反骨と祈りを子どものそばに/こどもの本屋てんしん書房(東京都)中藤智幹さん
大和田佳世(聞き手・文)
東京メトロ丸ノ内線茗荷谷駅を出て横断歩道をわたり、緑の多いゆるやかな坂をくだっていくと、右手に木の看板が出ていた。「こどもの本屋てんしん書房」。営業時間は「一〇時から暗くなるまで」。二〇一七年に中藤智幹さんが妻の葵さんと共にはじめた店だ。
引き戸を引いて店内に入ると、木製の絵本棚は低めの平台付きで、子どもの目線にぴったりの位置にずらっと絵本が並ぶ。日本や海外の作家など、ジャンル別にそれぞれあいうえお順で探せるようになっている。棚の間の通路は広々として、本を選ぶために屈んでもぶつからない。つきあたりには、壁の棚いっぱいに児童読み物が背表紙を揃えて並び、圧巻だ。店内には子どもたちの絵や折り紙、習字が飾られている。「『うまく書けたから貼って』と持ってくるんですよ」と中藤さんは表情を和らげる。
「棚の設計は、自分でしました。児童書が何タイトル入るか、本の厚みと冊数をセンチ単位で計算してぴたっとおさまるように。絵本の平台の高さは、子どもの頃に通った神戸のひつじ書房(現在は閉店)を参考に、かなり低くしました。通路はべビーカーがすれ違えるくらい。ひつじ書房は通路にしゃがんで読んでると、人が通るたびによけないといけなかったから(笑)」
中藤さんは神戸市東灘区出身だ。祖父母の家は同区の岡本にあり、家族で祖父母を訪ねるたびに近くのひつじ書房に寄って、兄や姉と本を買って帰るのが恒例だった。店主の平松二三代さんはたくさん本を読んでくれた。戦後、大陸から引き揚げ、児童書専門店の名店と呼ばれるまでの厳しい選書眼で店を切り盛りしてきた人だ。出版関係者には厳しかったが、子どもにはとても優しかった。ただ両親は特に教育熱心なタイプではなく、読み聞かせの記憶も残ってないという。
「小さい頃から本が好きだったんでしょうと言われるけど、そんなことないです。近くの川で遊ぶのも好きだったし、犬を触るのも好き、一人遊びも、昼寝も好き。小学生になるとマンガもゲームも好きな普通の子どもですよ」
では小さい頃にどんな本を読んだ記憶が残っているのか。
「父の仕事で二年くらい、オーストラリアのメルボルン郊外に住んでいました。休みの日の朝は、布団の中で大判の天体図鑑をずっとめくっていた記憶があります。英語は読めないけど、銀河系や惑星の絵を見るのが好きで」
年が離れた姉・兄は日本人学校、幼い自分だけは現地の小学校に放り込まれた。日本人は誰もいなかったが、みんな親切で、英語も口真似をしているうちにすぐなじんで話せるようになったという。
「人生で一番友達が多い時期だったと思います。唯一、中国系の体格のいい問題児みたいな子のグループに目の仇にされて。『お前が俺のじいちゃんを殺したんだ!』と泣いて殴られたりしたけど、そんなこと言われても僕には何のことだか分からないし、プロレス技をかけられても僕も黙ってないでやり返したし。でも肌の色が近いからか、彼はどこかで僕に心を許していて、彼が怒られて泣いたあとは僕が慰めたりして……。複雑な関係だけど友達だったんですよ。多分、あの頃僕の中には世の中への信頼みたいなものがあったから。彼ともこじれるわけじゃなく、みんなと仲良くて、明るい男の子でしたよ、あのときは」
中藤さんが小学二年生のとき一家は神戸に戻る。そして小学三年生になった年の冬、阪神・淡路大震災が起こった。
「うちの家は大丈夫だったけれど親父に連れられて街に出たら、建物が全部なくなって地平線が見えて。昨日まで遊んでいた友達が亡くなり、家が潰れちゃった友達もいて。建物が倒れた後の埃っぽい匂いを嗅ぐと今も震災を思い出しますね。親が『うちに来てください』と声かけて、しばらく友人一家が一緒に住んでいました。ロウソクの生活は珍しいし、非日常も楽しい。でも親は大変だったろうなと。あのときの大人は本当に頑張ったなあと思います」
神戸は変わりましたか、と聞くと中藤さんは「変わった」と短く答えた。風景は急速に変わった、今思えばあのとき日本はまだ経済に力があったんだろうと。
同じく小学三年生のとき、学校で『かわいそうなぞう』の読み聞かせがあり、オーストラリアで中国系の男の子が叫んでいた意味を実感してしまった。過去に日本が戦争をしたこと、中国でも多くの命が失われたこと。そして、シートン動物記の『オオカミ王ロボ』を読み動物に対する人間の身勝手さにも衝撃を受ける。
「ちょうどその頃くらいからですね。世の中への不信感みたいなものが芽生えた。震災の年は地下鉄サリン事件もあったし、ショッキングな事件が重なって、人間ってやだなと。そう思ったら、やっぱり時代の影響下で生きているのかなぁ……」
六つ上の兄の影響で小学校高学年頃から国内外の音楽バンドに触れ、ロックンロールに夢中になった。
「受験もうまくいかなかったし、はみ出し者を気取っていたらいつの間にか本当にはみ出してて戸惑いました。十七、八の頃、実家のベランダで、『これから何を信じて生きていけばいいんだろう』と真剣に考えました。そのとき絞り出した答えが自分は純粋なものが好きだ、ということ。犬や猫、子ども、ロックンロール、文学、自然。この五つくらいのものを頼りにしていこうと思ったんです」。
高校から大学にかけて、「関西ゼロ世代」と呼ばれる二〇〇〇年代の過激な音楽シーンの渦中に中藤さんはいた。アナーキーでアバンギャルドな感性と音楽性。バンドでギターを弾きライブステージを重ねるが、後にメンバーと袂を分かつ。
「昔は一つ疑問に思ったらずっと突き詰めて考えた。その結果、もう音楽はやらないと決めた。挫折ですね。そのあと映画を一日三本見る生活になりました。その頃に妻と出会っています。映画を大量に見たことはよかった。今の絵本の見方にも活きていると思います」
大学卒業後、フリーライターとして芸人のDVD販促のためのインタビューや、アーティストやお店の紹介記事などを手がけていたが、東京に出てきて葵さんが体調を崩したことをきっかけに「夫婦二人でできる仕事」を考え始める。同じ頃、神戸のひつじ書房から本屋を継がないかという声がかかる。神戸に戻ることはできないが「東京で子どもの本屋をやる」ことはできそうな気がした。自宅近くのガードレールに座ってぼんやり考えていたとき、ふと目の前の空物件に目がとまる。すぐそこは公園だし、学校や幼稚園も近い。問い合わせるととんとん拍子に借りられることが決まった。こうしてこの場所と出合った中藤さんは「てんしん書房」開業へ動きだす。
店内で中藤さんと話していると、入り口のカーテン越しに「本屋さん、閉まってるねー」と幼い子の声が響く。通りを歩く親子にはてんしん書房がある風景がおなじみなのだろう。
「この間の夜は、編集者の方たちと絵本の勉強会があって灯りがついていたからか、学校帰りの高校生がのぞきに来ました。開店時小学生だった子たちはもう大きくなったけれど、今でもたまに、澄ました顔で来ますよ(笑)」
店内にマンガ雑誌や学習参考書は置いていない。その代わり絵本や児童書がたっぷり。中藤さん夫婦の目で選ばれた本が店内にちりばめられている。
「教材や参考書を扱えば売上は上がるでしょう。この駅で唯一の本屋ですから。でも教育施設が集まる日本有数の文教地区で、教材を一切置かないことに、社会へのアンチテーゼというか、個人ができる精一杯の反抗みたいなものがあるんじゃないかと。我ながらよくやっているなあと思いますが、来たい人は来てくれるから」
おすすめの本を聞くと、きむらよしおさんのナンセンス絵本『ゴリララくんのコックさん』を読んでくれた。ちくわの穴に菜の花やオムレツを入れるゴリララくんが子どもたちは大好きだという。
「子どもって穴が好きでしょう。ちくわもドーナツも穴を食べる。絵本の面白さってちくわの穴みたいだと思うんです。ページとページの間の余白、前後の画面のつながりを脳内で作りながら読む楽しさですね。どんなに大人の絵本好きが増えても、僕は、もっとも優れた読者は子どもだと思う。一緒に読むと細部に気づき、驚くほど豊かに想像をふくらませて……人間の大事な部分は、ちっちゃい頃に詰まっているんだなと実感します」
大人が大人に作るのではなく、大人が、子どもが読む本を作るのだから、作り手も売り手も真剣に絵本について学び、批評しあうべきだと中藤さんはいう。
「積極的に意見を求めて、制作中の絵本を見せに来る若手の作家もいますよ。阿部結さんやまつながもえさんは、厳しい感想を言っても、悔しがったり落ち込んだりしながら何度も来てくれます」
中藤さんの言葉の端々には、子どもへの信頼と、子どものこれからの道のりを案じる思いが見え隠れする。少年時代の違和感、思春期の葛藤や挫折が、心に影響を与えることを知っているから。
「本を手渡していくことは、“祈り”に近いです。辛いことがあってもなんとか生きていってくれと。この先のお守りになるようなものを渡したい。“ずっとこの子のそばにいて”という祈りです」
最後にもう一度、ひつじ書房の平松さんのことを聞いた。
「店内の本を無償で読んでくれるし、なんか変な人だったんですよ。僕は大人のことがあまり好きじゃなかったから、そうやってはみ出して生きている人を面白く思ったし、その人たちに助けられた。『こんな生き方もあるんだな』と思わせてもらえました。今の子どもたちにも、例えば、虫や自然を描く絵本作家の舘野鴻さんみたいな人に直に触れてほしい。規格外の大人が世の中にはいるのだと肌で感じてほしいです。僕も『あのおっちゃん、いつもあそこに座ってたけど、あんな生き方もあるんだな』といつか思ってもらえるかもしれない。生きていたら挫折は必ずある。でもいろんな生き方の選択肢を提示したいですよね、子どもたちに」
(おおわだ かよ・ライター)
こどもの本屋 てんしん書房
住所:東京都文京区小石川5-20-7 1F
営業時間:10:00〜暗くなるまで 月曜+不定休
http://tenshin-shobo.com
X @kodomo_honya
Instagram @kodomo_honya