第50話 改版で改まるもの
岩波文庫では、初版が刊行された後に改版される本も少なくない。改版とは、言葉のとおり版を改める、つまり印刷に使う版を新たにすることを指す。
例えば、かつての活版印刷のように金属活字を組んで版面をつくり、その表面にインクを塗って紙にプレス(印刷)していた時代であれば、何度も印刷を繰り返すうちに版が物理的に磨滅して、文字がぼやけるようになるので、さらに刷るには版を新しくしたわけだった。実際、岩波文庫にも、版が磨滅してきたので改版するという意味の断り書きを目にすることがある。
私はかつて岩波文庫の「改版」とは、内容はそのままで物理的に版を新たにしているのだと思い込んでいた。つまり、改版の前後で印刷されるページそのものには変わりはないのだと思っていた。中にはそういう改版もあるかもしれないが、実際には改版で活字が大きくなったり、ページ数が変わったりすることもあると知ったのは後のこと。
例えば、同じ本の改版前後のページを並べてみると実感しやすいかもしれない。


これはカロッサ作『幼年時代』(斎藤栄治訳、赤436-5)の第7刷(1999年2月9日発行/第1刷は1953年6月5日)と改版第1刷(2012年6月15日)の同じ冒頭部分である。こうして見比べてみると、書体や字の大きさ、一行あたりの文字数などが違っている様子が見えるだろうか。ページの左下をご覧いただくと、旧版のほうが2行ほど多くページに収まっていることが分かる。
また、改版では漢字が新字に変えられている。いくつか並べてみよう。旧版、改版の順に並べてみる。
アルプスに發する綠のイーザル河
アルプスに発する緑のイーザル河
二階建の家に住んだ。
二階建ての家に住んだ。
部屋々々
部屋部屋
これに関しては、改版の巻末にある「〔編集付記〕」に「今回の改版にあたり、字体は新字体に改め、読み仮名や送り仮名等の表記上の整理をおこなった」と記されている。そこには「(二〇一二年五月、岩波文庫編集部)」と添えてあり、こうした編集を施したのが編集部である様子が窺える。同書の訳者、斎藤栄治(1910-1979)の生没年から分かるように、改版は訳者の没後30年以上経ってからのことだった。
もっとも、いまでは新字が普通なので、旧字の本を復刊する場合などを除くと「新字を採用しています」と断る機会もないから、なにが「新」なのかは分かりづらくなっているかもしれない。これについては別の話で触れることにして、いまは改版前後の違いに戻ろう。
旧版ではこのページ内にルビはないが、改版では左から4行目以下にいくつかルビが見える。旧版でもルビは使われているものの、改版と比べて量は少ない。他には紙面左上のノンブル(ページ数)のあたりにも違いがある。旧版ではノンブルのみだったところ、改版では「最初の悦び」というふうに見出しが入っている。
さて、このような表記の違いはあっても、仮に改版前後で内容が同じなら、創刊以来の岩波文庫をすべて集め読むにしても、新旧版両方まで揃えなくてもよい。どちらかを入手して読めれればそれでよし。しばらくそういう方針で進めてきた。
ところがである。ときどき見過ごせない表記に出合う。例えばこんなふうに。
「この訳書にはこんどの改版の機会に、ちょっと見にはわからぬかも知れぬが、かなり手が這入っている(略)「訳者註」を全部書き改めたのも、同じ理由からである」
(ベルクソン『笑い』林達夫訳、青645-3、1993年7月5日第59刷、223ページ)
しかも林達夫がこのように書いている「ベルクソン以後」というこの文章自体、「改版へのあとがき」として書かれたもので、18ページにわたってベルクソンの『笑い』が引き起こした反応や、その後の見るべき笑い論の文献案内が提示されていたりする。
先に挙げたカロッサの『幼年時代』も、改版の巻末に旧版にはない「ハンス・カロッサ――作家と作品」という訳者による40ページ弱の文章が追加されている。編集付記によれば、これは『世界文学全集五五巻 カロッサ』(集英社、1970)の解説を転載したものとのこと。
そのつもりで見てみると、他にも改版のタイミングで修正や追記が施されている本が目に入る。改版では、版を改めるついでに内容も改められている場合があるのだ。
その程度が大きくなると「改訂」「改訳」というのかもしれないが、おそらく「改版」とするか、「改訂」「改訳」とするかの判断は、個々の関係者に委ねられているのだろうと想像する。
そういえば、『カンデル神経科学』のような教科書類では、しばしば第1版、第2版と版(edition)を重ねながら内容が更新されている。どうして岩波文庫に限って改版前後で内容に変化なしと思い込んでいたのか、自分のことながらいまとなっては分からない。
このことに気づいて以来、私は改版前後にも注意を払うようになった。いや、新でも旧でもまずはどちらかで読めればよいという大方針に変わりはないのだけれど、追記や変更があるなら目にしておきたいという貧乏性がつい顔を出すのだった。
(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)




