【文庫解説】高橋宏幸訳『カエサル ガリア戦記』
戦略を立て、人を動かし、難局を切り拓いてゆく、古代ローマの無敵の将軍カエサル。本書はカエサルが自ら記した戦いの記録として、無比の価値を有する歴史書です。岩波文庫では1942年にはじめての翻訳を、1964年に改訳を刊行しましたが(いずれも近山金次氏の訳)、本書はそれ以来約60年ぶりの新訳となります。今回の訳では、ヒルティウスにより書き継がれた第8巻も収録。地図や用語解説、年表、索引などの資料も充実しています。以下、訳者の高橋宏幸先生による解説の冒頭を転載いたします。
作品の概要と特色
『ガリア戦記』は、ユーリウス・カエサル指揮下のローマ軍がガリアにおいて遂行した戦争の記録である。カエサルは前五九年の執政官任期後に、イッリュリクム(アドリア海北東岸部)、ガリア・キサルピーナ(アルプス南東側のイタリア半島北辺部。以下、「内ガリア」)、ガリア・ナルボネンシス(またはガリア・トランスアルピーナといい、アルプス西側からヒスパーニア(現在のスペイン)に至る地中海沿岸部。以下、「外ガリア」)という三つの属州の総督となると、すぐにガリア遠征に乗り出す。まず、前五八年三月、現在のスイスに相当する地域を領地としていたヘルウェーティイー族が移動を始め、ローマに脅威を与えると判断されたため、カエサルは彼らの進軍を阻止して、戦いに勝利を収めたのち、ガリアに居坐るゲルマーニア軍を駆逐した。続いて遠征二年目に、現在のベルギーに相当する地域に住むベルガエ人を征服したのち、三年目には、アルプス山岳地域、大西洋岸地域、ヒスパーニア隣接地域でそれぞれ勝利を収め、ここにガリアのほぼ全域を平定した。遠征四年目、ガリアに侵入を図ったゲルマーニア人の部族を撃退し、さらに、レーヌス川(ライン川)を渡って作戦を遂行する一方、主に予備調査の目的でブリタンニア(ブリテン島)へも渡った。五年目、本格的なブリタンニア遠征が開始されたが、そのあいだにガリア人による蜂起の動きが急になる。ガリア北部、レーヌス川に接して領地をもつエブローネス族によって一個軍団が壊滅もした。遠征の六年目、七年目は、こうして火の手の上がった叛乱の鎮静に費やされる。とりわけ七年目には、ガリアの全部族が最高指揮官ウェルキンゲトリクスのもとに結束して、ローマ軍に決戦を挑むことになるが、勝利はカエサルの手に帰した。こうして推移した七年間の遠征は各年がそれぞれ一巻にまとめられる形でカエサル自身によって記録された。このあと前五一年、前五〇年と続いた遠征の記録は、カエサル指揮下で戦ったアウルス・ヒルティウスがのちになって(おそらく、前四四年のカエサル暗殺以後)二年を一巻にまとめて残した。
以上が『ガリア戦記』の概要であるが、作品としての特色は、何を措いても戦争を指揮した将軍自身がこれを著した点に認められる。これまでさまざまに論じられてきた作品の問題はいずれもこの点に関わっている。原題は『ガリアでの戦争の事績に関する覚え書き(Commentarii Rerum Gestarum Belli Gallici)』ないし『ガリアでの戦争についての覚え書き(Commentarii de Bello Gallico)』というが、ある種の下書き、ないし、実務的な記録を意味する『覚え書き』(commentarii >英 commentary)が書名に使われた理由は何か。一つの完結した作品として構想されたものなのか。それぞれの巻はその年ごとに書かれたのか、それとも、現存する七巻は遠征七年目終了後のある時期にまとめて執筆されたのか。カエサルが元老院へ送ったとされる報告書と『ガリア戦記』はどう関係するのか。そもそも、カエサルの執筆意図はどこにあったのか。業績の宣伝や、失策ないし逸脱行為の弁明といった利己的動機にもとづく著作なのか。事実の歪曲、あるいは隠蔽があるのか。それとも、ありのままの事実を同胞、さらに後世へ伝えようとしたのか。これらの問題はどれも、結局のところ、著者自身がつねに作品に記される出来事の中心を占めることに発している。
(全文は、本書『カエサル ガリア戦記』をお読みください)




