内乱記』と同じ写本を通じて伝承された。『ガリア戦記』はカエサルの生存中に公表されたこともあり、写本伝承も良好である。対して、『内乱記』は未完であったとも見られる伝存状況で、テキストに欠落があり、写本の乱れも目立つ。本書の三作品の損傷はそれ以上で、とりわけ、『ヒスパーニア戦記』の傷みははなはだしい。
スエートーニウスの証言
後二世紀初めに著述した伝記史家であるスエートーニウスは、
カエサルはまた、自身の事績の『覚え書き』を残した。ガリアでの戦争とポンペイウスとの内乱に関するものである。というのも、『アレクサンドリア戦記』、『アフリカ戦記』、『ヒスパーニア戦記』の著者は(カエサルではなく)不明だからである。オッピウスであると考える人々もあり、ヒルティウスであると考える人々もある。ヒルティウスについては、『ガリア戦記』の未完であった最後の巻も補ったから、というのである。(『皇帝伝』「カエサル」五六・一)
と証言している。ここからは次のことが言える。すなわち、『ガリア戦記』および『内乱記』がカエサル自身の著作と認められる一方、本書の三作品がカエサルの事績を記録したものとして広く認知されてはいても、カエサルの真作とどういう関係にあるか、また、著者が誰であるかはすでに分からなくなっていたこと、著者の候補としてオッピウス(カエサル軍の副司令官で『アフリカ戦記』六八・四に言及がある)とヒルティウスの二人が考えられたこと、そのうち、ヒルティウスについてだけ、『ガリア戦記』第八巻を記したから、という理由が示されていることから推して、ヒルティウスのほうが有力視されていたと考えられることである。
(続きは、本書『カエサル戦記集 アレクサンドリア戦記 他二篇』をお読みください)




