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山本貴光 岩波文庫百話

第1話 岩波文庫は百周年

 1927年に創刊された岩波文庫は、2027年で百年目を迎える。古今東西の古典を収めてきた一大叢書で、総点数は6000以上とも言われる。いまではすっかりお馴染みとなった文庫というかたちを普及させた立役者の一人でもあり、廉価で手にできて、教養を身につけたいと願う人びとの味方でもあった。

 と、このように書いてみて、ここにはすでにいくつか、検討や確認が必要そうなことがあると気がつく。岩波文庫はどんなふうに創刊されたのか。そもそも文庫はいつからあるのか。これまで岩波文庫はどんな変遷を辿ってきたのか。古今東西の古典というけれど、古典とはなんなのか。6000点の具体的な内訳はいかに等々、思えば気になることだらけだ。

 この連載では、いま挙げたことも含めて、全百話を通じて岩波文庫にまつわるあれこれをご一緒に眺めてみたい。そのうち20回40話は本誌で、残りはウェブでお目にかけるのでお楽しみいただければこれ幸い。

 さて、まずは岩波文庫の概要を眺めてみよう。1927年、昭和2年の創刊で、それ以来ほぼ毎月刊行されてきた。最初の配本は22点、奥付けには7月10日発行と見える。その一冊、『プラトン ソクラテスの辯明 クリトン』(久保勉、阿部次郎譯)を例に見てみよう。

図 岩波文庫『プラトン ソクラテスの辨明 クリトン』初版表紙
図 岩波文庫『プラトン ソクラテスの辨明 クリトン』初版表紙

 判型は現在の岩波文庫より少し背が高い。表紙の文字は右から左へ向かう横書きで旧字が使われている(図参照)。この連載では、百年のあいだに日本語が変わってきた様子も眺めてみたいので、古い表記もそのまま使おうと思う。ただし、適宜ルビを補うことにしよう。

 創刊の段階ではまだ帯もカバーもないようだ。分類番号もいまとは違って同書の背には「10★」とある。奥付に「定価二十錢」と記されているものの、いまではピンとこないかもしれない。

 表紙をめくると扉、献辞に続いて「凡例」と「序」があって、本文が始まり、その末尾に「譯註」が置かれている。いまならついていることも多い「訳者あとがき」や「解説」はない。奥付と「讀書子に寄す」に続いて、案内、創刊書目、刊行予定の紹介があって終わる。

 岩波文庫の特徴を知るには、いま仮に「案内」と記しておいた売り文句を見ておくとよさそうだ。この文言は、現在の岩波文庫にはないので、目にしたことがない人もいるかもしれない。

□此文庫は、普及を第一義として刊行する學生用、携帯用の廉價版です。

内容の嚴選 古今東西のあらゆる古典及び、價値高き良書を網羅し、校訂、飜譯に於ても最善を期します。

最低の廉價 出来る丈安く手に入れられる樣に、小さい形の中に、澤山の内容を盛る形式を採りました。

購求の自由 しかも讀者が全く自由に、欲しい本を隨時求められる自由選擇の方法を執りました。

□方法は、範を廣く内外に覓めたる結果、最合理的普及版たる獨のレクラムを則りました。

□編次はたゞ發行順に從つて之を追ふものであります。

 

 あと四箇条ほど続くのだが、ここでいったん区切ろう。筆頭に謳われているのは、普及のための廉価版で、学生用、携帯用とのこと。携帯用は分かるとして、学生用と明記されているのが面白い。現在では当時にもまして大量の出版物と、それに加えてウェブなどもあるから、岩波文庫創刊当時のこうした文言が読者にどんなインパクトを与えたかは想像し難い。この時代には世界の名著をいかに手にとりやすくするかという企画が目白押しで、岩波文庫にはそうした状況に対する参入という面もあったようだ。

 2つめは、岩波文庫にどんな本を入れるのかという選定基準で、これはまさに知りたいところ。「古今東西のあらゆる古典及び、價値高き良書を網羅」とある。網羅好きの私などは、まんまとワクワクさせられてしまう。とはいえ、やはり気になるのは「古典」「良書」とはなにを指すのかというところ。

 いま読むと、少々意味が分かりづらいのは4つめの「購求の自由」だろうか。読者が自由に欲しい本を随時求められるのが謳い文句になるのはどうしてか。その反対を想像するとよい。つまり、読者が自由に欲しい本を選択できない状態だ。この点も当時の出版事情を眺めてみると、いろいろ見えてくるだろう。

 5つめには、ドイツのレクラム文庫をお手本にしたとあり、要するによそからアイデアを借用しているわけである。レクラム文庫は、いまでも刊行されているそれこそ老舗の文庫レーベルだ。岩波文庫以外の本でも言及されているのを見かけるから、当時の人によほど大きな印象を与えたのではないかと想像される。

 という具合に、まずは話題の種蒔きのようなことをしてみた。

(やまもと たかみつ・文筆家、ゲーム作家)

[『図書』2025年5月号より]


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