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子どもの本を手渡すひと

暮らしを作り垣根を低くするもの/URESICA(東京都)カマタユリコさん

大和田佳世(聞き手・文)

 東京のJR中央・総武線の西荻窪駅北口にあるバスロータリーから、北へ、北銀座通りのアーケードに沿って七分ほど歩いた右手に「URESICA」(ウレシカ)という店がある。縦長の看板には、ツノの長い鹿のイラストと店名のみ。ガラス戸越しに本棚と、ポストカードや器などの雑貨が見える。さっぱりした軒先だが、夏の頃は歩道の植込みから枝葉を伸ばす木々で緑陰ができる。
 戸を押して中に入ると、一階は新刊の絵本・児童書と一般書籍が半々。濃茶色の木の急な階段を上がると二階はギャラリー。絵画や立体作品が展示され、関連イベントも行われている。店主はカマタユリコさんとダイ小林さんの二人だ。

 本屋とは書かれていない。道ゆく人から「何のお店?」と聞かれることはないかと尋ねるとカマタさんは笑った。
 「聞かれますよ。今はだいぶ本が増えたので、本屋かなあと思われていると思いますけど、昔はもっと聞かれました。でもみんなそれぞれ興味のあるものが目に入るみたいだから。雑貨屋さん?と聞かれれば「そうです、雑貨屋です」、猫のお店?と聞かれたら、「はい、猫のもの色々あります」って(笑)。何のお店でもいいんじゃないかなと思うようになりました」

 もともとカマタさんが二〇〇五年に「趣味の延長で」オンラインショップとしてスタートしたのがはじまり。フリーでWEB制作の仕事をしつつ、蒐集したチェコの絵本や雑貨類、クリエイターの友人知人から預かった作品を細々と販売。その頃にダイ小林さんと会う。たまたまカマタさんが気に入って仕入れたシュライヒ社(ドイツ)の動物フィギュアが好評で、ダイさんが輸入代理店に直接電話をかけるなどして種類を増やしたところ、継続的に売れるように。「あれ?と思っているうちに趣味から仕事になりかけていく時期ですね」
 二〇〇七年に西麻布のギャラリーを借り「ウレシカ動物園」と銘打って、フィギュアと、動物をモチーフとした作品・グッズの展示販売をしたのが初イベントだ。当時カマタさんは三〇代。看板の鹿を描いた後輩デザイナー、オカダン・グラフィックや、丹地陽子さんとたんじあきこさん姉妹、どいかやさん、山田美津子さんなど、この頃の同世代のデザイナーや作家との関係性が今に繋がっている。

 「ダイはバックパッカーで、会社員しながらちょっと働いては旅に出る中で、運営をだんだん一緒にやるようになって。実店舗を持とうと思ったのはダイがいたからというのもありますね。オンラインショップってたくさん写真を撮らなきゃならないし、やっぱり実物を手にとってもらえる場所があったらいいなと。たまたま経堂(世田谷区)を散歩中に空き物件を見つけて。私は接客が得意じゃないけど、ダイなら店番も向いてそうだなと」

 買い付けと称して二人で旅し、ほぼ手作りで内装を整えて商品を並べ、オープンしたのが二〇一〇年春。二人の友人知人が次々顔を出しては縁が繋がっていく面白い時代でもあった。
 その後、カマタさんの郷里・長崎での母の介護と死去もあり「これからどうなるかな」とぼんやり感じていた時期に今の空き物件を紹介され、導かれるように二〇一四年に西荻窪へ移転。「こんなに続くと思わなかった」と言いながら店舗経営は一六年になる。

 

 「本屋をやるぞと思ってたわけじゃない」とカマタさんは言う。ただウレシカでは初期から海外の古書絵本を扱っている。本に興味を持ったのはいつなのだろう。

 カマタさんが取り出したのは、古い印刷が美しい『Richard Scarry’s Best Story‐book Ever』。イラストが多数入っている分厚いアメリカの物語絵本だ。
 「長崎県立女子短期大学(現在は廃止)の英文科で母が助手をしていて。小さい頃から職場に連れていかれていたんです。図書室で母を待つこともよくあり、そのときに見つけた本です。寝る前とか、母が日本語に訳して読んでくれました」
 その本を、大学がなくなった後も大切にずっと持っているという。他に『サリーのこけももつみ』や『海のおばけオーリー』などを愛読。『ある手品師の話 小熊秀雄童話集』も母に読んでもらった思い出の本だ。

 カマタさんの実家は、長崎の市街地からトンネルを抜けた先の集落にあり、学校の友達とも家が離れていた。兄たちとは歳が離れ、小さな湾をのぞむ裏山を、一人で犬を連れて歩き回り、野イチゴを採り〝野生児〟のように遊んだという。
 「両親とも仕事は大学の先生だったんですけど、平和研究活動もしていたので忙しくて。両親がいないときはずっとおばあちゃんのところにいました」
 二軒隣り合って並ぶ家の、片方が実家で、父方の祖母と同居。隣には母方の祖母が一人暮らしをしていた。学校から帰ると隣の家で新聞広告の裏に落書きをしたり、本棚の『モチモチの木』などの絵本を読んだりした。

 父は、長崎の被爆者らの証言を収集・記録する市民団体「長崎の証言の会」を担い、長崎における被爆の実相を明らかにしようと研究をしていた。長崎総合科学大学教授、長崎平和文化研究所の所長として『ナガサキ 1945年8月9日』(岩波ジュニア新書)の編纂にも関わっている。夏は活動の大事な時期で、子どものカマタさんも手伝いに駆り出された。
 「私は小学校高学年くらいから反抗期で、この頃撮った写真は、どれも不貞腐れた顔をしています。今思えば、もしかしたらさみしかったのかな、とも思うんですけど。私も言葉にするのが上手じゃないし、父に正しいことを言われると腹が立つことがいっぱいあって、早く働いて家を出たいといつも思っていました」

 絵を描くのはずっと好きだったが、美大を受験するような環境はなく、国立の福岡教育大学の小学校課程の美術科へ。「先生になるつもりもなかったんですけど入ってみたら想像以上に実技の授業が充実していて、何でも一通り制作ができました。銅版画を専攻し、大学の教室に入り浸りで作業しながら、ダンス部にも所属し、自由な生活を謳歌しました」

 卒業近くに就職が内定したのは二つ。一方は福岡で大手のデザイン事務所。もう一方は十数人と小規模だが、JR九州の特急車両つばめのデザイナーとして後に著名になる水戸岡鋭治さんの、東京の事務所だった。カマタさん曰く「ひねくれ者の性分なのか小さい事務所への憧れもあって」東京へ。池袋近くの事務所へ二〇分ほど自転車を漕いで通い、多様な制作物にアシスタントとして関わった。版下はアナログ、建築パースも手描きの頃で、不動産広告の窓枠の影を延々と手作業で切ることも。印刷の仕組みや企業との仕事現場を知る三年だったが……。
 「若かったし、違うことがやりたくなって事務所をやめました。その頃コンテンポラリーなどのモダンダンスが好きで、舞台公演の販促物を手伝ったこともあったけど、実際はそこからバイト生活です」

 二〇代から三〇代は暗黒時代、自意識過剰でイヤなやつだったとカマタさんは冗談めかして言う。でも大学四年時にヨーロッパの西側を、退社後に東欧をめぐり、チェコで絵本を手にし「子どもの頃こういうものが好きだった」と再認識したのもこの頃。二七歳からは大学の先輩が起業した会社で、アルバイトや契約社員として働きながらパソコンでのデジタル素材やホームページの制作も覚えた。内心もがいていたこの頃がウレシカにつながる技術を蓄えた時代だったのだろう。

 小柄で、いつも少し引いて対応しているようなカマタさんの佇まいと、長身で一言ふたこと言葉を交わす中にもユーモアが滲む明るいダイさん。二人三脚ながら、本棚にもギャラリーにもどこか不器用なカマタさんの愛情深い目が行き届いていることを感じる。「大学院で制作を続けたらと誘われたこともあったけれど、自ら表現するより、誰かと作業する方が好きだし向いている気がして。今もそれは変わらないです。作家さんには「今やりたいことを、好きなようにやってください」という気持ちで、楽しみに待ち、届いた作品を「どうやってこの人を伝えようかな」と悩みながら並べます」

 ウレシカでは長年、保護犬・保護猫を迎える選択肢を広める活動に賛同して展示企画をし、売上の一部を支援団体に寄付してきた。その流れで五〇人の作家と制作した『ねこ100テン ポストカードブック』はウレシカらしい一冊だ。いつの間にか、毎年のように本も作っている。
 「本作りに気負いがなかったんですよ。幼い頃からまわりに本を作る人がいて、父も本を書いていたし、母方の親族がガリ版刷りの家族通信を発行していて」
 転勤の多い家で育った七人きょうだいの母たちは仲が良く、それぞれ結婚してからも互いの近況や旅行記などのエッセイ、亡くなった家族への別れの言葉などを綴り、定期的に冊子にしていたという。「何かといえば絵や文を書かされてうんざりしていたのに、今読み返すと、記録として面白い」と振り返る。
 意識する、しないに関わらず、カマタさんの根っこには、人と人をつなぐ本が当たり前にずっとあったのだろう。

 オンラインショップから数えると二〇年以上ウレシカを運営してきた。加速するSNS社会の果ては見えないが、「絵やデザインを活かした本という表現は、人と人の垣根を少し下げてくれる」とカマタさんは感じている。「人も動物も生きやすい社会のため、学びやヒントをくれる本は置き続けたい。両親も長崎の顔なじみだった人たちも亡くなった今、自分にできることを考えなくてはと最近思うことがあります」

 ふと、「ウレシカ」って長崎の方言の「嬉しか?」からですよね?と聞いてみた。カマタさんは「そのとおりなんだけど」とちょっと照れたように言いながら、本当は雑誌で見たあるドイツ人のウレシカさんという名前を可愛いと思ったことがきっかけだと話してくれた。音の響きを気に入ってメモし、色々調べるうちにアイヌ語でウ(お互いに)+レシカ(育てる)、「互いに育てる」「育ち合う」から、「暮らし」を意味すると知って「いいじゃん」と思ったという。

 最近は展示のスケジュールを詰め込みすぎず、自然な余白を大切にしている。
 「ウレシカを育ててくれたたくさんの人がいて、ここはもう自分たちだけの場所じゃない。でも変化も欲しいし、私たちも時には旅に出たいから」と微笑んだ。

 (了)

(おおわだかよ・ライター)

店舗情報
URESICA
住所:〒167-0042 東京都杉並区西荻北2-27-9
営業時間:12:00〜19:00 火曜日・水曜日定休 臨時休業あり
http://www.uresica.com
X:@uresica
Instagram:@uresica

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