人と人がつながる本屋で未来を作る/ひるねこBOOKS(東京)小張隆さん
大和田佳世(聞き手・文)
東京の下町風情が人気があり、多くの観光客が訪れる谷根千。東京メトロ千代田線の千駄木駅、根津駅からそれぞれ七、八分歩いたところに「ひるねこ BOOKS」はある。玄関先には古本の木箱。昔は医院だったという建物の、木枠の扉を開くとかつての細長い待合室がギャラリー、奥に進むと本屋で、絵本や北欧関係の本、エッセイやアートの本などが並ぶ。
「ひるねこ BOOKS」は小張隆さんが八年間の会社員生活ののち二〇一六年に開業した本屋。大学を出て児童書の出版社に就職した翌年、東京・杉並区の実家を出て一人暮らしを始めたのが谷根千だ。「このエリアは個性的な本屋さんがたくさんあるんですよ。といっても最初は知らなくて、町の雰囲気がいいなと思って住みはじめたんですけどね」とにこやかに話す。結婚して離れたこともあったが、妻も自分もここが好きで三年で戻ってきた。本屋を開店するときも谷根千でやりたかったという。資金はすべて貯金などの自己資金で賄ったこともあり、小さな物件からスタート。「やってみて、続けられそうなら移転しようと」の言葉どおり、現在は同じ通り沿いの少し大きな物件に移転して営業を続けている。
古本と新刊本と雑貨を販売する一方、版元の経験を活かして絵本制作に関わり、オリジナルの絵本レーベルをもつなどさまざまな活動を行う。しかし、そもそもなぜ児童書に関わるようになったのだろう。どんな子ども時代だったのだろうか。
「もともと絵も本も好きだったんですよ。子どもの頃から両親に図書館や美術館によく連れていってもらっていて。兄と妹がいて、僕は真ん中。兄も僕もサッカーが好きで活発だったし、家の中は騒がしかったけれど、三人それぞれに本や漫画を読んでいる時間もありました」
父は医療系の会社員、母はもと看護師で結婚後は専業主婦。絵が好きな人で、家には画集がいくつもあった。古い『クマのプーさん』も本棚にあったから、児童文学も好きだったのだろうと振り返る。
サッカーやゲームで友達と遊ぶ一方、一人遊びも好きな子だった。当時流行っていたカプセルトイの「ガン消し」(ガンダムの消しゴム)のキャラクターでごっこ遊びをしたり、『名探偵チビー』(新庄節美作、国井節絵 講談社)や『冒険者たち』(斎藤惇夫作、藪内正幸画 岩波書店)のシリーズを読み耽ったりした。
中学・高校はサッカー部。大学の教育学部に進学して先生になるかなと思う一方、将来への迷いもあり、最終的に私大の夜間の文学部へ。「表現・芸術系専修」のコースで、映画を撮りたい人や小説家になりたい人、公務員として働きつつ夜は大学に来る人などさまざまな人が集まる中、社会学、心理学、アジア映画史など興味の赴くままに受講した。年齢も経歴もバラバラの人たちに囲まれた自由な雰囲気の大学生活。授業は夕方からで、昼はスーパーでアルバイトをしたが、大学三年から出版取次会社のオフィスで働き、出版社に興味をもつように。
「その頃たまたま友達にヴィレッジヴァンガード下北沢店に連れて行ってもらって手にとったのが絵本『100万回生きたねこ』(佐野洋子作・絵、講談社)。久しぶりに読んで、絵本はこんなにも心に響く、哲学的な深いものを伝えられるものだったのかと驚いて。絵本ってすごく可能性のあるものだなと思ったんです。児童書の出版社に入りたいと思ったのはそれがきっかけだったかなと思います」
出版社名をメモに書き出し、募集を問い合わせる手紙とメールを片っ端から送ったが、児童書の版元は小さなところも多く、返事がなかったり「採用予定はありません」と言われることが多かった。しかし偶然新聞で見つけた募集広告に応募したらとんとん拍子に最終面接に進み、老舗の児童書出版社の営業職で採用に。「大学生には出版社といっても編集しかイメージできない。営業が向いてそうと言われてもわからなかったけど、どんな仕事だろうと楽しみな気持ちでした」
児童書版元の営業の仕事には、地方の「外商書店」(公共施設などに本を売る)と一緒に学校や図書館を回る「巡回販売」がある。「本がぎっしり詰まった二、三〇キロのダンボール箱を一〇箱以上車に積んであちこち回るんです。玄関先で見てもらうこともありますが、職員室や図書室まで運ぶこともあって、建物の二階や三階だと大変。肉体労働ですよね」
先生や司書が本を選ぶ場合もあれば、子どもたちが集まってきて、欲しい本をカゴに入れていくこともある。
「本の内容を説明しながら先生や司書さんと話すのも、子どもたちを見ているのもおもしろくて。他の版元とチームを組んで回るので、他社が今どんな本を出しているのか、何が人気があるかもわかるんですよね。会社に帰ってそういった情報をフィードバックして、本作りに活かしてもらうのも営業の仕事でした」
北海道から沖縄までほぼ全県を訪れ、自らの本のすすめ方や熱意によって相手の反応が変わり、手から手へ本が渡っていく実感があった。しかしキャリアを重ねるに連れ、現場の仕事より、販促のための会議や手配や資料作成などのデスクワークが増えていく。「せっかく本を作って売っているのに実感がないというか……年齢を重ねてもやりがいを感じられるのかという葛藤を感じはじめました」
悩む日々の中で印象深いことがあった。
「毎朝、谷中銀座を通って駅まで歩き、電車で出勤していたんですけど、坂の上のどら焼き屋さんから、あんこを炊くいいにおいがしていたんですよ。それをかぐうちに「こんな生き方っていいな」と。お店を持ち、お客さんに来てもらってという生き方が確かにあるんだと思って」
小張さんは三〇歳目前で会社を辞める決心をする。「自分で本屋をやってみたい。仮に破産しても命をなくすわけじゃない。可能性を信じようと思いました」
八年間の出版社勤務では多くのことを学んだ。「子どもの本の世界に入って初めて、世の中にこんなに平和について真剣に考えて、子どもに本を手渡そうとしている大人たちがいると知りました。勤めていた出版社には、中国や韓国の作家と平和絵本を作るプロジェクトがありました。一場面、一文一語にここまで真剣に話し合い、互いの文化や歴史認識を尊重した絵本を作ろうとしているのかと」
広島の書店を担当し、原爆の遺物が語り出す写真絵本『さがしています』(アーサー・ビナード作、岡倉禎志写真、童心社)の販促を通じて二度と戦争を起こしてはいけないと感じることもあった。
「一所懸命子どもの本を作るのは平和のため。差別のない、人権を守る、よりよい社会を子どもたちが生きるためだと感じるようになりました。そのために自分に何ができるのかと問う思いは常にあります。本を読むことで、人は、他者の人生や物事を考えることができる。街の本屋としてできることもあるはずだと」
開業前年、毎年GWに開催される「不忍ブックストリート」の一箱古本市に初出店したときのことを小張さんは振り返る。「みかん箱くらいの段ボールに読んでいた本や好きな本を入れて出しました。自分の選んだ本を対面で売るのは初めてで。ものすごい活気で、老若男女たくさんの人が来て本を買っていく、それが信じられないくらい楽しくて。本の業界の厳しい話ばかり聞いていたけど本屋をやろうと決めた僕には希望に思えました」
小張さんの箱の中には、数は少なかったが絵本もあった。普段絵本をあまり手に取りそうにない中高年の男性がネコの表紙の絵本をひとめで気に入って買っていったことは印象深かったという。
「絵本の本屋にしたら特色も出せるし経験も活かせるけれど、専門店にするとお客さんが限られてしまう。いろんな人に絵本の素晴らしさに触れてほしい」と考えている小張さん。店内には、二〇代のときに初めて旅で訪れて以来好きになった北欧の本、雑貨なども揃えている。「自然豊かで、人々の働き方や暮らし方、アートやデザインも魅力的ですよね。いいなあと刺激を受けます」
展示や自社レーベルの作家に女性が多いように見えてたずねると、小張さんは「女性が、伴侶の収入に関わらず、働いてちゃんと自立して生きられる社会になってほしいという思いがある」という。
開店から一〇年。思い先行で開業したように見えるが、小張さんはさまざまな数字や試算を積み重ねて経営をしており、本屋運営のセミナーに登壇することも多い。「基本的に店に置く本は自分が読みたいと思うかどうか。展示は、見たい絵かどうかがベースになっていますが、どう売るかについては細かく考えます」
初展示の作家には、売上の目標設定や、オリジナルグッズ作りの相談にのることも。応援したいクリエイターをグループ展に誘うことで、出展者同士のゆるやかなつながりも育つ。定期的に訪れる編集者やコアなファンも増え、数々の作品が生まれるきっかけになっている。
「うちの展示からスタートして、他店で展示するようになったり、装画や絵本の仕事につながり、出版されるとまたうちで展示したり……。ここの縁からデビューした作家がたくさんいるんです。いろんな作家のホームのような場所になり、もはや僕一人の店ではない感覚です」
もちろん大人の常連だけでなく、町の親子連れも訪れる。観光で来て、帰りの電車の中で読む本を探していく親子も。子どもたちに手渡す本を置いている、という気持ちは出版社時代から変わらない。
小張さんの心に残る風景がある。それは小学生のときに同居するようになった祖父と、その周りの大人たちの働く姿だ。
「祖父は植木屋の棟梁でした。植物が溢れた庭に秋になれば柿や柘榴の実がなる。夕方には仕事を終えた職人たちが離れでお酒を飲むこともあり、可愛がってもらいました。祖父や職人と一緒に、お屋敷の草むしりをしたことも。早朝からひと仕事して、一〇時になるとお屋敷の人がおやつにラーメンの出前をとってくれるんですよ」と懐かしそうに振り返る。
街の人々の中で小張さんが肩肘張らずに本屋をしているように見えるのは、年上の他人が当たり前にいる環境で育ってきた経験もあるのかもしれない。
小張さんは二〇二三年、不忍ブックストリート実行委員会の代表を南陀楼綾繁さんから引き継いだ。二〇年続く歴史あるイベントの看板の重みを感じながら、変わらず本屋を媒介として人と人とがつながる街づくり、その先の社会を思い描いている。「平和な社会を作るために子どもの本、そして本屋はある」と信じて。
(おおわだ かよ・ライター)
ひるねこBOOKS
住所:〒110-0001 東京都台東区谷中2-5-22-101
営業:12時〜20時(土日祝は18時半頃まで)火曜+第2水曜定休
最寄駅:地下鉄千代田線 「根津駅」「千駄木駅」より徒歩約7分 谷中・キッテ通り
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