思想の言葉:鶴岡賀雄【『思想』2025年12月号 特集|ミシェル・ド・セルトー──生誕100年】
【特集】ミシェル・ド・セルトー──生誕100年
霊的経験
ミシェル・ド・セルトー/鶴岡賀雄訳
白いエクスタシー
ミシェル・ド・セルトー/福井有人訳
──神学と神秘主義──
セルトーの神学的影響
グラハム・ワード/渡辺 優訳
ミシェル・ド・セルトーと未完の神秘主義論──身体と群衆の詩学
渡辺 優
神秘主義研究史におけるミシェル・ド・セルトー
フランソワ・トレモリエール/森元規裕訳
──歴史と実践──
二つの喪,二つの時間──ミシェル・ド・セルトー『神秘のものがたり』の歴史実践
福井有人
日常美学とセルトー──〈つくること〉の美学へ向けて
青田麻未
コンピュータ以後の「徘徊する」歴史家──フーコー・アナール学派第三世代から,セルトー・リクール・第四世代へのパラダイム転換
川口茂雄
──世俗と信仰──
断絶と断片──マルセル・ゴーシェ,チャールズ・テイラー,ミシェル・ド・セルトー
伊達聖伸
ミシェル・ド・セルトー 歴史記述,革命,神学──ラテンアメリカを起点とした認識論的移動
カルロス・アルバレス/福井有人訳
* * *
おじをめぐる断片的回想
ミシェル・ド・セルトー/渡辺 優訳
著作解題
福井有人
略年譜
福井有人
『思想』2025年総目次
セルトー私観
セルトーの多面体
ミシェル・ド・セルトーの生誕一〇〇年を記念して『思想』が特集号を組む、と聞いていささか驚いた。フランスではいくつかの企画があったようだが、所属していたイエズス会や出身地の大学でのことらしい。セルトーは本邦で、それほどに知られた人なのだろうか。知られているとして、どのような人として知られているのか。
私自身は、ずっと以前から、キリスト教神秘主義の研究者としてのセルトーに強い関心をもち、その方面の著作や論文は早くから読んできたが(神秘主義研究の主著、『神秘のものがたり』(一九八一)の邦訳がないのは遺憾である)、かれが一九六八年のいわゆる五月革命に際しては同時代的な評論活動で名を馳せ(『パロールの奪取』、『文化の政治学』など)、また革新的な資料論、ラディカルな歴史記述論をもつ歴史家であり(『歴史のエクリチュール』、『ルーダンの憑依』など)、フロイト、ラカンの精神分析理論に精通し(『歴史と精神分析』など)、北米ではいわゆるカルチュラル・スタディーズ系の現代社会論の理論家として注目された(『日常的実践のポイエティーク』は広く読まれた)、多方面で本格的な活動を行っていた学者・思想家だったことは、私にはあとからわかってきたことである。かれの読者の多くは、まずはそれぞれの関心領域からセルトーに接近したのではなかろうか(南米出身のあるイエズス会士の哲学研究者は、セルトーの名は知っていたがセルトーがイエズス会士であることを知らなかった。フランスでセルトーと親しかったというあるイエズス会士は、当時のかれを日本でいう「評論家」のようだった、と語ってくれた)。その人自身の関心がそれぞれのセルトー像を作ってきたのでもあろう。
さまざまな方面の仕事は、別々に読んでも十分に成り立つものだろうが、では、たがいにはどうつながっているのだろうか。理論として、またかれ自身のなかで、どうだったのか。一九八六年、六〇代に入ったばかりで逝去――学問的には早世と言うべきだろう――してから四〇年が過ぎようとするいま、あらためてセルトーを読むということは、かれの諸方面の著作、そこで提出されている理論や発想がたがいにどのようにかかわり、つながっているのか、そのつながりが見いだされる水準にまで届いたものでありたい。自由な書き方が許されるこの場を借りて、自身は「宗教学」という学問制度に長く身を置いてきたセルトー愛読者としての私見を述べてみたい。
最後のセルトーの「神秘主義」と「社会哲学」
上記のいくつかの学問的活動領域は、大きく言って、セルトーの学者としての出発点だった初期イエズス会思想史以来の「神秘主義研究」と、五月革命や解放の神学に触発されるところが大きかったと思しい「現代社会研究」(ここではその理論的深度に鑑みて「社会哲学」とよんでおく)に大別できよう。歴史記述論と精神分析理論は、両領域を検討分析する際の理論的背景、道具立てとして、一貫して稼働している、と見てよさそうだ。
セルトー自身は、この二領域を明示的に関わらせるような文章は残していない。亡くなる数年前に書いていた重要な論考を並べてみても、この二領域は並列したままのようだ。神秘主義研究では、「神秘主義のさまざまな歴史性(Historicités mystiques)」(一九八五)、「天使の語りかけ──言語の詩学のための形象群(Le parler angélique. Figures pour une poétique de la langue)」(一九八四)などがある。テーマだけ紹介すると、前者は、一六・一七世紀のキリスト教世界における「神秘主義」の成立事情を主題としていた主著を継いで、近世西欧に発する「神秘主義」が、一八世紀以降、とくに一九・二〇世紀にどんな展開をしたのかを多層的多面的に総覧している。二〇世紀の神秘主義研究(かれ自身のそれも含まれる)が、すでに「研究対象となった過去」の神秘主義とどうかかわり、どのような意味でこれを継ぐものであるか、あえて言い直せば神秘主義研究がどのような意味で神秘主義の歴史を構成するのかを論ずる、綱領的大論文で、『神秘のものがたり』の続編の巻頭論文たることを想定していたと思われる(没後刊の続編『神秘のものがたりⅡ』ではじっさいそうなっている)。後者は、古代から現代に到る「天使の語りかけ」の諸場面を通覧するもので、旧・新約聖書、中世神学の天使論や近世の神秘家たちへの天使出現の諸相を扱った上で、ポーからリルケ、クレー、ベンヤミンといった近現代の思想家・芸術家の天使をめぐる語りまでが、シームレスに論じられている。『神秘のものがたりⅡ』の一章とすることが見込まれていたのだろう。
社会哲学の領域では、「信じることの制度──作業ノート(Institution du croire: Note de travail)」(一九八三)、「差異の社会的実践──信じること(Une pratique sociale de la différence: croire)」(一九八一)という濃密な姉妹編が書かれている。前者は、副題に「作業ノート」とはあるが、かれがアメリカから戻って着任したパリの社会科学高等研究院での講座「信じることの歴史人類学」における研究の基本構想を述べたものととれる。後者は、そこでの所論を支える一般理論構築の試論たらんとしている。いずれも、「知ること」と「信じること」の区別、そして「信じさせること」を任とする「制度」という大きな構想を、抽象度の高い論法で開拓しようとしている。難解で安易な要約を許さないが、しかし根本的発想は、一九七〇年代に刊行された『文化の政治学』の巻頭論文「信じうるものの革命」、『日常的実践のポイエティーク』所収の重要論文(第一三章「信じること/信じさせること」)をはっきり引き継いでいる。タイトルから明らかなように、セルトーの社会哲学は、「信じる(croire)」ということを根本に据えている。それは、まずは「こうすればこうなるはずだ」という、事の成り行きを信じることであり、またとりわけ、他人の応答を信じることである。人はその信にもとづいて行動し、言葉を語るのである。その信を支えているのは、確実不変の真理を「知る」こととは区別された、「本当らしさ」であり、その本当らしさを信じうること、信ずべき真理として保証して人を「信じさせ(faire croire)」、行動させ、社会に安定した秩序を与えていくのが「制度」(典型的には、中世なら教会、近代以降は国家)である。しかし制度は、つまり「信じられるもの」のシステムは、歴史の時間の中で否応なく変わっていく。「信じることの歴史人類学」は、こうした観点から人間社会を広く見直そうとするものとして構想されていたと思われる。
二領域を繫ぐもの──「信じる」ということ
先述のように、セルトー自身はこの二領域を接合するようなことはしていない。生涯「二刀流」を貫いたようにも見える。それでも、ていねいに読むなら、かれがさまざまな対象を分析する際の視線が両領域で通底していることは感じられる。それは何なのか。どこであい通じているのか。上に一瞥したかれの社会哲学の核に据えられた「信じること」は、「クレジット」の語に明らかなように経済活動全般を可能にしているものでもあるが、もちろん宗教にとって最重要な言葉の一つである。神秘主義は、まずは宗教の中の営みだろう。では、「信じるということ」が、両者を繫ぐものとなるのだろうか。
しかしかれは、社会哲学の研究の中では、「信じさせる制度」の典型としてかつてのキリスト教会がしばしば言及されるけれど、人間社会一般を成立させている原理のような水準でとらえられた「信ずること」の質は、いわゆる宗教的信仰、キリスト教の徳としての信仰(foi)とは相当に違ってみえる。事実セルトーは、社会成立の原理としての「信ずること」を、いわゆる宗教的な信仰の方から見ることをきっぱり拒否している。「そんなふうに考えるのは、信じられる対象と信じるという行為を同一視するからであって、そうなれば〔……〕かつて宗教だった要素がいまなおはたらいている集団にはすべてなんらかの宗教性があるということになってしまう。/別のモデルをもってきたほうが歴史学や人類学の成果にふさわしいだろう。すなわち、教会というもの、いやおよそあらゆる宗教というものを考察の単位とするのではなく、信じる行為と信じられる対象がとりうるいろいろな関係の社会的ヴァリアントの一つとして考えるのである。もしかして教会とか宗教とかは、信じることと知ることとが、さまざまな内容系列(半ばは使用語彙の上のことだが)を従えながら取り結んできた(形式的な)一様態であり、その特殊歴史的な形状(および操作)だったのかもしれない。今日、信と知は過去の諸宗教におけるのとはちがった布置をとっている」(『日常的実践のポイエティーク』山田登世子訳、ちくま学芸文庫、二〇二一年、四二〇―四二一頁。訳文に手を加えた)。
この指摘に私は着目したい。「信じること/信じさせること」を根本原理とするセルトーの社会哲学は、その「信」把握に際して、「宗教(religion)」というとらえ方、「宗教」なるものの還元不可能な実体化を拒み、いわば歴史化するのである。宗教学界でよく言われる「宗教概念批判」に通じる態度としてもよい。「宗教」──その一つとしてキリスト教もある──よりも「信」のシステムの方が根源的であり普遍的であって、いわゆる「宗教」はその制度化の一つの歴史的形態だ、と見るのである。
この「宗教」の非本質視は、翻ってかれの神秘主義研究の特徴でもある。順序としては、神秘主義研究がそうした見方に導いたのかもしれない。上に触れたように、かれの「天使の語りかけ」論は、古代宗教やキリスト教での天使の意義と、リルケやベンヤミンという、いわゆる宗教信仰の世界にはもう生きていない人々にとっての天使をめぐる語りとが、なんら区別なく取り扱われている。主著『神秘のものがたり』はたしかに一六・一七世紀のキリスト教世界の事象を主に扱ったものだが、続巻では、マラルメやウィトゲンシュタインを論じる意向まであったらしい。つまりかれの神秘主義概念は、「神」を究極の目標と明言する「宗教的」な神秘主義と、「宗教」であるキリスト教会の外で展開する芸術や思想や政治の営みとしてのそれとを、本質的に区別しないものだった(「神」の位相を指すためにかれは、大文字の「他者」、「絶対」、「なくてはならない本質的なもの」といった、字義上は非宗教的な語彙を一貫して用いている)。すでに近世のキリスト教神秘家たちにとっても、彼・彼女たちの神は、教会制度がそれへの信を要請し保証している神とはすでに異なる位相で捉えられていた、という理解がセルトーの神秘主義観にはある。むしろ、そのような人々の営みが「神秘主義」とされるのでもある。
「宗教」回避の効果
だから、「宗教」という概念をいわば回避し、スルーする態度が、かれの神秘主義論も、社会哲学も特徴づけている、と見てみたい。ただしこのことは、「宗教」とされている領域の軽視ではまったくない。むしろ真逆だと言いたい。
なぜなら、こうして「宗教」という見方を捨てることは、キリスト教世界(「宗教」的社会)としての中世と脱キリスト教世界(「世俗」社会)としての近代以降を切り離して、近代・現代のわれわれが近代以前から引き継いでいるものを無視する自己理解に対しての、根本的異議申し立ての意味をもつからである。中世から近代への移行(セルトーの愛用語の一つ)は、かれの神秘主義研究の中心問題といっていいほどのものだが、その移行の内実に迫ろうとするかれの近代化論は、近代以前を関心の外に排するものではありえない。近代以前としての中世から、なにがどう変じたのかの理解が肝要である。ところが、「宗教」概念がそこに大きく前提されると、この移行は、キリスト教会という実定的制度のあり方の問題に限定され還元されてしまう。あるいは、先の引用にあったように、キリスト教会をなんらか引き継ぐ運動や思想に「宗教(的なもの)」の存続を見ると、近代においても「宗教」は(かたちを変えて)生きているといった見方、近現代の諸事象に「宗教」(へ)の回帰を見る見方、延いては「宗教」の方に諸事象を「回収」する見方さえ生じうる。
反対に、近代社会を本質的に「非宗教」的な世俗社会と見ることは、これも、「宗教」と名指されて存続している諸現象を、すでに社会の中心から撤退した非真理の場所として周辺化して、そのことでかえって「宗教」概念自体を温存することにもなる。「世俗」概念は「宗教」概念に依存したセットなのでもある。
セルトーはしかし、現代世界への「宗教」の存続を見る視点にも、端的に消滅を認める態度にも、どちらにも与したくない。キリスト教の言葉に置き換えれば、「神」は死んだとも生きているとも言いたくない(生死のあわいの「亡霊」はかれの愛好イメージの一つだ)。だが、宗教/脱宗教という区別線自体が、「宗教」という見方を排すれば意味を失う。教会の権威の社会的地位の変化消長を示す諸事実も、歴史のより深い次元で生じている変化の「兆候」として見られることになる。その次元のことをかれは考え、語ろうとしていた。
これはさらに、(神を信じる)神学/(信じない)社会科学・歴史学、といった区分も無効化するだろう。神学・宗教諸学と社会科学・人文科学の差異が溶解すれば、社会科学の言葉で、社会科学として、かつての神学が語っていた「神」の次元のことがらについても、まったく「宗教的」にならずに語りうる学的地平が露わになる。「宗教」とされてきた領域のゆたかな遺産も、「宗教」に回収されずにあらたに引き継ぐことができる。そうした地平の開拓をセルトーは期し、実践しようとしていた、と私には見える。「宗教学」という名の制度のなかに長くいすぎたがゆえの見え方かもしれないが。
なお、このように見たからといって、本稿冒頭来の二領域、神秘主義研究と社会哲学研究が一つに合するわけではない。両者は扱われる対象の次元ではっきり異なっている。ただ、前者は「宗教」領域の研究、後者は「宗教」と関係ない社会科学、といった区別はもうできなくなるだろう。両者はともに、広く多層的な「信じること」の営みの、ある位相に焦点を据えた検討という点では、無関係ではなくなるだろう。
「宗教」再考のために
自身は伝統的キリスト教世界が生きていた環境に生まれ育ち、迷わず教会人となったセルトーは、学問的姿勢、立ち位置を次第に変え、教会とのかかわり方も変じていったらしい。「宗教」としてのキリスト教、制度としての教会から、そこを「去る」といったかたちを採ることなく「離脱」(神秘主義の伝統で用いられるニュアンスを込めたい)しようとしたのだろうか。教会に所属する/しない、という「宗教」上の区別が有効でない地平──セルトーが頻用する語では「無効地帯」──に、生き方としても学問においても身を据えていったようにも見える。それはかれの、かつてのキリスト教世界への(終わらない)「喪の仕事」との面をもとう。こうしたセルトーの挙措を追うように、セルトーの再読・再評価が、本特集号に海外から寄稿された諸論考に見て取れるように、一部の神学者の間でなされ始めている。前の教皇フランシスコがセルトーのよい読者だったことも響いているかもしれない。
では、もう、あるいは初めから、「宗教」の喪に服してもいないように見える現代日本の多くの人にとっては、セルトーの仕事はどんな意義をもとうか。事実としては、宗教も宗教的なものも、現代世界に、「宗教」と名指されて存在し続けている。「宗教」は、無視はできないが敬遠されがちな、いろいろな意味で大切だけれど安易に手を出しにくい領域になっているのかもしれない。であればむしろ、「宗教」という、西欧の歴史のある時期の産物である名称と概念にこだわらずに、宗教/非宗教の線引きにも忖度せずに、宗教でもありうるものを論ずる学知や思想が求められるのではないか。セルトーを参照することの意義は、こうした求めの水準にあると思う。




