第9話 文庫のはじまり
文庫といえば、いまではすっかりお馴染みだが、いったいいつ頃からあるのだろう。そう思って調べてみると、ちょっとややこしい事情が見えてくる。今回は、岩波文庫そのものというよりは、その背景や周囲に少し目を向けてみよう。
まず言葉のことがある。「文庫」という語は、現在、岩波文庫や新潮文庫のような本の種類を指すことが多い。他方で、それ以外にも用法がある。一つには「ふみぐら」「ふぐら」あるいは「ふみくら」とも読んで、これは文書の類をしまっておく場所のこと。その名の通り「文の庫」というわけだ。足利文庫、金沢文庫などは、そうした保管場所の名前だった。区別のために、この意味の「文庫」をここでは「書庫」としておこう。
もう少し現在の用法に近いものとして、江戸期の和本に「伊呂波文庫」や「恋文庫」といった書名や叢書名がある。ちなみに前者は人情本、後者は艶本の名前。ただし、これらの本は必ずしも文庫本のような小型本というわけではない。先ほどの「書庫」がどちらかというと書物を保管する場所を指していたのに対して、諸々の文を収めた書物を指すのがこの用法、とひとまず要約できるだろうか。書物というモノもまた、数々の文を収めた庫と見ることができる。辞書や事典、全集の類などはその好例だ。
そしてようやく我らが文庫ということになる。私たちが「文庫」と聞いて思い浮かべる本は、岩波文庫のような小さなもので、ものによってばらつきはあるものの、概ねA6と呼ばれる大きさかそれに近い。と言いながら、ここでもう一つややこしいことをお伝えせねばならない。かつて、見た目は文庫でありながら、別の呼ばれ方をしていた本があった。国民叢書、アカギ叢書などはその例だ。大きさといい佇まいといい、これらの本を手にしたら、文庫だと感じるに違いない。
では、現在私たちが知っている文庫の始まりはどの辺になるのか。文庫の歴史や広がりを教えてくれる矢口進也『文庫 そのすべて』(図書新聞、1979)や紀田順一郎・谷口雅男監修、岡崎武志・茂原幸弘編『ニッポン文庫大全』(ダイヤモンド社、1997)を見ると、どちらも『袖珍(しゅうちん)名著文庫』(冨山房)を嚆矢としている。これは1903(明治36)年に創刊されて、1912(大正元)年まで50冊が発行されたシリーズである。
「袖珍」とは袖に入るくらいの小さなものというほどの意味で、いまならポケットに入るという感じだろうか。実際、袖珍名著文庫は、現在の岩波文庫とほとんど同じ大きさで袖やポッケに入りそう。上製が1冊28銭、並製が20銭という値付けで、巻末の案内文によると、「近文古文を問はず散文韻文を論せず」日本の文学作品を収録する全100冊が予定されていたようだ。例えば、1冊目は幸田露伴が校訂した蝶夢幻阿弥陀佛著『芭蕉翁繪詞傳(ばしょうおうえことばでん)附句集』、2冊目は饗庭篁村校訂の『近松浄瑠璃三種』という具合。
同文庫より前に文庫はなかったのだろうか。調べてみると、鈴木徳三による調査が目に入る。彼が『日本古書通信』に4回にわたって連載した「日本における文庫本の歴史」(1987)では、自ら蒐集した明治・大正期の文庫といえそうな本をリストアップしている。明治期のものが87種類、大正期のものが169種類で、「網羅するには程遠い」とご本人は書いているものの、これだけの規模で実物を集めていることに驚く。
文庫の始まりを見定めるには、実際出版されていた現物の調査と、なにを文庫とするかという分類基準の両面から検討する必要がある。鈴木は文庫本の要件を大きく3項目にまとめている。要点をとりだせば次の通り。
1 小型本
2 一般に市販された刊行物
3 同一の出版企画によるシリーズ
3についてはさらに5項目を挙げている。これも要約しておこう。
(1)編集方針が一貫している
(2)造本形式が同一か同類と判るもの
(3)叢書名があるか、共通の呼称が掲げられているもの
(4)編巻冊数の表示があるか刊行順が判るもの
(5)同一出版者(社)による刊行物
この点、岩波文庫はすべての点を満たしている。鈴木はさらに、刊行が長期にわたり、発行部数が多く、社会に影響したもの、といった条件も加味した上で、そうした条件に合致するものとして、民友社の「国民叢書」こそが近代的な文庫の創始だと見立てている。
「国民叢書」は、徳富蘇峰(1863―1957)が発行したシリーズで、1891(明治24)年に創刊し、22年をかけて37冊が発行された。蘇峰といえば、民友社を設立して、雑誌『国民之友』や『国民新聞』を発行したジャーナリストである。岩波文庫には『吉田松陰』(青154–1、1981)がある。私の手許にある国民叢書の一冊、『讀書餘錄』(1905)は、蘇峰が『国民新聞』に書いた書評のような文章を集めたもので、奥付には初版(1905)から1914(大正3)年の7版まで増刷の記録がずらりと並ぶ。ものの本によれば、「国民叢書」 は明治期の青年に広く読まれ、累計100万部に達したともいう。具体的な影響を見積もるのは容易ではないものの、19世紀末から20世紀初めにかけて、人びとが文庫に親しむ素地のできていた様子も窺えるように思うがいかが。
(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)
[『図書』2025年9月号より]