「ひとをケアする仕事」としての本屋/よもぎBOOKS(東京都)辰巳末由さん
大和田佳世(聞き手・文)
東京のJR三鷹駅から、三鷹中央通り商店街をまっすぐ南へ十分ほど歩いた大きなマンションの、外階段を上がった二階奥によもぎBOOKSはある。同じ階には家具店、山岳用品店、カフェがあり、流れる空気は落ち着いていて心地いい。壁に大きく「蓬」と書かれた場所を見つけてドアをくぐると、店主の辰巳末由さんが迎えてくれた。
「ここは入口がちょっと奥まっていますよね。店舗物件を探しはじめたときは、道路に面しているほうがお客さまにわかりやすいかなと思ったんですけど。偶然、ここ空いているよ! と行きつけのカフェで教えてもらって。子どももまだ小さかったけれどいい物件だったので、今決断しなければずっと先送りしてしまう、と腹をくくりました」
二〇一七年三月、よもぎBOOKSはオープン。五歳と三歳の子どもを育てながらのスタートだった。
入ってすぐ左の壁には、「ためしよみよう みほん」と表示された絵本が三十冊以上ずらっと並ぶ。右手カウンター後ろには、天井までの棚に本がぎっしり。奥ではちょうど絵本『うろおぼえ一家のおみせや』(出口かずみ作、理論社)の原画や立体作品の展示中。カウンターの中の辰巳さんは、パソコンに向かったりペンを動かしたり、常に作業している。毎日の受発注などの業務をこなしつつ、数か月先の展示スケジュールをイメージして仕事を組み立てているのだろう。
実は、辰巳さんの前職は大手書店のオンライン部門だ。一見おっとりした雰囲気ながらテキパキした仕事ぶりに納得だが、書店勤務経験があるとはいえ、なぜ一人で本屋を始めようと思ったのだろう。
「もともとは大学で心理学を専攻し、「心理職」に就くことを目指していました。特に大学三、四年は専門書を読んだり学会に顔を出したり……人生で一番学ぶことが楽しかったです」
「心理職」は心理学の知識や技術を用い、心の問題を抱えた人への援助を行う専門家だ。大学院卒業資格を持つことが一般的で、辰巳さんも院に進もうとした。
「でも希望した大学院の受験がうまくいかなかったんです。まわりはどんどん就職先が決まる中、「心をケアする仕事に拒絶された自分はどうすればいいだろう」と精神的に追い詰められていきました」
心配した親に実家に連れ戻され、〝どん底〟の一、二年を過ごす。
「テレビの音やニュースも辛くて、活字ばかり読んでいました。哲学書とか、ひと昔前の純文学とか、ひたすら読むことで救われて。そのとき「私は本と共に生きていこう」と決めたのです」
「本に関わる仕事をしたい、自立したい、という両方の思いがあったと思います。採用が決まり「もう一回東京に戻ります」と再び家を出ました。仕事内容は主にホームページの運用で、書誌データなどの更新や新規オープン店舗のマップ作り、作家のトークイベントの動画編集などです。おかげで画像処理や編集のソフトウェアは一通り使えるようになりました」
第一子出産後は在宅ワークを続けられたが、第二子の産後、部署が解体に。「それなら、自分で本屋をやろう」と、約九年在籍した書店を退社して二〇一六年にオンラインストアを立ち上げた。東京は家賃も高くすぐに店舗を持てないだろうと、子どもの頃から通っていた山梨県富士吉田市のギャラリーカフェ「ナノリウム」に棚を借りて本を販売させてもらうことも始めた。しかし住んでいた三鷹の街で思わぬ好条件の店舗物件に巡り合い、開店に踏み切ったことは冒頭の通りだ。
とはいえ、開店後数年は売上も少なく、何度も閉店を考えた。試行錯誤の三年間、ちょっと上向きはじめた矢先のコロナ禍を、ネットストアの注文やお客さんからの励ましに支えられ乗り切ったという。その辛抱強さは元来のものなのか、辰巳さんの子ども時代が気になった。小さい頃はどんな子どもだったのだろうか。
「ぼんやりしてる子で、よく空想の世界にいました。家から学校まで三十分近く歩きながら、ずっと頭の中にいる友達……動物や小人や漫画のキャラクターとおしゃべりしていたんです。帰宅しても一人で電気もつけずにずっと空想の世界でしゃべっていることもありました。今はイマジナリーフレンドなんていいますけど、当時はあぶない感じの子ですよね」
ふふっと笑う、その照れたような笑顔に、感受性の強い少女の面影が見えた気がした。学校ではふつうに過ごしていたというが、もしかして一人おしゃべりは心を守る意味もあったのでは。緊張感のある学校生活だったのだろうか。ふと思いついてそうたずねると辰巳さんはちょっと考え込んだ。
「そうかもしれません。荒れている小学校で、トラブルもしょっちゅうで。みんな、いつ自分が巻き込まれるかという雰囲気はありました」
共働きの両親、上二人の姉は思春期で親とぶつかる姿も見ていた。末っ子の辰巳さんは、学校でも家庭でも自然に空気を推し量って生活していた。でもいざ同級生とトラブルになったときは、「こっちにも筋がある」という思いを曲げることはなかなかできなかった。
「同級生には強面の親もいて、大人同士の忖度があったとしても、その場を取り繕うようなことはいいたくなかった。納得できないとまっすぐいう性格だったので〝出る杭〟だったかも(笑)」
絵本を読んでもらった記憶はほとんどなく、家にあるのはアガサ・クリスティなどのミステリー小説ばかり。中学生になると姉が買ってくる村上春樹や筒井康隆の小説を手に取った。では、絵本との出会いはいつだったのだろうか。
「書店で働きはじめた頃、上司から絵本をプレゼントしてもらって、「二十代の私に響く絵本ってあるんだな」と新鮮でした。店頭で偶然『風が吹くとき』(レイモンド・ブリックズ作、さくまゆみこ訳、あすなろ書房)の絵本を見つけたときは嬉しかった。小学生のときに同作のアニメーション映画を見て、ずっと忘れられなかったんです。二度と見られないと思っていたから、「絵本があれば、何度でも作品を味わえる」と感動しました」
のちに結婚して子どもが生まれ、赤ちゃん絵本のジャンルから児童読み物まで、一冊一冊手にとる機会が増え、親しんでいく。上の娘は「こぐまちゃん」シリーズ(わかやまけん作、こぐま社)を何度も読みたがった。コロナ禍の頃には、二人の子に夜寝る前に、『モモ』(ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳、岩波書店)と『はてしない物語』(ミヒャエル・エンデ作、上田真而子・佐藤真理子訳、岩波書店)を毎日少しずつ一年くらいかけて読んだ。
「子育てがなければ今のよもぎBOOKSはなかったです。大人になって絵本や児童書の良さを知りました。本を売ることは難しく、〝がんばる気持ち〟のやり場が見つからないときもあるんですけど、今は絵本作家さんと一緒に企画する展示などに支えられています。展示をしていると、店に作家さんがいてくださるような安心感があるんです。中にはオープンから八年間、ずっと売れない本もあります。でもときどき買ってくださる方がいると本当に嬉しくて。会計時は「いってらっしゃい!」という気持ちです」
かつて働いていた職場では、右から左に流れるように毎日たくさんの本が入ってきてはたくさん消えていった。その光景に胸を痛め、本当は最後まで面倒を見たいと思っていた。自分は甘いとわかっている、と辰巳さんはいう。一人で好きにやっていて、決して偉そうなことはいえない。でも大きな組織に属しているとイエスマンになる自分も嫌だったという。
「何か指示されると、「ハイ」といわれたとおり動いちゃう。違うと思ってもNOといえず、何かやりたいと思っても「あの人にお伺いを立ててOKといわれないと」と考えるともう心が萎れて。自分の中にあったはずの〝思い〟も「何がしたかったんだっけ?」とわからなくなってしまって……。それに比べれば一人でお店をやることは、怖さも辛さもあるけれど、全責任が自分にあるから潔いんです」
組織を離れ、個人事業主の届出を出し、オンラインストアを立ち上げたとき、下の子はまだ一歳だった。夜泣きもある年齢で、睡眠不足だったのではと問うと、辰巳さんはいった。
「ずっと頭痛があって体調が悪くて。そんなときに個人事業主になろうなんて、いったい私は何を考えていたんでしょうね(笑)」
車を買って本の移動販売もすることも考えた。形式は様々でも、常に頭にあったのは〝本と共に生きていく〟こと――。
「この間、文化人類学者レヴィ=ストロースの本をベビーカーを押しながら購入してくださったお母さんがいたんですよ。人文書ももっと自信をもって置こうと思いました」と目が輝く。
辰巳さんは、本との出会いが人生にもたらすものを信じている。本を選ぶことを親子で楽しんでほしい。でも小さな子がいる親はなかなかゆっくり本を選べない。その葛藤もよくわかるので、「今度一人でゆっくり来てください」と内心でエールを送っている。
「振り返れば、専門書に明け暮れた日々もよかったなという気持ちです。なぜ本屋かというと、本に関わる仕事が「心理職」を目指したのと同じ信念でできるんじゃないかと思ったから。人をケアする仕事は専門家だけのものではなく、日常のふつうの仕事の中にも、ケアが存在することはいっぱいあるはず。本屋という仕事で、もしかしたらそれが体現できるんじゃないかと。いつも心の片隅に置き、模索しているところです」
(おおわだ かよ・ライター)
よもぎBOOKS
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