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『科学』2025年12月号 特集「ホルモンの驚異」|巻頭エッセイ『「壊す」と「創る」をもたらすホルモン』三浦正幸

◇目次◇ 
【特集】ホルモンの驚異
やる気をつくるホルモンNMU──ラット研究から見えてきた意欲のリズム……相澤清香
妊娠中の運動習慣は子どもにどう伝わるか──胎盤由来タンパク質による新しい情報伝達機構を探る……楠山譲二
「お腹グーッ」の意味──腹鳴りホルモンが摂食を刺激する……坂田一郎
オキシトシンが紡ぐヒトと動物の絆……林 姫花・坂本浩隆
オキシトシンの多彩な機能はどのように実現されるのか?……宮道和成

[巻頭エッセイ]
「壊す」と「創る」をもたらすホルモン……三浦正幸

[ノーベル生理学・医学賞2025]
制御性T細胞による末梢性免疫寛容の仕組みの解明──免疫学の歴史における20世紀最後の大発見……河本 宏・西村有史
[ノーベル物理学賞2025]
電気回路に現れた巨視的量子効果……中村泰信
[ノーベル化学賞2025]
ナノの世界で“空間”を設計する──MOFという新しい材料……大竹研一
りようしようりょうしりきがく……時枝 正
SNS依存をもたらす社会環境を考える……岩谷舟真

[連載]
カミオカンデはいかに生まれたのか──基礎科学の曲がり角に立って3 陽子崩壊実験の扉開いた理論家の“お告げ”……古川雅子
ウイルス学130年の歩み6 肝炎の原因ウイルス:A型~E型肝炎ウイルス……山内一也
17~18世紀英国の数学愛好家たち7 英国における数学教育機関の多様性……三浦伸夫
野球の認知脳科学7 プロ選手にみる視線の個性……柏野牧夫
3.11以後の科学リテラシー155(最終回)……牧野淳一郎

[科学通信]
誤情報の訂正を阻む認知バイアス……田中優子
次号予告
総目次

表紙デザイン=佐藤篤司

◇巻頭エッセイ◇
「壊す」と「創る」をもたらすホルモン
三浦正幸(みうら まさゆき 基礎生物学研究所所長) 
 

 体の状態を大きく変化させる仕組みには,神経系・免疫系・内分泌系が関わっている。ホルモンは内分泌腺からの化学伝達物質であり,その作用の一例をここで紹介したい。

 動物種の半数以上を占める昆虫の多くは変態(メタモルフォーゼ)を行う。脊椎動物でも,カエルの変態は広く知られている。昆虫は変態を経て,幼虫とは似ても似つかない姿の,性成熟した成虫へと姿を変える。この生活史における劇的な変身は,ホルモンの働きによって引き起こされる。人間は昆虫のような変態を遂げることはないが,思春期には子どもから大人へと体が大きく変化し,その過程もまたホルモンによって調節されているのである。

 ショウジョウバエの幼虫が蛹へと移行するにあたっては,脱皮ホルモンであるエクジソンによってその引き金が引かれる。蛹の中の細胞を観察すると,体全体で細胞の破壊が起こり,同時に細胞の創造と再編成がなされていることがわかる。すなわち,「壊す」と「創る」が同時に進行しているのである。しかも両者は密接に結びついている。幼虫の上皮細胞の死を止めると成虫の上皮がうまく形成されず,逆に成虫上皮になる細胞の増殖を止めると,幼虫細胞は死ににくくなる。ここで注目すべきは,細胞を「壊す」と「創る」という営みが,幼虫細胞と成虫細胞とが接する境界でバランスよく実行される点である。その結果,上皮全体の大きさを変えることなく,幼虫の細胞から成虫の細胞への入れ替わりが滑らかに進行するのである。巧みな上皮という場の転換による変身だ。

 セミが羽化するのにもホルモンが関わる。セミの抜け殻を見つけて,羽化を身近に感じたこともあるだろう。セミは,一生に一度だけ生殖をして死を迎える(この繁殖の仕方をセメルパリティーという)。羽化したオスは鳴き続け,メスと交尾を果たすと一生を終える。

 プラトンは著書『パイドロス』のなかで,セミについて語っている。女神ムーサたちが生まれて,この世に歌がもたらされた。すると人々はその楽しさに夢中になり,食べることも飲むことも忘れて歌い続け,ついには気づかぬまま死んでしまった。その人々からセミが生まれた,という話を,ソクラテスがパイドロスにするのである。また,松尾芭蕉も歌うセミを詠んでいる。「やがて死ぬ けしきは見えず 蝉の声」。プラトンも芭蕉も,死すべき生を精一杯に全うするセミの姿を描きとめている。生命を紡ぐ生と死の劇的な結びつきがここにはある。

 人間から見ると一見特殊に思える生物の営みや細胞のふるまいから,生物に共通する仕組みを学ぶことは多い。先述のように私は,変態する昆虫の観察を通じて,「壊す」と「創る」が協調して体を大きく作り変える仕組みに気づいた。この対照的な言葉の組み合わせを意識するうちに,「壊す」と「創る」を組み合わせた展覧会のタイトルがあることに興味をもった。

  速水御舟の全貌 ── 日本画の破壊と創造(2016年 山種美術館)

 竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー(2023年 京セラ美術館)

 芸術の世界では,これまでにない様式を「創る」ために,あえて既存の手法を「壊す」試みが繰り返されてきた。それは,わずかな変化の積み重ねではなく,劇的な様式転換をもたらす営みである。同じ作者の作品とは思えないほどの作風変化は,昆虫の変態のように鮮やかである。

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